注)記事の日付は太陰暦を用いております

2021年01月25日

クリキンディ

師走十四日 晴れ

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 12年前、9年前の想いは結局ずっと残り、
 12年前、9年前はまだ未開発だったエリアも、ほとんど全て開発済みとなりアスファルトに埋め尽くされた。

 12年前の個人Blog記事や9年前のFacebookでの愚痴は、結局自分の中だけの自慰に過ぎず、行動も何もしない(とはいえ、自主上映会とかつくいちとかつくサスとか、自然に寄り添おう、ってメッセージは出してたけど)まま、3年前につくば市を離れ、まだ自然が残ろうとする大子町へと移り住んでいる。

 最近とみに、山火事を目の前にしたハチドリ、クリキンディの選択に心を持って行かれてる。

 大勢はもう、火事であったとしても、「私は、私にできることをしているだけ」。

 自然に対して、環境に対して、社会に対して、ウィルスに対して、心と身体に対して、世界は自ら大火事の種を蒔き、茫然と立ち尽くしている。それでも僕らは、一滴を、落とし続けるしかない。

 これからも、耕さず肥料も農薬も大型機械も使わず田畑に立ち、自家採種して種を繋ぎ、森に手を入れ、水を活かし、エネルギー利用を最小限に、菌やウィルスをしっかり浴びて身体に共生させ、現代教育や経済優先主義に対して、ひとしずくを落とし続ける。


 
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【Facebook 2012年1月26日 の投稿】

Blogに書くほどのことでもないのでここに愚痴ります。

つくば市の研究学園駅周辺エリアの無制限のようにもとれる開発をいい加減見直すような動きや考えをもっている人はいないのでしょうか。いまやイーアス以北の広大な雑木林だった地区は完全に伐採が済み、見渡す限り木一本残らない(一本くらいはさすがにあるかな)荒野と化した。恐らく住宅地や商業施設になるのでしょう。あの森林が樹木雑草として蓄えていたバイオマス(植物資源)がいかほどの年月と自然によって作り上げられたものなのか。そしてそれをいかに膨大に刈り倒して捨ててしまったのか。その天然性は私が生きている間に取り戻すことはないだろう。

今日何気なく自転車で通ったイーアスからつくば駅に向かう途中の開発エリアに残された雑木林の存在を横目に、ここも数年(もしくは数ヶ月以内に)全て刈り倒されるのだろうかと想像すると、もはやつくばはロハスでもつくばスタイルでもなんでもないただのベッドタウンになりかねない、と大げさに言えば絶望的な気持ちになった。 この開発のバブルだけはどうにも共感するかけらもおこらないです。 LOVE つくば。
(友達限定投稿 https://www.facebook.com/manabu.komatsu.9/posts/240401242704682



【毎日が自然農 2009年5月19日 の投稿】

 つくばエキスプレスの研究学園駅から、住まいのある栗原地区へ車を走らせるといつも、鼻の奥のほうから臍の下の辺りまで、深刻な不快な気持ちが染みのように広がる。


 「つくばスタイル」という言葉がある程度定着し、つくばエキスプレスの駅周辺の開発が進められている様子を見るまでもなく、つくばは開発の波に飲まれている。小生が1995年に筑波大学に入学した頃のつくばに比べても、その変化のスピードは驚くべきものである。

 まだ。まだ具体的な言葉にすることができない。しかし、研究学園駅からイーアスを過ぎて筑波山方面へ向かい、西大通り(国道408号)と交わるまでの新道路の左右に広がる景色を毎度眺めるたび、暗澹とした不安に襲われることだけは記しておく必要があるのだと思った。そこで目に映る区画だけでは決してない、はるかに大規模な面積で、今つくばの森と林が切り倒されている。自然農の田畑などとは比べ物にならない、はるかに大きな生態系が、つくばの地で今まさに、そして明日まさに、消え続けている。伐採、整地、宅地化、開発、まるで一方通行な光景。そして、それに疑問を差し挟む余地がないような、熱と、理屈と、人間の目指すもの。

 おい、日本にそんなに人がいるのか?そんなに無作為に木を切り倒してどれだけの価値があるものが建つんだ? ブルドーザーが均し終えた剥き出しの土の上に降り立つカラスの群れは、今後の棲みかをどこに移せばいいんだ?ロハスって何?

 おしゃれで手軽な田舎暮らしは、まるで無神経に見えてしまう乱開発の上にしか成り立たないのだろうか。果たして。


 今、小生にできることはわからない。自然農を静かに歩みつつ、いったい何ができるのか。これ以上、今以上、無駄に木が切り倒されるのなら、つくばスタイルなんていらないんじゃないのか。適度な、適切な、つくばの生き方は他にないのか。政治では変えられないのか。経済ではもがくだけ無駄なのか。しかしこの「モヤモヤ感」だけは、放っておくわけにはいかないのだ。

 ぜんたいつくばの人は、旧住民は、新住民は、開発業者は、行政は、どんな想いなのだろう。小生は、なにかできるだろうかね。何もわからないまま、書き連ねてみる。希望も絶望も、一歩踏み出すことからしか始まらない。

(「消えゆく前に」 http://104.seesaa.net/article/119298934.html


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※ハチドリのひとしずくについて紹介されているサイト
 https://handsoul.exblog.jp/11572141/
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | 筑波を想う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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