文月二十六日 明け方
えーと、「ロハス」が苦手です。悪口ではありません。
小生は、「私はロハス的なんです」という人や、「これからはロハスだよね」という人や、そんな特集記事やTVなどに触れると、(本心とは裏腹に)ジンマシンのような、背筋にイヤ〜な悪寒が走るような、つまりは気持ちが悪くなる。
昼間にBBQやって酔いつぶれたり、自然農やって農作業してたり、雑穀を食ってウメエウメエと感じたり、ビアパブでタバコの煙に溺れたり、環境破壊を少しは気にしてたり、収入を案じてバイトをしたり、そういう小生の生活もロハスなんだろうか。いや、それは堕落と趣味と欲望と欺瞞と呼ぶ。
環境問題ってカッコイイヨネとか、ロハスって人として自然だよねとか、結局自分に酔っている姿を見せられているようで、それって己の精神の恥部を晒しているようで、見てて恥ずかしくなってしまうのだろう。
では自分がちんちんを見せずにいられているのかというと甚だ疑問で、そう思うと知人に会うのも恥ずかしくなってくる。もっともそんな小生の恥部などは先刻ご承知だと言われれば幾分楽にはなる。
とはいえ、「ロハス」的な人がこれを読んだら、「そういう自然な思いとか気持ちとかを大事に、素直にエコになっていければそれでいいんじゃない?」と、とてもロハス的に受け入れてもらえそうなのであり、また頭が痒くなる。
本当に重要なのは、ロハスは21世紀的な新しい思想やスタイルだというような宣伝文句に喜ぶことではない。自然を畏怖し敬い、我が身のことだけ考えないで人生を過ごすという根本は、当たり前に先祖から受け継ぐ日本人の習慣にも備わる美徳であり、今それに気づいたから偉いのでもカッコイイのでも幸福でも先進的でもなんでもない。真にロハスが求めるものは、韓流やセレブや勝ち組やセカチューのような、何でも自己価値を高めることに結びつけられて消費させられてしまうお手軽な自己満足のパック商品ではなく、つまりは、人類の美徳になりえるとも言ってよい、哲学的なアプローチにも近い。別に気張る必要は微塵もないのだが、そういう芯は必要でしょ、何事もさ。
これから街で「ロハス」と見かけたら、「自己満足」と意訳してみましょう。これがなかなか大体あっている気がします。ここのBlogが「ロハス」っぽいなあと感じたら、逐一コメントよろしくお願いします。自分の欺瞞さに耐え切れなくなったら、「毎日がロハス」にタイトル変えてやる。
たぶん一番何がイヤって、日本語じゃねえのがイヤなんだな。それから、なんでもかんでもロハスとかスローライフとか言うのもイヤなんだな。少なくともさ、せめて土を耕してからロハスと言おうよ(笑)。
なおかつ言っておくと、そのコンセプト、思想性などに、基本的に異論を挟むつもりはない。世の中の、ロハスブームも良いことだとは感じている。ただ、個人として、今の「扱い方」が嫌いなだけなんです。あしからず。
こういった揶揄に耐え残ってこそ、本物のロハスなんだと信じる。
<参考>
※ロハス/ ローハス【LOHAS】@Fashion Blog…ポイントよくまとめられていて◎
※ローハスクラブ…意訳したら「自己満足クラブ」、、、まずいかなあ。
注)記事の日付は太陰暦を用いております
2005年08月30日
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・・だいたい、ほんとに、まともに環境問題にとりくもうなんて思ったら、ロハスどころじゃないですよ。人間の、欲望の、ぶつかり合いね。とてもでないけどね、相当大きな、思想の転換なしには、無理だろうな。で、そこに至るまでに、これまた、相当なことが、起こり続けるんだろうねぇ。。。
えっと、セイタカアワダチソウさんのお花の草刈に、エロスを感じる感性の方の、恥ずかしいという感情が、どういったものかは、多分、相当普通とは、ずれてるだろうと思うけど(笑)、そうね、以前、うちの自然農の畑を、ハマちゃんと見てて、「美しい」と言ってたのを見てね、これは、苦労するな、、と(笑)。こういった感性は「ロハス」的感性とは、相容れないんですよ。だから、そうね、恥ずかしがるほどの、状態で、ないんでないですか、いまは。ただ、その生活をね、みんなが、そのように、理解してくれるとは、限らないけど、ね。
ほほほほほほ。
そうですね、言われてみれば変わってるのかもしれません。まいったなあ。といいつつ、まあいいか、とね。みんなの理解よりも、まずは自身の理解からということかな。