「いま起こっていることに目を閉じれば、そのものの内なる歴史は腐敗し始め、過去に関する探索をやめれば、そのものの『今日』そして『明日』を見つめる目は、その輝きを失うのである。」(秋野豊『STUDENTS』 第244号、1989年)
(※学部の先輩のSNSの投稿よりお借りいたしました。Iさんありがとうございます。)

昨日、草刈り途中にノコギリ鎌で親指の爪の先と指先を1mmほど削ぎ落とし負傷し、迎えた7月20日。秋野豊先生の命日。
毎年、直前までなんとなく覚えていて、いつも当日は忘れてしまいます、先生。
今日は、指の負傷を言い訳に、午前中は3歳の次男を連れて軽自動車を往復120q程走らせて、古民家リフォームに使う照明器具類を祖母が暮らしていた空き家から取ってきました。大地を感じて移動する。それを背中で教えてくれたのは先生だったような気がしています。夏の風を窓を全開にして取り込み、山あいを急カーブに身体を預けて抜けていくドライブで次男はいつしか寝てしまいましたが、一人、先生のバイクを思い出しながら運転していました。
古びた祖父母の照明器具を掃除して、家の壊れた配線をペンチで切ったりテープで繋いだりしながら、なんとか子どもたちの目の前で灯りの取り付けを澄まし、父の尊厳を保つことはできました。この、自分で直して取り付ける、みたいな喜びも、大地的というか肉体的な学問のような気がしています。ペンチを握りしめながら、タジキスタンの地で豆をペンチで潰して淹れたコーヒーを飲んでいる先生の姿も、想いうかべていました。
夕方、傷も少し癒えてきて、妻や手伝いに来てくれた20代の友人(筑波大の後輩です!)と一緒に畑で大豆を蒔く準備を進め、日が暮れるころに子どもたちと一緒にヤギとニワトリの世話をして、薪調理で適当にパスタ山盛りの夕飯を作りました。信念に基づいて身体を動かしたあと、存分に飯を食う。その喜びを、寿司屋やお好み焼き屋に連れて行ってくれて教えてくれたのも先生です。
子どもを寝かしつけた後、先生の命日も知らせずにいた妻が偶然、野菜の梱包や薪ストーブ用にもらってきている新聞の記事を拾い読みしながら、憲法改正や地域紛争や国際政治の話題を僕に投げてくれました。母として、女性としての命の根源的な平和を希求する妻の素朴な投げかけに対して、僕は、学生当時のままのつたない国際感覚で、最低限度の軍備の必要悪や軍需産業の存在、地政学的紛争の背景などを、絞り出すように話してみました。こうして夫婦で、何気なく、国際政治や平和、紛争、持続可能社会について会話ができることの喜び、平和の尊さを、缶ビールを片手に噛みしめています。
明日は、朝5時に起きて、ジャガイモ掘りです。ジャガイモが掘り終わったら、ひたすら大豆を蒔くのでしょう。こうした日々が、原始的な平和活動なのだと自分に言い聞かせて、そろそろ布団にもぐることにします。
先生、おやすみなさい。僕ももうすぐ、あと2年で48歳。先生に追いついてしまうんですね。2年後も変わらず、胸張って、種蒔く日々を過ごしていると思います。乱筆乱文、失礼しました。

★秋野先生についての参考URL
https://www.htb.co.jp/vision/tsubame/story.html
☆秋野先生についての過去記事
【七回忌】(2004年07月21日)
【7月1日に生まれた男】(2008年07月01日)
【お手紙します】(2008年07月20日)
ラベル:秋野豊