注)記事の日付は太陰暦を用いております

2014年09月29日

恋人の味

長月六日 晴れ

 自然農の野菜はどんな味なんですか?

 雑草屋として自然農の野菜を少ないながらも人の手に届けるようになってから、幾度となくこの質問に答えてきた。野菜をお渡しする前に、「実際に食べてみてください!」とは以前はなかなか言えず(今では図々しく言えるようになってきた)、コミュニケーション能力を最大限に高めてどうにか自分の伝えられる範囲で対応してみるが、なかなかどうして、今でも、すんなりとは上手くいかない。


 数年前の出来事。とある連休に、前職時代の友人が友達二人で農園に遊びに来てくれたことがあった。10年来の付き合いの、フランクな会話を楽しみ会える友との酒の肴といえば、楽しい会話のキャッチボールであり、当然夜更けまで語り尽くした。翌朝、二日酔いの頭をたたき起こして台所に立ち、自家製米と手作り味噌汁と他一品、適度に自然農の恵みを混ぜ込んだ朝餉を並べることができた。
 二人とも、お世辞交じりにも旨いと言ってくれた会話の中で、「今までの中で、一番これはうまいなあと、リピーターがついているような自然農の野菜って何ですか」と尋ねられた。しばし思い起こし、「枝豆かもなあ」と答えてみた。色々と記憶をたどってみると人それぞれにお好みの野菜はあるようにも思えるが、しかしやはり一番印象が鮮やかなのは、やはり枝豆なのであった。

 お二人の出立が近づいていたので朝餉の時間はそれほどのんびりとは取れなかったのだが、ふといただいた興味深い問いかけにしばし時を忘れ、食事中にも関わらず思わず箸を置いて考えをめぐらせた。そのときの雑然とした思いは、数年たって確信に近づき、枝豆の季節が近づくたびに、このときの会話を思い出す。

 自然農の野菜はどんな味か、そのときの会話でめぐらせた思いが、きっと、その答えの鍵になっているに違いない。
 

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 なぜ枝豆がリピート率を誇るのか。

 まずここで、枝豆を食べるシーンを考えてみたい。ビールのおつまみにせよ、夕食の一品にせよ、他の商品と比較してみても、枝豆を口にするシーンにおいて、人々は、枝豆そのものの味わいを楽しみにして食べることが多い。その結果、枝豆の味に対して私たちは、他の野菜に比べてその枝豆自体の微細なさまざまな食味を、無意識的に記憶しているに違いない。その記憶はきっと、無意識ながらも明確に舌に残り、枝豆を食べるシーン折々ごとに、鮮やかに蓄積されていく。そのくっきりとした「味の記憶」が残る枝豆であるが故に、自然農の枝豆の衝撃的な旨み(甘み、コク、香り、膨らみ)がまざまざと記憶され、「自然農の枝豆は美味い」という感想が得られやすいのではないだろうか。

 一方で、小松菜やジャガイモなど他の自然農野菜が、小生が感じるほどにはその旨みに比例せず、枝豆ほど感動を呼ばないのにも、そのあたりに理由があるのではないかと思われる。小松菜やジャガイモなどの日常野菜は、主に、ありふれた日用食材として「加工されて」食されることが多く、枝豆とは違い、素材そのものの味わいを楽しむという機会が実はほとんどない。言い換えれば、それらの野菜は、もともとの食味の記憶を明確に刻印するチャンスが、枝豆にくらべて圧倒的に少ない。加工され、味付けされ、料理の一素材として調理されるため、野菜そもそもの味の記憶があいまいになっているのだ。例えば小松菜はおひたしとして、鰹節や醤油の味に主役を奪われ、例えばジャガイモは、カレーや肉じゃがなど、他の調味料や具(カレールーや牛肉など)に、美味しさの記憶を明け渡してしまっている。カレーライスで、ジャガイモの美味しさを記憶する人は、それほど多くないだろう。素材感を楽しんでいるような気がするじゃがバターであっても、実はバターと醤油の旨みあってのじゃがバターであることも少なくない。

 つまりは、特別な機会を設けて「食べ比べ」でもしない限り、一般的な野菜は、「栽培方法の差異」は味の違いがライブ感として認識されず(そもそも記憶があいまいなため)、どちらかと言えばなんとなく甘い、であるとか、なんとなく香りが強い気がする、程度の食味の違いでしか、反応されにくくなっているのではないかと思えるのだ。(もちろん世の中に、「旨い」と宣伝されるプレミアムな野菜が存在することは否定しません。)

 若干蛇足にはなるが、その点子供(とりわけ未就学の幼児)はまだまだライブに生きている。つくいちなどの対面販売の機会で試食してもらうと、まず真っ先に明瞭に反応するのは子供たちだ。例えばグリーンピース、例えば人参、家では絶対に食べられないと母親が懸念しながら興味本位で試食した子供が、「美味しい〜♪」と頬を緩めてニッコリして、母親が驚くという光景を、何度も目にしたことがある。いわんや枝豆をや。目つきが変わって何度も試食をほしがり、「これ以上はお家で食べてね♪」と応える小生に、母親が財布の紐を緩めるというやり取りが、幾度となく繰り返されてきた。



 では自然農の野菜は美味しいのか否か。

 実は私にとっては、本当に美味しいかどうか、という質問はあまり意味をなさない。上に書いたように子供の反応を取り上げて、「やっぱり自然農の農作物は美味しい」と言うことだってできるが、それは本当はあまり意味がないのではないかと思っている。

 本来「味のおいしさ」とは、体が旨いと感じる絶対的な旨さと、頭で判断して美味しいと感じる知覚的な美味しさの2種類に分けられる。前述のように子供が反応するおいしさは、おそらく絶対的な旨さである。それに対して我々大人の多くは、頭で考えて感じる知覚的な味覚によって、随分と偏って美味しさを判断しているような気がしてならない。その、頭で考えて判断するための重要なキーワードは、情報、そしてイメージである。行列店は美味しい、いや隠れ家的な店が美味しい、取れたて新鮮が美味しい、初物は美味しい。その数多の情報とイメージによって既に食べる前に味はほとんど決定しており、また、誰と食べるか、というシチュエーションも掛け算されて、素材そのものの味云々よりも、つまり頭によって味の記憶が決定されることが多いのだ。

 声高に美味しさを宣伝する、自然農野菜や有機野菜、ほかにも様々に工夫をこらした特別栽培された農産物、それらが本当の意味で美味しいのかどうか。それは、実は誰にもわからない。人によっては、糖度が高いから、とか栄養価が高いから、とかアンケートを通して、とかで美味しさを評価することを優先順位に上げたりもするが、それはそれである。

 味の判断基準そのものが、情報やイメージが優先されやすい傾向があるのだとしたら、自然農の野菜を美味しいかどうか判断するのはある意味簡単だ。その人にとって、自然農(という栽培のプロセスや意義)に対するイメージが好意的であるなら、それは間違いなく美味しい。あるいはそれを栽培する人に対して、好感を持っているのであれば、それもまた美味しさを演出する。そしてその逆もまた、真である。

 自然農の野菜が美味しいかどうか。それは、実は美味しく食べる為に欠かせない「スパイス」によって決まる。その「スパイス」とは、結局はこの野菜がどのように育ったのかという「背景を知る」ことなのだ。さあ、自然農で育つ野菜たちの幸せさをイメージしよう。化学肥料、有機肥料によって太らされるのではなく、自分が育つだけの分を他の雑草たちと分け与えながら適度に生育した、控えめで優しいイメージ。農薬や土壌改良剤や耕運機によって、微生物や昆虫や動物が住むことを許されない土ではなく、根っこの隣や草葉の影に賑やかしく他の命が溢れる、豊穣で健やかなイメージ。そのイメージにプラスして、顔も知り、性格も見知ったヒゲ面のややこしい想いも、アクセントに加えてみる。

 そうした背景を知って味わう準備が整った上で、本来の自然農の野菜が持つ「味」が、舌に放たれる。その野菜が、その味が美味しくないわけがない。(そしてもちろんここでも、その上で「おいしくない」と判断されることがあるのも、十分承知しています。)


 さて、話を少し脱線してみる。人々が、グラビアアイドルや芸能人を愛でる時の「味わい方」と、隣にたたずむ現実の恋人を慈しむ時の「味わい方」では、明確に論じらることはあまりないが、その「味わい方」はまるで違う。その理由は、グラビアアイドルの場合は顔の造形やスタイルの良さを視覚情報でのみ愛でるのであり、もしくは芸能人や歌手であれば、その視覚情報に加えて歌唱力であったり演技であったりは加味されるものの、あくまでも伝えられる「情報」によって愛でて味わっている。それに対し一般的には芸能人ほど外見が整っているとはいえない場合が多い彼女や妻ではあるが、それらを愛する場合は生い立ちや性格や内面などの、いわゆる背景込み、そして存在そのものを愛で、愛して、味わっている。(もちろん異論は認めます。)それはまさに、自然農の野菜を食べるのと同様に、「背景を知る」からこその美味である。

 つまり、自然農の野菜を食べる楽しみには、恋人や妻を愛するのと同様の楽しみが隠されていると言ってもよい。そして実はこの脱線した話こそが、味の本質、美味しさの真髄につながっているのだ。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 なぜ自然農の枝豆が美味しいのか、という話からだいぶ話がそれてしまった気がするが、いい加減まとめましょう。

 まず第一の理由は、その前提条件にある。枝豆を食べるという行為そのものに、野菜の本来の味を楽しもうという準備がされていること。「味わおう」という感覚が用意されているが故に届く、比較の美味。

 第二の理由は、雑草屋が自然農で育てた野菜を食べるという行為に、「背景を知って食べる」という、味のポテンシャルを引き上げる要因が隠されていること。背景を知るが故に広がる、恋人の美味。

 そして第三の理由は、その二つの条件が整った上で、満を持して舌に放たれる、本来の自然農の枝豆が持つ旨みそのものの実力。期待を超えて想像をはるかに上回る、衝撃の美味。


 その3つが必然的に満たされた、我らが自然農の枝豆が、美味しくないわけがない。一般的に枝豆の旨さとしてのキーワードとしての、香り、甘み、コク、があげられるが、その全てを、市販の枝豆(それは高級な枝豆やブランドだだちゃ豆なども含む)を衝撃的に上回る。味覚というものは個人個人によって違うし、大半は情報やイメージによって左右されるとわかった上で、それでも、この枝豆を手にして、口にしてくれた方たちが、「うまい!」と舌鼓を打ってくれることを信じて疑わない。

 そしてそれが「自然農」の魅力の一つになり、自然農に興味をもってくれるきっかけになってくれるのだとしたら、こんなにも嬉しいことはない。

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 個人的には、第二の理由、恋人の味こそが、自然農の作物たちが美味しく感じる秘訣なのだと、愛しい我が枝豆たちを味わうにつけ、感慨にひたっているのであります。

 ちょっとした、変態なのかもしれないけど。



 ※過去のBlogではこんなこともやってました >> 「おいしさ」





posted by 学 at 16:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 食の喜び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
第一の理由は盲点でした。なるほど!この変態め!
Posted by furutani at 2014年09月30日 21:19
>furutani氏

そうなんだよ。こんな風に「味」がクローズアップされる野菜で旨さに差が出るのはある意味ラッキーだよね。

そっちはどう?育ててる?
Posted by 雑草屋 at 2014年10月03日 22:14
いろいろと植えてますよー。自然農じゃなくて油かすや米ぬかとか使ってますが。
自然農ほどで無いにせよ、いろいろと気づかされます。

あと、グレイシー柔術はじめました。めっちゃ面白い。知らない事だらけでびっくりしています。
Posted by furutani at 2014年10月06日 23:14
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