注)記事の日付は太陰暦を用いております

2022年04月23日

春爛漫、四方山話

弥生廿三日 晴れ於大子町

 Blogとして、久しぶりにキーボードをたたいている。2022年4月、築154年の100畳古民家に一家で引っ越した。昨年から、自然農の畑、田んぼの開墾、裏の杉山の手入れ、古民家の天井裏の掃除、家の改修を少しずつ進め、妻と子ども4人、ヤギ3頭、鶏5羽、他にもブルーベリーや果樹類の移植、様々の芋類なども含めて、一家丸ごと&農園の大引っ越しをこの春に終わらせての今、心と身体が喜びと悲鳴に包まれている。

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<茨城県久慈郡大子町中郷集落へ>

 さーて、何を書こうかねえ(笑)。

 久しぶり過ぎてなんか恥ずかしくて、だらだらと書いてみようと思う。私は、文章家ではない。だが20代、30代の頃はSNSの代わりに毎日のように想いを文章化し、投稿していた。

 そうそう、さっき久しぶりにブックマークの整理をしようとフォルダを開き「友人HP」の一覧を開いていたら、大学時代、社会人時代の友人のBlogの殆どが、消滅か10年以上更新が途絶えていた。猫も杓子もBlogしてたもんね。楽しかったよねなんか。更新が途絶えているBlogって、たまに開いたアルバムの写真みたいで、大した記憶でもないけどただただ触れるだけでノスタルジーな存在。あってもなくても同じような存在でもあり、あるだけで遺跡のような存在でもある。

 そこに今さらしがみついているわけでもないけど、自分はBlogを続けようと思っている。(ほぼ1年更新してなかったが。)なんでだろう?文章家ではないけど、発信者ではいたいのだろうか。発信は、確かにしている。ここ半年ほど、ここ大子町で活動している「自然体研究所」での里山古民家再生ウィークで、同志のまとちゃんと密度濃く過ごしてきた。あるいは、取手市で昨年スタートした「畑からつながるコミュニティ」で自然農の講師として招いていただき、大人世代と子ども世代が生き生きと集まって過ごす時間に混ぜてもらえることになった。その中で、里山フィールドやコミュニティに参加してくださった皆さんに対して、自然農や大地の再生や古民家修繕などを一緒に作業しながら、常に発信してきた。自分の内部にある、満ちたものあるいは満ちそうなもの、あるいは芽生えたものを、自分の言葉で他者と共有することが発信なのだとしたら、私は、やはり発信者なのだと思う。


 そうか、という面では、20代の頃からそんなに変わっていない気がする。変わった点があるとしたら、20代の発信は、芽生えたもの、芽生えつつあるものや同時進行的な想いも、満ちたものとしてのアーカイブ的な記事も、気にせずとにかくBlogに綴っていた。今はきっと、泡沫(うたかた)性や同時進行的存在の強いSNS(Facebook)への投稿ばかりになってしまっていて、そうではない、遺跡性や非連続的存在としてのBlogからなぜか腰が重くなってしまっているのだ。本当は、Blogに、ノスタルジックなシンパシーを感じているにもかかわらず。

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<桜満開、笑顔満開>

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<庭が快適なので青空ランチの日々♪>



 さて、引っ越しを終えて3週間が過ぎ、喜びを嚙みしめている真っ只中。身体に悲鳴が上がった。はい、ぎっくり腰ですよぎっくり腰。まあ従来に比べたらソフトなやつ。ギクッ!!!!という魔女の一撃というよりは、チクリ、、、、、ズキーン!という、変化球。実は数日前からも、虫に刺された手足と腹部に蕁麻疹のような湿疹が広がる症状が出ていて、無意識ストレスの蓄積を把握はしていた。それをあれやこれやと言い訳をつけて向き合うことをせずにいたら、草刈り作業中に、気づいた時にはチクリに襲われていた。そして、痛みはおさまらず、翌日、翌々日と、立てていた予定をキャンセルして家でうだうだと静養することとなった。湿疹とぎっくり腰になんの関係があるの?と思う方は、こちらのマインドボディヒーリングの記事をご参照ください。

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<家の裏を楽しく環境改善中!>


 そう、私は、休みたがっていた。

 引っ越し準備が本格化してからほぼほぼ一か月、なんだかんだと休みという休みもなく、ひたすらに身体を動かし、来客対応も接客仕事も断続的に延々とこなし、自分の心はとにかく、休みたがっていた。それがゆえの湿疹であり、それでも休まないこの心に、最後通告としての、ぎっくり腰のプレゼントなのだ。

 なんという、完璧なメカニズム。なんという完璧なプログラム。

 心も、身体も、自分はまだまだ壊れていない。壊れていないからこその、湿疹であり、ぎっくり腰。そこまで発症してくれたからこその休養、そして、あっという間の治癒。傷めて動けなかった腰が、48時間で元に戻る、これもまた完璧なメカニズム。(湿疹は苦手分野なのでまだしばらく続きそうだけど。)


 明日は田んぼの種まき。明日からもまた、休みたいけど休みたくない日々であり、野良仕事も探求も山盛りの里山Days。自然界は完璧だし、人間界も完璧だし最高だけど、その合間に合間に訪れるバランスを欠いた出来事に十全に対応していけるように、これからも発信を続けていこうと思う。

 
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2019年04月15日

スタートダッシュ

弥生十日 晴れ 於 大子町
 
 次男が生まれて約一カ月、大子に移って十日が過ぎた。

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 ここ数日、新居(借家)の周囲の藪を刈り倒し、篠竹に覆われていた庭木(梅、梨)を救出したり、放置されていた庭池を解放したりの作業を存分に楽しんでいる。その間にも、ご近所への挨拶、公的手続き、掃除、洗濯、家事育児、山盛りの毎日を送っている。できるだけ古武術的ワークで筋肉疲労を避け、時々起こる花粉症やそれでも溜まる肉体疲労はマインドボディヒーリングで散らし、美味しい無添加自然食で腹を満たし、少々のアルコールと気分転換の動画サイトで寝る(笑)。自分で言うのもなんだが、自然体が結構身についてきたような気がするこのごろ。

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 ここを

 ↓ ↓

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 こんな感じに♪


 そして今日はついに妻と一緒に、畑のレイアウト&今年の作付け会議を開催。夕方にホームセンターで購入した果樹の苗木、野菜類の種とポット苗にホクホクしながら、自然農とパーマカルチャーとの本を見返しながらの、ああでもないこうでもないの至福の時間。グランドデザインとして家と周囲の畑と裏山を図化し、次に畑に絞って土の様子、敷地利用、獣害対策、などを軸にイメージを膨らませて、最後は、面白さとワクワクと行き当たりばったりで。 

 必要そうな資材は、ご近所の材木店からの端材や、竹林をお持ちの方に相談してできる限りマテリアルマイレージを減らし、できる限りギフトエコノミーで入手していきたい。家の周りに捨てられていたゴミ(錆びた物干し台やトラクターのキャタピラ!)も、アイデアを絞って再活用していこうと思う。

 とにかく、5月からは約20年ぶりの週5日勤務が始まる。それまでの4月いっぱい、産後回復中の妻、引越し後もいすみ市に残り国内留学中(ホームステイ)の長女、広い庭で毎日遊びまくりの真ん中二人の子ら、自宅出産して約一カ月後の今日初めて訪れた医療機関(助産院)で健康優良の太鼓判を押された次男とともに、まずはスタートダッシュを満喫する予定。

 令和元年を迎えていったい自然体研究家はどこへ向かうのか。自然農百姓は継続可能なのか。なにがあろうと、大地と草木と命に触れている限り、きっと変わらないんだけど。 


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 あ〜〜〜野良仕事って楽しい!! 
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2017年07月06日

上手くいってもいかなくても

閏皐月十二日 晴れのち雨

 台風一過。昨日まで、とにかく乾いて、渇いて、仕方のない田んぼだった。

 雨降れど溜まらず。苗を植えても、あるものは根付く前に枯れ、あるものはモグラに掘り起こされ、雨量の少なさを恨めしく思った。水田にモグラ、という半分冗談みたいな事情も、天水田の雨水だよりのこの田んぼならではの出来事。乾く田んぼを憂い、毎年工夫してきた刈草の敷き方も変えた。大地が乾かぬように、植えた苗が乾燥しないように。

 明けて今日。降った雨を蓄えた田んぼは、満ちていた。今季初の冠水。畦道を越えて水が張っている。蛙が鳴いている。雲が水面に写っている。そして苗は、この冠水で浮かび上がった刈草に埋もれて、水面下に溺れていた(笑)。

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 降ってほしい!と願い、降ったら降ったでまた一苦労。

 雨降らなくとも悩み、雨降っても悩む。思い通りであってほしいと願うのは、人のサガ。しかし思い通りなどになった試しはない。上手くいっても上手くいかなくても、結局は大自然と自分(そして繋がりある全ての人)との狭間にある。

 こんな気分のときに必ずと言っていいほど思い出すフレーズがある。
映画「地球交響曲第三番」に出演している、自然保護活動家シリア・ハンターの言葉が私は大好きだ。

 「人生とは何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事」
 "Life is what happens to you while you are making other plans. "

 たいそうなことが起きたわけじゃない。思っていた通りには事が進んでいない。田植えは予定の半分どまり。大豆は例年の十分の一も蒔いてない。里芋も生姜も草刈りしてないし、苗づくりしたナスは移植が終わってない。家は片付かない。ビールはやめられない。妻とデートなんてまるで無理。毎日、七転八倒して終わっていく。なんだか書いてるうちに段々楽しくなってきたな(笑)。

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 それでも、明日もまた田んぼに出て、子供らとのスケジューリングに悩み、笑ってご飯を食べて、ちょっとだけ本も読み、寝るんだね。まあそれでいいんだね。


 脈絡はないけど、ここ数日、急に俳句に目覚めた長女の句を紹介。

 〜 うめ(梅)のみが ぽろっとおちたら いいかおり 〜

 〜 は(葉)のしたに かくれているよ かえるくん 〜

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 そんな長女との、夕方の田んぼからの帰り道に、自分も久しぶりに詠んでみた。

 〜 水たまり 空から降りて 来たんだね 〜

 〜 乾田に 忍びて溺れる モグラかな 〜


 ・・・季語もない。長女の初々しい感性が欲しい(笑)。


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2017年04月11日

種バンク

弥生日十五日 雨

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 〜 半纏を もどして着込む 四月雨 〜


 うららかさが続いたつくばに、冷たい雨がぶり返した。野山を見れば、秋から続いた枯れ色から萌黄色へ。春の主役が桜から山桜へと移行しだす頃、ようやく雑草たちも、畑の表面を賑やかし始める。さあ、種蒔き時は待ったなしだ。

 この4月、今年は田畑以外の時間をすこし増やしてみようと、妻との経営戦略会議にて決められた。そうはいっても田畑で種を待つ声はどうしたって聞こえてくる。カレンダーに用事が入っていない日には、いそいそ足を運びたいのに、このところあいにくの雨模様がつづく。

 畑への未練を残しながら、本日は、この春からの作付け予定にようやく着手した。鬼が笑うどころか飽きれるほどのスロースタートではあるが、昨年畑で育てた自家採取の種を拡げてながめるのも、なかなか贅沢な時間ではないか。

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 トマト、ナス、ピーマン。キュウリ、ゴーヤ、ズッキーニ。大豆、小豆、そして稲。秋に命を宿した種が、春に田畑に還っていく。何も持ち込まず、持ち出さず、耕さず、虫や草と共に育ち、実りの多くは私たちへ、そして幾ばくかの遺伝子は次の季節へ。

 にんまりと、自宅種バンクに保管される種残高を横目に、今年はどのエリアにどの種を降ろそうか、ついつい頬が緩む。肌寒さで、ついつい布団に戻りたくなる気持ちに打ち勝つのは、なによりもこの皮算用の喜びなのかもしれない。


 まあその内情は、雨で室内の籠もりっぱなしの3人の攻勢に圧倒されて、心折られまくりだったんですけど(涙)。

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2016年09月14日

自然農体

葉月十五日 曇り

 息子が産まれて一ヶ月。
 炎天の8月は過ぎ、さめざめとした秋雨が続いている。


 人生で何度あるかないかの「自宅出産」のため、この7月と8月は、ほぼ完全に「休業」していた。貨幣を稼ぐという生産活動には全く取り組まずに、生命を次に繋ぐという生産活動にのみ心身を費やした。夫婦ともに。内実をさらせば、貯金を切り崩しての生活。田畑にもひどい時は2週間出られず、産後も妻と子供らと過ごし、野良仕事は数日おきに数時間という状態だった。一生のうちの、特別ボーナス期間だと理解してはいたものの、なんとなく、心も体も、そわそわしていた。

 つい先日まで、そのそわそわの正体は「稼いでいない」からではなく、「ほったらかしにしていた」からだ、と考えていた。田畑に育つ、稲や野菜たちに手が掛けられず、申し訳ない。そんな気持ちが、そわそわの原因なのではないかと。

 そしてこのところ、ようやく田畑に戻る時間が増えてきた。そのなかで、少しずつ、気持ちが落ち着いてくる感覚を覚えるようになってきた。

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 人には、自分のベストコンディションを整える、習慣的な行動のようなものが感覚的に染み付いていることがある。意識したことはなかったが、自分にとってのそれは、適度に自然農の田畑に没頭することなのかもしれない。娘、息子たちとの時間、妻との時間も同様に大切ではあるのだが、自然農の大地に降り、自然農パワーをチャージする。自分は勘違いしていた。畑にでて、雑草を手入れし、種を降ろし、自分が農園を管理しているかのような上から目線の日々は、実は違っていた。そうではない。自分自身こそが、エネルギーをもらい、癒され、畑から恵みを分けてもらう日々だったのではないか。
 
 だとしたら、そわそわの正体とは、「稼いでいない」からでも「ほったらかしにしていた」からでもない。それは、自然農の田畑から遠ざかる日々で「生命力を十分にチャージできずにいた」からだ。

 つまり自分の体はもう、自然農なしには、生きていけない体になっていたのね。今や俺は、自然農の田畑から生命エネルギーを吸収して生きる、自然農体となったのだ(笑)。


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 いやー、自然農に出会ってからもう十数年。おもえば遠くに来たもんだ。父さんは自然農体を手に入れたよ。妻よ子どもよ、こんな父さんについてきなさい。さすれば君らももれなく自然農体になれるでしょう♪


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2016年04月11日

遅く、鈍く、重く

弥生五日 晴れ

 約二年ほど愛用してきたスマホが破損し、これを機にまた、いわゆるガラケー生活へ移行することになった。ありがたいことに、妻がしぶる私を遠巻きながら後押ししてくれての、変化である。

 新しい携帯電話ではメール機能とインターネット機能のないプランにしたので、外部との火急の連絡は、メールやSNSではなく電話のみとなる。かろうじて、持ち運びのタブレットはあるので、のんびりとしたネット環境は引き続き継続することになる。雑草屋は、鈍重に、重苦しく、そのくせますます柳のようにふらふらと生きていきますので、皆様、どうぞよろしくお願いします。
 


 関係の無い話だが、先週始めになんとなくで始めた断食生活を、一昨日、なんとなく終了させた。今回の断食は、過去最長で五日間行ってみた。食べること、消化すること、消費すること、体調を維持すること、活動すること、いろいろと、多面的に考えさせられる期間であった。断食期間中は、「いにしえの、獲物に遭遇できない先人たちはこのような感じだったのだろうか」などとお気楽にイメージしたり、自身の心の感覚や身体の感覚を、自分なりに味わってみた。結論としては、五日間の断食程度では、特筆すべきことは起こらない、というものであった。


 数日間、飯を食わないで過ごすことと、スマホを解約することに、何の関係があるとも思わないが、自分の中では何かがリンクしている。

 今の世の中の、「早く、効果的に、身軽に、お手軽に、スマートに、便利に。」をことさらにありがたがる匂い。それが、「人生の味わい」を薄めてやしないだろうか、という思い。スマホを失い、検索や、情報収集や、迅速な連絡や、お手軽なエンタメは日常的な手元からは消える。その反対に、想像や、思考や、慎重な計画や、日常への関心を日常的に手にすることになるのだろう。スマホを入手してからごくごく無意識的に失ってきたそれらを、きっと、じっくりと、意識的に。

 遅く、鈍く、重く。実はこうした概念は、身体の感覚に比例している。心身の感覚が鈍ければ鈍いほど、この「遅く、鈍く、重く」という言葉はその人にとって不快にまとわりつく。だから、文明に頼り、機械に頼り、「スマートさ」を追い求めていく。そしてますます、「遅さや鈍さや重さ」に、鈍感になっていく。
 ということは、反対に文明や機械に頼りすぎずに心身を練磨していれば、「遅く、鈍く、重く」が不快にならず、それは自分自身で、「早く、鋭く、軽く」していけるということになる。むしろ、それを自身で乗り越えていくことすら、楽しみとしていけるのだ。
 
 いま享受している便利や享楽を少しずつ少しずつ手放していったときに、自分自身に残る野性の芳香はどのようなものだろうか。現代人はもう少し、そんな感覚を思い出す時間が必要な気がする。テレビを見て、新聞読んで、株価を気にして、ニュースに目を通して、それで自分の、どんな魂が鍛えられるのか。歩き、話し、手に掴み、何も無い時間に身をゆだねる。そんな時間が、人間には必要なのではないか。

 スマホが壊れたことを機に、そして妻の後押しのおかげで、またひとつ自分は自由を手に取り戻した。


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 かわらずヤギは、もぐもぐもぐ  


 ちと大げさに、スマホを破損した喪失感と一念発起をなんとなく文章にしてみている。数年後にまた便利グッズを手にしていたら、是非ともあざ笑ってやってほしい。それにしても一度スマホを使った奴って、大げさだよね(笑)。


ラベル:断食 不便
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2016年02月23日

アソビジネス

睦月十五日 晴れのち雨

 家族が家業の雑草屋では、子供を寝かしつけたあとの夜の時間を、事務作業、DVD鑑賞、息抜き、雑談、打ち合わせ、晩酌、、、公私混同しながら、「今」と「これから」の様々を過ごす。

 そのなかで、「アソビジネス」という言葉が生まれた。

 妻のやってみたいことで、楽しくて社会的意義もあって、ビジネスに繋がるかもしれない、そんな企画が話題にあがった。それをやるのも、家業として悪くない。でも、しかし、だからこそ、それを月に1日とか2日だけやるというスタイルではどうだろうか、という感覚。

 遊びでやってみたいことを、実現可能な範囲でビジネスに。それがアソビジネス。


 一方で、小生がやりたいことは、遊びというよりは使命感。しかも、稼ぎに結びつかない。でもやりたい。なら、本業としてやってみたいことは、無償なり、ビジネス抜きではじめてみる、やってみる。妻とともに関心をもっているギフトエコノミーにも通じるスタンスで。

 本当にやりたいことは、ギフトエコノミーで。そして心を豊かに。
 遊びでやりたいことは、アソビジネスで。ほどほどに日銭を。


 そんな、アホみたいなことを雑談して、明日のえんどう豆の種蒔きにも想いをめぐらす。 我が家の自然農はこんな感じです。


 
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 長女が毎日取り組んでいる庭の100周マラソン。数の勉強にもなるかなと、廃材のタイルに絵を書いて、10週ごとに渡すことにしてみました。ついついタイルの絵も、自然農っぽくなるんだよね(笑)。



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2015年02月13日

前夜

師走廿五日 晴れ

 旧暦に生きているわけではないが、このところ、師走をめいっぱい走っている。
 そもそもが、イベントに奔走したり、インターネットでの宣伝、広報、告知、集客に、向いているわけではない。

 パソコンに向かいメールの文面を考えることと、自然農の畑で春に向けて区画の整理をすることは、いったい同価値なんだろうか。Blogのひと記事ひと記事を追われるように暮らしていくことと、大豆の鞘を叩いて叩いて脱穀することも、同価値なんだろうか。

 いや、そんなのわかっとるがな。

 どっちにしたって、意味も価値も、比べる俎上にない。
 どちらにしたって、経済的な価値の有無については、それが売上に結びついているなら価値があるのだろう。その価値が、自分にとって価値があるかどうかは、これまた意味がないことだ。


 つくいちに野菜を出荷し、開催イベントの広報に駆けずり回り、味噌作りでてんやわんやし、明日はいよいよ、2015年度のつくし農園の開園を迎える。

 今年で農園10年目。この地に移ってから8年目。


 沢山の人たちに出会い、別れ、変わらずに田畑に接していく。


 もっともっと、緩やかにいきたい。年を追うごとに、緩やかにいきたい。
 ガツガツした狼のようでいながら、羊のように草を食んでいたい。

 なんのこっちゃわからんけど。そんな気分の開園前夜。

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第二候: 立春次候
【黄鶯睍v(うぐいすけんかんす)】
=うぐいすが山里で鳴き始める=
 (新暦2月10日頃〜2月13日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2015年02月04日

鬼も福も

師走十五日  晴れ

 「鬼は内!!!」

 叫んだ瞬間に長女の顔が後悔と困惑の表情に溢れ、取り戻すように、振り払うように、「鬼は外!鬼は外!鬼は外!福は内!」と連呼して、我が家の節分はクライマックスを迎えた。


 明日は立春。春が産まれる、冬の盛り。
 満月の節分を迎え、季節の節目を感じながら。


 庭の霜柱は連日のように隆起し、寒さは極まる。田畑からついつい足が遠のき、納屋や縁側に積まれた未脱穀の大豆の山に向き合う日々。そうこうしているうちに、畑の大根や里芋は零下の冷え込みに襲われて傷みが拡がってきた。毎年毎年、寒さにやられることがわかっているのに、ついつい、「今年はまだ大丈夫かも」というアホのような理屈で畑に放置し(作業が後れ)、いくつかの収穫物を、ダメに(=次シーズンの栄養に)してしまう。

 いよいよ腰を上げて里芋を救出したここ数日。今日も長女と二人で畑で作業をして、帰りは久しぶりに裸足ウォーキングで帰ってきた。裸足と言えば1月から、素足月間を過ごしている。靴下重ね履きで冷え性対策を敢行する妻に影響されて、昨年末まで重ね履きを実施していたが、足の爪の感触に急に違和感を覚え、一転して裸足健康法に振り切ってみた。もともと裸足暮らしに薄憧れている身として、無理のない範囲での、裸足での生活。そんな延長で、真冬に外でも裸足ウォークを楽しんだ。太陽に照らされたアスファルトは暖かい、日陰は冷たい、草の上は暖かい、濡れてる土は凍るように冷たい、という生の感触を、5歳の娘とともに体感して、皮膚感覚に刻み込みながら楽しんだ。

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 夕方、毎年恒例に飾る「やいかがし」作りを忘れていて、突貫工事で玄関に飾ることにした。残念ながら枯れてしまった庭のヒイラギの葉は手に入らないため、鬼が嫌う「トゲトゲ」なら同じだと、先日剪定した生垣のカイヅカイブキに棘の鋭い葉が出ていたので、それを使用。鰯の頭も用意できなかったので、カタクチイワシの煮干を丸ごと串刺しにして代用し、なんとか応用編を完成させた。


 そして豆まき。近所のスーパーでほとんど無料配布に近い形で並べていた豆会社の鬼の面を拝借し、夕日が沈んだ庭でいそいそと豆まきステージの演出に取り掛かる。我が家には、父や母が鬼の面を被って追いやられる光景はない。庭の木陰や庭石の奥に潜む(=こちらを凝視する)、リアルに家を襲おうとする鬼に向かって、大豆を投げつけるのだ。もちろん大豆とは、販売用に選別した過程で発生する、虫食いやら殻やらの屑豆たち。すっかり暗くなった庭に、今年は5人(5匹?)の鬼が襲来し、懐中電灯で照らし出されたその面を見つけた長女は、気が動転するのをなんとか抑え、近所に響き渡る大声で、「鬼は外!」を連呼したのだった。

 2月、立春を、毎年のスタートと認識したのはいつ頃からだろうか。いよいよ、また今年のひと巡りが始まる。鬼と共に、福と共に、鬼も福も内に呼び込んで、清濁合わせながらが、我が家の自然農スタイルなのだ。


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↑ 鬼!鬼! ↑  



第七十二候: 大寒末候
【鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】
=鶏が卵を産み始める=
 (新暦1月30日頃〜2月3日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※



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2015年01月18日

カラフル

霜月二十八日 晴れ(木枯らし吹きすさぶ)

 自然農に足を踏み入れて、もう12年が過ぎようとしている。

 米作りも、場所は4転しながらも、1年も絶えることなく12回。毎年、毎年、同じ年は2度となかったが、また米を手にすることができた。育てる場所、育て方、育つ気候、思うように進むわけではないが、慣れてないようでもあり慣れたようでもあり。

 
 1月のとある休日。飲み仲間でもあるプレーヤーご夫妻が前日からの我が家でのアルコール合宿を経て翌日、2014年米の脱穀作業を一緒に行った。米の品種が土に合わなかったのか、分蘖以降の実りが思うように結実せず、残念ながら期待していたほどには収量が伸びなかった。それは一つの来期の課題として残ったものの、そうは言っても、嬉しい嬉しい実りでもある。

 足踏み脱穀機で稲穂から籾を外し、唐箕で風選別して稲藁屑をより分け、精米機で籾を外していく。文章にすれば1行で済むこれらの作業だが、想いはひとしお。と言っておきながら、ついつい12年回目のこの作業に、小生自身としては、(信じられないことに)おざなりになってしまう気持ちが生まれることもある。そんなとき、この日のように友人と一緒に時間を過ごすことで、やはりまた、気持ちを新たにすることができるのだ。あぶねえあぶねえ。

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 友人も、6年目の米作り。昨年よりも手馴れた様子でとんとん拍子に作業は進み、あっという間の2時間弱で、今年の新米が完成した。標準的な刈り取り時期よりも少し早めに刈った友人の米は、実に綺麗なカラフルな彩りとなって現れていた。早採りの未熟米の緑、玄米のベージュ、薄く分搗きされた白、がミックスされた自然農の米が、原色を着こなす友人の食卓へ。


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 どんな作業も、どんな自然も、同じ様子、同じ模様、同じデザインはない。宇宙はカラーに満ち溢れている。さあ今年の米は、どんな彩りを見せてくれるのか。また気持ちを新たに、13回目の米作りへ。



第六十九候: 小寒末候
【 雉始雊(きじはじめてなく)】
=雄の雉が鳴き始める=
 (新暦1月15日頃〜1月19日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2014年11月23日

アート爆発

神無月二日 晴れ

 秋はスポーツとはいえ、つくばマラソンランナーを、娘とヤギと共に筑波大学で見物してそのまま畑へ。娘はマラソンに数ミリほど感化されて、この日はよく体を動かし、田んぼの畦道を3周したり、畑の空き地を10往復走ったり、その程度の、スポーツの秋。


 秋は芸術も。芸術といってみても、毎日が畑と田んぼ。幸いにも自然農、見歩けば、自然の造形はあちらこちらに。

 田んぼには、稲刈り最晩期の水田の足元に、あちらこちらに鳥の足跡。籾を啄ばみ、はたまた虫を啄ばみ、湿り気の残る泥の上に、くっきりと文様を描いて残す。あまりにも原始的で、かつ即興的な、プリミティブアート。

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 刈った稲を干せば、そこには神々しさにも近い、稲穂と稲藁の組み成す造形美。逞しさ、猛々しさ、芳醇さ。ここに極まれり。

 
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 畑では、大豆を収穫しては、いそいそと干し場に並べていく。山のように、ピラミッドのように、積み重なりのフォルムが可愛らしく。

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 自然のアートに負けず、娘もひと作品を畑に添える。ペットボトルを親子で工作した風車に、青空の下でマジックペインティングを施す。夕刻、大豆の干し場に隣接したひと隅に、大豆を狙うカラスを追い払うに迫力十分の、極彩色の風車が飾られたのであった。感性を、なかなかに爆発させて。

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 あまりにも出来がよく、裏からも一枚。

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 こうして自然農の秋も満喫するのである。材料費ほぼゼロ、交通費ゼロ、観光費ゼロ。娘よ、すまん!



 
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2014年10月11日

むしりむしり

長月十八日 曇り時々晴れ 

 つくし農園の集合日を日中過ごし、くたびれた体を休める暇なく、畳に腰を下ろす。
 夕食代わりの軽食を傍らにおいて、あとはひたすら、枝豆をむしるむしるむしる、むしるむしる。

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 ふと、昼に農園のプレーヤーさんと畑で交わした雑談を思い出した。

 「それにしても自然農の枝豆は旨いですよねえ。」
 「これで1年分稼いじゃって左団扇で暮らせないですかねえ。」
 「とりあえず枝豆だけで百万くらい稼いでみようとしたらどれくらい・・・・」
 「ざっと計算しても、1トンくらい(笑)!」
 「1トンかあ・・・どうすっかなあ。」
 「いやいや、さすがに1トンは無理でしょう!」

 今夜むしむしむしむし、むしりとった枝豆、およそ3kgほど。
 これの、約333倍。
 1年が過ぎる。。。
  
 自然農枝豆長者は夢の夢だねえ(笑)。


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2014年08月21日

魔女の一撃

文月廿七日 晴れ

 盆に帰省しての翌朝、身体に馴染んだ実家の旧子供部屋(現物置)に布団を敷いて、次女の布オムツをいつもどおり代えようと身体を屈めたその瞬間、欧米では魔女の一撃とも例えられる、あの雷のような衝撃が背中を貫いた。

 勇猛たる、血気盛んな、大人の男の精神を、いともたやすくへし折る、アイツ。

 ギックリ腰の襲来である。



 帰省先の実家で3日過ごし、どうにか車でつくばに戻って早や5日。あの一撃が訪れてから、畑と田んぼには足を伸ばせてはおりません。注文いただいていた自然農ジャガイモの宅配も掘れず送れずで一時停止状態。収穫時期真っ只中の、トマトにキュウリにオクラが実る畑には、どうにか妻に手入れしてもらう日々。大豆畑の草刈りも、いよいよ心配になってきた。


 そんな中、転んでもタダでは起きないリアル百姓。このギックリ腰をきっかけに、貪欲に新しい書籍や概念、キーワードに遭遇しています。田畑に通えない猛暑の日々を次なるエネルギーに代えるべく、動かせぬ身体と縦横無尽な心を総動員して、内的な自己の充実へ。

 その成果は、今すぐに実を結ぶものではない。でも身体を損ねた今だからこそ感知できたキーワードを最大限に手がかりにして、自分の中に生まれた新しい価値観を大事に育ててみたい。


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 庭のアサガオ。数日前に飼いヤギに茎を食べられてしまったのにもかかわらず、根性で花を咲かせる日々。生命の神秘には、ただただ驚かされる。そんな神秘と生命力が、自分の体内にも宿されているのだ。


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 魔女がくれた最高のプレゼントに感謝して。この雌伏の時、しかと噛み締めながら。

 

 追伸:週末には旧友たちとの宴会パーティーを楽しみにしつつ、週明けに準備万端に予定していたサマーキャンプは、忸怩たる思いで開催を断念することにする。楽しみに予定していた子供たち、本当に申し訳ありません。今後、腰に、いやいかなる痛みにも用意に屈しない男になって、またみんなに会える時を楽しみにしています。



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2014年06月26日

マイワールドカップ

皐月廿九日 曇り時々晴れ

 そんなに大袈裟なことではない。


 2014 FIFA ワールドカップ、我らが日本代表は、1次リーグで惜しくも敗退した。最終戦となったコロンビア戦を、サッカーに関心のない妻と娘が寝室で寝入る隣のリビングで、一人手に汗握り締めて観戦した。

 観る人の各々のサッカーへの想い、人生観、仕事観、生き様によって様々な感想が起こるのだろうが、自分にとっては、コロンビア戦の試合は、見ていて気持ちの良いものであった。良く戦い、その結果、及ばず、大敗した。

 残念な想いと同時に、肉体と精神の限りを尽くして試合を魅せてくれた日本代表のイレブンに敬意を抱き、その想いが消えないうちに、代表のレプリカTシャツを着たまま畑に向かった。

 
 はたして、自分にとってのワールドカップは何か?自分は、あのブラジルのピッチに立つ選手のように、人生をかけて(人目にさらされて)挑むような挑戦をしているか? フィールドで華やかなプレーをすることは(残念ながら少年時代に諦めてしまったので)適わないが、自分にとってのあの舞台はどこなのか? 果たして彼らと同じような血と汗の滲むようなフィールドに立っているか? 

 言うまでもなく、我がピッチは、この自然農の田畑である。大豆の種まきに急かされ、田植えに追われ、草刈りに心折れ、暑さに負けそうになり、それでも、ホイッスルが鳴るまでは、ゴールネットを揺らすことだけを信じてプレーする選手のごとく、手足と頭を動かすのだ。

 
 自分の人生を生ききる。自分にとってのワールドカップを戦いきる。ブラジルで戦い抜いた代表選手たちのプレーを思い出しながら、そして華麗に躍動する世界のトッププレーヤーたちの芸術に魅せられながら、一粒一粒、種を降ろしていくのである。 



 大豆が発芽し、
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 ジャガイモを掘り、
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 スナップエンドウを自家採種し、
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 田植え第一弾を済ます。
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 戦え! 心は日本代表のように、そして自分の中のトッププレーヤーになるべく!
 いやあ、サッカーもしたいけどね♪



第二十八候: 夏至 初候
【乃東枯(なつかれくさかるる)】
=夏枯草(うつぼぐさ)が枯れる=
 (新暦6月21日頃〜6月26日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2014年06月13日

晴れ間

皐月十六日 晴れ時々雷雨

 W杯開幕も気がつかないほど、大豆を播く日々。梅雨の合間に、潤う草と虫の中に豆をおとしていく。

 今日はまさしく梅雨の晴れ間。ピッチを上げて種まきしてると夕方前に立ち上る雨雲。やおら畑作業を切り上げて、一緒に畑に出ていた山羊と娘を連れて帰途についた。思い返せば、一人暮らしをしていた頃はやれ雨雲だ、風景だと、カメラを手に取ってのんびり帰ったものだが、次女の世話に暮れる妻を家に残しての夕立は、干した布団やおしめの取り込みに気が気でない。早足ながらも娘と雨雲談義しながらの途中、雨がポツリポツリときた。足の遅い彼女を右腕にかかえ、左手に山羊のリードをたずさえ、猛ダッシュで家に帰った。いやはや、すっかり頭の中身が父親になっとるもんだね。

 雨に濡れぬうちに洗濯物はとりこまれ、ほっとシャワーで汗を流し、夕飯の支度前に、思い出したかのように雨の上がった西空を見上げた。


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 少しずつ少しずつ、変わるもの(生活や優先順位など)と変わらぬもの(趣味や嗜好、そして性格など)の狭間で、自然農の田畑が少しずつ「自ずから然らしむる」ように好転していくように、自分も好転していることにふと気がついた。 自分が「不自然」にならないかぎり、とにかく全てを楽しんで受け入れながら前に進もう。しばらくは、ブラジルからの熱い風に翻弄されそうだけど。。。

 ああ、明日は4時からスペインvsオランダ。。。


第二十六候: 芒種 次候
【腐草為蛍(かれたるくさほたるとなる)】
=腐った草の下から蛍が生ずる=
 (新暦6月11日頃〜6月15日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2014年06月01日

シエスタとDVD

皐月四日 晴れ

 長女が義母と、しばし遠出中。はじめての、妻と次女と3人の週末をすごす。

 朝イチで畑、陽射しに茹だるギリギリまで畑。昼、水シャワー、家でのんびりとランチしながら、娘は乳を飲んでシエスタ。妻と2人でDVD三昧、ワイン。カラカラに乾いた洗濯物を取り込んで、夕方畑に戻り、手先が見えなくなる夕暮れまで。夜、軽めの夜食とビールでまた鑑賞。

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網戸越しに緑を眺めるとご機嫌の娘。



 DVDは名作から超大作まで、長女が帰宅する5日後までに、全8作(笑)。暑さが本格化する前の、たまたまぽっかりと手にした、普段とは違う楽しみ。存分に。

 さて大豆そろそろ播くでーーーー!


第二十四候: 小満 末候
【麦秋至(むぎのときいたる)】
=麦が熟し麦秋(ばくしゅう)となる=
 (新暦5月31日頃〜6月5日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています 

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2014年03月25日

よもやまん

如月廿五日 晴れ

 
第十候: 春分 初候
【雀始巣(すずめはじめてすくう)】
=雀が巣をかまえ始める=
 (新暦3月21日頃〜3月25日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※



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 3月16日に発芽していたカブが、、、

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 10日後、ぷりぷりの双葉を揃わせていた。
 


 啓蟄から春分へ。季節は一歩一歩、そして慌しく、暖かみを増していく。
 春へ春へ土も命も勢いづきながら膨らみ、雑草屋もつられるように四方山に慌しくすごしている。

 毎日を、家族と共に過ごしながら、ジャガイモを植え、またジャガイモを植え、カブの種を播き、またジャガイモを植える。花粉に怯えながらも、軽めに断食療法したせいか、ここ1週間ほどは、ノーマスクノーゴーグルで乗り切っている。腸内環境が変化したのか、はたまた病は気からか、ノリと勢いで症状が和らいだと自己暗示させている日々。
  
 話す・聴く・気づきのワークショップを滋味深く終え、つくし農園では田んぼの苗代準備も順調にすすめ、LONOFに遊びに来た友人とも穏やかな週末を過ごし、4月のバイオトイレ作りのイベントも着々と構想を練り深めていく。


 春のせいか、感性が開放されて四方八方に興味関心が踊る。その飽和する感覚を、妻と雑談ミーティングしては、また仕事の周囲に修練させていき、感覚、構想、実践のステップをひとつひとつ押し進めて行く。

 自然農から広がる、「持続可能な人生」への四方山なアプローチは留まるところがない。選択と集中はビジネスの必須事項とされるが、こちとらビジネスに人生を捧げるのではない。いかなる意味においても制限があってしかるべき世の中で、心と体の自由をいかに保ち続けるか。宗教も、健康も、運動も、心も、環境も、経済も、教育も、人間関係も、あらゆる分野においてこの生のある限り、自分の肉体と精神を器にして、心躍るような「持続可能な人生」を探求していくのだ。決して器用には、決してスマートにはいかないだろうが、それでも少しずつ作物が育っていく自然農の田畑のように、焦らず、あくまでも心躍らせながら、また毎日を進む。四方八方に、ワイドアングルで、生きる。

 アイ、アム、ヨモヤマン!


意味不明ですが、春につきお許しください。


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2014年03月06日

寒風

如月六日 晴れ時々大風

 「この春は暖かい」、と数日前のBlogに書いてしまって、この数日の寒の戻りを楽しんでいる。

 雨上がりの今日、いやはや、隣の竹林がもぎ倒されそうな強風がつくばに吹き荒れた。

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 風に飛ばされた杉花粉も大量に舞っているに違いなく、畑に向かう足がじりじりと遠のくが、確定申告作業でなまる身体をリフレッシュさせるべく、刈り払い機を担いで数時間。しゃがんで縮こまってする種まき仕事よりも、重い農具を振り回すほうが、こんな日にはもってこい。・・・と息巻いて始めたものの、足先を凍らせるほどの寒風にはほとほとマイリマシタ。 いやあ、それにしても、吹いた吹いた。


 日中見かけ始めていた団子虫やアリたちも、この寒さにはまた巣篭もりなおしてるかもね。


第七候: 啓蟄 初候
【蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)】
=冬ごもりの虫が出てくる=
 (新暦3月6日頃〜3月10日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2014年02月09日

ふったふった

睦月十日 大雪のち晴れ

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 畑の上に、多いところで15cmも積雪したのは、ここに居を構えてからは始めてかもしれない。

 とにかく、降った降った。施設に頼らない自然農は、雪の重みで倒壊しかねないハウスの心配などをする必要がないのが楽なところだが、その代わり今回のようなドカ雪での作物へ雪害が顕著に表れるのが痛手となる。 

 
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2月9日深夜0時50分@つくば栗原


 とにかく、積もった積もった。昨晩、興奮して夜更かししたせいで寝坊し、朝飯をかきこんで家族と一緒に畑の観察ついでの散歩に出たのがお昼前。結局、作物への心配はそっちのけで、大はしゃぎで雪遊びしながらの散策となった。

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〜 雪道に おわしましたか 八咫烏(やたがらす)〜



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〜 春立ちぬ 雪と稲荷と 八重桜 〜
 


 大雪の畑を口実に、スキーウェアを着て、サングラスかけて、カマクラをつくり、汗にまみれ、雪球を娘にぶつけて、家族で一番楽しんで、布団に倒れこむ。そんな日曜日。 


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そして人生初カマクラ♪
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第二候: 立春 次候
【梅花乃芳(うめのはなかんばし)】
=梅の花が開き香る頃=
 (新暦2月9日頃〜2月13日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2014年01月21日

炎と雪と

師走廿一日 晴れ

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 日曜日、雨戸の隙間が眩しいと妻に起こされ、外をのぞくとつくばに初雪が降りていた。うっすらと、ほわりと、おそらく雨から降り始めた深夜に、徐々に凍らせて重なっていったのだろう、白く、軽やかに積っていた。 前日に小田城址でのどんど焼き。自給自足で飾った正月飾りを持ちこみ、まさしく天まで突きそうな火柱の中に燃え上がり、体を照らし、餅を焼き、正月気分を落としてきた。

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 どんど焼きで火照らせた体もすっかり冷えた翌朝、娘と小生は、半分やけになりながら雪だるまをつくりに庭に出た。綿雪は手に残らず、なかなかまとまらない。案の定、娘はすぐに諦めてしまい、誘い水しながらなんとか雪玉を転がすが、遅々としてダルマは膨らまない。半ば喧嘩になり、根を上げた娘は部屋に戻り、小生が一人で手のひらサイズの大小2つをやっつけて、雪遊びは終了した。娘はまだまだ、花より団子、雪より味噌汁。それはそれで頼もしいのである。 夕方、すっかり晴れて雪の消えた頃に、これまた娘と庭に躍り出て、やおら秘密基地制作に乗り出した。秘密基地とはいうものの、庭の丘のど真ん中に、櫓のように鎮座しているので決して秘密ではないのだが、なにしろ子供は秘密基地の語感が良いそうなのである。これまた娘をなだめすかして、時折サッカーをし、時折探検ごっこをし、1時間ほどを費やした。至ってシンプルに、ブロックと組み板で床を敷き、竹を組み、笹竹と稲藁で壁と屋根を囲って、まるで縄文式な四角錐の秘密基地が出現。断じて秘密ではないのだが、「立てば顔が隠れる」という攻守逆転の発想で、なんとか「秘密」に寄せて納得してもらった。
 できたらできたで娘は一人で基地で遊ぶでもなく、お腹がすいたと家に戻っていく。やはりまた、娘より父親が楽しんでいたという話。

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 どんど焼きの櫓が燃え落ち、残り火でみんなが餅を焼いていた時に、一枚シャッターを切った。年神様か火の神か、筑波山の山神様か、なにやら降りてきたような気がした。

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 今年も、無病息災でありますように。

posted by 学 at 23:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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