葉月二十四日 【秋分】 晴れ
前夜の二日酔いを、秋晴れに洗い流されるような陽気の一日。
このところのBlogを読み返してみたり、パソコンに撮り溜めした写真を見返してみると、とにかく畑の写真、野菜の写真がない。育ってないから撮りたいと思えないのだろうし、撮りたいと思っていても、被写体がない。とはいえ、秋播きのシーズンは毎日毎日着実に明日から昨日に移り、それに追いつき追いつきしながら、枯れ行くとはわかっている雑草の中で消えそうになる作物たちを救済しようと草を刈る。
肥料をやらないから、育たない。
雑草をとらないから、育たない。
農薬をやらないから、育たない。
VS
肥料をやらなくても、育つ土に変わるんだ。
雑草をとらなくても、程よく手を添えればいいんだ。
農薬をやらなくても、草とも虫とも仲良く育つんだ。
せめぎあい、むしろ悩みと迷いが増え、でもやはり、後者を選びまた畑にしゃがんで作業に戻る。自然農に惹かれて毎日を過ごす小生に会いに遊びに来てくれる人がいたり、小生を通じて自然農に興味を憶えたという人がいたりして、そんな何かを体の髄に貯金しているような気分にもなる。 冬の畑はどうなるのか。来年の畑はどうなるのか。グッドイメージを思い描いてニヤリとしてみる背中には常に、全然育たぬ悪寒もしかたなく忍ばせている。どうなるかわからないけど、自然農で作物が育つ畑が出来上がる、その過程も停滞も前進もそれがやっぱり楽しくてしょうがないからやっているのだ。イメージしよう。そして手を動かそう。ニヤリを投資してこそ、豊かな田畑が近づいてくる。ムスリはなるべく田畑にはぶつけないで、せめてハテナに留めておいて、ニヤリを田畑に落としていこう。
たとえ今の喫緊の状況によって十分な時間を畑作業に費やせないことがあったとしても、それを心の中では情けないとは思ってみても、そんな小生のライフサイクルの澱みごとき、自然にとってはそれこそ一つのサイクルに過ぎない。少し放っておいたとしたら野菜は雑草に埋もれて育ってくれないかもしれないが、でも全体の命の量は決して減るわけではなく、結局は豊かに蓄積していくだけなのだから。
自然とは、自ずから然らしむるさまでもある。おのずから、しからしむる。今の、自分の、自ずから然らしむることに沿って。
見上げれば必ず空があり、足元には必ず土と草がある。
【秋分】…
陰陽の中分となれば也(暦便覧)
この日は秋の彼岸の中日。
先祖を敬い、亡くなった人の御霊を偲ぶ日として親しまれている。
また、この日は春分と同じく、昼と夜の長さがほぼ等しい。しかし、
秋分の日と春分の日の気温を比較してみると、平均気温で秋分の方が
10度以上も高くなっている。夏の暑さの名残があるからである。
雷が鳴らなくなり、虫は地中に隠れ、水が涸れ始める。
※読み:シュウブン
<参考:
【室礼】和のこよみ>