注)記事の日付は太陰暦を用いております

2016年01月27日

こぼれだね

師走十八日 晴れ

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 立春を一週間後にひかえて、ようやく、心も身体も動き始めてきたようだ。

 やりたいことは山ほどある。書きかけの計画ノートだけが増えていく。どこかに、自分の外側の姿かたちを気にする自分がいた気がする。体裁を気にする自分。見栄えを気にする自分。中身よりも先に梱包に頭を悩ます自分。そこに「自然さ」はない。悩みながら、探求しながら、歩き続けることが、「生命」のダイナミズムである。
 
 年齢とか、立場とか、そこにしがみついた途端に失われる探求心。小生は、足掻きつづけながらも、常に森羅万象に探究心が開かれている状態でありたいと願っている。そんな状態を、ワンダーフルネスと名づけてみた。心身、そして森羅万象に対しての自然体を探求する際、自分という存在は、常に仮の存在でなければならない。自分が固定された存在になってしまった時、発見、探求のプロセスは停止していく。「満ち足りている」と「欠けている」が全く同時に存在し、それに気づき続けるのが「ワンダーフルネス」である。
 
 こうした想いが伝わるだろうか、伝わらないだろうか、と考えるのもやめることにする。ただやる。そしてただやらない。そうした積み重ねこそが、自分が自然農の実践を重ねながら実感している「自然体」である。

 先日のつくし農園での「振り返り会」と称したワークショップ的な時間の中で、今年の目標をあげてみた。単なる思い付きではあったが、自分がだした言葉は、「こぼれ種のようにありたい」だった。こぼれ種。自然農の田畑でしばしばみられる、播いたつもりはないが、ついつい手元からこぼれてしまい、もしくは前年の作物が種をつけて畑に落ち、それらが勝手に発芽して成長した野菜。栽培した作物に比べて押しなべて生育がよく、自然農の仲間内ではよく見られる不思議な光景である。自然界の絶妙なる采配を目にする瞬間でもある。

 それらの種は、ただ落ち、時を待ち、自ずからのタイミングで発芽し、草々と共生しながら葉を伸ばし、たくましく生命を全うする。自分はそんなこぼれ種のようにありたいのだ。


 形は問わず、答えを先に出さず、発芽しそうな種をどんどん勝手に育てていく。きっと今年はそうなる。


 森羅万象をターゲットにした自然体研究所のスタート。活動として、マインドフルネス勉強会(現在活動中)、サーノ博士の心身症プログラムの読書会、つくば身体操法研究会の自主練会、シュタイナー思想の読書会、ベーシックエンカウンターサロン(話す・聴く・気づきのワークショップをもっと気軽に)、スラックラインの大人サークル、ホームスクーリングの地域ネットワーク立ち上げ、などなどなど。週の3日は自然農、残りの日々は、ワンダーフルネスをキーワードに、自然体探求。

 やるも八卦、やらぬも八卦。 さあ種は、いつ発芽するのやら。


posted by 学 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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