注)記事の日付は太陰暦を用いております

2010年03月21日

大盛り

如月六日 【春分】 雨のち晴れ時々曇り

 所用で、筑波山の反対側、笠間の山の中へ。朝方の雨だか風だかよくわからない曇天が、気がつけば青空と曇り空の下に漂う、黄白けたチョークの粉が舞うような景色。シナ大陸からの黄砂(黄塵と言ってもよいでしょう)なのか、杉の花粉なのかはあえて問いませんが、どうやら今日一日は大盛りのスギ花粉を摂取できたようです。不幸中の幸いにて、杉ではなく檜の木立に囲まれた半屋内での一日ではありましたが、午後遅くには、頭も朦朧としてきてちょっとしたダウン系でも吸いましたよ状態(あくまでも想像です)。普段から吹きさらしの畑で作業している体ではあるものの、どうやら山の中の花粉量は我が身にはオーバーフローのようでございました。

 考えてみれば、黄砂(中身の半分は化学物質のような気が濃厚にしますが)もスギ花粉も、人災といって差し支えないようなもの。詳述はあえてしませんが、砂漠化、植林、公害、無政策、などの諸因が汚泥のように混ざり合って、本来の天災(というか自然現象)が人災へと突然変異して文字通り降り掛かってきているのですな。人類のくそったれ。

 意地でも投薬してないんだけども、諸作業が滞るとなると考え物だわねえ。カテキン山盛り仕様の濃厚緑茶をがぶ飲みして効果ある気分を盛り上げたり、オーガニック無添加タバコ呑んで血流少し控えめにしてみたり、マスクの下にクロレッツ頬張って口の中いっぱいミント漂わせたり、浅はかなナチュラル抵抗にも限度があるもの事実。いやね、生真面目に頑張れば、無数の健康法だの対処法だの耳タコに存じ上げておりますが、そういうのでなくて、耐えられなさそうで耐えられてしまうマゾヒスティックな体調不良を、「頑張って」克服するのもなんだかなのよね。その結果こうやって愚痴と鼻水を無制限に垂れ流しているんだけど。

 金欠とご好意の諸事情によって畑からちょっと離れ、大風と黄色い迷惑物質に一切の情緒を奪われた、今年の春分。あと一ヶ月ほど、「か」と「ふ」と「ん」がつく奴らとの馴れ合いは続きます。

 …ここまで自覚的な駄文もそうそうない。朦朧として、寝ます。


【春分】…日天の中を行て昼夜等分の時也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 冬:春=4.9:5.1

     この日をはさんで前後七日間が彼岸。
     花冷えや寒の戻りがあるので暖かいと言っても油断は禁物。
     昼夜の長さがほぼ同じ頃であり、この後は昼の時間が長くなって行く。
     ※読み:シュンブン
     <参考:こよみのページ & 【室礼】和のこよみ>  




足元だけは、heavenly spring.
posted by 学 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月24日

今年

師走八日 晴れ

 だぶついたように温い【大寒】を過ぎて、いつもの冬に戻った。異常気象やら温暖化やら、IPCCの修正報道を嘲笑うごとく毎年のように起こっているかのようにも思える。情報に、政策に、巨大資本に、踊らされずに歩くには、何もいらないようでもあり何かを身につけなければならないようでもあり、毎度のことながら、頭をかきながら歩く他ない。


 新年明けど、畑は、土は、草達はただ生き続ける。ただ続きながらえる自然界は、不変のものはない。でははたして人間やいかに。変わらぬとしても喜怒哀楽あり、変わるとしても喜怒哀楽あり、全ては自身の定め方である。生命体は、常に体細胞の分子を入れ替わらせて生きているのだ。



 今年は、「禊ぎ」の年とする。

 変わるも禊ぎとし、変わらぬも禊ぎとする。己の内を禊ぐ。

100122west.jpg

 
 山のような、それでいて草原のような、波のような、目の前に横たわる冬にやるべき作業の量を、覚悟して楽しもう。その先の成果を、五分五分で期待しつつ。
posted by 学 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

神無月廿九日 曇り時々晴れ

 神無月が今日で閉じ、明日からは、出雲から八百万の神がつくばにお戻りになる。寒い寒い、霜月。

 新暦では12月も半ばを過ぎ、TVや喧騒から遠のいた生活では年の瀬のムードも賑わいもなく、田んぼに掛けられた残りのプレーヤーの稲束が木枯しに揺れる様子がどうにか年末の頃を思い出させてくれる。大豆、米の収穫は終えた。まだ畑に残していたサツマイモの一部は、なんとか寒波の前に救出できた。畑にうずくまるのは、春に備える空豆、エンドウ、麦たちと、秋からさっぱり機嫌を損ねている冬の葉物たち。

 玉取での自然農がニ年過ぎ、ようやく、土の微生物の元気のなさであったり、少々なら加えたほうが良いであろう手助けなどを解釈できてきたようにも思え、これからの冬本番に少しずつ手を入れようと決めて畑を歩く。しゃがむ。すると、しばらく離れていたエリアの土が語りかけてくる。

 ・・・二年でここまできたよ いろいろと変わってきたよな 来年はどうなるかねえ・・・

 ・・・草も少しずつ、土の中も少しずつ、久しぶりに来るとまた違って見えるだろう・・・

 ・・・いろいろ方法を試してみるの? どっちでもいいよ 上手くやってくれよ・・・

 メルヘンではないのだが、そしてその声はもちろん自分の中とのやりとりなのではあるのだが、しゃがんで、触って、あれこれ考えていながら、そうやって土と話していた。確かにそう、会話した。その感触が、とても心地良かった。作物を育てられない農民は、農民ではないのだろうが、俺は俺だ。育てられなかったこの年は、何も残らなかったのではなく、また一つ重なりが増えただけだ。何も求めてないし、期待もしていない。今年手にした不安が、面白いように確信と好奇心に醸造されているかのような気分。なるようになるし、なれるようにやってもみる。多分半分失敗して、半分成功するのだろう。ならよし、だろ。

 
 裏の竹林から菌床を取って、糠と枯れ草と土と、畑の上で遊んでもらおう。枯れ草をそのまま重ねる畑も残そう。隣の芝畑から農薬が来ないように、竹垣と麻布なんかを張ってみよう。チガヤのジャングルは、一度、耕起しよう。田んぼは、もう少し広げてみよう。


 何にもとらわれない。俺はいつも自由だ。

091211free.jpg
posted by 学 at 18:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

カエル

葉月六日 晴れ時々曇り

 秋の虫の音の洪水も一通り聞き飽きてようやく秋もこれからというこの頃、栄華を誇った夏の勇者と畑の物置小屋にて再会した。まだいたのかという当たり前の驚きと、またしばらくは会えなくなるなあという少しばかりの郷愁を携えて。


090923flog.jpg


なるほど「初心にカエル」ってね。そんな駄洒落はいらんってか。
posted by 学 at 23:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

再スタート

葉月一日 曇り

 短いようで長かった文月が過ぎ、今日から葉月。

 少しばかり、畑から足が遠のき、田んぼの稲は任せるままにし、遠のくことで、また想いを新たに。畑で何が起こっているか。土はいまどんな状態なのか。虫は、微生物は、生きているか。草は、今なにが生えているか。野菜は、何故育たないのか、そして何故育つのか。考えず、見る。見て、手を動かす。動かして、待つ。待って、感じる。感じれば、ひとつ、体に染み込む。それをすることを忘れて、スピードと、効率と、目の前の結果と、何か「形あるもの」に目を奪われて、そして足踏みしていた。田畑から足が遠のいてしまうほどに。

 自然農の田畑では、その足踏みの最中でも草と虫が絶えず生き巡っている。常に動的平衡を保つ生命活動と同様に、人間や山羊や、その他のあらゆる生命と同様に、動き続けている。その中での安定を、野菜の収穫を、文明生活とのバランスを、築いていこうという試みが自然農である。

 見ること。心が揺れる試行錯誤を受け入れて何事もやってみること。田畑に足を運ぶこと。感性と実践とあと少々の読書で、己を潤せ。

 090911aspala.jpg

 〜秋の野に 朱色を灯す 石勺柏(アスパラガス)〜

 
 なにしようかな。枯れ草堆肥も入れてみようか。ちょっとは耕す部分も試そうか。自分には何を投入しようか。家にある本全部読みたい。でも、少しずつ。でも、全部やりたい。もう一度、再スタート。こうした独り言は、時に必要なのだ。
posted by 学 at 12:35| Comment(4) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

自戒

水無月廿四日 晴れ

 立春を心身的な年の始まりとして感じるようにしてみると、8月の立秋を迎えるとようやくひと年も折り返しに差し掛かった気持ちになる。昼はヒグラシの声が目立ち始め、夜には初秋の虫の声が鳴き始める。

 今年もまたひとつ歳を重ね、少ない知人からありがたいお祝いをいくつか戴いた。子供の頃から夏休みと重なっていたためにこの季の誕生日を恨めしく思っていたことも懐かしいが、今となって立秋と自身の節目が重なることを意識するようになったことをとても喜ばしく感じてしまう。

 梅雨のことであったり、日照不足のニュースであったり、なんたらかんたらと様々に農の現場からの「嘆き」を期待するような声が聞こえるが、自身の農へのスタンスはそんな一喜一憂に踊らされたくもないし踊るつもりもない。それが自然農というものであろう。自然農の畑にはじめて足を踏み入れてからこの夏でまる七年が過ぎようとしている。もう七年が過ぎ、そしてまだ七年しか経験できておらず、それ以上もそれ以下でもない。自分は何かやってこられたようにも思え、これまでにも出来る事以上の何かをしようとしてきたのであるが、この夏を迎えて改めて思うことは、自分自身の姿をそれ以上に見せる必要も見る必要もないのではないかという思いである。

 できることしかしないのではなく、できることをできるぶんだけ、おのれをまっとうすること。その微妙なバランスから外れるたびに、後悔と、自己否定と、疲労を抱える事になる。やりたいことはたくさん出てくるが、焦る必要もない。行動の際に、自己に鍛えてきた力が備わっていればそのあとには消極的な経験は訪れない。成功や失敗という結果を超えて、積極的な経験という果実が待っている。自分の力を誇張して取り組んだ行動は、結果も経験も、ひとまずは自分を落ち込ませるものになる。

 雑草屋やつくし農園という名前を背負ってなんとなく自分が少し大きくなったかのように思い、自分の行動範囲を過大評価してしまっていたようなこの半年。いま一度初心と自身を見つめなおして頭と心をクールダウンしてみたいと思う。それは具体的な生活でもあり商売でもあり、朝起きて夜寝るまでの一日一日でもある。


 どんな社会も通念も暮らしも将来も、自分自身の一歩と身の回りの一日からしか産まれない。日本が、世界が、穏やかにと願う全く同等に、自分のごく近しい幸せを第一に願うことをよしとしたい。明日の8月15日を粛々と過ごし、この日本の在りし連綿の歴史に感謝と敬意を。そのなかにあって大自然の見事な摂理を表現する自然農の田の見事な成育に畏怖と希望を。

 誰に向けてでもなく、自分に向けて。隣にいる大事な命に向けて。 



 090810tambo.jpg

 〜雨風の 青人草に降りたるを 盛夏の日にぞ 喜ばしける〜

posted by 学 at 21:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

しばし

閏皐月廿九日 曇りのち小雨

 梅雨明けの声を聞いてから待てど暮らせどやってこなかった雨雲が、久方ぶりに筑波を濡らす。前日までの、神経質になるほどに乾いた畑に思いを運んで、絵に描いたように胸をなでおろす。水が引ききって土があらわになっていた田んぼにも、潤いの雨水が微笑むように降りそそぐ。たとえ小雨であろうと、雨をこんなにも待ち望むと、雨(あめ)が、天(あま)からの水、「あまみず」なのであると心から合点してしまう。大和言葉の心地良い響きは、優しい雨音と共に耳に流れてゆく。

090721rainning.jpg



 二日前から夏土用へ。土用の頃には土を動かすことを避けるべし。と言い訳を探し、心残りが尽きない田畑ではありつつ、この小さな雨に背を押されるようにしばし休息を。数日ほどつくばを離れてのんびりと、山か海か食か湯か、行き先も決めぬまま、布団を積んだ軽バンのハンドルに任せて。


 太陽のごとし秋野先生の、命日が昨日過ぎて今日の雨。それまでのギラギラは先生のせいですかねと嘯いて、太陽よりもさらに優しい雨を喜ぶ。ちょっくらぶーんと行ってきまーす。
posted by 学 at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

ガラス越しに

皐月二十二日 晴れのち雨
 
 日曜の昼に畑作業に出て、しばらくして、南西の空から暗黒雲がのしかかってきた。ポツリポツリから、農具を片付けている間にバザアッと雨が降り落ちてきた。車のフロントガラス越しに、あっというまに東北に過ぎ行こうとする暗黒雲を眺めていた。


0906014raining.jpg




 しとしとの雨と、ざあざあの雨と、乾ききった晴れ。これが繰り返されるのだから、植物が育たぬわけがない。その営みの輪の中に人がそっと混ざりこむことが、自然農なのだと思う。無理も無駄も過剰もなく、食べるものを自然の輪の中で育てる。放っておいても自然は植物を育む。その自然を少しだけ人間側に引き寄せて、食べるものを育てる。


 まずは日本のこの気候に恵みを感じて、その上で「明日の我が身」を講じればよい。んだんだ。草のようにたくましく。野菜のように繊細に。たとえまだ、思うように野菜が育ってくれていなくとも。
  

posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月08日

金土日月

皐月十六日 雨のち曇り

 ここ数日。金曜は曇天と雨。この日から節気は芒種へ。土曜は曇り時々晴れ時々雨。この日はつくし農園の集合日。日曜は晴れ。この日はつくいち。月曜の今日は雨のち曇り。


 芒種に入った金曜は、雨天に邪魔されつつ土日の準備でばたばたと過ごす。暦を見て、畑を見て、ああ、雑穀そろそろ播かんとヤバイと焦りながらも手足は別の作業。野菜を使ってくれるつくいちメンバーへグリーンピースと空豆をお届けする合間に、仕事を抜け出して来たy*m*さんが(自主規制)ジャガイモの収穫を進める。相談もしていない分担作業が、いつの間にかの積み重ねでたまたま流れていく妙味に、どこか豊かさを感じながら。

 翌日。つくし農園では、サツマイモを植えたり苗代の稲に一喜一憂したり、ヒエをみんなで播いてみたり。集合日に来れた方も来られなかった方も、畑と自身はかならずつながっていて、草も虫も育つ自然農のダイナミズムが実感としてじわじわと増す頃。それは孤独でもあり、同時に友好的でもある。自己と他己と、そのステージであり共演者でもある田畑とのそれぞれの一巡りが、いよいよ賑わいをみせる季節になってきた。

 曇りと雨とひんやりの合間に、大晴天の夏日がつくいちを包む。畑作業には歓迎の曇り空から一転して、青空市にはもってこいの晴れ空。前夜の宴会にも負けずに、日の出に畑に出て、あくびを朝露に吹きかけて草の中にしゃがみこむ。玉葱もニンニクもジャガイモも程よく育ってくれて、空豆はなんとか採れ時が続いてくれて、葉物と夏野菜は対照的に育ってくれてなくて、それでも自然農の野菜を少しずつ味わってもらえることが確かにありがたく、同時に嬉しい。なんだかつくいちのお客さん以外の訪問者も多くて、いつもより会話が多くての疲労度5倍感は、はたして良いやら悪いやら。

090607tsukuichi.jpg
出店前のつくいちの光景。りラックスのじねん堂ファミリーがナイス。



 『つくいち晴れ』、そろそろそんな新語が産まれそうな良候だったのが嘘のような翌日の今日。見事な曇天へ逆戻り。午前は休息して昼にナチュカフェにお邪魔し,自然農の豆とナチュカフェの合作を食す。空豆やグリンピースが、友人のお店でまたもや綺麗に嫁入りを果たしていた。ニヤリ。腹ごしらえの後に畑に向かい、サツマイモを100株定植。夕方まで。

 
090608nachucafe.jpg


 
 そして、また翌日へ。
  


【芒種】…芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 春:夏=6:4

     芒種は梅雨入りの前で、昔の田植えの開始期にあたる。
     雨が間断なく降り続き、農家は田植えの準備などに多忙を極める。
     芒種とは、稲や麦など芒(のぎ)のある穀物、すなわち稲を植え付ける
     季節を意味している。雑穀の播種もこの頃。
     かまきりや蛍が現れ始め、梅の実が黄ばみはじめる頃でもある
     ※読み:ボウシュ
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ
posted by 学 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

I'm down

皐月十二日 曇り

 サイクル。どうしようもなく、やる気がおきない。畑の豆が鳥に食われてるのを見ては落ちこみ、田んぼの苗が一向に芳しくならないのを見ては落ちこみ、いざ甘藷の苗を植えようとしても気は立たず、いよいよ出陣を迎えつことになった蚊取線香の煙にうんざりとし、どうにもこうにもの停滞。この停滞に、さらに蚊のストレスと、周囲のあちこちに漂う除草剤のケミカル臭がさらに追い討ちをかける。

 I'm dowwwwwwwn!!!


 090604katori.jpg


 畑も田んぼもぜんぶうっちゃってどっかに消えてしまいたい。でも消えられず。

 波。直線的に改善方向に向かうのではなく、畑も体も心も、行ったり来たり。その中での自分の位置を捕まえようとするここ数日。自然農でBlog書いて、順調に行っているようなのは、それはそれで嘘。どっかに飛んで行きたい自分も本当。サラリーを捨てて自分の足で歩くことを選んで、年に何度か感じる不安感。不安と希望の中で歩くだけの現実。

 6月4日。20年前のかの国では、「テンアンモン」という事件が起こり、今でさえ、記事の内容によっては検閲で自分の意思決定によらず消去されることがある。翻って我が国。どこまでも、一応が許されていて、その前提に立つ、自身の酩酊。厳しすぎず、甘えすぎず、風をつかまえて、浮遊した今の自分の着地点を焦らずに探そう。不完全人の一日が、また過ぎ行く。

 Anyway, how are you guys doing?

 
 090604iam.jpg

 I am on the way.

 今日畑でお会いした友人に、ざっくりと愚痴を聞いてもらい、停滞感をちょいとばかし共有し、ちょいとばかしホッとした。ありがとうございやす。
posted by 学 at 20:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

螺旋

皐月七日 曇り時々雨

 このところ五月雨が続く。雨足に首が縮んで亀のように家に引きこもり、思案ばかりで足踏み。豆、芋、穀類の播種が停滞、サツマイモの苗も停滞、景観部の草刈りも延期。無言の時間だけがとろーんと伸びる伸びるこの数日。ようやくいい加減のトンネル出口を今日やっとつかんで、一日中、刈り払い機で草を刈る。ひたすら、9時間ウイーーーーーーーーン。

疲れたのだ。まる。



 気分を取り戻して先週末の記憶から。臨時集合日を設けて、つくし農園のプレーヤー有志とともに、日よけテントを建ててみた。正しくは、組み立ててみた。竹を組んで、シートを掛けてみた。

090523tent.jpg    090523lunch.jpg



 これよくない? アイデア・デザイン、一瞬。下準備・計測、1時間。竹組み、30分。シート掛け、30分。材料費、いただきもののプライスレス。なんでも立派に建てりゃあいいってもんでもないしね。つくし農園は、柳のごとく育っていくのだ。


 仕事して、停滞して、復活して、仕事して、そのうち集合日が来て、つくいちも来て、そのうち野菜も育って、やりたいこと、したいことに近づいていく。毎日が巡るうちに、螺旋状に進んでいく。まあそんなにうまくはいかないんだが。
posted by 学 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月01日

種播き

如月七日 晴れ

 里芋、ショウガ、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、カボチャ、ズッキーニ、コーン、オクラ、枝豆、インゲン、バジル、フダンソウ、モロヘイヤ、シソ、米、ヒマワリ、ソルゴー、セスバニア。最後の方は作物ではないものも入っていたな。とにかく、5月は種播きで一日も休みたくないほど、ウキウキとヤレヤレの忙しさを迎える。それに加えて、草刈り、小屋直し、直売所準備、小遣い稼ぎ、なんでもかんでも沸いてくる。やれ晩霜だ、やれ生育不良だ、乾燥だ、セイタカだ、チガヤだ、農薬だ、原因不明だ、と、作物も一筋縄ではスックリ育たないだろう。それでも、先日目に焼き付けてきた、30年続けられた自然農の田畑を瞼の裏から引っ張り出して、安心してまた畑に足を運ぶ。

 気がつけばそこに、苗が育たんとしている。


 090429rocket.jpg
 ルッコラ


 090429beets.jpg
 ビーツ


 090429lettuce.jpg
 レタス


 とにかく、種を播かねば始まらんのだ。 そしてとにかく、種を播けば、始まるのだ。
posted by 学 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月07日

あかん

弥生十二日 晴れ

 あかんね。軸がぶれてる。芯が定まらずに迷ってる。

 根を生やそう。根を。茎を伸ばそう。己れの速さで。

 好きなことをやらんと。踏み出さんと。


 
090405vino.jpg



 二日前のつくいちから、暦は清明へ。季節は待たない。置いていかれぬよう。



【清明】…万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 冬:春=3:7

     清明は「清浄明潔」を略したもの。
     「万物ここに至って皆潔斎なり」と称されるように、
     春先の清らかで生き生きした様子をいったものである。
     この頃になると、春気玲瓏にして、桜や草木の花が咲き始め、
     万物に晴朗の気があふれてくる。
     ※読み:セイメイ
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ
posted by 学 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月21日

テキトウDay

如月二十五日 晴れ

 結構テキトウに生きている毎日です。今日は何だか半断食の判断時期のような気がしてとりあえずテキトウに八朔を食ったりジャワティーを飲んだりしながら畑作業もモリモリやった。前の晩にあまり寝つきが良くなくてそれは多分色々なことが体に起こっているサインであるのはわかっていて、そんなこんなでまるで徹夜をした時のような茫漠とした体とマインドの遊離を憶えながらの一日だった。食欲はほとんど無いながらも疲労というか混沌というかそんな体の訴えに従って、風呂に入って飯を食うという至福コースを思い描きながら夕日の家路に着いた。

 先日精米したての、『コシヒカリ1:イセヒカリ1:旭竜1:川口さん米1:香り米1:神丹穂2』という神業ブレンド(という評価をいただいた)を土鍋で炊いて、菜の花の素茹でと、ゴボウとネギの味噌汁。


 
090321bansan.jpg



 ホカホカの湯上りでの夕飯。米の甘旨さと味噌汁のゴボウの風味と菜の花の味付け無しの滋味がなんか凄いことになってます。うますぎます。とはいえたくさん食べたい欲求はわくことなく、腹5分目ほどで満腹というか満足というかなんか体がOKサインをだしてきた。することもなく、飯は食えど頭と体のズレはもう少し続きそうで、布団を敷いて寝ることにした20時。なんだこの早い就眠は。

 2時間後、眠りが体の中に入ってきてくれず、とはいえ本を読むわけでもなく、さりとて散歩するのも億劫で、なにやらテキトウにこの違和感を書き連ねることにした。梅干をほぐした白湯(さゆ)をキーボードの前に置いて、眠りが訪れてくれるのを待ちつつ。なんかテキトウだなあ俺。明日は春の嵐だと?ブルーベリーの苗木を取りに行くんだけどなあ。ええと、少し、果樹もトライです。なんでも、やってみる。「やりたいことは、やれ」「コントロールできないことはしない」と、いつだか殴り書きしたA4用紙が机の奥の壁からこちらをにらんでいる。22時なのに、まるで深夜のような深みのある夜の感覚。

 たぶんこれ後で読みたくないなあ。まあよし、今日はテキトウ。

 まだ眠くはならないのだが、この辺で。みんな、酒飲んで喋りましょうよ。


 イエイ。
posted by 学 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月20日

転換

如月二十四日 【春分】 雨のち晴れ時々曇り

 春分の朝、雨が通り抜けて、畑に出る。

090320shunbun.jpg


 節目、というより転換の頃。今日を境に昼の長さが夜よりも長くなる。いよいよ冬の気は縮みゆき、春の陽気が膨らみゆく。耳を澄ませば鳥の鳴き声は変わり、眼下を見れば枯れ色の土が日ごとに草に覆われてゆく。自分の体もその変化に触発されてかなんだかソワソワ、そしてフラフラ。


 自然農の畑にはリセットがない。耕運機をかけないため、育てた野菜たちが畑のあちこちに名残を残しながら次の作付を迎える。残された白菜や大根、無数の菜物野菜がこの暖気を感じて一斉に菜の花を咲かせ始める。隣の畝の菜の花を尻で撫でながら、ジャガイモの植え付けを急ぐのが、彼岸の畑の過ごし方の定番となる。もう、何回目かね、この定番も。

090320hakusai.jpg  090320daikon.jpg
定番の黄色は白菜の"菜の花"       白さに力のある大根の"菜の花"



 リセットのない自然農は、季節も作物も土も雑草も虫も全てがスライドして、生きながら移り変わる。自然の命は、植物も動物もそうして移り変わりながら命を継続しているのだと思う。それは、全体としての畑でもそうであり、であるなら自然環境もそうなのであり、その漠然とした確信が、自然農には備わっている。
 人間も然り。体内の環境としての健康も、精神の状態である心も、方向性としてリセットではなくスライドしながらの良好状態へ整えていきたいもの。さて我が身は、この冬に悪食(つまりはジャンクフードですな)を過食してか、数日前に心身が重苦しい状態に入った。病気ではなく、感覚的な重さとダルさでして。自分で十分認識しているこの冬の悪習慣から限りなくリセットに近くスライドしたいと思い、半断食に突入してみた。ゆっくり移り変わろう、と言っておきながら自分のこととなるとこれだからね、人間というやつは。

 春分の畑で季節の大きなうねりを楽しみながら、矛盾しつつ自分の小規模な体調変化を楽しむ。節目、というよりも転換を楽しむのだ。意地でも。

 今日した作業はジャガイモの植え付けとビーツの播種、そして畝作り。うーむ、腹減りすぎてなんだか、ナチュラルハイ。明日も畑作業だ、わーい・・・。



【春分】…日天の中を行て昼夜等分の時也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 冬:春=4.9:5.1

     この日、太陽は真東から昇って真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ等しくなる
     (しかし実際には、光の屈折現象のため、昼のほうがやや長い)。
     この日以降は昼がだんだん長くなり、反対に夜が短くなる。
     なお、春分点は、天球上で黄道と赤道が交わる二つの交点の内、太陽が
     赤道の南から北へ向かって横切る点のことで、赤経・黄経の原点となる。
     歳差により、毎年わずかずつ西に移動し、現在はうお座にある。
     ※読み:シュンブン
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ
posted by 学 at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

溺れよう

如月二十二日 晴れ

 休む間もなくドデカイ春の波がつくばを包みこむ。思った以上に大きな波に少々揺さぶられて、春作業が追いつかずに溺れそうになる。呑みこまれて目が回りそうになり、ぶはあと筑波山に逃走した。


090318harugasumi.jpg



 霞む霞む、息吹で筑波の野が霞む。春霞の下に沈んだ田畑には、迷いようもない命の誕生が訪れている。耕さない、除草剤も使わない、農薬も使わない自然農の野には、冬を越したそのままの命が、眠りからさめて今膨らまんとしている。その渦に、その大演奏に、再び降りて種播きに溺れよう。


090313hatsuga.jpg



 種を播いて、芽を出して。この喜びの拡大再生産のシーズンがまた始まる。
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

始動

睦月廿四日 【雨水】 晴れ

 先週の金曜日、ついに始動しました。あれだよ、あれ。

090218start.jpg



 庭の梅の背景にそびえる、弁柄色に包まれる杉の木。せっかくの梅も、わくわくの農作業も、のんびりの庭ビールも、全部を憂鬱に変える、あの野郎。よりによって家の裏におはしますよ。ああああああああ、てめえのせいで、田畑への腰がどれだけ重くなることか。君の花粉を勝手に敵だと誤認してしまう、いとしき我がIgE抗体の健やかな働きが憎い。さりとて、最低限で付き合って、茶や薬草でなるだけ抑えて、過ぎ去る喜びを待つしかないのだがね。


 でもさ。ああもう、なんなの、よりによって、裏庭。




成分解析 〜「コトバ」から「色」、調合します
 …ひょんなことから見つけた、コトバを「和色」に分析してくれる面白サイト。
sugikafun.jpg
ちなみに杉花粉を調べたら、  ⇒⇒⇒
49%が赤銅色(しゃくどういろ)、35%が弁柄色(べんがらいろ)、13%が金色(こんじき)、3%が赤(あか)でできているとのこと。なかなか不思議なことに、当たってるのが楽しい。






【雨水】…陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 冬:春=7:3

     雨水とは、雪が雨に変わり雪解けが始まるという日で、
     忍び寄る春の気配に草木が蘇るという意味があります。
     とはいえ東日本ではまだ雪が深く、関東・東海地方にあたっては、
     この時期から雪が降り始めるそうです。
     ※読み:ウスイ
     <参考:日本文化いろは事典 & こよみのページ
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月10日

どきどき

師走十五日 晴れ時々強風

 前日の長い雨、今日は今期最後のつくし農園の集合日、明日はつくいち。月末のつくし農園ワークショップ、来月の農園来期スタート手配、畑の冬作業、籾摺り、庭仕事、あと何だ?

 準備、当日、準備、当日、次はいったい何の準備をしてるのかわからなくなってきた。これ、師走ということで、OK? 


 
 インフルエンザが身の回りでメラメラと進行中。生姜湯、100%ジュース、ヨーグルト、納豆、緑茶、湿気、マスク、総動員して振り払い中ですが、この集中がとけたら途端に罹患しそうな予感。どきどき。 
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月01日

謹賀新年

師走六日


nenga-tate1.jpg


本年もどうぞ宜しくお願い致します。


小松学
posted by 学 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月29日

知る

師走三日 晴れ

 二日続いた木枯しがおさまり、えいやと脱穀作業に取りかかる。足踏み脱穀機を朝から夕方まで踏みに踏み倒して全ての稲を脱穀し終えることができた。


081229dakkoku.jpg




 休憩中、ゴザの上に寝そべって太陽を浴びる。風のない日にあらためて感じる冬の陽射しは、何にもまして柔らかく暖かい。風の強い日があるから風のない日の暖かさを知り、雨が降らない時があるから雨の日のありがたさを知り、米が育たない年があったから稲の重みを知るのだと気づく。

 今年の畑での、作物の育たなかったことは、いつか自然農の豊かさを感動を持って知るための貯金なのだ。
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする