注)記事の日付は太陰暦を用いております

2012年08月11日

秋立った

水無月廿一日 曇り時々晴れ時々雨

 
第三十七候:立秋初候
【涼風至(りょうふういたる)】
=涼しい風が立ち始める=
 (新暦8月7日頃〜8月11日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 8月7日は二十四節句の「立秋」。自分が生まれた日であることを祝われていた子供の頃は、夏休みでお誕生会もないし、鼻の日だし、有名人はのび太だし、そんなもんかという一日だった。いつの頃からか生まれた日かどうかは概念上のものとなり、「秋が生まれる日」なのだと暦を眺めるようになり、自然農を始めてからは、風や夕日の色が変わる頃だと気づくようになった。 

 前日の午後に雨に恵まれ、明けた立秋の朝。土が喜んでいるのか草が喜んでいるのかは分からないが、とにかく、けぶるけぶる。どれだけ雨が沁みたものかと、心待ちにして田畑に出てみたものの、乾ききって凍み豆腐のような大地には、数時間程度の降雨では出汁で戻すほどにも足りず、しんみりと濡れた程度であった。とはいえ朝靄の空は白く、日は霞み、気持ちだけでもの立秋の景色を映していた。

20120807morning.jpg



 気休めの雨が去った後、それからまた、降らぬ日々が続いている。そんな中にも、夜更けの風に冷気が混ざるようになり、気の持ちようによっては少しずつ少しずつ、夏の盛りは穏やかに過ぎていこうとしている。気がつけばコオロギが鳴き、気がつけば大豆の花が咲き、気がつけば水無月は去り、またいつの間にか台風の季節、長雨、秋到来、と季節も暦も経過していく。その経過のプロセスは、人間がこの世に出でし頃から、恐らくほとんど変わらない。

 当たり前に過ぎ行く、日本の四季。誰も操作しないのに続く、地球の自転、公転。人間は、その営みの中でしか生きる糧を育て得ないのに、その理を忘却して発展した気になってしまっている。我々は自然の営みから離れた食べ物を生み出して作り出して生きることはできない。それを忘れての人生も社会もないことに気づかなければならない。全ての人が気づかなくとも、自分だけでも、自分の周りだけでも、その理に触れて生きてやる。これは思想だ。そして闘いでもあり、共生でもある。

 たかが食べ物じゃない。たかが農じゃない。生き様だ。それくらいの気概は、一年に一度くらいは持たないと駄目なんだ。矛盾もよし、自己満足でもよし。生き死にを問われて、それでも譲れないものを抱えて生きることを選ぶ。それはもう、自然農とかどうこうではなく。
 
 
 立秋。春を始まりとする北半球、東洋の暦の中で、立春からちょうど半年過ぎたその日。自分はその日に生を受けた。歳を重ねるたびに、たまらなく秋が好きになってくる。半年間、広がり、膨れ、大きく、生命力を高める季節が進み、その日より季節は、半年かけて狭まり、縮み、小さく、生命力を閉じていこうとする。自然も、人間も、動物もそれに近似したプロセスを備えている。その理から、エッセンスをつかもう。楽しみを、可笑しみを、喜びを、憂いを。私達は、過ぎ去り、変わり、そしてまた生まれ、育む、そうした流れの中での営みの中にこそ生きる。

 なんじゃもんじゃよくわからんが、そんなことを思う残暑の夜の夢。ま、たまには鼻血出そうな感じもよかろう。そして何より、雨がまた軒を濡らし始めてきたのだ。

posted by 学 at 22:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんと!宇宙人も8月7日です。つくばには他にも7日の知人の息子さん、6日,8日の知人(双方とも農業者)がいらっしゃいます。 すごい!と感激。
Posted by いのうえしのぶ at 2012年08月14日 20:04
あ!忘れてました。 お誕生日、おめでとうございます!
Posted by いのうえしのぶ at 2012年08月14日 20:05
>いのうえしのぶさん

コメントありがとうございます。
同じバナナの日に生まれて光栄です。

とお伝え下さい(笑)。
Posted by 雑草屋 at 2012年09月26日 01:07
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