注)記事の日付は太陰暦を用いております

2014年04月28日

遠足の前のように

弥生廿八日 晴れ

 遠足の前の日のように、ワクワクして過ごしている。妻が臨月を迎え、いつ産んでもおかしくないような状態になってきた(と、妻が言う)。家で産んでも構わないと心の準備はしつつもいつでも病院に搬送できるように、車の内外をピッカピカに掃除し、家も片付け、本業よりも出産を優先しているこのところ。

 立夏を前に春の土用に入り、新月を控え月が欠けていき、そして初めての新生児の誕生が近づき(恐らく好意的、ポジティブな意味でのマタニティブルーが無意識に内在して)にわかに落ち着かない心持ちにもなり、この3者が入り乱れて、田畑への足取りも含めて生活そのものは消極的な日々が続いている。しかしその一方で心は日に日に、妻の胎内からいよいよ赤ん坊が生まれ出るその時が満ちるにつれ、ワクワクが増していく。気も漫ろであり、新生活への準備も進め、日常の諸事ものろまにやっつけ、娘とも笑って過ごし、妻とも笑って過ごし、つまりは楽しんで暮らしている。

 こんなにも、子供の誕生を我が事として楽しみにすることができるとは思わなかったし、もちろん腹に胎動を抱えられぬ性としては神秘の本質には触れられぬのだが、仕事も相棒も環境も家族も全部ひっくるめて、一生に一度二度あるかないかの出来事を、こんなにも近く、こんなにも日常に、過ごせることができるとは自分はなんと幸せなのだろうか。胎動を喜び、それを快く伝えて共有してくれる妻。それを娘とともに楽しみ、少しだけ産後のバタバタを心配もし、その上で心底、ワクワクが止まらない。
 
 例えば食事や、教育や、暮らしぶりや、仕事など、夫婦二人の嗜好を全て前向きにすり合わせて重ねていくことは単純ではないが、気持ちと愛情さえあれば簡単なのかもしれない。自然農をベースとした「自然であること」へのシンパシーは、日常生活にまつわる森羅万象へ広がり、自分と妻の人生観の根底に共有されている。人生も、環境も、大きな流れにまずは委ねて、そしてその上で自分たちの櫓で漕いでいければいい。臨月になったことで結果的にここ数日の生活が社会的ではなく家庭内で収束したドメスティックな状態になっており、メールの返信や仕事の連絡などで家族外の周囲にちょっとした迷惑をあれこれかけているかもしれないのだが、そんなことは(言葉を選ばす言えば)どうでもいいのである。授かった命が十ヶ月の旅を経てようやくこの世界へ顔を出すという生涯の一大事ほど、神秘的で、感性的で、感動的な行事はそうそうないのだから。そしてもっと言えば、家族と、つまりパートナーや子供(や友人や知人たち)と育む日常の小さな幸福の毎日こそが一番の大切なことであり、それを侵してまでの価値ある社会的な行為など、そんなには存在しないのだ。その幸福な毎日があるからこそ(もちろん一人でだってその幸福を育むことは可能であるが)、全く同時に、社会的な真の意味での貢献が可能になるのだ。目に見える価値や、インパクトや、評価や、華々しさではない。内側に満ちる、個としての充足から産まれる、他への働きかけ。それを自然に備え、折々に生きることができれば、常に遠足の前日ようなワクワク感を持って人生を歩いていけるような気がしてくる。

 
 じっとしているだけで、マタニティブルーの合間に、自然と、フワフワと、表現しがたい高揚感が湧いてくるのだよ。この、我が子との対面までを待つ、「その時」までの日々の中に。

 
 
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 そもそも、男にマタニティブルーなんてほざいてんじゃねえよというツッコミは、甘んじて受けさせていただきます。冷静にみれば、仕事がはかどってなさ過ぎてヤバイしな!


第十七候: 穀雨 次候
【霜止出苗(しもやんでなえいづ)】
=霜が終わり稲の苗が生長する=
 (新暦4月25日頃〜4月29日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


posted by 学 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 沿って暮らす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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