注)記事の日付は太陰暦を用いております

2013年05月31日

自然側

卯月廿二日 晴れ

 自分ができるだけ自然と共にあれるか。それは自然農に取り組む中で、自ずから寄り添ってくるテーマでもある。


 今日、農園として使用している一部の畑を知人にお貸ししていた区画を、2年を経た後に返していただいた。知人の取り組みに共感しその区画は有機農での栽培をすることになり、トラクターで耕し、有機肥料を入れ、ビニルマルチを張り、寒冷紗をかけて、とある作物を栽培した。そして2年が経ち、返却していただく段となった。

 戻した後には、自然農での作付けを予定しており、現状復帰の作業を手伝った。寒冷紗の撤去はなんとかスムーズに終了したのだが、手を焼いたのが、ビニルマルチの回収であった。農作業においてのマルチとは、地熱を高めたり雑草を生えにくくしたりさせる目的で作物以外の土を覆う資材全般を指す。ビニルマルチとは、種類も様々にあるようだが、おおまかに言えば石油資源のビニル素材でつくられ、薄くて軽く、畑一面に広げるのに効率的でありかつ作物の生育促進にも一役買うため、慣行農法や有機農法の畑では、しごく一般的に使われる資材の一つでもある。

 20130531mulch1.jpg

 それが、2年の使用を経て撤去するとなると、はてさて。雑草の根がビニルに張りめぐり、土はビニルを腐食させ、固定の為に打ち込んだプラスチックのアンカーも食い込み、簡単に外せるものではない。無理して剥がせば表面は綺麗にはがれるが、土の下に埋まったビニルやアンカーは残り、人工物として、分解されて土に還ることがほとんど無い(非常に長い年月においては分解されうるかもしれません)。自然農栽培を選んだ小生にとって、こうした時にこそ、天然素材を選ぶ理由が明確に体感される。ビニル素材は、明らかに土とは親しくなく、見た者に不自然さを覚えさせる。いつかぼろぼろに小さくなったとしても、天然素材の草木や動物とは明らかに異なり、違和感を感じさせるに違いない。一方で、麻布を利用した鳥避けネットや布マルチなどの自然素材は耐久性は比較して弱いが、使用後に畑に放置していたとしても、いつか必ず土に還る。その差異は、どこまで行っても混じることなく、小生の中に大きな隔たりとなって存在する。

20130531mulch2.jpg

 決して使用しないというわけではない。有用に使えるものは当然利用している。天然素材では工夫に限界にある製品などは、便利な資材として、手元において使っている。ただ、田畑の中に、土の中に残されてしまうような使い方をするものについては、土のためなのか自分のためなのかは分からないが、どうしても使いたくない、と判断する自分がいる。果たしてそれが、自然なのか、不自然なのか、欺瞞なのか当然なのかはわからないのであるが。

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 その作業中、昼休み明けの上半身(わき腹と右腕)に、突然痛さと痒みが走った。最初は草負けや蟻にでも咬まれたかと、軽く擦って済ませようとしていたのだが、何度か擦っているうちにヒリヒリもしくはズキズキするような猛烈な痒さが襲い掛かり、切ったばかりの爪の伸びていない指先で、いてもたってもいられずに掻き毟っていた。しかし何度掻いても十数秒後には元の木阿弥。むしろ痒み、というより痛みが広がってくるような気がしてくる。これは毛虫か、と気がついた頃には、これ以上作業を続ける気力すら失われてしまうほどの不快感だった。
 とりあえず帰宅してなにかしらの薬をつけるべきかと一考したが、ふと、頭の片隅を探し当てる。記憶の断片に、書物か、インディアンの教えか、定かではなかったが足元の雑草についての智慧が思い出された。それは、セイタカアワダチソウを咬んだ汁を虫刺されの皮膚につけると良い、という記憶だった。その時点では確かではない智慧の記憶ではあったが、文字通り藁にもすがる思いで、原因の一つであろう長袖シャツを脱ぎ捨て上半身裸になり、セイタカの葉を口に含み、咬み、唾液の混ざった草の汁を、がむしゃらに患部に塗りつけた。何度も、何度も。作業の汗で渇いた口では唾液が足りなくなると、麦茶を口に含み、その水分で草の汁を伸ばし、腹に腕にこすりつけた。痒みはすぐに治まったわけではなかったが、このままでも仕方ないと、持ってきていたジャージを裸の上に直接着て、作業に戻ることにした。

 すると1分、3分、5分。痒みも痛みも、激しい再発はそれ以降おこることはなかった。飲み薬でも塗り薬でもなく、そこらじゅうに生えている雑草の、咬んだ汁を塗っただけ。それだけで、あの、気が変になりそうなほどのとげとげしい痒みが、一陣の風と共に和らいでくれたのだった。その現実はすこぶる力強く、目が覚めるように明らかで、まずは先人の智慧に、そして植物の薬効の力に、畏敬の念を覚えずにはいられなかった。


 そんな、自然と不自然を感覚として身に深く体感したような今日の出来事。どんなスタンスをとっても自由なんではありますが、小生の個人の趣向としては、自然側に立ったスタンスは、やっぱり魅力的なんだよなあ。と、しみじみの一日。


第二十五候: 小満 末候
【麦秋至(むぎのときいたる)】
=麦が熟し畑が黄金色になる=
 (新暦5月31日頃〜6月4日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※



posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 学びを知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おおー。すごい。
こういう先人の工夫が繰り返されて積み重ねられて化学となって、ムヒにまでいきついているのなら、どの段階で「自然」と感じなくなるのだろうかとか思ってしまった。
人間の人生の長さとか太陽の運行とかが単位で、生成や分解のスピードがそれより速すぎたり遅すぎたりすると人には「自然」でなくなるのだろうか、とか。
Posted by furutani at 2013年06月01日 18:35
>furutani

「スピード」というのは一つの目安かもね。ただ、こればかりはどこまでいっても「さじ加減」の問題でもあるので、その人にとっての心地よさがどこか、というのも大事なんじゃないかと思ってるよ。

だから、「自然さ」の押し付けもあってはいけないんだろうね。
Posted by 雑草屋 at 2013年07月10日 18:20
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