注)記事の日付は太陰暦を用いております

2014年05月26日

手の中に

卯月廿九日 曇りのち雨
 
 2週間ほど前。我が家に次女がやってきた。

 
140516welcom.jpgphoto taken by ikki yamaguchi


 家系的に、お産が早い早いと言われてきていた。夫婦で、万が一がないように寡聞ながらも勉強と話し合いを重ねてきて、産婆さんによる自宅出産ではなく産婦人科での出産を心積もりしてきた。しかし次女は、どうやら、この家で、小生の手の中に、長女が応援する中で、生まれてくることを選んでくれた。


 自然分娩、自宅出産。本格的な陣痛から数十分での出来事。妻の悲鳴が家の廊下に響き渡り、事前に周到に用意していた洗面器やバスタオルや出産グッズの数々を小生と長女が、廊下で四つん這いの妻の傍に並べる。間に合いそうだったら自家用車で病院へ行こう。しかし妻の悲鳴は絶叫に変わり、四つん這いの下半身からは、既に次女の頭(髪の毛)が見え始めていた。腰を全霊をかけてさすり、洗面器を股の下にセットし、「無事で出てきてくれ! 頑張れ!」と念じるしかできない。長女はしっかりと、赤子の生まれる瞬間を一点に見つめている。頭が出た。この無駄にデカイ、荒れた手で、薄い膜に包まれた命を受け止める。産道を潜り抜けてきた次女の頭と顔は驚くほど細く小さく、母親からつるりと滑り落ちる前に両手に乗せ、気がつけば本能的感覚で、次女の顔を包んでいた膜を、優しく破っていた。それと同時に、か細く、しかし明確に生命力の躍動を思わせる、産声の第一声が廊下に響いた。


 何度も何度も妻と話し、万が一を十分に考慮して、産婆さんによる自宅出産を諦めて産婦人科での出産を決めていた次女のお産。しかし、妻にとって、自分にとって、家族にとって、「自分たちにとって望ましいお産とはなんだろうか」、「どこで、誰と、新しい命を産み落とすのが幸せか」と、幾度となく話しあってきた。心は我が家で、現実には病院で、というジレンマ。しかし私たちは、期せずして、ハプニングと、慎重な事前準備のバランスの上で、偶然と必然の間で、自宅での、家族のみでの、出産を体験することになった。父親にできることはあまりない、といわれるお産の瞬間に、自分はこの手で、我が子の最初の第一歩を支えてあげることができた。自宅での出産は、あらゆる面を考慮するならば決してオススメできるものではないかもしれない。その認識に立った上で、あえて私たち家族は、まさかの時のためにワクワクしながら自宅出産の勉強をし、ドキドキしながら陣痛を待ち、前日には妻は一日中、畑で作業していた。

 振り返れば、当日は、朝から、言葉では表しきれない、いよいよの空気が満ちていた。お互いに言葉にはしないが、今日かもしれないという緊張感と予感が、家の中に漂っていた。どちらかが誘うわけでもなく、その日は畑に出ないで家で仕事をすることにした。妻は前の晩に陣痛の夢をみていて、娘は、今日は病院に行ったほうがいいんじゃない?と口にしていた。朝食後、いつもよりちょっと重めの前駆陣痛に苦しむ妻をよそに、娘はのんびりとしたまどろみを過ごし、普段は絶対にしていない昼寝を(もしかしたら当日結局23時まで眠れないことを想定してか)かましている。自分はといえば、もしかしたらのソワソワ感にしたがって、自家用車内の掃除と、(車で破水してしまった時に備えての)出産セットを座席に詰め込む。徐々に狭まりつつある前駆陣痛の間隔に半信半疑になりながらも、まだこんなもんじゃないよね、と遅めの昼食を済ませ、それでもちょっと苦しいからと妻が横になっていた。そんな折の、突然の15時過ぎの、陣痛がスタートしたのだった。


 そのあたりの前後の様々な、病院までのあれやこれやは、妻のBlogに詳しくある。洗面器で捕らえきれなかった血の海(おそらくは羊水と子宮内膜の混合物?)を古バスタオルで拭い取った廊下は、翌日にはすっかりその跡もなく、また変わらぬ我が家に戻っていた。血の掃除も、タオルの洗濯も、全て自分でやった。愛する妻の体から、娘と共に出てきたそれらは、神聖でありこそすれ、決して汚れたモノには思えなかった。恐らくどうかしているのだろうけど、全ては「生命」の形を変えた姿なんだと、自然に腑に落ちている自分がいた。今では、布オムツに排泄された娘のウンチを洗うたびに、ああ、これは妻が食べたご飯が母乳になって、それを飲んだ娘の身体を育て、そしてその残りがここにあるんだと実感する。さらにさかのぼれば、このウンチは、畑の作物であり、虫や微生物の営みの果てであり、無限の食物連鎖を経て辿り着いた、このネッチョリなのだ。今更ながら、オムツを洗いながら、その旅路に思いを馳せる。

 出産当日、義父からの電話では、「自然農の次は自然出産かいなー!」と笑って祝福をいただいた。小生自身、何がなんでも、「自然」であればいいと思っているわけではない。しかし、この度の立会い出産を経た今、静かに心に漂う思いは、「生命」がそこにある限り「自然」から離れられるものは存在しない、という確信である。生きている限り、私たちは自然の奇跡の中に存在している。衣・食・住、職・学・遊のカオスの中にいてついつい忘れてしまうのだが、いかに科学技術の、情報科学の先端にいるつもりでも、体のメカニズムという自然のなせる業から離脱することはできない。だからこそ自分は、「自然とは何か」という大命題に、どっぷり浸かって生きることを是としてみているのだ。その中の一つの、自宅での出産であり、育児であり、農であり、食であり、暮らしなのだ。


 
140516walking.jpg
photo taken by ikki yamaguchi



 出産の5日後、産後を病院のベッドですごした妻と次女は、新緑あふれる我が家に帰ってた。家族四人で、山羊にも、畑にも、木にも草にも虫にも(笑)、ここにある限りの自然に包まれて過ごして行こうと思う。この手の中に降りてきてくれた新しい命とともに。


 
140516return.jpg
photo taken by ikki yamaguchi

 
 さあ、稼がねーとな!!!




posted by 学 at 23:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 沿って暮らす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そうそう、FBに書き忘れたけど、『全ては「生命」の形を変えた姿なんだ』、に共感。世界の様々な不幸は、連鎖を感じられないことに起因している事が多いと思うの。そして、狂乱的な経済活動はあらゆる事を分断させようとしているし、ブラックボックス化させる事を必要としてるよね。全ては繋がっているとういうことを忘れている私たちの世界が、バベルの塔なんだと(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの「バベル」観たことある?)。
ともあれ、おめでとう!
Posted by さとうあい at 2014年05月27日 10:54
>あい

「バベル」今度観てみるね。

現代に特徴的な問題は、まさしく「ブラックボックス化」されてることが原因だと思う。

食べ物からはじまり、生活、機械、情報、ありとあらゆることで、自分とは遠いどこかからの物体と生きているこの社会って本質的に危うい気がする。みんないつまでも世界中がこのままずっと発展し続けると本当に思ってるのだろうか。そこが今もわからない。

第一歩は、食べ物がどうやって自分の口に入るか思いを寄せることから始まるんじゃないかねえ。自然農的暮らしは、そこに楔(くさび)を打ち込むはずだと信じているよ。

共感してくれてありがとう。


ともあれ、さんきゅー!
Posted by 雑草屋 at 2014年06月01日 22:48
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