注)記事の日付は太陰暦を用いております

2004年09月25日

困惑のエロス

葉月十二日 晴れ時々曇り のち雨
 セイタカは今、可憐だ。伸びた茎の先に丸みをおびた小さい蕾たちをつけ、ほのかに黄緑から黄色に移りかけている。もう後十日もしない内に一斉に花を咲かせる前の、ほんのひと時である。
 常に我が畑を占領し、来る日も来る日も、縦横にはびこらせた根、そこから猛然と生える茎、と闘ってきた。春先は土から勢揃いした若芽を抜き取り、サクラの後には野菜の苗にダメージを受け、梅雨前の熱さの中でぐんぐん伸びる茎を抜き去り、真夏には自分の背丈をゆうに越える勢いに圧倒された。思えば今年はセイタカアワダチソウと共に過ごした一年だと言える。いつもこいつを憎んでいた。そんなセイタカが、今、なぜか可愛いらしく見えるのである。騙されてはいけない。こいつはその花を咲かせたら最後、無数の超強力な種爆弾を周囲に完全に撒き散らすのだ。刈るのは、この時を逃して他にない。

 ところで、快感、といってよいのだろうか。可憐をひたすら抜き倒すこの快感、これはいったいなんであろうか。これは今までのセイタカ抜きと、どこか違う。いつもは、憎い相手でしかなく感情など芽生えずにただひたすらに作業を繰り返してきた。しかし、ここ数日の相手は、なんとも可憐さを漂わせている。だが抜く。抜くほかない。心の深い奥の方で、コントロールできない欲情が困惑している。紛れもなく、エロスだ。可憐な物をなぶり倒すという、エロス。これって男友達なら解ってくれるだろうか、いやさこれぞ文学ではないか。
 普段憎らしいからこそ可憐なのか。そしていつもは見せぬ可憐さに戸惑い、しかしそれを抜き去り、刈り倒すことで、何かが止揚されるのだろうか。アホか。もうあと数日で、畑のセイタカを刈り終えることになる。それはそれで、どこか寂しい。


 ↓この可憐さを見よ!
   040925seitaka-small ⇒拡大して大画面でどうだ!!

 
 ★ちなみに、これを放っておくとこのようになる(汗)!!

 040925seitaka-abe
 <この素敵な写真は、下記HPより転用させていただきました>

森羅万象…セイタカの写真を探してたら偶然見つけたHP。
      タイトルどおり、自然と人々の生活を独自の視点
      で切り取った、素敵なサイト。ちょくちょく遊びに
      行ってしまいそうです。

 ◆特にセイタカアワダチソウのコラムは、大和心や歴史など
  の観点を絡めた意見が珠玉。なんとも心に新しい。

posted by 学 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 畑の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ。
私もほぼ同じ考えから自然農業にドップリ浸かろうとしています。
自然と共に朽ちてゆくつもりです。ハハハ。

よんでいて、その興奮、判る気がします。
私の場合は男だからというより、こんな感じですかね。


泥棒を捕まえてみれば常習者で
「今回だけは見逃してください」と哀願される。
見逃したら今後、恐らくカモにされるだろう。
後ろ髪引かれながら警察に突きだした。

この感じ。

これでいいのか?
いいのだ!

刈るたびに
心の中で自問自答を繰り返し、揺れる心に身を委せていると、ふっと、ゆりかごに揺られるているようにトリップ感を覚える。



自然の中にも多くの生死があり、その犠牲のおかげで全体として常に調和している。

有難い事です。

そして、自然農家はその調和を乱さずその上で、作物を収穫出来る状態をベストとし、試行錯誤を繰り返す。

素晴らしい事です。



これからも、大先輩のblogを楽しみに、そして参考にさせていただきます。

ありがとうございます。
Posted by みなべ at 2009年08月22日 21:06
みなべさん

もう5年も前の記事なんですね、これ。
恋人との逢瀬のように、セイタカへのエロスも最近ではマンネリして来ています。また違う楽しみもあるのですが。

言葉で断定することは最近は意味がないのでなるべくやめようとしていますが、ご自身が感じることと、畑で起こっていることだけが全てであり、それ以外は勝手なこじつけに過ぎませんよね。それで良しでもあり、それではただの妄想でもあり、その間の中で田畑と共にあるのが、「自然農」の本質だと思っております。

ともあれどっぷりお楽しみですね。
Posted by インチキ at 2009年09月05日 01:34
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