※七十二候を“ときどき”取り入れています※
ここ一ヶ月ほど、断酒してます。
きっかけは自分から率先してではなく、半ば強制的に、半ば実利的に、なんだけど。
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この歳にもなっていったい君は何をしとるんだね。と、どこの誰かから言われそうで、そして今でも何かしらの気恥ずかしさもあって今の今まで書きあぐねてきたことがある。傍からみれば別段のことでもなければ、あるいは怪訝な視線を向けられそうな気もするが、小生、時折、治験ボランティアに参加している。先日は、「スギ花粉症患者への新しいアレルゲン免疫療法」(この辺り詳述はできませんが)を開発に協力する治験でした。
聞きなれない方へちょいとご説明を。治験とは、医薬品もしくは医療機器の製造販売に関して、薬事法上の承認を得るために行われる臨床試験のことである。元々は、「治療の臨床試験」の略であるという。健康な成人男女を対象に行われる治験では、動物実験を経て生体安全性が確認された新薬候補を人間に微量投与し、その排泄や体調への発現などを調べることが主目的とされる。この段階での結果を元に、さらに新薬の対象患者への微量投与、続いて通常量投与の試験が行われ、審査された後、新薬が認められ世にでることになる。臨床試験の性格上、対象薬の効能を正確に観察するため、治験参加期間中の、飲酒、喫煙、対象薬以外の薬の摂取、激しい運動や不規則な就眠などが、治験の種類によって禁止される。(一部、wikipediaから引用)
治験参加という行為に対して報酬の授受が発生することに、臓器売買のような嫌悪感が(体を提供しているイメージのためか)発生することを考慮してか、ボランティアという言葉が使用され、参加者は、アルバイト代ではなく負担軽減費という名の試験協力費を受け取ることになる。つまり、新薬開発の実験にあなたのお体を提供して社会貢献にご協力ください、という体裁で行われる、実質アルバイト的なボランティアなのです。もちろん安全性が十分に考慮された範囲の試験ではあるものの、薬害やネガティブな副作用などは世の全ての医薬品全般に必ず含まれる事柄でありその意味では決してリスクがないわけではないが、あくまでも微量投与であるという自己判断のもと、小生は今まで参加を決めてきた。
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一方で、現代医療と半ば確信犯的に距離を置き、風邪をひいては布団に入って寝てるだけ、切り傷負っても舐めるだけ、消毒も、殺菌も、投薬も、通院も、避けうるものならとことん避けて、毎日を過ごしている小生。胃腸が優れぬときは、自家製の梅肉エキスをひとなめ。農作業で足腰の具合が悪いときは、古武術的な体裁きとヨガ瞑想で微調節。花粉症にはセイタカアワダチソウやオオバコの自家製薬草茶で症状緩和。いよいよ寒気が止まらねば、蜂蜜生姜と葛根湯。そうして、四季を通じて暮らしている。幸い大病とは縁なくここまで来れたおかげで、自然療法、姿勢改善、辿りついても東洋医学まで、で貫いてきた。奇特な友人から、お前にあっているだろうと、体を洗わずに生きる野人生活のような本を薦められては、よし俺も、と膝を打つ始末。
知人に医療従事者がいないわけでもなく、ブラックジャックも好んで読み、子供のころはNHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体」に目を輝かせてきた。日々更新される、生化学や近代医学が解明する人体の神秘にも、ワクワクしながら知的好奇心をかきたてられることもしばしばである。それでいながらやはり、自然をどこまでも細分化していく流れの西洋医学へ、心の本流が流されることはない。本来として完全であり、細にして全である、という生命体として生物を認識する自然療法や東洋医学の流れに、心が傾くのだ。それは、あくまでも自然環境全体を見ながら植物の栽培に人間が寄り添っていく、「自然農」に魅せられた者の、ひとつの宿命であるかの様にも感じている。
自分の体を、自らの命を、他所の誰かに預けて健康を維持してもらう生き方ではなく、少しずつでも、日々の暮らしの中で気づきと調整を施しながら、心地よい身体をこしらえていく。それは、野菜たちが土壌や他の雑草たちとの共生の中で少しずつ豊かに育っていくように手を加えていく、自然農の田畑とまるで同じではないだろうか。本来、生物は、生まれながら十全に生きようとする力が備わっている。自然も、田畑も、もちろん人間も。対症療法的にあれこれ術を費やす生き方よりも、いま既にある、もしくは一時的に損なわれてしまっている(しかし元に戻ろうとしている)、本来の健康に自ら気づいて手を伸ばしていくような生き方。それって楽しくない?
矛盾のうえで言えば、さりとて現代医学の進歩があって初めて解明され治療しうる病気は数知れず、その技術の発展の上にしか、自分たちの今の健康が存在しているだろうことも、十分承知している。風疹ワクチン、打ちました。口の中には、虫歯治療の銀歯が数本。西洋医学を影で支える輸血治療の大本に立つ献血は、暇さえあれば楽しんでいる趣味のひとつである。そして、ボランティアの名を借りた効率のよいアルバイトである、治験への参加(笑)。それでもなお、その必要性を知ってなお、やっぱり小生は「自分で治す」というロマンを手放したくはないのだ。
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話は戻るのだが、ということで、治験参加による二次的なメリットをあげるならば、事前検査や事後検査も含めれば数週間に及ぶ参加期間中、意欲的に「断酒」できることなのでありますわ。現在、断酒3週目。治験を終えてもいましばらく、せっかくなので一ヶ月達成に挑戦中。人生初の、ロングコース。今まで、酒が無くとも日常を営める妻を横目に見ながら、酒のない人生なんて暗黒だと思っていた。絶対無理だし、何を我慢できても晩酌だけはやめたくない、と思ってきた。
それがさ、自分の選択で、かつ必要性もあって、前向きなトライアルだと思ってやれば、身体や心の思い込みはいとも簡単に変えられるんだね。おそらく、習慣も、常識も、世の中のあらゆる囚われからはいつでもこうして自由になれる。いや、大げさでなくて。もちろん、おちゃけはこれからも大好きなんだろうけどね。
いやー、それにしても禁断症状が出なくて良かった良かった。手が震えたらどうしようかと思ってました。そしてなにより、早く断酒あけのビールが待ち遠しいい!
追伸:そうそうおまえら、献血しろよ! 自分がいつ、輸血治療受けるかわかんないんだから!血は足りてないんですよー。
※参考:あなたもご協力を!命が救える身近なボランティア「献血」

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※第14回 話す・聴く・気づきのワークショップ =11月30日(日) 開催=
テーマを【生命(健康・病・自分で診る)】で開催します。
参加者募集しております♪ ヨガプログラムもあるよ♪
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