注)記事の日付は太陰暦を用いております

2016年02月19日

お返し

睦月十二日 晴れ

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 このところの暖かい陽射しについつい冬を忘れそうになるが、ほんの二十日ほど前の作業のことを少し。1月末、立春を迎える前になんとか終わらせた米の脱穀。昨年に収穫して乾燥・保存していたものを春の産声を前に、えいやっと済ませてしまうことができた。

 昨年2月に苗代を準備し、種を播き、苗を育て、田植え、草刈り、草刈り、草刈り、そして稲刈り。天日に干して、乾燥、稲架(おだ)を外す前に納屋に移動して、ネズミに食べられないように稲藁のまま保存(放置・・・)し、ようやく1月末に、足踏み脱穀機で、稲穂から稲をこそぎ落とした。丸1年のプロセス。
 
 脱穀して、籾摺りして、やっとの思いで口にすることができる玄米や白米。しかしこの1年の稲作は、この米のためのみに過ごしてきた訳ではない。脱穀した後には、豊かな豊かな、稲藁の束が山積みになる。つくし農園での脱穀後の稲藁は、二割を翌年の様々な農作業に利用する資材として保管する。そして残りの八割は、大事に大事に、稲が育まれた田んぼに、必ずお返しする。

  自然農のテーマの一つ、「持ち込まず・持ち出さず」は、自然の営みの循環のサイクルを表している。自然界に不要な、過剰な持ち込みをしない。それは、農薬のことでもあり、肥料(化学肥料・有機肥料を問わず)や、土に還らない農業資材全般のことでもある。だからこそ大切なのが、いただく命以上の、不要な持ち出しもしないように心を配ること。刈った雑草、育った野菜の茎葉、豊穣な土、全ては循環の中で生態系を常に豊かに保ち続ける要素であり、その毎年の蓄積があるからこそ、過剰に肥料分を必要としない田畑が継続されていくのだ。


 脱穀を終えた稲藁たち。我が家では、正月飾りなどにも一部活躍いただきもしながら、全ての脱穀が済んだ藁束を、薄氷の張る厳冬の田んぼへ投げ返した。 稲藁を手にとっては、ひと投げ、ひと散らし。満遍なく、まとまることなく、均等に、ランダムに。畦道の上から、田んぼの中から。
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 理屈や、知識ではなく。お米を育ててくれた田んぼからいただくのは食べる分だけで、あとは返そうね。また来年のお米の栄養になってくれるからね。と、手伝う長女と話しながら、一年の田んぼ作業を締めくくったのだった。奪いすぎることの無い、「人間と自然の共存」のリアルさを肌感覚に記憶してくれることを望みながら。


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 全部、手で育てる。この贅沢さが伝わるのは、もしかしたら、もっとずっと先のことなのかもしれないけど。

posted by 学 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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