最近、人には大きな声で言いませんが、かなり色々と、そぎ落としてます。
そぎ落とすとは小生の中では、人生に余計なものを減らしていく、といった程度の意味で。
1年くらい前から、身体を洗うのを止めている。石鹸はほとんど使わず、たまに、お湯とタオルで洗うだけ。さらには、風呂にも毎日は入らなくなった。週に、2〜3度ほど、シャワーもあれば、湯船もあれば、適当に、曖昧に、楽しんで入っている。もちろん、身体と同様に、髪もほとんど洗わなくなった。シャンプーは、ハレの行事で整髪料を使用したときや、焚き火調理などして髪に煙の匂いが染み付いたとき程度。後は(流行の)湯シャンである。時々、温泉とか大浴場に入ったときには、昔を懐かしんで、石鹸でサラーッとなでて洗うこともある。
結果。実施前よりも、確実に体臭が激減した。いわゆる加齢臭も、ほとんどしない(妻談)。特に顕著なのが、着用する下着や寝具類の匂いが、実施前に比べて、奇跡のように発生しなくなった。水虫の類も、ほぼ消失。冬の間の、肌の乾燥やかゆみも激減した。
聞きかじりの情報と、推察を織り交ぜての現時点での意見としては、この現象は、表皮の常在菌が活性化して、体臭の元を分解してくれるようになったということだろうか。汗や皮脂、あるいは垢などの老廃物は、生きている以上常に発生する。そして原始以来、生物は、それを当然の生理として、生きてきた。つまり、老廃物が生じることは然るべき現象であって、つまり、それによって悪臭や腐敗が発生してしまったら、生命としては不快であり、生存環境の維持に失敗したとも考えられる。であるなら、生物は、その老廃物をシステムとして処理する方法を取り入れてきたはずだと考えられよう。
それが、常在菌との共生である。環境中のあらゆる菌類(微生物)は、目には見えないが無数に存在している。そしてそれは、(本来は分類するのも滑稽ではあるのだが)善玉菌や悪玉菌などと呼ばれ、絶妙なバランスの上に立って存在している。人間の生活圏内にも当然菌は無数に存在し、また当然、表皮にも生存している。
現代のデオドラント文化、清潔文化は、この常在菌を含めた菌類との共生を、徹底的に洗浄、除去、排除することを優先している。おそらくもともとは、ひどい汚れをを取り除くというところから産まれたはず文化であるが、今では、「菌は悪」「汚れは悪」といったイメージで、ときには宗教的なほどに無菌を崇拝する傾向がみられる。
しかし、匂いの元は、生きている以上絶対になくならない。であるならその排除を試みる取り組みは、永遠に続く。永遠に、日常的に、執拗に、時には脅迫的に。
ところが、常在菌の存在は、そのむなしい永遠の行為からの脱却を可能にする。なぜなら、常在菌は、その老廃汚物を餌として、二酸化炭素やその他に分解してくれるから。ニンニク臭も、加齢臭も、汗の臭いも、見事なほどに、爽やかに、お日様を浴びた赤ちゃんのような香りに変えてくれる。石鹸、シャンプー、除菌スプレー、消臭スプレーその他ほとんどの清潔グッズを使用すると、悪玉菌はおろか常在菌たちは存在を許されない。そして皮肉なことに、常在菌の永住していない皮膚では、競争相手のいない悪玉菌が先行して繁殖する。その結果、臭いの元だけは皮膚に残り、それが数時間で不腐し、臭いを放つ。取り除いても取り除いても、毎日、生きている限り、老廃物は発生する。毎日、老廃物は表皮にあらわれ、それを取り除き、菌も洗い落とし、また明日も、老廃物は生み出される。
その輪から逃れようと、除菌スプレーを持ち歩き、香料入り洗剤で洗濯した服を身にまとい、無菌と人口的な香りの中で、つかの間の安心感を得ようとする。
そのループから、解放されよう。
常在菌を、ペットのように、肌に飼おう。
餌代はかからない。自分の肌の老廃物を食べていきている。なによりも、身体の表皮の潤いを保ち、外からの病原菌の繁殖も予防し、なおかつ体臭を改善してくれる。ただ、石鹸とシャンプーを使わない。それだけのことで。
不潔になろう、というのではなく、不要な清潔信仰を見直す、そんな程度のこと。
まずはその辺りから、身体、変えていかない?

キミはいつでも、お日様の香り♪

「ツバキ」ももう、いらないんじゃない?
<今後の体質改善PJの連載予定>
A歯磨き(口臭)
B裸足(冷え性)
C断食(腸内細菌)
などなど、気ままに記事にしていければと思う。