注)記事の日付は太陰暦を用いております

2017年01月27日

ヴィパッサナー 10days

師走丗日(旧暦大晦日) 晴れ

 とても暖かな、冬の休息日。今日は旧暦の大晦日、明日は新月、睦月の始まり。

 月の暦に合わせての新年を迎える前のこの十日間、ごく個人的に、ヴィパッサナー瞑想実践の日々を過ごした。朝5時半過ぎに起き、6時から1時間強の瞑想を行い、それ以降は通常通り生活し、就寝前にも瞑想する。食事は昼以降は取らない。数年前に瞑想センターで体験した十日間のプログラムを、勝手に、ではあるが友人と共にサテライトで実践し(メールで同時進行で瞑想するなど)、その他にも八つの戒律も守って過ごした。そして今日、大晦日を迎える。

 ヴィパッサナー瞑想についての詳細はここではしないが(※後述)、この十日間を過ごしての感想は、瞑想実践の充実度と共に、禁酒の十日間と毎朝の夜明け前起床が、何よりも新鮮であった。

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 夏の作業時の早朝起床は、日中作業ができない故の必然的かつ半ば強制的な選択である。しかし真冬。勤め人でもなければ子供の通学時間に追われることも無い、自営業兼ホームスクーラーにとって、冬の明け方に布団を這い出す理由などどこにも無い。現に我が家は、この一ヶ月以上、8時以降起床、朝ごはんは9〜10時という素晴らしい生活スタイル。冬に早起きする理由など、どこにも無いのだ。だって畑さ行ったって土凍ってから(笑)!

 そして毎日、安酒を晩酌。

 自堕落にも程がある、といった声も聞こえてきそうだが、自然農、自然体、自然食、自然育児、を突き詰めていった結果が、この暮らしなのだから仕方がない。家族5人、しばらくはこのスタイルで突き進んでいく。

 
 矛盾するようだが、この暮らし、この方向性に、ヴィパッサナー瞑想が加わるとどうなるか、という化学反応をこれから楽しんでいきたいのだ。いつしか書いたが、心の自然体を探求していくと、ヴィパッサナー瞑想にたどり着く。ブッダが紐解いた、心と身体の究極の真理。自然体研究家としての自分が取り組む課題として、どうしても避けては通れない人生の大目標の一つなのだ。

 自然農は、田畑との取り組みの継続の上にしか成り立たない。全く同様に、ヴィパッサナー瞑想は、瞑想の実践の継続の上にしか成り立たない。自然体とは、生まれながらの自由でラクチンなワタシ、ではなく、本来流れ進む澱みなきところを目指しながら黙々と歩き続ける、「バランス感覚」である。

 今後も、酒も飲むだろう。布団も大好きだろう。その一方で、ブッダの爪の垢ほどでも真理に近づきたいという思いを携えて、自然農と、家族と、自分の運命とともに、瞑想も続けていきたい。


 瞑想して、それでどうなるの?とか
 それって世界平和に、社会貢献につながってるの?とか
 お前大丈夫?とか

 色々な声もまとめて、これからも「毎日が自然農」を続けてまいります。

 とりあえず、十日間は終了! 一日一食も続けたせいか、腰周りの肉がだいぶスリムになってしまった。もうちょっと脂肪蓄えてこの冬乗り切らないとな。酒も夜食もしばらくは解禁して、自堕落と瞑想の狭間にしばらくは埋没します。そしてまた、誰に言うでもなく歩き始めます。

 まずは、(太陰暦ですが)新年あけましておめでとうございます。そして十日間付き合ってくれた家族、妻に大感謝。そして、生きとし生けるものが幸せでありますように。



★ちょうど同じ時期、妻はこんな日々を過ごしていたようです。
「なにもしなくてもいいんだよ」

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 ※ヴィパッサナー瞑想については、こちらのHPをご参照下さい。
  【ヴィパッサナー瞑想:ダンマーディッチャ

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2014年02月13日

観る、話す、聴く、

睦月十四日 晴れ 

 心に、深く深く染み入る映像を鑑賞し、その後に、ゆっくりと、頭の中をめぐらせる。
 と同時に、他人と「おしゃべり」ではない時間で共有していく。

 その体験が、こんなにも心地よく、自ら語りかけられるものが多く、通常の映画鑑賞以上に肉体化される時間になるとは、想像以上だった。

 1月25日につくサスが主催した「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番」の上映会。その午前と午後の上映の合間に、「話す・聴く・気づきのワークショップ」の特別編を開催した。派手さやハラハラドキドキが欠かせない劇場映画とは明らかに異なり、あるいは危機意識を煽るような教育映画とも一線を画した、観る人それぞれの時間の中にゆっくりと染み込んでいくような「地球交響曲」にこそ、この時間が意味を持つ。そう期待して、この機会に是非とも開催したいと実現に踏み切った。


 後日、参加された方からの感想が本当に的を得ていて、了承を得て全文抜粋する。

あの場(話す・聴く・気づきのワークショップ)だから、
この映画を語れたのだと思いました。


一人で観て自分の心に感動が刻まれるのもいいし、
友人や家族と観てお互いに感想を
シェアするのもいいのですが、
『良かったねー感動した!!』だけで終わってしまい
深いところまで行き着けないような気がします。


自分の中で反芻しつつ
思ったことを
漠然としてた想いをかたちに変えて
自分の心に耳を傾けてみる。
アウトプットしてこそ気がつくことってたくさんあるのですね。

映画をみたあと、あれだけ静かに語らう時間を
持ったことがあっただろうか?


そして
他の方の話からもさらに連想がひろがって、
自分だけでは気づけなかったものが得られたと思います。

これがワークショップの醍醐味なのかも?

映画とともにとても充実した一日になりました。



 悩みながら、自問自答しながら、毎月開催を続けるワークショップ。派手さもなく、参加後すぐさま役に立つようなノウハウもなく、わかりやすくパッケージングできるようなメッセージもなかなか宣伝できない。しかし、それでもこうした参加者からの生の声をいただくたびに、とにかく続けてみようと思う。
 
 
 上映会のワークショップを開いてみて、とりわけ今後、可能な範囲内で「地球交響曲」以外の映画でも、映画をテーマにワークショップを開催してみたい思いが強くなった。メッセージを放つ映画を鑑賞した後の感覚を共有し、違う感性を持つ他人と同じ時間を過ごす。単なる勉強会とは違う、意見交換会とも違う、静かな交流こそが「醍醐味」の映画のワークショップ。

 果たしてテーマに適う映画に出会う日は来るだろうか。果たして開催が叶う日は来るだろうか。
 自然農に勤しみながら、そんな出会いを心待ちにする日もまた、百姓の毎日としては悪くないのだ。

 
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第16回 話す・聴く・気づきのワークショップ =2月23日(日) 開催=
 16回のテーマは【食(食育・食材・食生活)】です。


第17回 話す・聴く・気づきのワークショップ =3月15日(土) 開催=
 17回のテーマは【身体(運動・心・体の動かし方)】です。

 どちらも参加者募集しております♪
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2013年10月05日

右脳的に

長月一日 雨時々曇り

 昨日のことや一週間前に自分が話したことを忘れては、「どうしてそんなに覚えてないの?」と目を丸くして人を呆れさせることが、しばしばある。自分がその時に確かに感じ、考え、導き出して口を通じて相手の耳へ届いた言葉は、相手の記憶に刻印されて引き出しにしまわれているというのに、当の本人は忘れてしまっている。とはいえ、そのことを話してもらうことによってまたみずみずしく記憶はよみがえり、そのとき話したような、または頭に思い描いたような感情をもって改めて考え直してみたり、また同じ内容を繰り返し話しては、楽しんでいる。人は小生を「忘れっぽい」と評する。

 それとは逆に、心象を揺さぶられ、五感六感を研ぎ澄ませて体験したことは、脳の収納箱以外のどこかに記録され、時間や場所の正確さとは異なる、まざまざとした具体的な身体まるごとの記憶として残されている。言葉以上のなにかによって、確かに、深々と、ありありと。日常での、鍵の置き場所、冷蔵庫の具材、家族の好きな洗濯物の畳み方などは、すぐに忘れてしまうのに、最初に出会ったある自然農の畑の鮮やかな景色や、改心の身体さばきで滑降できた時のスキーのゲレンデ、楽しすぎて時間を忘れて話し込んだ親友たちとの夕食会の匂いなどは、今も目の前にくっきりと浮かび上がる。そんなときは、自然と、己の記憶に感謝している自分がいる。

 そんな小生に対してパートナーからは、「象の時間を生きているから仕方がない」とうまい具合にたしなめられ、本人はいい気にさせられているのだが、その一方で彼女の持つ、幼少時のころからの微細にわたる記憶の鮮明さにはいつも驚かされる。自分にとって少年時代といえば、小学生、もっと言えば中学生の頃の記憶ですら、モザイク状につぎはぎで、果たして本当に自分の経験に根ざした記憶なのか、写真や家族の証言などで上塗りされた記憶なのか、自分にはもはや確かめるすべはない。対して彼女はといえば、幼稚園、小学生の頃の過ごした思い出をひもとくこともしばしば。さらには、生まれて間もない頃の親戚の顔合わせで、本人がどんな気持ちでその集まりの時間を過ごしていたか、といったことまで、仔細にわたって話してくれることもある。

・ ・ ・


 来月開催予定の、第13回「話す・聴く・気づきのワークショップ」のテーマは、「記憶」。 テーマを決めてから数日たった今日、幸運にも、非常に衝撃的な印象的な動画に出会えた。脳卒中を体験した脳科学者、ジル・ボルト・テイラー博士の講演である(TEDより)。

 詳細は動画を是非ご覧いただきたい。博士によれば、我々人間は、感覚に彩られながら「現在」「この瞬間」を生きる右脳と、情報の整理や理知をつかさどり「過去」と「未来」に生きる左脳を、明確に持ち分けている。しかし現在を生きる私たちの多くは右脳の世界から離れ、その時間のほとんどを、左脳に従って生きているように思える。博士の言葉を借りれば、右脳が観る世界は、全てが一つとしてつながっており、美しく平和に満ちている。それと対比するように、左脳は、そうした感覚世界の繋がりから我々を個人として切り離し、別個のものとして認識させる機能を果たしている。そしてだからこそ私たちは「存在」し、社会を生きることが可能なのだという。

 この、少々精神世界的な、もしかしたらスピリチュアルに聞こえる「右脳」の世界は、ネイティブアメリカンの古老が唱える「ワンネス(自然と自分が一体となる感覚)」であったり、瞑想の実践者が語る「涅槃」のようなものに非常に近しく感じられる。もちろん小生がこのような実践をできるわけも到底ないのだが、現代社会にあまりにも欠けてしまった「自然感覚」のようなものを人間は取り戻すべきだと思う自分にとって、非常に示唆に富む講演であった。

 右脳と左脳の本質などわかる余地もない小生であるが、もう少しだけ、日常的に、「右脳」を研ぎ澄ませて生きることは可能だろうか。それは、世俗的な幸福感や達成感とは、もしかしたらかけ離れているのかもしれない。さりとて博士が話すように、自己の存在の確定には「左脳」が欠けてはならず、左右がともにあってこその、世界と自分である。このBlogだって一種の「左脳」の構築であり、自然農の日々の経験の記憶ももちろん「左脳」的であり、日常生活や将来設計に日々頭を巡らせているのも「左脳」の故なのである。そうした自分に喝を入れながら、もう少しだけ「右脳」的に。感覚的に。瞬間的に。
 小生の忘れっぽさと、体感の記憶を宿す性質は、果たしてそれを可能にさせることはできるのか。うーむ、むむむむ、生きてるって面白いじゃあないか。

 Facebookにてこの動画をシェアしてくださった友人に、心から感謝します。


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 朝晩の空気がシンと冷え、庭のゴーヤが弾けてきた。野菜も自然も、(DNAとして「記憶」を継続させながらも、)単体としては、今のみを、右脳的に生きているんだよね、恐らく。


第四十八候: 秋分 末候
【水始涸(みずはじめてかるる)】
=水が凍り始める=
 (新暦10月3日頃〜10月7日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※




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2013年07月04日

音色

皐月廿六日 曇り時々雨

第三十候: 夏至 末候
【半夏生(はんげしょうず)】
=からすびしゃくが生える=
 (新暦7月2日頃〜7月6日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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 先週の日曜日、話す・聴く・気づきのワークショップを終えた。
 4人の参加者と共に、テーマを「音」に据えての4時間半を過ごした。

 テーマについての考察がどうこう、知識がどうこう、というよりも、このワークショップが常に包括する性格の通り、自分の生き方(あるいは人生の楽しみ方)について想いをめぐらすことになった。

 ワークショップの進行上、いつもの開催では映像などを使用することはないのだが、今回は導入に、ジョン・ケージの作品「4分33秒(原題 4'33")」の、とある演奏映像を流した。小生自身もこの演奏の映像をきちんと観るのは初めてであったが、かつてこの演奏の話を聞いたときの印象も含めて、今回のテーマ開催をするにあたってきっかけのような映像でもあり、アイスブレークに使用してみた。

 演奏についての詳述や感想は控えるが、ジョン・ケージの4分33秒とは、大雑把に言えば「無音」の演奏である。しかしそこには「無音」という音があり、そして聴衆の音があり、はたまた映像としてみるときにはその場の音があり、そして最も大きな存在は、「音楽とは何かという問いかけ」であるように、思われてくる。

 ワークショップでは、この映像を視聴し、その後いつもの「話す・聴く」時間を過ごした。庭に鳥の声、途中からは草刈り機(刈り払い機)の操作音、風鈴の音、そして断続的な会話と、少々の沈黙のうちに時間が過ぎていった。会話は「聴覚」から「音楽の発祥」、「現代音楽の問題点」やら「自分にとっての音とは」など、普段そこまで込み入って考えることが少ないことまで、様々に広がりをみせた。

 今回印象的だったのは、沈黙がいつもよりも「平穏」なことだった。このワークショップでは沈黙もまた意義があるとして、日常会話で頻繁に取り入れられる「相槌」や必要以上の「話題提供」などから解放されてみるという仕掛けがあるため、時に数分単位での沈黙が場に訪れることがある。もちろんワークショップとしてそれは何も問題ではなく、むしろ歓迎されても良い「ポジティブ」な時間なのだが、参加者によっては不自然さや不安感を覚えて、何かしらのソワソワした空気が場に産まれることもしばしばである。
 しかし今回は少し印象が変わった。ジョン・ケージ作品の映像のせいか、はたまた参加者がいつもよりも耳に意識を傾けてのせいか、時折の沈黙も不自然ではなく過ごされているかのように見えた。大げさに言えばそれはそれでひとつの意味あるコミュニケーションであり(それは常々このワークショップで小生が感じていることなのでもあるが)、もっと言えば演奏であるかのようにも思えてくるのだった。
 そんなことが頭に浮かぶようになるうちに、後半の途中から参加者の方々の声の交わしあいに目を閉じて耳を傾けていると、人の声の音色やタイミングの掛け合いがまるで交響曲や、ジャズの即興曲のライブのようにまで、聴こえはじめるのだった。決して大袈裟ではなく。

 途中、ゲストの井上さんから、「音楽の根源的な存在のようなものは何か」というニュアンスの問いかけがあり、その時は漠然と、小生の中には答えのようなものは出なかった。しかし今思い返すと、この耳を澄ましての「声の掛け合い」つまり、ゆっくりとした「相手の声の音色や抑揚にさえ耳を傾けてみるコミュニケーション」の時間が、もしかしたら音楽の萌芽なのであるのかもしれないと、直感的に感じられる瞬間が確かに存在した。その正誤はともかく。

 話す・聴く時間が、根本的にはテーマのない自由なワークショップでありながら、毎月のテーマをあえて設けることでこうした根源的な気づきに出会えることがある。それは毎月主催する側の、期せずして生まれた偶然の喜びでもあり、同時に、できうる限り他の方にも味わってほしい面白さなのだ。

 7月のテーマは「男女」。28日(日)、どんな出会いと気づきが訪れるか。
 普遍的なテーマだからこそ、あえて取り上げてみました。是非、ワークショップでお会いしましょう。

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第12回 話す・聴く・気づきのワークショップ =7月28日(日) 開催=
 今回のテーマは【男女(男性、女性、コミュニケーション)】です。
 参加者募集しております♪
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2013年05月31日

自然側

卯月廿二日 晴れ

 自分ができるだけ自然と共にあれるか。それは自然農に取り組む中で、自ずから寄り添ってくるテーマでもある。


 今日、農園として使用している一部の畑を知人にお貸ししていた区画を、2年を経た後に返していただいた。知人の取り組みに共感しその区画は有機農での栽培をすることになり、トラクターで耕し、有機肥料を入れ、ビニルマルチを張り、寒冷紗をかけて、とある作物を栽培した。そして2年が経ち、返却していただく段となった。

 戻した後には、自然農での作付けを予定しており、現状復帰の作業を手伝った。寒冷紗の撤去はなんとかスムーズに終了したのだが、手を焼いたのが、ビニルマルチの回収であった。農作業においてのマルチとは、地熱を高めたり雑草を生えにくくしたりさせる目的で作物以外の土を覆う資材全般を指す。ビニルマルチとは、種類も様々にあるようだが、おおまかに言えば石油資源のビニル素材でつくられ、薄くて軽く、畑一面に広げるのに効率的でありかつ作物の生育促進にも一役買うため、慣行農法や有機農法の畑では、しごく一般的に使われる資材の一つでもある。

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 それが、2年の使用を経て撤去するとなると、はてさて。雑草の根がビニルに張りめぐり、土はビニルを腐食させ、固定の為に打ち込んだプラスチックのアンカーも食い込み、簡単に外せるものではない。無理して剥がせば表面は綺麗にはがれるが、土の下に埋まったビニルやアンカーは残り、人工物として、分解されて土に還ることがほとんど無い(非常に長い年月においては分解されうるかもしれません)。自然農栽培を選んだ小生にとって、こうした時にこそ、天然素材を選ぶ理由が明確に体感される。ビニル素材は、明らかに土とは親しくなく、見た者に不自然さを覚えさせる。いつかぼろぼろに小さくなったとしても、天然素材の草木や動物とは明らかに異なり、違和感を感じさせるに違いない。一方で、麻布を利用した鳥避けネットや布マルチなどの自然素材は耐久性は比較して弱いが、使用後に畑に放置していたとしても、いつか必ず土に還る。その差異は、どこまで行っても混じることなく、小生の中に大きな隔たりとなって存在する。

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 決して使用しないというわけではない。有用に使えるものは当然利用している。天然素材では工夫に限界にある製品などは、便利な資材として、手元において使っている。ただ、田畑の中に、土の中に残されてしまうような使い方をするものについては、土のためなのか自分のためなのかは分からないが、どうしても使いたくない、と判断する自分がいる。果たしてそれが、自然なのか、不自然なのか、欺瞞なのか当然なのかはわからないのであるが。

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 その作業中、昼休み明けの上半身(わき腹と右腕)に、突然痛さと痒みが走った。最初は草負けや蟻にでも咬まれたかと、軽く擦って済ませようとしていたのだが、何度か擦っているうちにヒリヒリもしくはズキズキするような猛烈な痒さが襲い掛かり、切ったばかりの爪の伸びていない指先で、いてもたってもいられずに掻き毟っていた。しかし何度掻いても十数秒後には元の木阿弥。むしろ痒み、というより痛みが広がってくるような気がしてくる。これは毛虫か、と気がついた頃には、これ以上作業を続ける気力すら失われてしまうほどの不快感だった。
 とりあえず帰宅してなにかしらの薬をつけるべきかと一考したが、ふと、頭の片隅を探し当てる。記憶の断片に、書物か、インディアンの教えか、定かではなかったが足元の雑草についての智慧が思い出された。それは、セイタカアワダチソウを咬んだ汁を虫刺されの皮膚につけると良い、という記憶だった。その時点では確かではない智慧の記憶ではあったが、文字通り藁にもすがる思いで、原因の一つであろう長袖シャツを脱ぎ捨て上半身裸になり、セイタカの葉を口に含み、咬み、唾液の混ざった草の汁を、がむしゃらに患部に塗りつけた。何度も、何度も。作業の汗で渇いた口では唾液が足りなくなると、麦茶を口に含み、その水分で草の汁を伸ばし、腹に腕にこすりつけた。痒みはすぐに治まったわけではなかったが、このままでも仕方ないと、持ってきていたジャージを裸の上に直接着て、作業に戻ることにした。

 すると1分、3分、5分。痒みも痛みも、激しい再発はそれ以降おこることはなかった。飲み薬でも塗り薬でもなく、そこらじゅうに生えている雑草の、咬んだ汁を塗っただけ。それだけで、あの、気が変になりそうなほどのとげとげしい痒みが、一陣の風と共に和らいでくれたのだった。その現実はすこぶる力強く、目が覚めるように明らかで、まずは先人の智慧に、そして植物の薬効の力に、畏敬の念を覚えずにはいられなかった。


 そんな、自然と不自然を感覚として身に深く体感したような今日の出来事。どんなスタンスをとっても自由なんではありますが、小生の個人の趣向としては、自然側に立ったスタンスは、やっぱり魅力的なんだよなあ。と、しみじみの一日。


第二十五候: 小満 末候
【麦秋至(むぎのときいたる)】
=麦が熟し畑が黄金色になる=
 (新暦5月31日頃〜6月4日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2012年10月26日

エコロジー

長月十一日

 先日の、スズメとの大抗争。それから何を学べるかと考えるならば、自然農にかぎらず自然を相手とする農林水産業が対峙する、他の動植物との関係性の中での人間の取り分、と言ったら大げさだろうか。言い方をかえれば、環境と人間の係わり合い方、とも言えるだろう。

 小生が自然農に携わる、そもそもを紐解けば、それは学生時代に自然環境、地球環境への問題意識に火がついてしまったからに他ならない。「国際関係」という十把一絡げな学部に飛び込み、国際社会全般に問題意識を拡げて拡げて収拾が付かなくなった小生に、恩師からとある一冊の本を紹介されてから紆余曲折。いつのまにか休学してからの放浪中にも環境問題、復学してからのゼミも卒論も環境問題、就職先も環境問題、常に目の前と足元がエコロジーづいていた。

 そうして生きてきた先にたどり着いた自然農。正解とか、生計とか、地位とか、名誉とか、その辺とっぱらってどうしようもなく自然農のある暮らしをしているのは、その基盤に、「環境」への問題意識が深く深く澱のようにしみこんでいるからに他ならない。

 今を生きる、自然体である、中庸である、そういうことに敏感でありたいとすれば、自然環境に耳を傾けて感覚を拡げていかざるを得ない。現代人にとって環境とは。日本人にとって環境とは。そもそもエコロジーとは。

 そんなフレッシュでもありベタベタでもあり普遍的でもある疑問を抱えたまま、11月のワークショップはずばり「環境」をテーマに話す・聴くをやります。学生時代の後輩をゲストに招けるのも、存外の喜び。


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第5回 話す・聴く・気づきのワークショップ =11月23日(日) 開催=
 今回のテーマは【環境(持続可能社会・暮らし・環境意識)】です。
 参加者募集しております♪
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2012年09月09日

まなび

文月廿三日 晴れ

 
第四十二候:処暑末候
【禾乃登(こくものすなわちみのる)】
=穀物が実り始める=
 (新暦9月2日頃〜9月6日頃)

 
第四十三候:白露初候
【草露白(くさのつゆしろし)】
=草に降りた露が白く光る=
 (新暦9月7日頃〜9月11日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 20120909ending.jpg


 言葉にならないような、充実したような、まだ物足りないような、素晴らしいような、こみ上げてくるような、そんな出来事を言葉にするのは、してはいけないと思いました。

 以上。


 もりのがっこうの、「おとなワークショップ【じっくり聴く・話す】時間」に関われたことに、全身全霊の疲労感をもって感謝します。

 今日の「まなび」がまた、自分に沁みて、沁みて、沁みて、そして湧き出るときまで。


 

 
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2012年07月22日

船は港を出てそして帰港す

水無月四日 曇り時々晴れ


「話す・聴く・気づきのワークショップ」号にご一緒に乗船した
皆さんと、今日のテーマ、「自然農」周遊コースを一緒に
巡り、そして今、港に戻れたような、そんな気持ちです。


 どんな思いで港に集まり、どんな気持ちでこの船旅を過ごし何を眺め、そして港についた今、もしくは家路についた後にどんな残り香をいだくのか、それは結局は集まっていただいた方々の中にしか答えはないのだが、ワークショップの短すぎた4時間を終えた後に発していたのは、そんな言葉だった。

 今日文字にできるのはこれくらいかな。


「話す・聴く・気づきのワークショップ」号は、毎月出航します。
8月の周遊コースは「生命」、9月は「野性感覚」を辿ります。
乗船希望される方は、どうぞ HP までアクセスください。


 
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 せめてもの余韻をファインダーに収めたくて、帰港直後、船を降りてお話しされているお二人の光景を写してみた。いったいどんな旅だったのか。砂時計、トーキングスティック、そして外された名札たちこそが、それを知っているのかもしれない。


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2012年04月08日

趣味雑感

弥生十八日 晴れ

第十三候:清明初候
【玄鳥至(つばめきたる)】
=燕が南からやって来る=
 (新暦4月4日頃〜4月8日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 趣味が多いほうではないと思うのだが、趣味に至る手前のようなものはそれなりに手を伸ばして楽しむほうかもしれない。趣味と呼ぶのはやぶさかではあるものの、自然農は今のところ、ここ数年ナンバーワンの地位を譲らずまだまだ座を受け渡す気配はなく、とはいえ従来も今も様々に興味をそそられるものはあるよね。趣味的になっていようといまいと挙げてみれば、最近のものでは身体操法、トラッキング、瞑想、スラックライン、聴く話す時間、昔からならサッカー、アカペラ、スキーなどなど。取りとめもないようでいてこれらの羅列には、自分の中でくっきりと繋がるものがある。それは、スポーツ系か否かに関わらず、肉体化していく過程に言語表現を超える感覚的な感性が働くことである。言葉で論理化しながら追求していく行程もそれなりに楽しいものだが、それをはるかに上回る楽しみが、経験や感性を肉体や感覚の反応に応用させながら具現化していく過程に存在する。体感や感性を働かせて気付く発見があり、それを実際に身体や感覚の操作に落としこんでいく実践があり、それを習熟させてまた次の発見につながっていく。この持続的ループを内在する過程が、またさらに飽きることがない楽しさのポイントのようにも思える。単なる結果の成否の楽しみではなく、あくまでも肉体化の実践を通しての経過を楽しむ。そういった意味において、サッカーでのゴールシーンも、アカペラでのハーモニーも、スキーでの滑降も、小生の中では同類のエクスタシーなのですわ。

 ジャガイモの植え付けもまだまだ終わらせていないのに、絶好の作業日和の午後を潰し、今日は月に一度の稽古会にお邪魔した。ここ二年程、古武術の体の動かし方を中心とした身体操法を学ぶ「つくば身体操法研究会」に参加させてもらい、様々な達人の先輩にご指導いただいているがこれがすこぶる面白い。詳述するには若輩者すぎる為いずれまた機会のあるときに譲るとして、いやあ面白い。自分の体の無駄な使い方、不自然に力が必要な動き、疲れの残りやすい姿勢、これまで三十数年間付き合ってきた自分の体の「できなさ」加減が、少しずつ「できそうな」感覚に近づく歩みは、スピードは遅くとも素直にとても楽しいのだ。
 さてこの研究会(参加されている皆は稽古会と呼んでいるのだが)の前座の遊び(もしくはトレーニング)として取り入れられているスポーツに、スラックラインがある。一言で言うならばモダンな綱渡りスポーツといったところだろうか、これがまた身体操法に劣らず、感覚を肉体化していく過程が格段に面白くて困る。数メートルに張った(場合によっては10メートル以上にも)特殊素材で編まれた帯状のラインの上に乗り、歩いたりジャンプしたりしながらバランスをとるという実にシンプルなスポーツ。それでいながら、実に奥深く、何よりも夢中に乗り続けてしまう中毒性がある。この感覚にはまってからは、稽古会を主催されている居候氏が所有するスラックラインを強制収用しては裏庭に張っては乗り、畑の雑木林に張っては作業合間に乗り、ユルユルの腹が少しでも締まらんという邪念も乗せて一人で体幹トレーニングに勤しんでいる。少しずつ試行錯誤していく度に、スキーや身体操法、ひいては農作業時の体の動かし方にまでヒントとなり、それがまた巡ってスラックラインの動作へのフィードバックになり、その連動性、継続性がまたたまらない。まだまだ、初心者レベルではあるのだがね。

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いやはや、こんな感じなんですけども。


 これらの趣味に共通する楽しみは、肉体化していく過程の感覚の面白さと充実感と難しさにある、と個人的には考えている。そしてこれ以上言葉を並べてるとその体験が泡のように消えてしまう感じの不安定さがまた、奥深いところなのだと思う。自然農も然り、言葉で全て表そうとすることが無理、もとい勿体無い。体感して、肉体化して、そしてそれをもとにさらに目の前の実践に反映させていく。その終わりなき実践。

 それで言えば、世の中の諸事に対して不満や不平をすぐに発火させたくなるような自分はいるものの、TPPだろうがセシウム基準値見直しだろうが遺伝子組み換え作物だろうが原発再稼動だろうが、すべては自分ごととして肉体化とは言わないまでも生活化させた上で自身の考察をすべきだと、省みずにはいられなくなる。言葉と情報と思い込みによる考察ではなく、確かに自分とつながる点からリアルに肉付けさせた不平不満、そして提案であるべきだと。一見関係ないようなことなのだが、小生の中では、とても大事なことに思えてくるのだ。今はこれ以上は言葉は出てこない、趣味雑感なのでした。


※スラックラインについて
 スラックラインの歩き方・・・スラックラインについて大変よくまとめられています。非常に充実したサイトです。

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2009年09月23日

出さない

葉月五日 【秋分】 晴れ時々曇り

 自然農の毎日には、とり立てて連休の恩恵は余りないのだが、穏やかで、朝夕の冷えがぐんと増してきた秋分が静かに経過していった。気づけば、カブや大根の種を播き、ラッキョウやタマネギの球根を植え、繁茂したセイタカを抜き倒し、自ビールを仕込み、パンを焼き、散歩し、自転車に乗り、ヤギを連れまわす。もちろん、少々の酒にも溺れる。そして話す。

 誇れる友人達が様々に人生を飛翔していよいよ面白くという昨今、小生はしこしこと自然農に傾倒だか埋没だか謳歌だかを勤しんでいる。さてこれまで何をしてきたか、さてこれから何をしていくか、今の畑に立って足元を見渡すがごとき、まるで濃霧の道中にある。しかし灯台の光はいよいよ明るく、自然農とのランデブー飛行、はたまた心中飛行は確固として揺るぐものがない。幸か不幸か。

 濃霧に霞む灯台を頼りに続けるランデブー。ここにきてパイロットの気持ちが少々変わり始めている。元来、「自然農」の持つ世界観、哲学に惚れて実践に突入し、小生は事あるごとに「何か」を「どこかへ」広めようと無意識に行動していた。それがBlogであり農園でありワークショップであり、様々の活動として今につながっている。自然農からインプットがあればあっただけ、アウトプットをより効果的にしたいと思っていた。そしていつしか自分は、出すべきアウトプットが枯れてもなお、うんとこすんとこ出そうと、いや出せると、アクセルを吹かしていたのかもしれない。さて今、搾っても出ない小生がすべきこと、それは。

 出さない。 

 インプットは日々重なり、畑に、田んぼに、足を向けるたび、離れるたび、積もり積もる。その蓄積を、溶かさずに、もしくは溶かしながら、ただそのままに、積み重ねてみる。今まで、無秩序に、無反省に、なんとなしに、出しすぎていた。満ちるまで、種がはじけて落ちるまで、出さない。何をもって出さないのか、それは、我のみぞ知るのだが、その「何をもって」というのが、一番厄介ではあるんだけども。


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小豆は一足先に膨らみ始めてきたね。


【秋分】…陰陽の中分となれば也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 夏:秋=4.9:5.1

     秋の彼岸の中日で、国民の祝日の一つ「秋分の日」。
     この日は春分と同じく、昼と夜の長さがほぼ等しい。
     しかし、秋分の日と春分の日の気温を比較してみると、
     平均気温で秋分の方が10度以上も高くなっている。
     夏の暑さの名残があるからである。
     雷が鳴らなくなり、虫は地中に隠れ、水が涸れ始める。
     また、台風のシーズンでもある
     ※読み:シュウブン
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ
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2009年01月06日

Burning

師走十一日 晴れ

 初心を忘れた有様が、いきなり具象化したような、一大事であった。プレーヤーの方達と作業して、友人とも打合せもして、半日が経過した今もなお、漠とした動揺の火が燻っている。

 ここに顛末を記す。

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2007年09月23日

また一歩

葉月十三日 雨

 妙なる畑の会 全国自然農実践者の集い 東北
 
 2002年の夏に自然農に出会ってから、はや5年。のんびりと、そして無理の無いスピードで歩いてきた5年を振り返りながら、先輩百姓の田畑や暮らしを見聞きした。

 川口由一さんの風のような話しぶりの中に、毎日の田畑での迷いや右往左往への答えの糸口がちりばめられていて、今はただ、咀嚼の途中といったところだろうか。事務的なまとめはできるのだろうが、言葉にすることで「限定」された概念になってしまい、「自然農」のもつダイナミズムが失われはしないかという戸惑い。面白くて、美しくて、おいしくて、楽しい。そういう原始的な快楽と結びついているからこそ、自然農には魅力がある。表現は千差万別。実践する人が専業だろうが兼業だろうが、哲学的だろうが中途半端だろうが、熱心だろうがインチキだろうが、その人にとって持続可能なスタンスで関わりながらの自然農がそばにあればいいのだと思う。


 耕さず、虫や草を敵とせず、肥料も薬も用いることなく。野菜や米が育つ意思と、生命あふれる土壌の力を受け入れて、自然と人間の住みあうバランスを手探りしながら。無限の可能性と、現実の生活と、日常の農作業と、わくわくのこれからを融合して。

 16回を数え、250名という参加者が集まった実践者の会。自然農の包容力は、ゆっくりと広がっている。

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 あー、宮城県丸森町の皆さんの素晴らしい田畑の様子、出会いや再会の喜び、つくし農園メンバーの笑顔、帰りに立ち寄った会津の定食屋さんでの大宴会、翌日の稲刈り体験に、農爺から教わった納豆大豆と蜂蜜作りの秘伝。書きたいことはヤマホドあるんだけどなーーーー!
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2007年09月21日

えんそく

葉月十一日 晴れ

 明日から、福島、宮城、会津方面に遠足に行って来ます。

 「第16回 妙なる畑の会 全国実践者の集い・東北」へ参加。なにやら全国各地で自然農に取り組む魑魅魍魎が200人ほど集結するとのこと。ワクワクドキドキの初参加なのです。

 つくばはすっかり秋めいた後の残暑に見まわれて、田んぼの神丹穂がもえたぎってきた。赤く赤く、陽射しに揺れる。さて、楽しみでございます。

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2006年08月23日

出穂の頃

葉月三十日【処暑】 晴れ

 夕方に涼しさの産声が聞こえ始めた。

 先週の週末、つくし農園にて夏の「ぷち」収穫祭を敢行。収穫した野菜がままならぬのはご愛嬌、それを補って余りある出席者のパワーが満ち溢れた夜となった。詳しくはつくし農園Blogにて。

 土曜日も、日曜日も、メンバーが集まり、友人が集まり、それぞれの思いで自然農をすごす。日頃たんたんと一人作業の多い野良仕事だが、こうして人が集まることがこんなにも楽しくて嬉しいことだと感じたこともなかった。

 分蘖(ぶんけつ)が進んだ8月の終盤、最後の田んぼの草取りを済ませ、あとは出穂を待つのみ。ちら、ほら、と黒米とモチ米が真っ先に穂を出し、集合日には花を咲かせる株も見られた。

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 少し遅れているとはいえ、この8月の暑さでようやく追いついてきた気もする稲達にほっとする自分がいる。草取りを済ませ、稲穂の赤ちゃんを見やるプレーヤーの皆や見学にきた友人たちを見て、自然農を続けることの意味のかけらをまた何かもらえたような気がした。


【処暑】…陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也(暦便覧)
     暑さが止むの意味から処暑という。
     涼風が吹きわたる初秋の頃で、暑さもようやくおさまり、
     綿の花が開き、穀物が実り始め、収穫の候も目前となる。
     昔から、この頃は二百十日と並び台風襲来の特異日とされ
     ており、暴風雨に見舞われることが少なくない。
     ※読み:ショショ
     <参考:【室礼】和のこよみ


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草刈りて 顔上げ見れば 笑い声

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2005年10月02日

復習復習

葉月二十九日 晴れ   

 稲が育てば刈り取ります。刈り取った稲は乾燥させます。乾燥させるのには天日で干します。

 というわけで、昨年ひと通り覚えたつもりの復習のために丸ヶ崎自然農の会に参加して、稲木の組み方、稲架(はさ)のかけ方を盗みに行ってまいりました。


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 むむむ・・・こうやって支えの木を組んで、、、

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 ひと通り掛けて、紐で括って、、、、 


 なるほどうんうん、頭の片隅に消えかかっていた記憶が、体を動かすことでまた蘇ってくる。これであと数週間はなんとかもつかもしれぬ。いずれにせよ、習ったことを一番よく体得するのは、自分で実践して失敗を経て試みること。これ間違いなし。


 さて、重大な問題が目の前に。稲木を組むための「組み木」がない。。。買う金は惜しい。材木屋の廃材?山林の間伐材? それとも少し離れた集落で使用している「組み木」をお願いして使わせてもらうか? ううむ、どーしよ。こっちのほうが問題かも。



稲木の組み方、稲架(はさ)のかけ方はこちら
  〜丸ヶ崎自然農の会HPの昨年10月の記録より〜
  敬意の一言につきる詳細なる解説、代表の細やかさに脱帽です。
  最後の仕上げはやはり実践、これがないと覚えられません。

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2005年07月20日

有機反応

水無月十五日 晴れ

 拙い取り組みが友人というフィルターを通すと、自分でも思ってもみないような化学反応(というより「有機反応」と言おうか)を起こすことがある。先日手伝いに来てくれた自称見習い君がまとめたBlogを見せてもらって、ひとしきり関心してしまった。自然農の田植え作業がコンパクトにポイント良くまとめられており(もちろんノウハウとしてではないにしても)、コンセプトはがっちり捉えられており、小生もなんだか気分一新。とはいえ愚農がステキな自然農に化けてて苦笑する自分もいる。・・・それにしても自分が話してることって全然覚えていないものだと再認識。感謝の気持ちとして見習い君の植えた苗達のその後を一枚提供〜! 水を、栄養を、いっぱい吸収しとるようですな。

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 次回の有機反応もまた楽しみ。だから手伝いに来るのだぞ。
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2005年06月24日

強制連行

皐月十八日 晴れ/昼

 先日の予告どおり、丸ヶ崎自然農の会に苗を無心に出かけた。イセヒカリをほぼ一畝分以上と、赤米少々に、他言無用の「○○モチ」少々。スーパーで仕入れた発泡スチロールの空き箱に移し運び、拉致して車に連れ込む。明日から早速江南の土に。親元から引き剥がした彼ら彼女らは果たして根付くのか。即席の苗箱に一見不安そうにたたずむ姿は太く、長く、たくましく成長している。畑状の苗床にて過度の肥料と水に甘えることなくしっかりと伸ばした根は、自然農ならでは。今年の苗は今まで一番の出来だとか。ゆったりと年月を重ねて満ちる自然農の喜びは、こんなところにも顔をのぞかせる。

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>将軍様はじめ丸ヶ崎の皆様、とにもかくにもご提供感謝いたします。
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2005年06月12日

無心しに行く

皐月六日 晴れ

 30℃近くを記録したこの日、久しぶりに丸ヶ崎自然農の会に出席した。わが田んぼの苗床の惨状を省みて色々と示唆をいただければ(と多分に打算的な動機を抱えてであるが)これ幸いと顔を出してみた。
 到着した午後は、メンバー諸々が田植えをしたり準備をしたり、はたまた休憩小屋作りの木材加工に、と熱射の下で精を出している。いつ来てもそうだが、他人の畑へお邪魔することは勉強と刺激の山である。雑草の様子、土の様子、手入れ具合、育ち具合、自分の畑と比べてなんと違いの多いことか。言葉にするのは難しいが、いつも必ず何かを得て、帰路に付くことになる。(こんなこと書くと大将軍様に年貢を徴収されかねないが。)
 雑穀の話をすると快く「種」を分けていただき、田んぼの話、畑の話でいろいろと教えを請う。その代わりとはいかないものの、体力仕事をちょいと手伝い、またせっせと情報交換に勤しむ。今年の稲の苗がなかなかうまくいっていない事やこれから雑穀を撒いても時期は大丈夫かという相談をしてみると、ひょいと面白い話も飛び出す。『昔は稲の苗作りに失敗した時に、窮地の策で雑穀を撒いたというから時期としては田植えの頃でも十分だ』とのこと。なるほど。まさに小生の立場そのままではないか。そうかと合点に膝を打ち、やる気が復活する。であればあとは実践のみ。2ヶ月ぶりの参加であったが、視野の狭さを解きほぐすいい機会となったことに感謝したい。

 次回はもう少し、手伝い時間を増やしますねー。
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2005年02月12日

朽ちるまで…

睦月四日 曇り(風冷たく)
 
 さいたま丸ヶ崎自然農の会に参加する。メイン作業は、昨年、志半ばにして記憶の片隅に追いやられた、ユキヤナギの雑木林の開墾。詳細は昨年の記録及び公式HPに任せるが、要点は、木を切って、切り株を残して、その切り株の合間にて自然農(不耕起)で作物を育てる。数年間、成長を続けようとするユキヤナギを絶え間なく切り続けることでやがて朽ち、その土に張り巡らされた根は最高の空隙、肥やしとなり、微生物豊かな土が続いてゆく。・・・はず。

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 <ユキヤナギの切り株?>

 はっきりいって、林の開墾から始めての、究極の自然農の醍醐味を味わえる勉強会は、ここを置いて他にないのではなかろうか。もちろん、寡聞のインチキ百姓が、井の中の蛙であるとしてもね。無手勝流かつオーソドックスも学べて面白いです、はい。

 こっそりと、カマキリの卵がくっついた枝を江南に持ち帰り、今年の害虫駆除の主役になってもらおうとニヤリと企む。

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 翌日は、何故か田んぼの周りを参加者20数名にて土木作業。公園のようなお散歩コースを賞味2時間程で整備完了。自然農の会かどうかはともかく、築城してるような、基地作りしてるような、アウトドア遊びを満喫。要所要所で手を抜いて、いかにも働いたような顔をして、汗をぬぐう。二日間、心地よい疲れが体に溶けてゆく。すこぶる、ビールがうまい。
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