注)記事の日付は太陰暦を用いております

2004年09月22日

大驟雨で思う

葉月九日 晴れのち雷雨

 命からがら、である。

 ビカリ!!・・・・しゅるしゅるるるズババリバリバリバリッ!!!!
 西空から頭上には、大釜の蒸し器から蓋を外した瞬間のような蒸気であり、しかもどす黒いもくもくとした雨の精霊が大決起して天へ天へと昇り狂っている。四方八方に十秒と待たずに稲光が御柱を立て、息を呑む間もなくドルビーサウンドの100倍の大音響が、見渡す限りの地表に鳴り響く。

 ビカビカ!!・・・・しゅすすすズババリバリバリバリッ!!!!
 インチキ百姓は、腰を落とすしか仕方がない。本当に、目の前に立つ電光に、全くの無防備である。ふと我に気づき、左手に握り締めた草刈り鎌を低い弾道で向こうに投げやった。とにかく、金目の物は持っていたくない。メガネはどうする?金属か?いやこれはチタン合金だから大丈夫では?チタンだって金属だろうが。でもメガネを畑に投げ捨てたら見つけるのは容易ではないはずだ。それに、恐ろしくも美しい、この光のショーを見過したくはない。よし、メガネはこのままでよい。

 ビカリ!!・・・・しゅるしゅるるるズババリバリドガーン!!!!
 不思議なもので、畑に立って歩くこともできない恐怖と、しかしそうめったに体験できない大雷鳴のど真ん中に居るという興奮は、両立していた。おそらく、もうしばらくもしない内に大雨がやってくるだろう。それまではこの、天と地の最大接近遭遇の瞬間を味わっていたかった。

 雷光の直後、その空間は僅かに辺りを吸い込み、雲が引き擦れるような音に遅れて雷鳴がまっ逆さまに轟き落ちる。
 ビカ!・・しゅすバババリリリバーン!

 光も音も、真下で見る花火大会と比べたら視聴覚効果的には正直劣るかもしれない。しかし絶対に自分には降りかからない花火と違ってカミナリは、今まさに、お前に落ちるかも知れないのだ。この恐怖の大興奮は、快感と混乱をもたらし、アドレナリンが湧き出てくるのがわかる。草刈りを諦めて体育座りをはじめてしばらくすると、僕は畑に大の字に横たわっていた。地面と体の凸凹を最小限にすることでいくらか安心でき、しかも空を完全に見渡すことでいつどこに光が落ちても視界に入れることができるのだ。

 ビカリ!!・・・・しゅうしゅううズババリバリバリババーン!!!!
 おおお!すぐ裏の竹山の向こうに落ちたような気がした。今やいつどこに落ちてもおかしくはない。とその時、溜まりに溜まっていた雨粒が堰を切ったように降り始めた。これは来る、と確信して、体を起こした。もはやお遊びはおしまいだ。カメラも種も作業帳もずぶ濡れにするわけにはいかない。低く体を保って道具をまとめる間も雨足はどんどん加速している。雷は大丈夫だろうか?ええい、ままよ!と中腰で畑を、道路を、畦道を走りぬける。まるで気分は、南方戦線にて敵機襲来をくぐり抜ける爺さま達だ。俺に当たってくれるなよー!と心で叫んで身を縮ませて全速力。こう書くと楽しんでいるように見えるが、本気で怖かったんだけどな。なんとかびしょ濡れ寸前に軒下に辿り着いて部屋の電気をつけた瞬間、今までで最大音の衝撃が背後に落雷した。
 ずどどばドドドーン!!!
 ブレーカーが落ち、薄暗い部屋の中で少々心拍数が上がったのがわかった。あと数十秒遅かったら…なんてな。

 高校時代、川の土手沿いを自転車通学の生徒が雷に打たれて亡くなったことがあった。それ以来どこか遠くにあった雷と死の繋がり。もっと言えば自然と死の繋がり。今年も新潟や九州などで自然災害による死者が多数でているが、やはりそれは対岸の火事でしかなかった。しかし、いまこうして校舎やオフィスを離れて畑に立って暮らすことで、少しだけ自然と死の繋がりを心に留めることになる。生きることと死ぬことは、すぐそばにあるということを忘れずにいられるだろうか。


posted by 学 at 18:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先週はインドネシアはバタム島で過ごした。ゴルフ三昧の予定。
お約束のむちゃスコール。遠くの雷光と雷鳴が段々と近付く。しかし俺のボールはまだグリーンにオンしていない!!
命をかけるとこを少々間違えてました。
Posted by たか at 2004年09月28日 01:02
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