注)記事の日付は太陰暦を用いております

2016年08月09日

リオとつくばの間で

水無月七日 晴れ(猛暑)

 テレビも新聞もスマホもなく、かろうじてタブレット端末と自宅PCが外部との接触手段という我が家。リオオリンピックも、東京都知事選も(あと何か喧騒的な時事はある?)ほとんど風のように通り過ぎていく。我が家に出入りする親類や友人、FBでの友達の近況、すれ違うご近所の爺さん婆さんおじさんおばさんの声かけ、ニューストピックで流れてくる天皇陛下のお言葉など、断片的な社会との交流がありながらも、基本的には自分、妻、長女に次女、そして先月末に自分の手の中に産まれてくれた長男の、5人家族で、つつがなく、おしみなく、せちがらく、一日一日を過ごしていく。

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 予定通り、準備通り、願い通り、運のはこびよく、「自宅出産」という、現代では奇異扱いされがちではある、悠久の人類史が弛まなく編んできた人間誕生の基本中の基本を、家族という最少単位で執り行うことができた。出産後の大変大切な時期を過ごす妻からの「出産顛末について」はまた後日に譲るとして、とにかく、今我が家は、産まれて十一日目の新生児と大仕事を果たした(かつ母体回復というタスクに取り掛かり中の)妻を中心に、家事育児担当の自分、イヤイヤ期と可愛さ担当の次女、祖母との長期旅行(曾祖母の家への帰省)から帰って間もないプチ反抗期担当の長女、そしてウンコとゲップ絶好調の長男が、オリンピックさながらの一大スペクタクルを日夜演じている。

 飽きる暇など、ない。


 日本はこれからどうなるのか。民主主義とは。政治とは。行政とは。原発は。経済は。サッカー日本代表は。いったい自分の人生で、手に負える外部環境とは、どこからどこまでなのか。


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 40歳となった一昨日の誕生日。自分としては息子が産まれて九日目の日であり、長女が祖母と旅行から帰ってくるただの一日として過ごした。朝飯を作り、布オムツを洗濯し、次女をプールに連れて行き、ちょっと昼寝し、長男のオムツを替え、妻をねぎらい、祖母たちを駅に迎えに行き、夕食を作り、皆で食べ、寝かしつけ、妻と読書して過ごし、晩酌し、寝る。そんな一日だった。

 明けて40歳と二日目。朝。義理の母の滞在に甘えて、久しぶりに田んぼと畑に数時間ほど出かけられた。田んぼの気になるところだけを草刈りし、大豆畑を草刈りし、今年実りの良いナスとピーマンを収穫し、ちょいちょいちょいと雑草猛々しくも嬉しい自然農ランドで充足し、汗まみれで、家族の待つ家へ舞い戻った。

 そして今日。草刈り、餌やり、飯炊き、洗濯、わやわやわや。気がつけば晩酌のビールを流し込んでいた(笑)。

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 この今の自分に、6日のヒロシマや9日のナガサキを祈り情報発信する余裕もないし、誕生日を舌舐めずりする時間もないし、オリンピックも、大好きなサッカー観戦も、国政も、片足つっこむ暇がない。

 畑のトマトは彩り初め、ナスやピーマンが(農園開始9年目で)ようやく実りを見せるようになり、一方で雨の少ない田んぼでは稲の生育にヤキモキし、そして何よりも今、産まれた赤子が生命力をたぎらせて、この世界に出会い始めている。この世界を代表する我々両親は、全肯定的な世界を彼に見せていきたい。たとえ目の前の長女や次女を叱り飛ばすことがあっても、それでも我が家はハッピーなのだろう。そしてそこから広がる世界もハッピーなんだろう。と人生をかけて伝えていきたい。

 
 自然農の田畑は、媚びない。世論にも、流行にも、経団連にも、自公政権にも、ロハスにも、スピリチュアルにも、決して媚びない。微生物が、草が、虫が、作物が、そしてそれに寄り添う人間が、「調和」と「永続性」という使命感を共有して、千変万化しながら続いていく。価値の上下とか、政権の是非とか、主張の正否とか関係なく、自然界の命の営みの都合と人間のエゴの都合の最良解の狭間を、行ったり来たりしながらバランスをとって存在していこうとする。ただ、自然界の「自ずから然からしむる」だけでなく、今現在関わる当人、本人の外部と内部をひっくるめての「在りよう」が見事に展開されるフィールド、それが「自然農」なのである。

 不惑。40歳がそうであるなら、自分は何に惑わずなのか。それは、「世界は自分の外側にあるのではなく、自分の内側にある」という確信かもしれない。今もこの、自分以外の家族全員が寝静まった家の片隅でキーボードをたたきながらの日常、そして田畑にはぐくまれる作物とその他大勢の動植物の営み、それこそがリアルな自分の内側である。それ以外のWEBやマスコミを賑やかせる様々な情報群は、それにオマケとして付随する外側なのだ。

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 自分を、家族を、身の回りを、大切にしすぎない。
 自分の遠くを、反対意見を、苦手な存在を、心に留めすぎない。
 
 自分から、そして少し周りにある家族から、そしてまた少し身の回りの誰かから、という、自然体の幸福の連鎖をつなげていくこと。一足飛びに、日本国の、世界の理想的な平和ではなく、伴侶の、家族の、生きる道のりを共に歩む。と全くの同時に、世界の調和が進行していく。それは決して矛盾しない。

 ありがとう畑。ありがとう田んぼ。そしてありがとう友、ありがとう家族。



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2016年01月27日

こぼれだね

師走十八日 晴れ

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 立春を一週間後にひかえて、ようやく、心も身体も動き始めてきたようだ。

 やりたいことは山ほどある。書きかけの計画ノートだけが増えていく。どこかに、自分の外側の姿かたちを気にする自分がいた気がする。体裁を気にする自分。見栄えを気にする自分。中身よりも先に梱包に頭を悩ます自分。そこに「自然さ」はない。悩みながら、探求しながら、歩き続けることが、「生命」のダイナミズムである。
 
 年齢とか、立場とか、そこにしがみついた途端に失われる探求心。小生は、足掻きつづけながらも、常に森羅万象に探究心が開かれている状態でありたいと願っている。そんな状態を、ワンダーフルネスと名づけてみた。心身、そして森羅万象に対しての自然体を探求する際、自分という存在は、常に仮の存在でなければならない。自分が固定された存在になってしまった時、発見、探求のプロセスは停止していく。「満ち足りている」と「欠けている」が全く同時に存在し、それに気づき続けるのが「ワンダーフルネス」である。
 
 こうした想いが伝わるだろうか、伝わらないだろうか、と考えるのもやめることにする。ただやる。そしてただやらない。そうした積み重ねこそが、自分が自然農の実践を重ねながら実感している「自然体」である。

 先日のつくし農園での「振り返り会」と称したワークショップ的な時間の中で、今年の目標をあげてみた。単なる思い付きではあったが、自分がだした言葉は、「こぼれ種のようにありたい」だった。こぼれ種。自然農の田畑でしばしばみられる、播いたつもりはないが、ついつい手元からこぼれてしまい、もしくは前年の作物が種をつけて畑に落ち、それらが勝手に発芽して成長した野菜。栽培した作物に比べて押しなべて生育がよく、自然農の仲間内ではよく見られる不思議な光景である。自然界の絶妙なる采配を目にする瞬間でもある。

 それらの種は、ただ落ち、時を待ち、自ずからのタイミングで発芽し、草々と共生しながら葉を伸ばし、たくましく生命を全うする。自分はそんなこぼれ種のようにありたいのだ。


 形は問わず、答えを先に出さず、発芽しそうな種をどんどん勝手に育てていく。きっと今年はそうなる。


 森羅万象をターゲットにした自然体研究所のスタート。活動として、マインドフルネス勉強会(現在活動中)、サーノ博士の心身症プログラムの読書会、つくば身体操法研究会の自主練会、シュタイナー思想の読書会、ベーシックエンカウンターサロン(話す・聴く・気づきのワークショップをもっと気軽に)、スラックラインの大人サークル、ホームスクーリングの地域ネットワーク立ち上げ、などなどなど。週の3日は自然農、残りの日々は、ワンダーフルネスをキーワードに、自然体探求。

 やるも八卦、やらぬも八卦。 さあ種は、いつ発芽するのやら。


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2015年02月27日

解放へ

睦月九日 晴れ


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 早春の雨が田畑を濡らし、今日は春一番。土も、梅も、一輪、また一輪と、花を広げ始めた。

 春を待ち焦がれている、と言ったら百姓らしいだろうか。

 模範的な百姓とは程遠い、小生。厳しい冬風、冷たい雨の合間にのぞかせる、うららかな陽気に喜びながらも、実は内心、ざわついています。春が来たら、ジャガイモ植えないといけない。そもそも、春作業が始まるまでの準備作業も終わってない。作付計画も、なぜだか心が滅入る。

 自然農は好き。今日も畑に出て、若草の芽吹きに、ワクワクもしていた。それと同様に、また今年も始まる野良仕事に、憂いもしている。


 キーワードは、きっと、「身の丈にあった自然農でいたい」ということなんだと、直感している。誰のための自然農なのか。誰のための人生なのか。もっと好き勝手でいい。もっと自分を解放していい。

 今年、2015年のテーマは、「解放」に決めた。

 やりたい放題、したい放題、自然は、いったい、どこまで寛容なのか。そして自分は、どこまで、自分に寛容でいたいのか。ますます、人生を楽しむべく。

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第五候: 雨水次候
【霞始靆(かすみはじめてたなびく)】
=霞がたなびき始める=
 (新暦2月24日頃〜2月28日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2014年11月12日

真ん中

閏長月廿日 曇り

 自然農ライフ。

 いったいなんのことやら。種を蒔き、草を刈り、収穫して、お裾分けする。
 時に人を招き、体を動かし、話し、思う。起きて、食って、歩いて、仕事して、愛して、呑んで、寝る。
 それだけのことだ。いや、それだけのことか?

 この日々の真ん中には何があるのか。

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 今月、10月いっぱい販売に明け暮れた枝豆の集中月間が過ぎ、気がつけば稲刈りも、来春の作付けも、思うようにままならない。じゃがいもや枝豆を喜んでいただけた方々に、得難い感謝を覚え、もっともっと自然農の「美味しさ」を届けてみたいと望む自分。畑を見れば、里芋、生姜、菊芋、アピオス、小豆、旬の味覚が今や遅しと収穫、販売を待ち望んでいるように映る。

 自然農の晩秋は短い。11月は文字通りあっという間に進み、気が付けば、ソラマメもエンドウマメも麦も、種蒔きできる時期が終わりへと差し掛かろうとしている。枝豆の販売を機に、月に数度の定期的な直売ができるようなご縁に恵まれた。作物は畑にあるので、随時収穫していけば定期的な直売も継続できる。しかし。


 しかし、直売を11月も継続することでお客さんへの信頼度を深めようと提案してくれる妻に対して、小生は、畑を優先することを選んだ。今の作業濃度を考えれば、収穫と種蒔きを同時に進めることはできない。定期的な直売を継続するための収穫作業を進めれば、播種作業に手が回らない。この時期の播種を逃せば、来春の販売作物の収量が大きく損なわれる。それは、百姓にとっては、本末転倒に他ならない。さらに、そこに稲刈りのタイムリミットも重なってきている。かろうじて、里芋や生姜など、畑で出荷に備えている作物たちは、まだ霜の降りていない土の中で待ってくれている。播種期のハイシーズンが終わりを迎える11月下旬から収穫したとしても、それから直売できるのだ。

 だから、11月は直売を休んで、種まきに明け暮れたい。



 ともすれば、いったい野菜なんか売って何の意味があるのだろうか、なんて考えないこともない。買ってくれる人からすれば、自然農だって有機農だって慣行農(普通栽培)だって大した違いはないかもしれない。そうだとすれば、もっと効率よくたくさん育ててたくさん売って、それで収益を上げることだって意味があるのかもしれない。

 でもやっぱり、嫌なんだよね。

 自分にとっては、無肥料で、無農薬で、不耕起で、手作業で、収穫のためだけの農業ではない、自然農でないと、意味がない。そして、そのエゴを、商品として押し付けていることにもなる。

 それでいいのか?と自問しながら。
 それでいいだろ?と自答しながら。

 田んぼには、稲刈りを待つ稲が。
 畑には、収穫を待つ里芋が、カブが、大豆が。

 そして己の真ん中には、自然農の日々を楽しむ自分が。
 
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 そんな毎日の自然農ライフです。




 さりとて、いつでもお届けする準備はできている!
 それはそれなのである(笑)。
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秋冬だより【雑草屋本舗】

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2014年02月01日

再生

睦月二日 曇り

 2014年の1月30日は旧暦師走の大晦日。普段は新暦通りに暮らしつつ、月の満ち欠けに沿った旧暦にも耳を傾けて過ごしているが、今年は立春を前に年が変わることになった。大晦日のこの日、妻と仕事の打ち合わせでカフェにこもり、雑多なミーティングをこなしつつ、翌日から始まる新しいひとめぐりの年にあわせて今年の言葉を決めた。

 今年は、 「再生(rebirth)」 とする。
 

 自然農により深く、初心以上に、子供のように、好奇心にそって。そして、日々毎分毎秒、生き死にを繰り返して再生し続ける細胞のように、身体も、心も、より新陳代謝させていきたい。

 それに付随させて具体的な試みもいくつか。一つ。つくばにいる日は、毎日、どんな時でも、一日一度は田畑に出ること。食事をするように、トイレに行くように、田畑を行き来する。二つ。飲酒は週一日以内とすること。まずは年明けから10日間の断酒。できることから、ひとつひとつ。



 夕方家に戻り、ひと月遅れの大掃除の最中、月がもっとも欠ける新月を翌日に控えた師走の晦日が夕暮れてきた。昼過ぎから降っていた雨が上がり、にわかに辺りが明るみ始めた。なにやら神々しいほどの外からの光に誘われ家族三人で庭に出ると、西には幻想的に輝く曇り空が広がり、東には凛として七色を備えた虹が立っていた。

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西の空

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 東の虹




 明けて睦月一日、日の出と共に目が覚めて家の隣の林を歩き、杉の木立の奥から昇る初日の出を拝んだ。

 
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 太陽は、沈んでは昇りを繰り返し、月は、満ちては欠けてを繰り返す。四季は巡り、自然もまた、茂っては枯れ、また芽吹き、次の命へ続いていく。節句、気候もようやくひとまわり、七十二候目へ。

 再生を胸に。今年もよろしくお願いいたします。

 ちなみに大晦日の晩、昨年まで我が家に同居していた居候氏と宴席を。「ご馳走させてください!」と言ってくれた居候氏にどっぷりと甘えて、ここぞとばかりに飲み、呑み、飲み、酔い、語り、夜更かし、笑いました。これにて酒の充填完了(笑)。


第七十二候: 大寒 末候
【鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】
=鶏が卵を産み始める=
 (新暦1月30日頃〜2月3日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2014年01月23日

SPAM

師走廿三日 晴れ

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 <1月17日 ラジオ生出演の様子>
 Photo from ラヂオつくば



 スパム=SPAMとは、迷惑広告のスラングのこと。語源を紐解けば、1970年代のイギリスのテレビ番組で、缶詰の「SPAM」の名前を連呼して食べさせようとする食堂に老夫婦が辟易するというちょっと面白いコントから、とにかくうるさくて迷惑な広告(現代社会ではメールやネットでの販促がほとんど)を「SPAM」と呼ぶようになったとされる。
 ※SPAMの語源についてはこちらに詳しくあります。(コントの動画あり)
  http://moto-neta.com/it/spam-mail/



 さて、Facebookにも書いた近況を。

 時代にもれず、雑草屋や、つくサス、そして小生自身もアカウントをとりFacebookを利用している今日この頃。このところ、25日に控えた映画「地球交響曲第一番」の上映会開催に全力過ぎて、つながりある友人知人にスパムウィルスのごとく、宣伝や情報拡散のお願いをしてしまっている。ご理解ご協力いただいている皆様にはただただ感謝なのだけど、しかし。

 当然のように縁が重なる友人が多いので、Facebook上に積み重なる「地球交響曲」のシェアに、よくやってるなあと応援してくださる方もいれば、きっと食傷されている方も多いはず。 

 よもや自分が、こんなに宣伝になりふり構わぬようになるとは(笑)。。。

 大げさといえば大げさで、気にしすぎと言えば気にしすぎなのだが、ここに経済活動(社会活動)と宣伝活動のジレンマがある。「好意」と「迷惑」、「公益」と「私益」、「義理」と「応援」の狭間で、気持ちが揺れ動く。そうしてまた、意義があると信じて主催するイベントに少しでも多くの方に来ていただければと、ついつい声を大きくしてしまう自分に気付く。

 自分たちを丸ごと棚に上げて言い放ってしまえば、センスのない宣伝は、押し並べて「迷惑」になる可能性を秘めている。一方、洗練された宣伝であればあるほど、そこに不快感が存在せず、商品価値を高めて購買に繋げる効果を上げるに違いない。

 省みて、今の自分たちはどうか。
 周囲からの、無数の好意に頭の先まで浸かりながら、それでも上映会の価値を確信して、おかげさまでの気持ちを携えながら「お願い」の声を広げてしまっている。なんとか、いい機会になればなあ、という思いを灯しながら。そうして、今日も今日とてチラシを配り、WEBで宣伝し、電話越しに頭を下げ、チケットの一枚一枚の申込に、一喜するほかないのだ。

 宣伝すると決めたならば、気合を入れて。目にしてくれた方の人生を、できるだけ無駄にすることなく、何かしら残り香を放てるように。
  
 他人のスペースに入り込んでまで主張する様は、田畑での雑草の性格にも近しいのかもしれない。他の植物を押しのけて繁茂する雑草のように、自分たちは、作物たちの生育を阻害する「チガヤ」や「セイタカアワダチソウ」になってやしないか。それとも、雑草のように他の植物に負けずに繁茂もするけれど、せめて農産物としても益のある「菊芋」や「ササゲ豆」になれているか。きっと、きっと、美味しさを味わってもらえるような、実を、種を、宝物を、育てているのだと信じて。 

 なんて、うろうろと考えているまに、また夜がくれて、太陽は昇るのである。

  
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 そんなわけで、今日の夕方にはコミュニティラジオ(ラヂオつくば)に出演予定。本日の朝刊(朝日新聞)には紹介記事が。上映会の当日朝まで、もうしばらく。

 皆様への感謝とともに、せめて美味しいSPAMで在れますように。


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2014年01月16日

リアル

師走十五日 曇り 

 
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 畑を離れて街を行き来している。
 新年すぐに風邪を患い、床にずっぷり臥して数日、そして復活。
 師走(旧暦)さながらに、月末の映画上映会に向けて奔走の毎日を送る。


 司令塔は妻。百姓は身体を動かすのがむいている。
 つくば市のお店、公共施設、教育施設、メディアへと、上映会の宣伝のために足を動かす。

 雑草屋とは別で、妻と立ちあげた市民団体。
 「つくばで持続可能な社会を考えるプロジェクト」=「つくサス」
 活動の第一弾はドキュメンタリー映画「地球交響曲」の第一番の上映会を開催することに。

 何のためか、何を動いているのか。  
 地球の上に、自然界の上に、人間界の上に、自分は生きているわけで。
 その上に立って生きていることに耳を澄ませよう、という映画だと思っている。

 第一番が製作されて20年以上、全国各地の自主上映会などによって人々の目に
 触れられてきた作品を、つくばの地で。

 自分も、20年以上人々の評価に耐えうる仕事を成しえるか。
 そういう覚悟も与えてもらえる機会になっている。

 自然農に出会って、10年以上の月日が過ぎようとしている。
 つくばに戻り、今の畑に立って7年目。
 新しい家族を得て2年目。

 その覚悟も新たに、今年を。
 いつまでも、百姓で。十に百に千に万に、できることならなんでもやれるような
 情熱と怠惰を兼ね備えて、リアルな百姓として、適当に生きていきたい。


 脱、インチキ百姓。
 これからは、堂々たる、リアル百姓ライフへ。

 つまりは、なんでもかんでも、さらに、持続可能な自然農スタイルの実践へ。
 今までどおり、さらに、今までどおり。
 家族も交えて、家族も背負って。

 さあ走れ! 畑も田んぼも、アスファルトも!

 
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2013年07月03日

我が家流

皐月二十五日 曇り時々雨

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 先週土曜日のこと。先月に済ませた入籍を機に大学時代の学部の友人達に、報告を兼ねた、質素な、気の置けない間柄でのホームパーティを開いた。ホームパーティーなどガラではないが、披露宴でもなく同窓会でもなく、大学時代に「世界を変えなん」と喧々諤々すごした悪友たちを招いて、我が家流にもてなすことにした。酒はもちろんサーバーで生ビール。少しは大人になってテーブルワインを少々。そして料理は、メインからデザートに至るまで、誇るべきつくばの「つくいち」仲間のフルコース。

 フルコース群の感動を伝えるのは、後日アップ予定の記事に譲ることにして、今回はその場の脇役を固めた食器たちについて。さらりと。

 単なるホームパーティでもあり、あくまでも主役は料理と酒と、来てくれた友人達の楽しい時間である。事前の準備のさなか、飲食に用いる食器類を使いやすさと気軽さを優先して、使い捨てのいわゆる紙皿、紙コップの類いを使用することに決めた。さりとて、(ここが小生の面倒くさいところなのだが)、単なる「使い捨て文化」に与しない「使い捨て」でありたいと願う自分がいる。これまでも、例えば農園で、例えば直売で、できうる限り石油資源、もしくは非再生可能資源の使用を制限してきた。農園では、紐を張るにしてもビニールテープではなく麻紐や木綿糸で、ネットやマルチを利用するにしても麻布などで代替できるものは選んできた。直売にしても、できるだけ個包装をせずに量り売りにしたり、ビニル袋を用意する代わりに紙袋(時間が許せば新聞紙を折った袋など)を使用してきた。コストや手間を考えれば、石油資源を使ったビニル資材のほうが格段に安くて便利なのだが、それでもあえて使ってきたし、これからも可能な範囲で続けていくつもりだ。その思いは面倒くさいほどに根深く、かくして我が家流のもてなしとして、ほんの少しだけ、環境負荷の少ない品で取り揃えることにしてみたのだった。

 と、全然さらりとならなかったので、使用した品を紹介して終えることにする。

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・・・未晒し麦モールド
※非木材の麦わらからのパルプを使用し、漂白加工をせず、溶剤なども使用せずにモールド加工で仕上げた商品。穀物生産の余剰産物である麦わらを使用することで、材木の間伐を抑制し、製法においても環境負荷の少ない方法がとられている。
 
カップ・・・バイオマスカップ
※原料に植物を使ったしっかり素材のバイオマスプラカップ。とうもろこしを原料にしたバイオマスプラカップは石油を使わないので石油資源を節約。焼却時のCO2を増やさず、適切な条件下であれば生分解して堆肥になる。(商品サイトから引用要約)

割り箸・・・国産間伐材
※国産木材の間伐材を使用した元禄箸。環境に配慮した国産杉の間伐材を使用。(商品サイトから引用要約)

 上記の3品は、下記のサイトから購入できます。
  LOHACO:アスクルの家庭用通販サイト、本家と同様、注文翌日の配送も可能 
 


 ま、パーティー終われば全ては燃えるゴミへ向かってしまうのだけれど。アーメン。

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2013年06月01日

つくしる

卯月廿三日 晴れ時々曇り

 ランダムに、つくし農園の様子もアップしていこうと試みる。いつまで続くかわからぬけど、半歩ほど、攻めの姿勢でトライアル。筆が進めば写真入り、時間が無ければ一行書き、そんなのでいいのかどうやら。やってみましょう、8年目。つくし農園も、少しずつ、出来る範囲でコテいれしていくのである。

 農園には日々プレーヤーさんが活動してるのに、毎月の集合日の案内だけではWEBが寂しい!とパートナーから喝をもらい、そりゃあそうだと重すぎる腰を上げてみる。と、書いているうちに楽しくなってくる。とはいえ、夕飯を食べてから夜やるか、寝て起きて朝やるか、それより頻度はどうする。というより続くのか。

 本業は農作業、のはずだけど、そうでもない。宣伝も、表現も、全てが本業のはず。とーたるで、自然農的なモノを発信すること。そんな想いも新たに、何気に気合を入れて。やんねっきゃね。


 つくし農園Blog ==>> 【今日の農園風景


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< 空豆や 天見る花に 莢をつけ >   
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2013年03月28日

修行

如月十七日 晴れ

 只今、精神と時の部屋(@ドラゴンボール)に入ってます。

 10日で3年分ほどの修行中です。4月1日には部屋から出てこようかと思います。

 大事な大事な両手の内側を築く時間と判断し、外側とは必要以上に出入りしません。

 というわけでもうしばらく篭ります。


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2013年02月08日

問い

師走廿八日 晴れ時々風

第一候: 立春 初候
【東風解凍(はるかぜこおりをとく)】
=春風が厚い氷を解かし始める=
 (新暦2月4日頃〜2月8日頃)
七十二候を取り入れています※


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 節分が明け、立春を迎えた。前日に歳の数だけの炒り豆を食い忘れた代わりに、つくいちで試食用に煮た大豆3種を倍ほど食べる。むむむと陽射しが色味を増したようにも見えるに庭に、名も知らぬ小鳥が跳び交う、そんな景色を眺めながらの、立春をすごした。とにかく、自然農の煮豆がすこぶる美味い立春だった。


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 とはいえ、この第一候「東風解氷」のようには行かないようで、いやはや、日陰の空気の冷たさには手足が凍る。今日はとにかく風にやられた。そろそろと、畑に田んぼに農始めの準備をかまえていたのだが、とにかく、吹き猛る冬風に踵を返して部屋作業に縮こまった。待てども風の止む気配のない午後、それでも畑に出て、二、三の作業へとりかかる。結果、いかほどもすすまぬ内に、性根をへし折られて手を止めたのだった。

 そんな凍る畑の中に、あるものは枯れ、あるものは淡々と命を残す。秋に種を降ろした空豆も、(北風対策を周到にはできなかったため)全てが枯れずに済んだわけではないが、覆った枯草に包まれて冬の峠を越そうとしている。

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 自然農の畑は、植物に土が護られるために表土はむき出しにはならない。耕す畑では、秋から冬にかけての耕耘によって草が生えず、一種の砂漠や土漠のような環境となる。それでは冬を越す苗はひとたまりもないために、ビニルマルチや寒冷紗をかけたり、あるいはハウスの中で寒さを越すしか術がない。自然農での、枯草で覆うなどの対策は、100%ではない。天然素材、バイオマス(生物資源)を利用しての100%には決して至らぬ道か、科学素材、石油資源を駆使して100%に近づける道か。道は二つではないにせよ、結局のところ、自分は、世界は、未来はどちらを目指していくか、という問いがそこにある。自然農を楽しむということは、つまりはその道の歩くことをできる限り選択していってみようというアプローチである。
 足るを知る。遠い昔から、結局人は変わらぬ問いに答えられぬままなのだ。

 親しき人から、「あなたが今あたり前に感じることや、小さなことだと感じているようなことが、実は世間の人にはとても大きな発見だったり、見過ごしてしまうような気づきが隠されいることがあるのですよ。」 と背中を押してもらった、今日この頃。それがなにかはわからねど。
 

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 あと2日で旧正月。しばらく続けていた禁酒・禁肉を解放するぜ。わっしょーい。

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2012年07月21日

前夜

水無月三日 曇り
 
第三十三候:小暑末候
【鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)】
=鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える=
 (新暦7月17日頃〜7月21日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 涼しい、というより寒い。梅雨は明けたと言えばなるほど晴天が関東を襲い、炎下の猛暑にさらされた数日間。いやはやと日中作業に悲鳴をあげていたら、ぞわぞわとするほどの涼しさに、このところつくばは包まれている。おかげ様で昨日、喉の奥に引っかかった小骨のように気になっていた、最後に残していた田植え作業のラストスパートをここぞとばかりに終日かかって取り掛かり、おおよその今年予定の区画をなんとか終わらせることができた。ひいこら。

 暑さが本腰を入れる前の大暑の節気を明日に控え、いよいよ、第一回「話す・聴く・気づきのワークショップ」の前夜を迎えた。いよいよ、と言っても特別ななにかを始めるわけでもないのだが、それでもやはりそわそわと落ち着かない、肌寒い夜を過ごしている。早朝からの田植えからあがり、庭をいじり、部屋を片付け、明日の飲食の買出しに出かけるうちに、いつの間にかバイクの風が背筋を伸ばすほど冷たくなっていた。 今日のバイクの周遊を振り返れば、回った店は、雑貨にジョイフル本田に足を伸ばした他は、ブロートツァイトにつくばベーグル、コーヒーファクトリーに近江屋商店。大事な空間、ゆっくりとした時間を過ごしたい時、そろえたいと思う品を選んでいると、気がつけば「つくいち」仲間をめぐる買い物になっていた。そんな日頃のありがたい縁にも感謝しながら、明日の小旅行を楽しみにして。

 場は整った。主役は人。そして、人と場と、時間の交わり。どんな4時間になるか。

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 あ、麦茶煮出すのわすれてた。急げ急げ。

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2012年07月06日

綾なす

皐月十七日 曇りのち雨

第三十候:夏至末候
【半夏生(はんげしょうず)】
=烏柄杓(からすびしゃく)が生える=
 (新暦7月1日頃〜7月6日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 七夕は本来は旧暦文月の夜、梅雨が明けて夏の入道雲がたなびく夕べが暮れ、漆黒に掛かる天の川を愛でて眺める夜の風物詩。梅雨の明けきれないこの時期では、曇天に邪魔されて彦星と織姫は出会えないのはいたしかたないもの。季節と暦がつむいでいた見事な帳尻を、無茶苦茶に新暦に組み込んでしまったがゆえの現代人の矛盾が最も顕著に現れる、新暦の七夕を明日に控えて。本来ベガとアルタイルがミルキーウェイを挟んでデートできるのは、それに相応しいタイミングであるからこそ。相応しい時期に、その時出会うべく綾が重なるのは、なにも天空の物語だけではない。
 
 いったいどんな方たちと時間を過ごすことができるのか楽しみでしかたのない、7月から始める「話す・聴く・気づきのワークショップ」。誰も来ないのかもしれないし、少しは興味を引くのかもしれないし、定員を超えてしまうのかもしれないし、果たしていったいどうなることやら。もちろん、楽観しながら、ドキドキもしている。 

 つくばに腰を据えて以来の友人であるsayaさんに、今回ワークショップに平行してのプログラムとして、「もりのがっこう」をお願いすることになった。子供がいる方にも是非、ワークショップの扉が軽くなって欲しいという気持ちがあり、しかし日曜の4時間を小さな子供をほったらかしてワークショップなどに参加するのも難しいのかな、ということで色々考えていた。そんな折に、マクドナルドでコーヒーの飲みながらの談笑にて、快くそんなイシューを共有してくれたのがsayaさんである。「もりのがっこう」は曰く「おとな、こどもを問わず 学びの場」であるそうだけど、今回は、ワークショップに併設してそれに参加してくださる親御さんのこどもたち向けの時間。ワークショップの各テーマにほんのりとあわせた「なにかしらの時間」を子供たちも過ごすような、そんな試み。

 自分ひとりではできなかったことも、いつからかは分からないけれどもいつのまにか織り成していた綾に包まれ、その中で小さなことから実現していくことがある。小生はまだ子供向けのプログラムの風呂敷を広げるには至っていないが、いつかはそれに携わる日が来るのだろう。
 人は誰しも、その時、その周りにいる方たちと共に、何かの仕事をする。そんなごくごく当たり前過ぎてついつい忘れてしまうこと、会社や組織にいると周囲に人が関わることが当然過ぎてしまうことも、一人で動いていることで鮮やかに目の前に輝くこともあるのだと、今更ながら気がついた。いや、本来ならそれはどこに所属していようとも、誰もが気がついていることなのだろう。

 ふと、文脈とはおよそ関係はないのだが、15年前の南米放浪中に持ち歩いていた「武士道(新渡戸稲造著)」の最後の一節がなぜか思い出された。書籍を締めくくる結びの言葉として著者が、あるクエーカー教徒の詩人の言葉を引用している。武士道を表した新渡戸が憂えた、明治以降の日本人の気質の変遷に対して、その詩を通して込めた彼の想いと小生の雑感はあまりにも異にするものであるが、このところの人との繋がりの中で心に顕れるのは、まさにこの詩に出てくる旅人のような想いなのかもしれないと、十数年ぶりに暗誦してしまうほどに実感するのだ。この詩の情感がどこかしら身に沁み、情景を思い浮かべて自分がその景色に重なる様を思い描き、そしてまた、ふとした時にそのような気持ちを持てるように生きていきたいと願っているのだと、改めて思い出したのだった。


 いずこよりか知らねど近き香気に、
感謝の心を旅人は抱き、
歩みを停め、帽を脱りて、
空よりの祝福を受ける。


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2012年06月05日

開催

卯月十六日 曇り

第二十四候:小満末候
【麦秋至(むぎのときいたる)】
=麦が熟し麦秋となる=
 (新暦5月31日頃〜6月4日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 頃合いから言うと、麦秋、麦の収穫時期を迎え、緑が一斉に広がるこの季節にひときわ映えるように、一面に黄金色を称える麦の畑が周囲に見られるようになる。小生の自然農畑では今ひとつ麦類の生育が芳しくなく、種はまけども実らず、まだしばらくは豆類の栽培に頼る期間が続きそうである。
 自然農では、その時に相応しい雑草が頃合いを見計らうかのように生え始め、昨年にはほとんど見られなかった草たちがいつの間にやらその辺りの主役の雑草になっている事がよくある。野菜も同様に、始めは大豆などの豆類から良く育ち、畑が自然農栽培に向けて整い始めるにつれて、イネ科、ウリ科、ナス科などが育つように移行していく。野菜も雑草も、自分達のペースを、焦らず、急がずに時が来るのを待ち、それが満ちるときに自ずから生き生きと命を全うさせようとしているように見える。



 7月から、雑草屋として新しい試みをスタートすることにした。

 『話す・聴く・気づきのワークショップ(全8回/2012年度)』

 その紹介文に、こんな言葉を投げかけてみることにした。

 「あなたはいつも、誰かに向かって話をしていませんか?(中略) あなたはいつも、誰かの話を聞くときに、返事や相槌や頷きを無意識に用意して聞いてませんか?(中略) あなたはいつも、誰かとの会話や対面の最中、ふとした時に訪れてしまう沈黙に無意識に怯えてしまってはいませんか?(後略)」

 人が自分の言葉を誰かに伝えるとき、私達は誰に教わるでもなく、知らず知らずのルールを身にまとってコミュニケーションしている。そんな知らず知らずの習慣をあえて見つめなおして、自分の時が満つる時に話す、誰かの言葉をそのままに聴いてみる、そして会話だけでなく沈黙すらもコミュニケーションとして観てみる、そうした時間があるとしたら。

 このワークショップは、こうした対話やコミュニケーションをツールとして、毎月取り上げるテーマについての参加者各位の考察を深めていただこうというものです。テーマは、「自然農」にはじまり、「環境問題」や「生命」、「食」など、雑草屋が日頃から関心を寄せる事柄をピックアップしています。そうしたテーマにほのかに興味を持ち、そしてただ単なる意見交換会や勉強会などとは趣きの異なるコミュニケーションの時間を過ごしてみたい方がいましたら、是非こちらのホームページをご覧ください。

 【話す・聴く・気づきのワークショップ】
 
 7月からの毎月のとある休日、午後の4時間ほど、ヤギと雑草の息吹が聞こえる我が家のリビングルームにて、お待ちしております。

 第一回、7月22日(日)のテーマは「自然農」。野菜たちや雑草たちが、自分達の時が来るのをまって咲き誇るように、自分の言葉や想いが溢れ出すような場になればと願っています。 

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2012年05月08日

ろのふ

閏弥生十八日

 LONOF(=Local Opportunities on Natural Organic Farm)、はじめます。

 これは、まるでWWOOF(ウーフ)のようでありながら、似て非なる、いや、非にて似ているものであります。仮に、ロノフと言ってみます。ありていに言えば、インチキです。詳しくは、こちら(雑草屋本舗)のHPにてご確認ください。

 WWOOFの基本方針をなぞり、自然農に限った範囲において、「お金のやりとりなしで、【食事・宿泊場所】と【力】そして【知識・経験】を交換するしくみ」です(WWOOF JAPANのHPから引用)。自然農の農作業を体験してみたい、つくばの微妙な田舎風景の中で宿泊してみたい、雑草屋と夕餉を囲みたい、そんな想いを抱く奇特な方々への小生なりのトライアル。要は、自然農の農作業を手伝ってくれる代わりに、ご飯と寝床を提供するよってことです。

 そんなわけで。お待ちしてます。どきどきどきどき。サイは投げなきゃね。


 ★ WWOOFのようなものはじめます:雑草屋本舗の記事より ★

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2012年02月07日

七十二候と共に

睦月十六日 雨のち曇り

第一候:立春初候
【東風解凍(はるかぜこおりをとく)】
=東風が厚い氷を解かし始める頃=
(新暦2月4日頃〜2月8日頃)

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 全国、あるいは北半球世界の例に洩れず、つくばにも寒波が訪れている。今年の冬は、どうやら寒い。今でこそ、TVやインターネットで世界規模の気候変動を情報として認識し、対応や理解を理性的に講じることが可能、もしくは求められることとなった。しかし一昔前、というよりは人類が誕生して以来ほとんどの文明期間、我々の爺さんの爺さんくらいまでの人間は、天候の変化に対して地球レベルでの認識や対策を考える必要も理由も機会も持ち得なかった。目の前、家の周り、田畑の見渡せる範囲での、今日の明日の、せいぜい今年の、なんとなくの移り変わりを感覚と智慧で感じ、そしてそれに対して緩やかに、時には敏感に応じて過ごしてきた。はずである。
 ニュースを見れば、ヨーロッパの記録的な大寒波に驚き、ほぼ自動的に温暖化や異常気象というキーワードを結び付けては憂いてみる。そしてなんとなくその憂いを曖昧に消化して、しかし日々の業務や日常に結びつくことはなく、また次のニュースを消費していく。それに善悪はなく、ただそれだけでしかないのだけど、それとこのつくばでの季節の移り変わりの機微とは、別世界のように思えてどうも良く分からなってしまう。ここ数日の、いや年をまたいでの今年の寒さの芯の強さは肌を通して実感されていて、感覚としてはどうも今年はいつもと少し違うタフな冬になりそうだなと思っていたのは事実として存在する。それが、つい数日前にネットで飛び込んで来るまで知りもしなかったヨーロッパの大寒波をニュースを見て、自分の中で「ああ」と膝を打って「やっぱりな」と勝手に理解してしまう自動反応に、どうしても納得がいかないのだ。その、目の前に広がる、地場産で息づかいの聞こえる、本来必要な「気づき」と「応じ方」に鈍感になり、手に入れたと勘違いしてお手軽に到達した「理解」と「認識」。前者と後者の間に言葉ではどう表してよいか分からない隔たりが大きく存在しているように思われてならない。

 だから何、と言われればそれまでなんだけど。


 二十四節句は、たびたびこのBlogで時節に合わせて言葉にしてきたが、今年は七十二候(しちじゅうにこう)を採り上げていってみようかと思う。一年を約十五日ごとに節句に振り分けたものが二十四節句であり、立春や春分といった耳馴染みのあるものや、啓蟄や清明など時々に季節の言葉として耳にするものがある。それら節句をさらに三つに分け、五日ごとの細やかな季節の移り変わりを表したものが七十二候である。Blogを始めてから、事あるごとに採り上げようかと思っていたが、五日ごとに記事を書かねばならないこと、一年に七十二回も訪れることを最初から懸念してついぞ手をかけることはなかった。
 脈絡もなく今更でもあるが、今年のテーマは「しんか」に決めた。深化、真価、進化の意を込めて、さらに潜り込んで、絞り込んで、広げきって、楽しみきって、自然農とそれに纏わる事柄物柄にあたっていきたい。そのまずはBlogの試みとして、七十二候ごとにアップしていこうと思う。さて、一体。どうなったとしても、挫折しようとも、むべなるかな、インチキ百姓として応じていくしかないのだけれど。

 つくばの田畑にいまだ東風は訪れず。風の代わりにだろうか、土地を緩めるような雨が降りた。土も、心も、体も、春を告げる東風を待たずとも、氷を解き、芽を準備する時節がきた。遅い遅いと言われていても、梅の蕾は一日一日と膨らみ、庭の落ち葉の下からはフキノトウが顔を覗かせている。

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2011年10月22日

枝豆夜

長月廿六日 雨のち曇り

 稲刈り集合日を予定していた一日、前夜からの雨の影響を受けて残念ながら来週へ延期とした。稲刈りはあきらめて気分を変え、枝豆の収穫のために、雨足がやんだ頃に畑へでた。明日は近江屋さんが参加されるマーケットで、枝豆を置かせてもらうことになっている。

 今年の枝豆は足が速い。つい二週間ほど前に食べごろの膨らみに近づいたと思っていたら、もう既に多くの株がピークを迎え、そろそろ硬く締まり始めている。予感としては、再来週のつくいちにはどうやら枝豆として出荷は峠を過ぎてしまうことになるだろう。まだまだ作物の種類と量が整わないために定期的な販売とならず、直売所も構えるに至らない。メールや電話でそれぞれに注文くださる方たちへの感謝は尽きないが、ちょっと不甲斐ない思いも。

 例年通り枝豆は3種類、木下豆、緑大豆、黒豆を育てている。今夜の夕食に、3種類を味比べ。塩水で2分茹でて、熱がとれた頃合いで味を比べながら食べる。当然、酒もすすむ。段々と、味がわからなくなってくる。そうして、どれも美味いといって口の中に放り込む。種類で違いもあるのは当たり前だが、どれも自然農で育ったもの。どうでも良くなってくる気もする。茹ですぎて、食べ飽きてきた気がしないでもないね、これ。旬と言っても、食べすぎはあかんね。

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 枝豆、のち、大豆。必要以上に収穫せず、残れば畑で熟させて、大豆にすればよい。それでも明日、少しでも多くの人に自然農枝豆が届きますように。リュック背負って自転車でセンターに乗り付けて、近江屋さんのテントの中で、枝豆、菊芋、他少々、置かせてもらう予定です。感謝。雨あがりの早朝から、追加の枝豆収穫のために畑へ出なければ。早く布団に入らなければ。
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2011年01月01日

明ける

霜月廿七日 晴れ

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 連日飲み明かして、気がつけば新暦が明けておりました。一年で一番、日本人が皆、心をソワソワさせる、除夜の鐘のカウントダウン。その集団の持つ雰囲気の高まりというのは、空気にも伝わり、そしてもれなく小生にも浸透してくるのだと実感していました。
本年もどうぞよろしく。

 元旦の畑に腰を据えて草取りを少々行った後、しばし帰省してきます。

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2010年12月18日

定期便

霜月十三日 晴れ

 未(ひつじ)の畑の奥、前年までセイタカアワダチソウが繁茂し、頭上を覆う桑の大樹からの落ち葉が降り積もっていた箇所で、この秋に播種した冬野菜が元気に生育している。何年かぶりのまずまずな生育の様子を眺め、そして手に取り、口に運ぶことは、やはり嬉しい。隣り合っては生育を競う野菜たちを、間引きしては味見し、程よいものを時々に、他の方への口にお届けできるのも、やはりなお嬉しい。

 少ない量ではありながらも、幸いにも自然農の野菜を食べたいと言ってもらえる友人へ、気ままな定期便での(それは不定期便と言うべきなのだろうが)野菜セットのお届けを始めることになった。ザル籠に手渡せる分を入れて、数日おきの収穫。いらない時はいらないでもいいし、出せない時は出せないし、それでもいいよと言ってくれる間柄での、気ままな定期便。今のところこれ以上増やせるイメージは出来やしないが、ありがたく、励みにさせていただいてます。


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 朝霜に冷えるカブが、たまらない甘さを蓄え始めた。
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2010年11月09日

小春日和にて

神無月三日 晴れ

 昨日の立冬をつくいちで迎えた。冷たく湿った朝露に煙る早朝の畑で冬菜を間引きし、朝めしに雑草を食べさせたヤギを車に載せて家へ戻る。少し恐がっていた腰(まだギックリはしていない)はどうやら回復傾向に向かっているようで、友人にお借りしたサポーターのお蔭もあって、軽作業であれば問題はない。

 前日の集合日での暖かな陽気を期待して少し薄着で家を出たが、陽射しが遅れて、秋の寒さを感じる開場となった。来場者の出足は上々。サツマイモ、里芋、菊芋、生姜といった土モノに加えて、間引き菜(今回のつくいちでは「早摘み冬菜」と命名♪)の緑色も加わり、久しぶりに彩りと品揃えに賑わう雑草屋本舗のスタッフにもついつい笑顔がこぼれる。

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 朝の寒さもいつのまにか太陽に押しやられ、中央公園の芝生は、月に一度の青空市場を楽しむ方たちであふれていた。小春日和とファーマーズマーケット。子細は抜きにしても、この相性の良さについては異論はあるまい。売り手も買い手も雑談しながらいつのまにか時間が経過し、早締めが続いたここ最近では珍しく、気が付けば終了予定の14時を回っていた。

 田畑はまだまだ途上の自然農。その途中の折々に触れるこうした作り手の小さな喜び。先ははるかな道にも見えるが、こうした補給があって、さらにもう一歩前に歩ける。いつもお手伝い&協力していただいている皆々様、感謝感謝です。自然農の野菜を、わざわざ雑草屋本舗でお買い求めくださる皆様、本当にありがとうございます。


 さて、またがんぱっぺー。 今週は、(もうほぼ回復した)腰の養生に専念しますぜ。


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