野良活、のらかつ。
農作業でも、野良仕事でもなく、ノラカツ。
月のうち、二十日以上は田畑や森で過ごしているのだが、どうしてもその時間を、「作業」とか「仕事」という言葉で表現することに抵抗があった。
確かに、田植えをし、草刈りをし、大豆を蒔き、森に入り、木を切り、土を掘ったりしている。それは、誰が見ても農作業だし、あるいは野良仕事かもしれない。だけどなんか違うんだよなあ。例えそれでお金をいただいていたとしても、それでも、仕事とも、作業とも違う、何かしらの違和感がずっとあった。
どこかしらで、誰かしらと集まり、畑で草を刈ったり森で竹を切ったりするときに、「では今から作業をスタートしましょう」という言葉を使うのに、ずっと抵抗があった。作業ってさ、やらされ感、タスク感、重い腰あげる感があるじゃない? それを、やる前から言葉にするのがイヤなのよ。自然農の田畑に出る時(特に他の誰かをお誘いする時)って、もっとこう、ウキウキして、ワクワクして、あー草に包まれてる!っていう時間に招待する感じで声かけたいんだよね。

<田植えはまさに、ワクワクウキウキ(^^♪>
自然農の畑で作物のお世話をする時間に、どんな意味があるのかを考えてみると、そのことが少し伝わるかもしれない。例えばキュウリの苗の周りの雑草を抑えるために雑草の草刈りをする時、私たちにとってどんな時間が訪れているだろうか。
まずは、草刈りをすることで、キュウリの株の生育を確保することができ、今後の成果として、キュウリを実を収穫することができる。これはまず第一に訪れるべき、目的に近づくという意味の「達成感」や「満足」だ。
それだけではない。草刈りで発生するフィトンチッドを体内に取り入れることによる「リフレッシュ効果」。緑に包まれ新鮮な酸素を浴びて訪れる「リラクゼーション効果」。植物や土に触れることでアーシングされる「ヒーリング効果」。暑い日差しの中で発汗と共に身体を動かすことによる「フィットネス効果」。

<これに勝るヒーリング効果あります?>
さらに付け加えるならば、黙々と草刈りを続けることで訪れる「瞑想的時間」。農薬肥料なしで育つキュウリを目にしながら思索する、「草とは何か?人とは何か?生きるとは何か?」という「哲学的時間」。草刈りをしつつも刈った草を土に敷くことで土壌の環境に配慮したり、あるいは虫の居場所を確保するように一列おきに草刈りしたりすることで間接的に提供する「環境への貢献」。
あげればきりがないが、ただのキュウリの周りの下草刈りという「農作業」「野良仕事」でありながら、そこにあるのは、自分も自然もキュウリも喜ぶ、パーフェクトアクティビティなのである。

<庭木のスモモを食す時間も最高のグルメ>
私はもう、この時間を仕事や作業と呼ぶことができない(笑)。
あえて言うなら、子どもたちがただただ屋外で大解放のもとで楽しみまくる「野良あそび」になぞらえて、「野良活」「ノラカツ」と言うことに決めたのだ。なんなら、田畑や森で過ごす時間を野良活セラピーⓇとか野良活リトリートⓇで売り出したろうか(笑)。
横道に逸れたけど、自然農や、大地再生(※)の時間は、作業でもないし、仕事でもない、野良活なんです♪ さああなたも、雑草屋と一緒に、レッツノラカツ!

<まあこれも一つの野良活か?違うか!>
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※『大地再生』とは:矢野友則氏の「大地の再生」の考え方、高田宏臣氏の「土中環境」の考え方を共に取り入れた、ごくごく個人的な里山再生活動を意味しています。
参考URL
『「大地の再生」について』 https://daichisaisei.net/#about
『見えない世界を見る力 ー 土中環境への旅』 https://chikyumori.org/2022/04/04/dochu01/
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