注)記事の日付は太陰暦を用いております

2012年12月11日

記憶

神無月廿八日 晴れ
第六十候:小雪末候
【橘始黄(たちばなはじめてきばむ)】
=橘の実が色づきはじめる=
 (新暦12月2日頃〜12月6日頃)

第六十一候:大雪初候
【閉塞成冬(へいそくしてふゆとなす)】
=天地の気が塞がって冬となる=
 (新暦12月7日頃〜12月11日頃)

※今年から七十二候を取り入れてみました※


20121211morning.jpg


 ここ連日、氷点下の朝を迎えている。二十四節気は大雪を迎え、午前は良く晴れ、午後は風が吹き、しんしんと木も草も土も凍み乾きだす。野良仕事や野辺のひと休みに焚き火が似合う季節になってきた。マッチをすり、乾き木をくべ、火の育つ姿を見て手足を暖める。火が産まれ、消えていくまで腰を下ろしながらしばし体を休めていると、古来より人類はこうして冬を乗り越えてきたのだろうか、少しばかり原始的なセンチメンタリズムが体に呼び起こされてくる。茫としながら火を眺め、膨大な過去の人類の時間を思いやる。人は季節に応じて体を動かし、作業をし、食を取り、喜びを見つけ、生きてきた。時間は、世界は、自然とともに、気候とともにあった。その記憶は今はどこに消えてしまったのか。どこに隠れてしまったのか。文明にどっぷりと浸かって毎日をある程度快適に過ごすテクノロジーを手に入れ、そうして人類は、日々の喜びに近づいただろうか。病になるために生活し、憔悴するために仕事をし、生き急ぐために時間を惜しんではいないだろうか。

 そんな問いが現実にはさして意味がないことも分かっている。後戻りができないことも分かっている。しかし、火を眺めている内に体の奥で灯りはじめるような、原始的な感覚に耳を澄ますことは不可能ではない。それが現代社会に必要とされるかどうかはわからない。しかし少なくとも自分にとっては決して忘れるべきではないと、木枯しに乗って時間の記憶のようなものが、背中に吹きつけるのだ。夏の焦がすような炎天にはない、孤独感の強いこうした冬の訪れに、小生は時々何かを思い出したように、ワクワクしてしまうのだ。

 20121211fire.jpg


 それが、ただの風邪に罹患した諸症状の表れなのかもしれないとしても。
 ワクワクがゾクゾクの勘違いなのだとしても。

 やばい、鼻水が止まらない。



posted by 学 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 故郷の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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