注)記事の日付は太陰暦を用いております

2018年10月01日

道場とは

葉月廿二日 台風のち晴れ 

 共生革命家のソーヤー海君が主宰する「パーマカルチャーと平和道場」(以下「道場」での研修生活を6月に終え、もう3か月が過ぎようとしている。この半年、いったい我々家族はどんな時間を過ごしてきたのか。備忘録として振り返ってみたい。

 4月から6月までの3ヵ月。パーマカルチャーと平和道場での研修生生活。さて。

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photo by akane


 いわゆる、企業や団体に勤めて働いて給料をもらうというスタイルではない。自営業として、仕事を作って社会貢献して対価をいただいているわけでもない。授業料を払い、学習し、スキルや知識を身につけているのとも違う。楽しいことを求めて趣味や遊びに時間を費やして過ごしているわけでもない。

 道場の母体でもある「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」のHPから言葉を借りるなら、我々家族を含む研修生9人は、「パーマカルチャー(持続可能な暮らしのデザイン)」、「贈与経済(ギフトエコノミー)」、「共感コミュニケーション(NVC)」、「マインドフルネス」「社会変革」の5つテーマを、学び、実践し、暮らすことを海君に誘われ、それに応じて集まり、道場で共に過ごしてきた。

 今の日本社会の成人男女の人生として、「(ただ)過ごす」ことを目的に生きることってあるだろうか。朝起き、ご飯を支度し、洗濯し、竹を切ったり、畑に種を蒔いたり、メールをしたり、対話したり、コンポストトイレを掃除したり、小屋を建てたり、ドライブしたり、笑ったり、田植えしたり、ご飯を食べたりして、夜寝る。そんな風に「過ごして」きた。
 
 外の社会(商店、インフラなど)とも繋がっているので、貨幣も使用する。それと同時に貨幣を使わずに食糧や物品を手に入れることもナチュラルに希求する。反対に自分たちがお礼の代わりに何かを(物でも作業でも)提供することもある。それらの自由さの中に身を置き、様々に実践しながらの生活。かように、多くが、学びの場であった。

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photo by yoshi



 道場で、一所懸命に何かを身につけようとしてきたのかといえば、それもまた違う気もする。もちろん、上記の5つのテーマを学び、実践しようとしてきた。修行という言葉も使われるように、様々にあえてトライして、楽しもうとしてきた。とはいえそれは、身につけようがつけまいが、どちらでも構わない。今、この瞬間に起きていることに耳を傾け、味わう。結果は、問わない。

 いつからか人間は、何かの為に、誰かの為に、目標を設定して人生を捧げるようになってしまった。お金の為の仕事。自分や家族の為のお金の為の仕事。お金の為の仕事の為の勉強。勉強の為の学校。学校の為のお金の為の仕事。国民の幸せの為の事業の為の仕事。そうして、生きること、ただ過ごすことは遠くに追いやられ、目標の為に行動し、そんな無限のループが、続いていく。

 自然は、動物は、植物は、菌類は、宇宙は、誰かの為に存在しようとしていない。存在そのものに意味があり、ただ、存在している。存在を全うしようとしている。存在そのものがすでに誰かの為であり、また、誰かの存在そのものが自分の為にある。


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 私達は、世界の山積した課題の真っただ中に生きている。その一方で個々人はそれぞれ、平和、豊かさ、親愛さに包まれて生きていきたいと願っている。それなのに、今生きているこの世界の事象のほとんどが、その「願い」に直接的にコミットできていない。
 とはいえ、世界が間違っているのではない。経済活動も、政治も、教育も、間違っているわけではない。だけど、幸せになれるかどうか、という問いには、応えられていない。競争や、比較や、評価が、必ずついて回る今の世の中のシステムは、そもそもその「願い」がシステムに組み込まれていないのだ。

 私達人間は、世の中の仕組みやシステムに組み敷かれて生きる存在ではない。仕組みやシステムは、私達が作り共有している存在にすぎない。私たちは、実はシステムからは自由なのだ。経済も政治も教育も、在り方、が「願い」からずれている。あるいは、「願い」にフォーカスしていない。であるなら、世界は、変えられる。


 パーマカルチャーと平和道場は、「願い」にとことんフォーカスした場所であった。NVC(非暴力コミュニケーション)の中で言われる「ニーズ」は、まさにこの「願い」でもある。そして、関わってきたそれぞれの個性が大事にしたい「願い」が奏でられる場所でもあった。そして、それに挑戦(修行、練習、エンジョイ)できる場所であった。

 ただ、「願い」は宿命的な「業(カルマ)」にもリンクしてくるので、個人的には結構きつい時間もあった。自身のネガティブな要素に目を向ける時間も生まれるし、それを乗り越えたいのか越えたくないのかの自問自答、自己否定、などもちょくちょくあったから。それは今も続くし、これからも。ただそれが、「生きる」ことに根本的に繋がっていることも間違いない。


 
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 道場とは。

 地球上で、我々が、子供たちが、これからも楽しく暮らすことを願って生きようとしたら、種を蒔き、火を起こし、糞を還し、対話し、食事をすることだった。存在を満喫し、過ごす。悩みも、喜びも、存在として、味わう。それが許される、ちょっとリッチな場所。そしてそれが広がっていく場所。

 この日本でも、別に不便で不快な暮らしではなく、楽しみとして過ごすことができる。そんなチャレンジャブルな空間が、パーマカルチャーと平和道場での研修生活だった。



 とはいえ、「過ごす」⇒「暮らし続ける」になると大変な部分もたくさんあったけどね(笑)。家族5人だけ(大人2人)での火起こし&煮炊き生活は無理!とか。蚊対策ができてなくて刺され過ぎ!とか。

 
 研修生活を終えて、7月から9月の3か月ほど、古希を超えた我が両親にガチで心配されるくらい本当にボーーーーーッと過ごしてたけど、やっと言葉にできました。(ただ自分に必要な時間として、ぼんやりしたかっただけ。)
 関わってくれたみんなありがとう。愛してます。ここに来れて、良かったよ。


 さて、そろそろバカンスは終わりかなー。

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posted by 学 at 18:28| Comment(0) | 学びを知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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