季節は、いよいよ冬本番を迎えた。秋の空気は晴れた日の陽気の中にのみ姿を見せるくらいとなり、冬の気がついに秋の気を凌ぐ頃である。
ここ二週間、来客の続いた週末の農園も、今日は静かに時間が過ぎる。にわか雨の午前中には、ベランダに並べていた採種用の果菜類のたねとりを数種済ませ、雨があがった昼からは畑に出て、里芋、ヤーコンなどの掘り忘れを収穫した。夕方前、雨に備えて農具をしまい、夕暮れまで新しい畑にでて、米糠を振り撒いた。
夕日を眺めて作業を締めたかったが、冬至の日の入りは厚い雲に遮られ、薄暗い緞帳が静かに下りてくる様に穏やかに空が暮れていった。
夕飯。たねとりに保存しておいたカボチャが予想以上に状態がよく、それなら、と「冬至南瓜」というわけではないが甘辛く煮ることにした。一方、収穫後に冷たい場所に置き忘れてしまって黒変しはじめた薩摩芋にがっくりし、食べられる箇所だけを選んで、年の瀬にあわせてキントンを作ることに。割れ米の多い昨年の黒米を贅沢に混ぜたご飯と、今年は豊作だった里芋の味噌汁を作り、コトコト南瓜を煮、ゴシゴシ薩摩芋を裏ごしし、カラカラとゴマを炒ってごま塩を作り、二時間ほどで晩飯にありついた。
こんなにどっぷり作業してどっさり料理してゆっくりご飯食べるのも久しぶりだな、と雨音を聞きながら一年で一番長い夜に一息ついた。冬の雨は、底冷えを和らげてくれてありがたい。
【冬至】…日南の限りを行て日の短きの至りなれば也(暦便覧)
一年中で最も夜の長い日。この日より日が伸び始めることから、
古くはこの日を年の始点と考えられた。
冬至南瓜や柚湯の慣習が残る日。
※読み:トウジ
<参考:こよみのページ>
※冬至にかぼちゃをたべるわけ
…ニュージーランドかぼちゃ.com というかわいいサイトを見つけました。
冬至に「ん」のつく物を食べると縁起が良いとのこと。
ちなみにカボチャは「なんきん」です。
ということは、、、「キントン」もありか??(笑)
栗の甘露煮でも加えて、正月に食べますかな。
栗の甘露煮でも加えて、正月に食べますかな。
調味料一切なしで美味しくお料理します。
たまにタルタルソースなんかも使いますけどね。
ときどき、帰りに農協へ寄ってもらって
茨城県産の南瓜を買ったりもしました。
rose自身ホントは挑戦したいのですが、
なんだか受粉が難しいとか何とかで…
見送ってしまいました。
ホントのところどうなんでしょうか?
リスクそんなに高いのですか?
南瓜を365日???そりゃあまた、すごいですねー。
そんなに好きなら、やはり作ってみてはいかがでしょうか(笑)?
自然農を身近に置くときに、私は「リスク」という言葉は極力意識しない
ようにしています。川口さんがおっしゃる言葉の中に、「十全の命」と
いう言葉があります。簡単には説明できませんが、全ての命は十全の
命を備えており、無駄のものは一つも無い。といった意味でしょうか?
確かに受粉などを意識すると難しいかもしれませんし、私も成功と失敗
の繰り返しです。でも、命それ自体が間違っていることなどなく、本来で
あれば南瓜は南瓜が生き残るために、自然に種を残すように命を育む
はずであり、間違いがあるとすれば、我々の手の施し方、気持ちの運び方
に見直す点があるかもしれないという風に考えると、決して「リスク」などなく、
「可能性」のみが広がってくるのではないかな?
なんてインチキながら考えています。
ということで、種播きするが勝ちですよ〜♪
そうですね。
かぼちゃがもし実れば、もったいなくて
食べられない気がしてきました。
ずーっと飾っていたい♪
だって、あのたくさん採れたさつま芋だってもったいなくて
鑑賞用にまだあるのです。おかしい?roseは?
いやいや、不適切な表現なんてございませんです。
言葉は言葉にすぎず、自然はもっと雄弁ですから♪
自分なりの自然農で頑張って育てたら、あとは採れた分を楽しむのは
好き好きなので、鑑賞しとくのもいいんではないでしょうか。
見て良し、食べて良し、しかし万物は変化していきますので、
腐らないうちに食べてくださいね(笑)。