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2014年01月22日

自然であること

師走廿二日 雪のち晴れ

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 雑草屋として、自分はなぜ生きているのか。

 それは、自然農の哲学から広がる様々な「自然であること」に目を向けて、耳を傾けて生きていきたいからだ。

 と、最近お会いした方との話の中で気がついた。

 
 雑草屋とは別で活動している「つくサス」。その活動として今は映画の上映会に向けての毎日。

 映画「地球交響曲」シリーズは、登場する全ての出演者がそれぞれに辿り着いた「自然であること」が語られるドキュメンタリーである。ある人は宇宙から地球を眺めた体験を通して(第一番:元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート氏)、ある人は一本のトマトの苗に1万3千個のトマトを実らせた体験を通して(第一番:植物学者の野澤重雄氏)、またある人はヒグマをカメラで追い続ける体験を通して(第三番:写真家の星野道夫氏)、それぞれに「自然とは何か、自然であることは何か」に迫っていく。第一番から第七番(第八番は現在製作中)を通して、紹介される出演者が見つめる先には常に、地球と人間が調和して存在している。
 
 自然農は、自然に目を向け、耳を傾けなければ存在しない農のあり方でもある。「耕さない、虫や草を敵としない、肥料や農薬を使わない」という言葉は目的ではなく、目を凝らして、持続可能な「自然のあり方」に耳を傾ければ、おのずと自然との関わり方がそうなっていく、というアプローチに他ならない。

 「自然であること」とは、当然ながら、自然環境のことだけに留まるわけではない。心が自然であること、体が自然であること、暮らしが自然であること、それらを考えるだけで人生は留まることなくめぐり続け、果てることがない。

 農が、食が、「自然であること」を目に向けたら「自然農」をしていた。
 対話が「自然であること」に目を向けたら、「話す・聴く」ワークショップをしていた。
 子育てに「自然であること」に目を向けたら、「こぐま塾」をはじめていた。
  
 体が「自然であること」に目を向けたら、「古武術」や「ヨガ」に親しんでいた。
 心が「自然であること」に目を向けたら、「ヴィパッサナー瞑想」を体験していた。
 感覚が「自然であること」に目を向けたら、「ネイティブアメリカン」の教えに耳を傾けていた。

 全てが生きる生業(なりわい)になるわけではない。お金を生む生まないは重要な世の中であるが、それ以上に自分は、「自然であること」に寄り添って生きていきたい。大自然で野生として生きることが「自然」なのではなく、どんな世の中でも、「自然であること」とは何かと問い続けながら生きること。それが自分なりの、最大限の、地球と調和して生きていくことなのだと思う。


 人は自分の人生で全てを体験できる訳ではない(本質的には、全ての体験は共通しているとも考えているが)。しかし、他人の真に迫る体験を通して、擬似的にそれに近づくことは可能である。共感と想像力をもって体感し、それを自分の人生に落とし込むことができれば、それは自分の体験として深く刻み込むことができる。映画「地球交響曲」シリーズは、そうした共感力を持つ、数少ない作品の一つだ。

 日常を退屈とは思わずに、きっとワクワクに満ちているだろうと生きている方には、まさしくその門が開かれている。逆に、ネガティブな日常と閉塞感を抱えて生きている方にとっては、そこにカウンターパンチを浴びせてくれる。映画をきっかけに、まず自分が「自然であること」を取り戻し、そして同時に地球と人間の関係が「自然であること」に目を向ける人が一人でも増えてくれることを願っている。


 そう願う気持ちは、きっと小生自身の気持ちが「自然であること」に適っている・・・はず・・・?



 2014年1月25日(土)
 映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番」
 つくばカピオホールにて上映!


 詳細はこちらからアクセス!




 
posted by 学 at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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