
土曜日。お勤めに出る身であることが理由にはならないが、午前11時まで、布団に入って過ごした。朝方から時折、妻と子どもたちが丁々発止でワイワイやっている声にうしろめたさも感じつつ、ものの5秒で意識は薄れ、また惰眠へ。
あ、ヤギたちを小屋から出すのって、あいつら出してないだろうなー、そろそろかなー、と思い至り、モゾモゾと、日差しが気持ちよい縁側へ這い出した。

もうすぐお昼だけど、妻とコーヒーを淹れて、来年何蒔こうかねえ?と、在来種専門の豆屋さんのカタログを眺め、あれもこれも、とメモしていく。日本でずっと育てられてきた在来種の種を譲ってもらって育てて残していけたら最高だねえ、と笑う。そのうち、庭先でベネチアごっこ(絵本がきっかけの、謎の遊び)に飽きた子どもたちが、お腹すいたーとシュプレヒコールをあげてきた。そこで我が家の労働組合長である長女をなだめすかして、うどんを茹でて柚子のぶつ切りをのせた柚子うどんを作ってもらう。
13時も過ぎ、あー、蕎麦の脱穀いい加減やらないとまずいな、と夫婦共通の懸念事項に合意し、まどろみタイムに終止符を打って、外着に着替えた。あとは、妻は大豆の脱穀、私は蕎麦の脱穀、子どもたちは遊びとお手伝い半分半分で日暮れまでみんなで過ごした。
あーーーー、楽しい!!

森と遊ぶ、畑と遊ぶ、身体と遊ぶ。
そんな日々を暮らしたい。暮らしているし、これからもそうやって暮らそう。
今、この瞬間に生きる喜びを最高に感じることは簡単じゃないけど難しいわけでもない。そのヒントはいくらでもある。ヒントは世界中に転がってるし、ヒントを持っている人もたくさんいるし、視点さえ変えれば自分の中にもいっぱいある。
その遊ぶ時間を、楽しむ時間を、育む時間を、率先して喜び、そしてシェアしたい。
畑って楽しいよ〜。
森って楽しいよ〜。
身体って楽しいよ〜。
子どもって楽しいよ〜。
人間って楽しいよ〜。
世界って楽しいよ〜。
って、どんどん実践して発信して共有すれば、それで生きていけると思う。世界中でどんなに困難な状況があると見聞していたとしても、世界は自分の中にしか存在しない。自分の楽しさを抑える口実を世界に押し付けるのは、違うと思う。
・森に入って、裸足で歩きながら全身を感覚器にして時間を過ごす。そこで感じるフィーリングは、地球上の全ての生命と繋がっていて、生きとし生けるものの悩みや喜びや苦しみや慈しみや憎しみに通じている。
・自然農の田畑に立ち、人が口にすることができる植物を愛で、食べ、雑草に包まれながら人間以外の動植物の全循環を知る。地球の全ては、食べることの繋がりを通して成り立っている。
・呼吸を穏やかに瞑想し、身体を観察し、思考を眺め、自分の来し方と行く末から離れて今のこの瞬間に目を凝らす。自分がそのものとして生きる奇跡を感じることもあるかもしれない。環境「問題」とか社会「問題」とかは、自分がいなければ存在していない。
・火を囲み、座る。沈黙をベースとした時間の先に、会話はコミュ二ケ―ションのいち手段に過ぎないことを知り、だからこそ、口から言葉を紡ぐことの大事さを感じる。
こんな面白いこと、何日もかけて、掛け値なしにやりたい。何やろうかなー♪
いいと思うこと全部やって、社会はwonderに満ち溢れていることを、恩着せがましくこれでもかって表明してやる(笑)。面白いことは、そりゃあ面白い。だからどんどんやろう。
そして同時に、だからこそ本来のベースは、妻と家族との毎日の自然農から広がる、本当の意味で地に足のついた、シンプルな暮らしなのだ。

いやあ、それにしてもいい一日だった。欲張りに聞こえるのか、それとも真逆に聞こえるのかは正直わからないけど、もうずーっとこうやって生きていければいいや(笑)。What a wonderful day!
脱穀した蕎麦(常陸秋蕎麦)の殻付きの実を、どうやってそば粉にまでするか、なーーんにもめどが立ってないけどね!