注)記事の日付は太陰暦を用いております

2016年08月09日

リオとつくばの間で

水無月七日 晴れ(猛暑)

 テレビも新聞もスマホもなく、かろうじてタブレット端末と自宅PCが外部との接触手段という我が家。リオオリンピックも、東京都知事選も(あと何か喧騒的な時事はある?)ほとんど風のように通り過ぎていく。我が家に出入りする親類や友人、FBでの友達の近況、すれ違うご近所の爺さん婆さんおじさんおばさんの声かけ、ニューストピックで流れてくる天皇陛下のお言葉など、断片的な社会との交流がありながらも、基本的には自分、妻、長女に次女、そして先月末に自分の手の中に産まれてくれた長男の、5人家族で、つつがなく、おしみなく、せちがらく、一日一日を過ごしていく。

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 予定通り、準備通り、願い通り、運のはこびよく、「自宅出産」という、現代では奇異扱いされがちではある、悠久の人類史が弛まなく編んできた人間誕生の基本中の基本を、家族という最少単位で執り行うことができた。出産後の大変大切な時期を過ごす妻からの「出産顛末について」はまた後日に譲るとして、とにかく、今我が家は、産まれて十一日目の新生児と大仕事を果たした(かつ母体回復というタスクに取り掛かり中の)妻を中心に、家事育児担当の自分、イヤイヤ期と可愛さ担当の次女、祖母との長期旅行(曾祖母の家への帰省)から帰って間もないプチ反抗期担当の長女、そしてウンコとゲップ絶好調の長男が、オリンピックさながらの一大スペクタクルを日夜演じている。

 飽きる暇など、ない。


 日本はこれからどうなるのか。民主主義とは。政治とは。行政とは。原発は。経済は。サッカー日本代表は。いったい自分の人生で、手に負える外部環境とは、どこからどこまでなのか。


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 40歳となった一昨日の誕生日。自分としては息子が産まれて九日目の日であり、長女が祖母と旅行から帰ってくるただの一日として過ごした。朝飯を作り、布オムツを洗濯し、次女をプールに連れて行き、ちょっと昼寝し、長男のオムツを替え、妻をねぎらい、祖母たちを駅に迎えに行き、夕食を作り、皆で食べ、寝かしつけ、妻と読書して過ごし、晩酌し、寝る。そんな一日だった。

 明けて40歳と二日目。朝。義理の母の滞在に甘えて、久しぶりに田んぼと畑に数時間ほど出かけられた。田んぼの気になるところだけを草刈りし、大豆畑を草刈りし、今年実りの良いナスとピーマンを収穫し、ちょいちょいちょいと雑草猛々しくも嬉しい自然農ランドで充足し、汗まみれで、家族の待つ家へ舞い戻った。

 そして今日。草刈り、餌やり、飯炊き、洗濯、わやわやわや。気がつけば晩酌のビールを流し込んでいた(笑)。

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 この今の自分に、6日のヒロシマや9日のナガサキを祈り情報発信する余裕もないし、誕生日を舌舐めずりする時間もないし、オリンピックも、大好きなサッカー観戦も、国政も、片足つっこむ暇がない。

 畑のトマトは彩り初め、ナスやピーマンが(農園開始9年目で)ようやく実りを見せるようになり、一方で雨の少ない田んぼでは稲の生育にヤキモキし、そして何よりも今、産まれた赤子が生命力をたぎらせて、この世界に出会い始めている。この世界を代表する我々両親は、全肯定的な世界を彼に見せていきたい。たとえ目の前の長女や次女を叱り飛ばすことがあっても、それでも我が家はハッピーなのだろう。そしてそこから広がる世界もハッピーなんだろう。と人生をかけて伝えていきたい。

 
 自然農の田畑は、媚びない。世論にも、流行にも、経団連にも、自公政権にも、ロハスにも、スピリチュアルにも、決して媚びない。微生物が、草が、虫が、作物が、そしてそれに寄り添う人間が、「調和」と「永続性」という使命感を共有して、千変万化しながら続いていく。価値の上下とか、政権の是非とか、主張の正否とか関係なく、自然界の命の営みの都合と人間のエゴの都合の最良解の狭間を、行ったり来たりしながらバランスをとって存在していこうとする。ただ、自然界の「自ずから然からしむる」だけでなく、今現在関わる当人、本人の外部と内部をひっくるめての「在りよう」が見事に展開されるフィールド、それが「自然農」なのである。

 不惑。40歳がそうであるなら、自分は何に惑わずなのか。それは、「世界は自分の外側にあるのではなく、自分の内側にある」という確信かもしれない。今もこの、自分以外の家族全員が寝静まった家の片隅でキーボードをたたきながらの日常、そして田畑にはぐくまれる作物とその他大勢の動植物の営み、それこそがリアルな自分の内側である。それ以外のWEBやマスコミを賑やかせる様々な情報群は、それにオマケとして付随する外側なのだ。

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 自分を、家族を、身の回りを、大切にしすぎない。
 自分の遠くを、反対意見を、苦手な存在を、心に留めすぎない。
 
 自分から、そして少し周りにある家族から、そしてまた少し身の回りの誰かから、という、自然体の幸福の連鎖をつなげていくこと。一足飛びに、日本国の、世界の理想的な平和ではなく、伴侶の、家族の、生きる道のりを共に歩む。と全くの同時に、世界の調和が進行していく。それは決して矛盾しない。

 ありがとう畑。ありがとう田んぼ。そしてありがとう友、ありがとう家族。



posted by 学 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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