ねえキミ、野グソしたことある?
大地に、「愛のお返し」したことある?
小学生低学年の頃、学校で大をするのが恥ずかしいという風潮があり、どうしてもトイレに入れずに、我慢したままの下校したあの日。家に着く直前に、いつも会うたびに追いかけてくる野良犬(当時はあちこちに野良犬いたなあ)と目が合い、下半身の不調を抱えたまま、いそいそとその路地を走り抜ける。なんとか犬から遠ざかり、あと一歩、家の門が目に入ったその瞬間、どこからともなく訪れた安堵の気持ちとともに緊張の糸は切れてしまった。そんな悲しい思い出が、小生の糞ライフの、いちばん古い記憶である。 もっとも、これは野グソではない。
人生でもっとも記憶に残っている野グソは、古代遺跡のジャングルの林の中で営まれた。学生時代、中米へ旅し、グァテマラのとあるマヤ遺跡に訪れたことがあった。ジャングルの中のその遺跡は、観光地化されきらずにただただジャングルの中に屹立する苔むしたピラミッドや遺跡群が、熱帯雨林の木々とともに雑然と存在していた。下手な野球場よりもずっと広いようなその遺跡には、公衆便所の数など当然限られていた。旅にも食事にもなれ、体調も万全の頃だったが、不運は突如訪れた。
朝に食した現地屋台で買い求めた、野菜とチーズのピタパンのサンドイッチ。おそらくあれだ。中南米での下腹の不調は急転直下にやってくる。遺跡の真ん中のジャングル然とした林の中から、入り口付近のトイレに駆け込む余裕は、もはや小生には残されていなかった。幸い、午前中も早い時間、あたりに人はいない。南無三と木陰に駆け寄り、遺跡と共に歴史を重ねてきた大地に、身を任せたのだった。
それが、海外での、嬉し恥ずかし初野グソであった。もちろん、周囲の土を盛り、落ち葉枯れ枝を被せ、匂いや散策の観光客へ迷惑のないように、最大の配慮をして、ピラミッドをあとにしたのだった。
その後の海外での、不測の事態には、たいがいなんとか対応してきた。外でするほうがまし、というような便所しかないような場所だってある。蚊に刺されることを気にしなければ、案外、大自然には、心地よいスペースが広がっていた。
それに比べて、ここ日本で、大地へお返しする機会は、滅多に訪れない。小生も、東日本大震災での停電により便所が機能しなくなった数日間、周囲の林の中で用を済ませた以外、自らの選択をもって野グソをすることなど、考えてみたこともなかった。
その日本、この日本で、野糞歴41年、大地に還した ウンコが一万三千回を数える、偉人が存在する。その彼の名は伊沢正名氏。もはや革命ともいえるその実践者の手にかかれば、野糞という行為は、「大地への愛のお返し」という、崇高な使命に変わる。それでいて風貌は、一介のサラリーマンのような、研究者のような、そこいらにいるメガネをかけた素敵なオジサマ(実に常識人たる格好をされている意味において)なのである。
昨年、ふとしたことから伊沢さんの情報を耳にして、講演の動画を拝聴した。それから2時間、釘付けとなった。衝撃、であった。そしてその衝撃から一年。ようやく、お招きする幸運に与ることとなった。
何故、ひとは大地から離れてしまったのか。そして何故、いまこそ野グソなのか。
全てが明らかになる一日。
あなたにとっての、自然とは、環境とは、エコとは、全ての概念がイチからひっくり返ります。
震災時に、隣の林に還した、私の愛の、4年後の姿。本邦初公開。
もちろん、土に埋めてあるので、枯れ葉しか見えないですけど。