注)記事の日付は太陰暦を用いております

2005年11月08日

コメント返信♪

神無月七日 晴れ

※11月6日の記事へのコメントに対する返信が膨らんでしまったので、記事にしてしまいます。

 以下、返信内容です。


 お返事の前に確認しますと、これから話すことはいわゆる一般的「自然農」観ではなく、小生の個人的な「自然農」の捉え方です。

 まず、私は自分の中での「自然農」は食糧生産を目的とした「農業」とは考えていません。記事内では触れまきれませんでしたが、「趣味」や「教育」など、何かに気づくきっかけとなるツールだと考えています。生物の多様性を感じるのは大自然で、収穫物は生産場としての田畑で、と分けてもいいのではというのはわかります。ただ、私個人的に重要性を感じている「つながり」という視点で環境問題等を考えるときに、本当に身近な存在である野菜や穀物にだって、生物の多様な自然の中でも育つ遺伝子や育つシステムが基本的には備わっているんだ、と気付くことって結構大事なんじゃないかと。なんちゅうか、自然の逞しさと密接さを同時体験できるような。おめーの胃と自然は繋がってるよーという感じ。そういう場としてはなかなか力を秘めた「教材」「時間つぶし」であると思います。だから、食うための農業は必要ですという考えです。よしはる氏の言うように石油ドボドボでない、効果的な農業は必要でしょう。

エネルギーバランスについては、文系の素人ですので科学的ではないのですがまた私個人の愚考を。植物のエネルギーの固定能力というのは、考えているよりもはるかに甚大な力のような気がします(人間の収穫量よりも多いかはわかりませんが)。であれば、生産物のみを生やして後は土だけにしておくよりも、常に緑化されてエネルギー固定をしつづけている自然農の田畑も案外悪くないのではないかという仮説です。通常の農業は生産性は一見高いですが、その生産性の大本はどこからだろうと考えると、結局は石油か鉱物資源、もしくは『他の場所から移動してきた』動植物由来の肥料、結局は地球全体の生産量、エネルギー固定量は変わるのだろうかという疑問。それと、効率的に収穫物を育てることにはもちろん賛成なのだけど、やはり記事の設問に戻ってしまってそれはいつまで続けることが可能なのだろうかという問いに届いてしまうのです。
答えでなくて質問になってしまいましたが、小生ももっと勉強してみます。いわゆる「自然農」にはエネルギーについてのこれとした定義はないかもしれません。「自然農」自体が「不耕起・無農薬・無肥etc」程度の定義だからなあ。


もひとつのLOHASについて。これは「きっかけ」となるならいいのでは?ということだと思うんだけど、僕もそれはいいと思ってる。記事で言いたかったことのひとつは、「カッコイイ」とか「偉い」とか「自然体」とかいうマスコミの扱い方が、結局は新しい消費を煽っているだけにしか見えない時があることに対しての憤懣です。LOHASの根本って、よしはる氏が述べてた「シンプルライフ」と兄弟みたいなもので無駄な消費とか生活を見直そうかというメッセージを含むはずなのに、ブームの尻を捕まえて結局そうじゃない方向の論理で動いてる一部分が個人的に「嫌い」ということなんです。LOHASな家具数百万円とかって(妬みも半分ですが)なんか違うっしょ? (妄想の話ですが)ホワイトバンドもいいじゃんいいじゃんって広がっていく内にスローバンドとかシルバーバンドとかができちゃっていつのまにか武器カンパニーの資金源にもなってましたなんてことになったら本末転倒で、それではいくら「きっかけ」でも「スタート」でもいいとは私は言いたくない。根本はなにか問う姿勢は、世の中へ広める作戦としては要らないとも思いますが、無くしていいとも思えないのです。
まあこれ、好き嫌いの問題になってしまいますね。

うーん。もっと色々な意見を聞いてみたいなあ。ね。
posted by 学 at 23:59| Comment(8) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
我が家の庭には家庭菜園があって、手入れは親とおばあちゃんが最小限しかしてないので、いろんな花や野菜が乱れています。私的には、野菜なんてスーパーで買ったほうが安上がりでおいしいのが食べれるじゃん、と思っちゃうんだけど、親やばあちゃんは育てるのが「楽しい」みたいです。

作物を栄養として食用にするだけでなく、育てて生命力を感じることは心の栄養にもなると思う。自然に触れる機会の少ない都会人たちには、学がやってる農園みたいなところに、たまにでも行く意味は大きいんじゃないかな。

前に銀行の支店長の畑にみんなでいったことがあって、収穫だけさせてもらったけど、それでもスーパーで買うのとは全然違ったからねぇ。

日本のテレビとか雑誌で特集しているLOHASは、私もやっぱり商業的な臭いを感じてしまうなぁ。まあ、みんなの意識が高まって、ブームで終わらなければいいな、と思うけれど。
Posted by acha at 2005年11月12日 01:39
 教育畑に身をおいてもがいている一人として、『毎日が自然農』のもっている視点は、農園主が語っていること以上のことを伝えていると感じます。

>>生物の多様な自然の中でも育つ遺伝子や育つシ ステムが基本的には備わっているんだ、と気付 くこと

は、子どもが本来もっているものを信じることと容易に言い換えられそうな気がします。でもそれだけだと、「親や教師はその『個性』をつぶさないようにしなければ」、という非常に規範的なことばにおとされてしまいがちで、教育現象のダイナミックな部分は削ぎ落とされてしまう感があります。
 このブログの魅力は、人間のどうしようもない欲望や、生命を目の前にしたときに喚起される感情がそろっと書かれているところなのだと思っています。また、うまくバランスが保たれている状態がいかにいろいろなものの働きの上に成り立っているのかが描かれているところもかな。
 このような視点を勝手に(!)「教育」的関心でひきとって、親子関係でも先生と子どもの関係においても、いろいろな思いが重なったりずれたりしながら、様々なできごとが立ち上がりバランスを保ったり崩したりしているんだということを思い知らされるんです。
 エネルギーバランスやLOHASについても色々思うところがありますが、長くなったのでこの辺で。
 

Posted by Tete at 2005年11月14日 23:23
あんまりコメントが増えないね。

「農業」ではないとの認識、目からウロコでした。

エネルギーバランスについては、過収奪しなければ
持続的(かつ効率的)な農業は可能だと考えてます。
というか、不可能だと主張することはできないかと。

ホワイトバンドにしてもLOHASにしても、何らかの
ムーブメントを起こすには商業性は必要でしょう。
暴利は批判できても、商業性は批判できないかと。
Posted by よしはる at 2005年11月16日 16:11
>みなさま

コメントありがとうございまする。自分なりの「自然農」観といってもたかだか3年程度かじっただけですのでフニャフニャなんですが、みなさんからの言葉をまた自分の中に取り入れて行きたいと思います。

少なくとも自分でもこうして外に投げかけている(Blogだけでなく実際に人を呼んだり一緒に作業したりする)以上、「影響」や「何か」を考えることは必要で、そうした時にムーブメントの為の商業性を批判する意味はあまりないかなとは思ってます。少なくとも種を撒くことはとても意義があるというのは「自然農」でも学んでたはずでした。

種ということでいえば、Teteさんのお話のように、色々な観点で汲み取ってヒントに変えていけるモノが「自然農」にはある気がするのも私の勘です。例えば農業にしても、「なるほど肥料なしでも農薬なしでも耕さなくてもある程度は生産することができるのか。」ということをきっかけに、では(環境的にも人口維持の点でも)持続的な農業とはなんだろう、と見つめなおすことになるかなと。私の視点がプロの視点ではない所も、甘いと言えば甘いのかもしれないですね。


うーん、言い訳するのは情けないですが難しいですねえ、言葉って。
Posted by インチキ at 2005年11月17日 01:29
『自然農』だから、農だけど、『農業」じゃ、ないね。で、これを、生活の業(なりわい)にしたら、そら、間違いなく不幸になるね。だから、農業を自然農でやりたい、という人に会うたびに、わたしは、全力で、そのやる気をそぐように、努力してます(笑)。
じゃあね、LOHASだけどね、みんな、知らんからさ、、無責任に、自給がどうの、とか、言うけど、さ、こんな不健康な、趣味は、ないよ。暑い・寒い・それにね、相当きつい。暑い中紫外線にもあたるし、蚊にも全身刺されて、そのうち、マラリアにも、なるかもしれない。
なんで、じゃ、そんなこと、やるのか。さて、最近は、『道』という考え方をするひとが、ちらほら、出てきたね。まあ、方法でなくて、人生を教える、あるいは、人生を、追求する、という、わけ。この自然農で、ね。しかしね、茶の湯が、茶道になってね、、、わたしのような凡人から見れば、本家争いと、跡目争いの、不幸を延々生産しているようにしか、見えない、わけですよ。。。ま、ニンゲンの、やることですから、ね。。あんまり、言うと、あれこれ、差しさわりが、でるけどね。
じゃあ、答えてないじゃないか。
ええ、そう。自然農は、自然農ね。面白いから、やる。
・・何で面白いかって、そら、サーフィン、なんで面白いの?スキーなんで面白いの?ゴルフなんで面白いの?ダイビングなんで、面白いの?そら、やって、みなきゃ、わからない、でしょ?・・・
自然とね、調和して、生きてゆきたい、という、願望が、ニンゲンには、あるのね。本能のように、あるんですよ。岩盤の、ように、こころの、奥底に、ね。だからね、わたしは、環境問題は、きっと、解決すると、思って、いますよ。わたしは、そう、思っている。この、岩盤のような、奥の奥の想いがね、ニンゲンからは、決してなくならないと、おもうから、ね。


Posted by ほほほね。 at 2005年11月17日 23:43
>ほほほ様、皆様

面白いから、楽しいから、だから「自然農」にはまったことも思い出しました。土日にどうしてわざわざ腰をかがめて草刈りするのか。波に乗ったりスキー滑ったりと同じように、「気持ちいいから」でした。

頭ばかりじゃなくて、岩盤のような願望に素直に立ち返るのも、ひとつの答えでもありますね。ありがとうござます。反省反省。一歩一歩。
Posted by インチキ at 2005年11月20日 07:13
悪い事をしておいて、それに気がつかないままにほっておいて、
その悪い事をした結果がでてくると、それを懸命に訂正する。
そして、その訂正したことが効果をあげると、いかにもそれが価値ある
立派なもののように見えてくる、というようなことを人間は飽きずにやっている。

例えば、偉くなろうと思って夜も昼も一生懸命に勉強して、近眼になって、
いったい何の勉強をするかといったら、偉くなって良いメガネを発明する
ためだ、ということなんです。勉強しすぎて近眼になって、メガネを発明
して有頂天になっている。
Posted by sora at 2007年05月26日 05:17
>soraさん

コメントありがとうございます。なるほど〜、福岡正信さんも同様のお話をされていたような記憶がありますが、正鵠を得ているお話だと思います。
メガネが先か勉強が先かさえわからなくなっているのが今の病理の一員なのだと思いますが、自分自身の歩き方を見つめなおしながら生きてみるしか自分にはできなさそうです。

関係ない話ですが、ここ最近で背筋が寒くなったのは、本屋で「エコセレブ」という文字を目にした時でした(笑)。もはやなんだかなあ。
Posted by インチキ at 2007年06月04日 21:14
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