先の記事にも書いたが、7年間自然農の畑として命を育てた農地を、地主さんにお返しした。
冬から打診され、作付けの後始末と移植を計算して、この夏にお返しすると決め、少しずつ少しずつ、畑に別れを告げてきた。春からの種まきはもちろん取りやめ、ニンニクや玉葱などの収穫物を取り、取り忘れの人参やミョウガを掘り起こし、いよいよ、正式に返却することになった。
豊かに、優しげに、柔らかく変わってきていた自然農の土、草、営み。
記憶と記録に残すべく、写真と共に記す。
【1】まずは草の種別関係なく、とにもかくにも、刈り倒す。

刈りますよー。

本来であれば、このまま、表土は枯れ草、枯れ枝が積み重なり、その直後に分解の営みに引き継がれていく。

足を踏み入れると、耕していなくてもフカフカに沈み込むほどの柔らかさをみせる、自然農の土壌。

【2】数年間の太陽エネルギーを宿した刈り草と表土の一部を、せめてもの土産にと、集め、軽トラックに載せ移動する。(これは後に資源として利用する。)

刈り草を移動した後には、団子虫や、テントウ虫が、姿を表した。


【3】 土を均すために、耕す。

広い土地であるため、数年ぶりに知人のご好意でトラクターをお借りし、文字通り、耕運機を運転して耕した。とにかく、無差別に、無慈悲に、過去のつながりを一瞬で断絶すべく、トラクターの重量で大地を踏み潰し、その後に機械の猛烈な刃で撹拌する。根は切られ、虫は潰され、生物の住処は破壊された。
あっという間に、土は土漠状態へ。

先ほどのテントウ虫も団子虫も、もはや居場所はない。

どこかしらか、トラクターの音を聞きつけてか、サギの幼鳥が降り立ち、さっそく剥き出しになった土に丸見えになった虫たちを啄ばみ始めた。

そして、なにもいなくなった。


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これを世間では、「きれいにして」お返しするという。 いったい、なにが、綺麗なもんか。
俺はこの日、何万もの、何百万もの命を、殺戮したのだ。
安保法制に賛成の人も、反対デモの人たちも、いったいいかほどの人たちが、この殺戮の上に提供される安穏とした日々を、理解した上で暮らしているのか。
我々は、戦争でのみ殺戮という行為を犯すのではない。少なくとも、現代農業で、現代畜産業で、現代工業で、幾千万の殺戮、蹂躙を犯し続けながら生きている。それを忘れて、一つのイシューに対して右だ左だと言う気持ちには、少なくともこの日だけは、浸かる気にはなれなかった。
そしてまた、自然農の日々は続くのである。
同じ出来事を、妻はこんな言葉で綴っています。