白菜ひと玉結球させるのに、7年かかった。小さく、小さく、霜に外葉を枯らしながらその白菜は少しずつ膨らんでいる。

今の畑に移って自然農を始めて7年。今年ようやく、友人との共同企画として実験的な試みを試した区画での成果。もしこれまで同様の畑だったら、果たして結球させられていたかどうかはわからない。いやおそらく、できてはいないだろう。
農のあり方として、技術として、知識として、白菜を結球させることは、今の時代難しいことではない。ではいったい、結球させるために7年掛けることに、果たして意味はあるのだろうか。
有史以来、人は、自分の望みに適う「自然からの恵み」を、いったいどれくらいの速さでどれくらいの規模で生産してきたのだろう。今私たちが数百円(時期によっては百数十円)で手に入れることができる白菜を、いったいどれほどの年月をかけて育種し、積み重ね、改良し、その知恵を積み重ねてきたのだろうか。
とはいえ、自然農は、別にそんなことを体感するために行う農法ではない。10年ほど前に小生が自然農に取り組み始めた頃と比べても、わかりやすいテキストになるべき書籍が何冊も発行され、自然農で作物を育てる「方法」が情報化され、技術化され、もしかしたらお手軽になっているのかもしれない。きっと上手な白菜の育て方も書籍の中を探せばのっているはずだし、きっと育つのかもしれない。
実際にこれまで何度か白菜の種を蒔き、苗を植え、収穫することを夢見てきた。しかし、育たなかった。
大きく、甘く、形良く、育てるのが目的なら、きっと他にもすべがある。だから、肥料を使ったり、機械を使ったり、農薬を使えば、丸い白菜という結果を手にすることはそれほど難しいことではない。だが、白菜を丸く結球させるのに7年かけてそれを楽しむすべは、自分が取り組んでいる自然農において他にない。
自分の人生を何に費やすか。
とりあえず今の自分は、これからさらに数年かけて、無肥料、無農薬、不耕起の自然農で白菜を上手に育てることを一つのテーマに生きてみる。それは決して生産的ではなく、活動的でもなく、ポジティブでもスピリチュアルでもなく、ただの、流れみたいなものなのだと思う。それで金を稼ぐとか、名を成すとか、国家を背負うとか、日本をよくするとか、そんなもん関係なしに。
インターネットや雑誌やFBの中で声高に世界や日本や社会や人生を息巻いて話す人々の声を聞きながら、お前らは、肥料なし、トラクターなし、農薬なしで、白菜丸められんのか? と思っていた。「いや別に育てなくていーし」と言う声も聞こえてきた。 そして来年の俺、白菜丸められてる?
2014年、最後の雨上がりの畑に出て、まだまだ決して丸まっていない、中途半端な白菜をながめながら。

明後日の新暦1月1日は、七十二候の「雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)」。 とりあえず、麦は生えたぞこんちくしょう。
第六十七候: 冬至末候
【 雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)】
=雪の下で麦が芽を出す=
(新暦1月1日頃〜1月4日頃)
【 雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)】
=雪の下で麦が芽を出す=
(新暦1月1日頃〜1月4日頃)
※七十二候を“ときどき”取り入れています※