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2024年08月30日

人歴(human era)を世界に導入しよう

HE12024年 文月廿七日 野分(台風)

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 いきなりだけど、常識的に採用しているモノサシや概念をほんの少し見直すだけで、人生観がごろっと変わりだし、世界の見え方が違ってくることがある。一見くだらなく見えたり、そんなのどーでもいいように感じたりするかもしれないが、日常的、常識的に運用されているものを疑うことすらなく、世界観が固定化され、それに気づかずに不自由になっていて、社会が実は停滞している一因になっていることも少なくない。

 その一つが、西暦(紀元前=BC:before Christ、紀元後=AD:anno Domini)である。結論的仮説から述べると、現在が2024年と規定されているこのなんとなくの二千年という時間量が、現代的人類史観の絶妙で微妙な歴史的浅薄さの根源を規定してしまっている。本来私たちに内在している「動物的本能力」や「文明以前的DNA」が重視されず、機械文明的な近未来思考に迎合してしまうある種の弱さは、2024年前を西暦元年としている西暦の採用によってもたらされているのではないだろうか。
  
 思い返せば、少年時代から違和感を抱いていた。漠然と、なんで今は1986年なんだろう?と10歳の頃に考えていた。大人からの返答は、それは西暦って言うんだよ、だった。西暦はなんで決まってるの?と返すと、キリストが生まれた年が始まりらしいよ、と帰ってきた(当時はそう教えられた)。そして、なんでキリストの生まれた年から数えなきゃいけないの?と問うと、もうラリーは終わりに近づく。そう決まってるから!と、問答は打ち切りになる。

 あれから40年近く。日本独自の元号や、皇紀、旧暦新暦など一通り様々な暦についても見聞きし、受け止めつつも、それでもまだ、西暦を採用し続ける世界に、疑問を捨てきれずにいる。

 このところ、古代世界の技術(古代文明や遺跡に使用された、「超技術」と呼ぶにふさわしい古来の英知)に関わる本などを読み進めていくうちに、またその火が再燃した。とかく、古代エジプトやギリシャ・ローマあたりの記述になると、ある時は紀元前3000年と記述され、またある時は4500年前と書かれており、一方で紀元13年だったり、はては紀元前6世紀だったり、紀元元年を境にした表記が乱立する。文系脳のせいなのかはわからないが、その乱立と時間の幅感に、全然しっくりくることができない。ニュアンスで申し訳ないが、紀元前2000年と、西暦2000年が、西暦1年を境に同じだけ離れてる、という感覚が、どうしてもピントが合わない表現に感じる(絶対値が等しい、という感覚がつかめない)のだ。

 大げさに言えば、エジプト文明に代表される四大文明や、その他古代文明、そして我ら縄文文明と、紀元元年を挟んだ現代の私たちは本当は連綿と途切れることなく続いている。だがしかし、西暦のせいで、断裂(とまでいかなくとも、分断くらいは)してしまっている気がするのだ。ありていに言えば、歴史的距離感がバグってしまっている気がするのだ。縄文時代や弥生時代は〇千年前、なのに、そこからいきなり古墳時代までぶっ飛んで飛鳥時代は600年ごろ、奈良時代〜江戸時代を経て、今、2024年。いやいや、人類史って2000年では収まらないじゃん!もっともっとはるかに重厚なボリュームがあっての今の我々なのに、2024年って言われることで、直感的な薄っぺらさ、「とはいっても2000年くらいじゃん?」と無意識に刷り込まされてしまっている可能性がある。

 それが一体何が問題なのか。例えば、今25歳の人は、4倍で100年。今50歳の人は、倍で100年。てことは、人生100年時代と嘯かれる昨今、自分たちの人生が、2000年間分の100年を埋めてしまえるのだ。自分の人生が、「歴史」の20分の1に該当するのである。そのボリューム感こそが、歴史を、世界と、地球を少々甘く算段し、思い通りにコントロールしようとし、エネルギーも自然環境も使い尽くし破壊し続けてしまう、現代文明の究極的課題の精神的支柱になっているのだと想像するのだ。

 そこで私は発見した。そして大いに提唱する。

 旧石器時代から新石器時代に移行したとされ、その後世界各地に古代遺跡や文字の発生、農耕の萌芽が徐々に起こり始めるとされる、今から約一万二千年前、つまり紀元元年からちょうど1万年前(今日現在に直せば12,024年前の1月1日)を、【人歴元年】として人類史を描きなおそうではないか!西暦から、人歴へ。AD、BCから、HE(Human Era)へ。

 これに直すと、人類史が非常に鮮やかに、原始的文明の起こりから古代文明、勃興、そして現代にいたる時間軸が、極彩色をもって立ち現れてくる。(※以下年代は、おおよその年代で表しています。)

人歴元年:原始農業の起こり(BC10,000年)※12,024年前
人歴3,000年:イネ(東アジア)や小麦(中東)の栽培開始(BC7,000年)
人歴4,500年:縄文時代前期(BC5,500年)
人歴5,000年:初期黄河文明出現(BC5,000年)
人歴6,700年:初期インダス文明出現(BC3,300年)
人歴7,000年:文字の発明(メソポタミア)(BC3,000年)
人歴7,411年:クフ王のピラミッド建設開始(BC2,589年) 
人歴8,250年:ハンムラビ法典(BC1,750年)
人歴8,500年:鉄器の発明(ヒッタイト)(BC1,500年)
人歴9,000年:弥生時代前期(BC1000年)
人歴9,437年:仏陀生誕(BC563年)
人歴9,449年:孔子生誕(BC551年)
人歴9,517年:パルテノン神殿完成(BC483年)
人歴9,530年:ソクラテス生誕(BC430年)
人歴9,779年:秦の始皇帝即位(BC221年)
人歴9,998年:キリスト生誕(BC2年)
人歴10,365年:ナスカの地上絵(AD365年ごろ)
人歴10,550年:仁徳天皇陵完成(AD550年ごろ)
人歴10,570年:ムハンマド生誕(AD570年)
人歴11,603年:江戸幕府開府(AD1,603年)
人歴12,011年:東日本大震災(AD2,011年)

 このように、紀元後のカウントは、現在の西暦の年代にシンプルに10,000年を足したものが人歴の年代として算出できる。
 
 さあどうだろう。こうして眺めると、氷河期が収束して狩猟採集的旧石器時代からの移行が始まったのが約12,000年前だと規定することで、人類史がいかに長い間ゆっくりと歩みを進めてきたががぐっと肌感覚で分かってくる。我々が普段把握している歴史なんて、せいぜいここ三千年程度の出来事であり、人歴で言えば9,000年以降から現在12,024年の間に起きたに過ぎない。

 人歴の開始を、5,000年前に置くべきか、あるいは20万年前に置くべきか、それは、人文科学、社会科学すべてを巻き込むほどの、答えのないテーマになってしまうだろう。そこで、文字や農耕や古代文明の発祥にほど遠くない約12,000年前を仮に採用することで、現在の西暦にそっくり一万年を足すだけで済むので、ほとんど現代歴に影響を与えずに採用できるのである。

 この人歴(Human Era)の採用で何が起きるか、というと、それは一言で言えば、「本能的人間性の自覚」である。わたしたち人類が、圧倒的非文明の助走を経て今ここにいることを、右脳的に実感する、とも表現できるだろう。何せ、古代文明として絶対的存在感を放つピラミッドでさえ、人歴に直せば7,000年から8,000年代に起きた出来事なのである。仏陀やキリストが生まれたのが9,000年代、三国志の時代は10,180年ごろ、ジンギスカンが活躍したモンゴル帝国は11,206年に成立、第2次世界大戦は11,939年勃発。ああ、実感値として、12,000年の人類史からみたら、ほとんどの歴史的事件がここ最近の出来事に過ぎないんだなあ。とボリュームがじわじわと体感できない?西暦2,024年の今日からみて2,100年はどうなる?と思考すると大ごとで大変な感じが出てくるが、人歴12,024年の今日から見る12,100年は、膨大な人類史のちっぽけな、そして些細な、大上段に構えることない、大げさに不安がったり自らを尊大に見せたりする必要のない未来な感じがしない?

 今の西暦に一万年を足すだけで、この絶大な、無言ともいえる寡黙さで紡いできた人類の営みへの無条件な安心が生まれ、これからの未来を謙虚に切実に地球と共生して編んでいく勇気が育まれる礎となる気がしてこないだろうか。

 さあ今日から、人歴12,024年の世界を、導入していこうではないか!

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 って、最後まで書いたときに衝撃のWikipediaを発見!!!!!
 西暦1993年に、地質学者のチェザーレ・エミリアーニによって、西暦紀元にちょうど10000を加えた数値によって表される『人類紀元(じんるいきげん、英語:Human Era)』が提唱されていた!!さらには、ほぼ同様の趣旨がまとめられているサイトも発見(涙)!

 https://gigazine.net/news/20161208-new-history-for-humanity/

 誓って言いますが、この最後の文章を書く瞬間まで、完全オリジナルの考えだと確信してました(笑)。恥ずかしさと共に、皆さんにお届けすることにします。以上、妄想終わり!
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2021年01月05日

ダンス ウィズ ウィルス

霜月廿二日 晴れ

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 令和三年、西暦2021年。新暦、あけましておめでとうございます。今年も、変わらず、自然農、自然体をベースに活動を続けてまいります。どうぞよろしくお願いします。

 元来働く(人のために身体を動かす)ことがおっくうなたちなので、社会全体が厳かに賑やかにほころぶお正月は、ずっとこのままのんびり春まで布団で過ごしたいなあ、と思い続けて朝酒を楽しむのが常。今年は、どうやら社会全体の空気が、お正月の麗しさの背後に誰かしらからもたらされている不信感不安感がべったりと張り付き、私もついつい、不本意ながら仕事始めを迎えている。(もちろんこれは方便で、いただいている職務を全うしているだけであります♪)


 このBlogを始めて以来、ずっと旧暦(太陽太陰暦)を併記して続けている。文頭にある通り、本日は霜月二十二日。師走も来ない、冬の暮れ。月の巡りに太陽と季節を重ねた旧暦も取り入れてきた私たちは、毎年同じ時期に暦が訪れない「ズレ」を、習慣として、身体感覚として、記憶として、身につけて暮らしてきた。本来、新年、新春、迎春は、立春(2月4日)に近い新月。人間は古来より、目に見えぬものは神の計らいとし、目に見えるものは身近に引き寄せて創意工夫を積み重ねて生きてきたのだ。文化として、技術として。もちろん、新暦の正月も、めでたいし、美味しいし、楽しいんだけどね。もちろん。

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 ところで。私たちは、いったい、いつからウィルスに曝露(※)することを恐れ続けて生きるべき存在に成り下がったのだろうか? 私は今、いったい世の中で何が起きているのかを、心から理解することはできていない。同時多発テロが起きた時も、東日本大震災が起きた時も、一昨年の台風被害が発生した時も、信じられない思いを抱きながらも、そこから始まる人間の行動の一進一退を見聞し、現実世界を理解して、できることをやるしかないと生きてきた。

【※現在、主要メディアが延々と垂れ流しているPCR検査の陽性者人数は、控えめに言って「曝露」であり、決して「感染」数ではありません。】

 果たして今、この世界で起きている、(特に日本社会で起きている、)例年のインフルエンザよりも現実の数字として疾患の恐怖が少ない(正確に言えば社会活動を犠牲にしてまでの行動制限を課すべきか、例年のインフルエンザ流行や他のウィルス性疾患と比較しての明確な根拠が存在しない)新型コロナウィルスへの大混乱は、受け入れるべきパニックなのだろうか?神の計らいとして、甘んじて受け入れるべきものなのだろうか?

 新暦の年末年始をゆるいデジタルデトックスして過ごして改めて実感しているが、俯瞰で見れば、月や地球の運行、季節や大自然は、ウィルスと人間のダンスなんて意も介さずに動き続けている。畑に、森に、ウィルスパニックなど、訪れやしない(もちろん時折の、いち作物へのウィルスによる病気の蔓延などは発生します)。ネットもテレビも喧噪も、一歩離れてみると、実は我々は、現実体験として「ウィルス」に慌てふためいているのではなくて、「与えられた情報」に慌てふためさせられていることがよくわかる。自然農の畑には、コロナウィルスもインフルエンザウィルスも破傷風菌も存在していて、自然農の畑をPCR検査にかければ陽性となって感染畑になる。PCRの技術開発者であるキャリーマリス博士が断言しているようにPCR検査は、ウィルス感染症の感染者判定に使用してはいけない。新型ウィルス騒動におけるPCR検査の理屈は、花粉が洋服に着いている人を花粉症患者だと数字化して慌てているだけだと指摘する声もある。

 テレビやマスメディアからの情報を制限(遮断、選択、批判的思考で判断など)している人にとって、コロナウィルスとは、ちょっと海外で流行ってるらしいウィルス性疾患を引き起こすウィルスである。なので、疾患や通常状態として体内免疫が低下している方において、通常、あるいは少し早い進行の風邪疾患として、健康状態を損ねさせることがある。もちろん、例年のインフルエンザやその他風邪関連疾患の間接的影響による重症者・死者と同様の理由による影響も存在する。自然農、つまり本来の自然界(人間様式と大自然の狭間)の目線で眺めれば、新型も旧型も変異も強弱も、ウィルスと人間の織り成す組曲として、すべてはこれまで何十億年と繰り返されきただけに過ぎない。私たちは、ウィルス曝露を避けるために生きているのではない。ウィルス曝露しても、増殖・感染しないようにできる限り恒常性を保つために衛生学や生理学や栄養学が発展し、恒常性を損なって症状が発生した際の医学であり看護学が発展してきた。いうなれば、ウィルス感染は避けようがない生きる限り存在する必要要素として生命に関わる学問が発達してきた。エボラやエイズでもないウィルスに対して、曝露する(取り入れる)ことにこれまで血眼をかけてきた歴史は存在しない。


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<手作りの門松、注連飾りで、正月を迎えることができました>


 目の前の、微生物はウィルスは敵ですか? これまでも、これからも、地球上に生成されるウィルスは、今後地球消滅まで、存在し続ける。インフルエンザウィルスが、毎年、延々居続けるように。新型コロナウィルスは、私たち人間、動物、植物という多細胞生物を親として派生した、因果関係のある共生者でしかない。これからも一緒に居るし、インフルエンザ同様、それぞれにウィルスの個性を持ちながら、人間の好不調の波をサーフィンしつづける存在である。

 敵でもないモノを恐れることも必要ないし、敵でもないモノが遠ざかることを願うことも必要ない。

 今、この瞬間、2020年の年末も、2021年のお正月も、「ウィルス情報」とダンスする人と、情報とは躍らずに「ウィルス」とダンスしながら共存する人がいただけ。踊りたくもないダンスを踊るために我々は生きるのだろうか? マスクを付け続けて、免疫力を下げる殺菌消毒を繰り返して、会って抱擁して笑顔で会話することを否定されて。
 生きるとは何か? 今この瞬間に手にしていないことを願って望み進むことが生きることではない。神頼みは、天と自分の人生についてするもので、社会にするものではない。社会へするのは、働きかけである。今、この場で、いかに息を吸って歩みを進め泣き笑い語り座り寝ることを、ただやりきることが、生きることだ。

 山羊は、今、その場で、草を食み、座り、寝る。たとえ次の瞬間にウィルスや細菌に体を侵されようとも、その瞬間を生き続ける。自然農の野菜たちは、種を降ろされたその場で、根を伸ばし、草間の中で育つ育たないを選択し、あるものは種を残し、あるものは私たちに提供され、その瞬間までその瞬間を生き続ける。私たちがダンスすべきなのはウィルスとであって、情報ではない。

 毎日、毎日、その場に起きていることに対して、自分の心身のできる範囲で、向き合うだけ。それ以外のことは、ただのおまけ。

 であるなら、この世のすべてのコロナ対策は、おまけのことに過ぎない。おまけに心も体も魂も踊らされることを、私は選ばない。おまけは、遊びだ。遊びなら付き合ってもいい。遊びなら、踊ってもいい。遊びだから、悩む必要はない。

 だから私たち家族は、友人からいただいた孟宗竹と裏庭の南天で門松を作り、2年前の藁でしめ縄飾りを作り、「感染を恐れる」という風習から心を遠く離れて、新暦の正月を楽しむだけなんです。だからこそ、お屠蘇でいただく自然派地酒やビール、家を照らす電気、水道、その他すべての正月休暇を彩ってくれる社会資本により生かされていることを自覚すれば、この風潮からただ遠ざかっていれば済む話ではない。この風潮に否応なしに巻き込まれて、どうしようもなく選択しなければならないことも重々承知している。ただ、ただ、私ができる事は、メディアが報じているようなスタンスではない選択をしている人もたくさんいるよ、と伝える事だけではないだろうか。

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 巷で、見識者や指導的立場の方々からの「この事態が収まっていくことを願う」という言葉に、違和感しか感じない。自粛も、制限も、選択しているのは私たちの判断だ。であるなら、紡ぐ言葉は「このパニック状態から抜け出す方法を、みんなで見つけ出そう」ではないだろうか。襲い掛かった厄災という考え方を捨てて、本当に気をつけるべきことと大事にしなければいけないことを導き出そうよ。

 自然農農家であり、自然体研究家であり、地域おこしに少しだけ関わる者として、おまけも携えながら、今年も田畑に立ち森を歩き身体を観て、探求し続けよう、思いを新たにしている。


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2020年02月29日

自粛とは?

如月五日 曇り時々晴れ 於大子町

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〜日に日に男子へと成長する次男。もうすぐ1歳♪〜


 ゴムなし就寝、裸足生活、風呂要らず、洗剤フリーテレビなし、スマホなし、自然食、発酵食アーシング、森林浴、家庭保育病院フリー、そして、マインドボディヒーリング(心身治癒法)。雑草屋の暮らしそのものが、コロナウィルスへの発症リスクからほど遠い位置にあるため、全く罹患への心配をしていない我が家。(今年度から小学校に通いはじめてしまった長女が、もっともリスクに近いかな。)

 それでも、職場、SNSで接する一連の日本の状況に触れ、自然農、自然体、とは少し別の視点からも、今回のウィルス騒動を眺めている。

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 〜今日は、今年から始めたい田んぼを探しに、近所を探索していました。〜

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 さて唐突ではあるが、でも、考えてしまう。明らかに、違和感を感じている。違和感とは、感じてしまうもので、作り出すものではない。どちらかというと、「排泄行為」に近い、どうしても出さなくてはいけない、大切な感覚である。ここ数週間の、世界を取り巻き日本を混乱させている騒動の展開には、違和感を感じずにはいられない。

 自粛とは?という点についてだ。

 大げさではなく、本気で思う。

 第二次世界大戦中の、「日本全体を考えたら○○な行動はすべきではない」という風潮と、今回の新型コロナ騒動の、「日本全体を考えたら○○な行動はすべきではない」という風潮に、どこに共通点があってどこに相違点があるのかを、私たちは真剣に考察する必要があると感じている。

 単に、イベントをやる、やらない。学校を休校する、しない。の問題でない。
 単に、このウィルスは危険か、そうでないか。リスクが大きいか、小さいか。の問題ではない。

 信憑性がありリスク不安が大きいとされる情報が流布されたときに、それを防ぐという名目で個人の活動が自粛されるような風潮が高まることは、妥当か否か。という問題だ。

 ポイントは、あくまでも、風潮、という点である。明確な根拠や、あきらかに確率の高いリスクや、行動が制限されるに異論のない状況が存在し、自粛を余儀なくされるというわけではなく、いまだに賛否両論もあり確定的ではない状況。にも関わらず、風潮という姿の見えない何かにより、活動が少しずつ制限されていく感覚。

 「集団のリスクを前面に出せば個人的活動を自粛することを促すことができる。」という前例が出来上がることにある程度の違和感を覚えないのならば、国際政治を学んできた者としては責務を果たしているとは思えない。集団リスク回避と、個人的活動の実現を、ギリギリのところでバランスを取りながら達成するのが、現代政治の根幹なのではないだろうか。

 マスクや外出抑制で、ウィルスは回避できるかもしれない。しかし、安易な自粛ムードの風潮は、大義名分さえあれば市民の行動を自粛させられるというカードを権力者に容易に譲り渡してしまうことにつながる。

 自粛するという行為は、その行動主体が自主的にリスクを判断して決定されるべきであり、決して、自粛すべきという風潮を恐れてされるべきではない。例え自粛が行われるとしても、それは自粛なのだから、様々に段階もあるべきだし、全面中止から段階的開催までが存在するのが本来の自粛である。自分たちで決定する意思を、風潮に奪われている状況は、決して喜ばれるべき状況ではない。


 繰り返すが、集団リスク回避と、個人的活動の実現を、ギリギリのところでバランスを取りながら達成するのが現代政治の根幹である。政治が、何もせずに個人の自由にゆだねることは無策であるが、同様に、リスク回避の為に個人活動に安易に犠牲を強いるのも無策であると言わざるを得ない。風潮が風潮のまま、終わればいい。しかし、気をつけなくてはいけないのは、風潮が政治に利用される時である。そして最も注意すべきは、安易に犠牲を強いる政治は、実は政治家ではなく、私たち自身、社会全体が作り出しているという点だ。

 風潮を作り出せば個人の行動を制限することも可能だ、という前例は、少ないにこしたことはない。社会は、多様性なのだ。自粛するも、自粛しないも、意見の価値としてはシンプルに等しい。大げさではなく、決して、個人行動の可否を権力者に預けるチャンスを増やしてはならない。

 一斉に、全部が自粛なのではなく、これはOK、これはNG、と風潮に屈せず判断していこう。面倒くさいけど、それを手放すのは止めにしよう。風潮に流れることに鈍感にならずに、集団のリスクも軽んじず、最適解を求め続けていこう。20世紀初頭と違い、私たちにはインターネットがあり、個々人の活動や思いを表明できる余地が残っている。

 自分たちの、本当に快適な未来は、正体の見えない風潮や、それを悪用しようとする将来の権力者に、奪われるわけにはいかないのだから。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


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〜そして、なんとなく、秘境のような、沢水の流れる田んぼを発見!〜

【新型コロナウィルス 参考記事一覧(2/28時点)】

【医師直伝】間違いだらけの新型コロナウイルス。〜いま日本人が知っておくべき6つのこと
https://www.mnhrl.com/covid19-6point-2020-2-28/

新型コロナウイルスと認知バイアス@
https://kuromarutakaharu.com/2020/02/24/coronavirus/

新型コロナウイルスと認知バイアスA
https://kuromarutakaharu.com/2020/02/28/coronavirus-2/

自然派医師 本間真二郎氏のFacebook
https://www.facebook.com/shinjiro.homma

つくば市長Facebook記事【新型コロナウイルスへの学校の対応について】
https://www.facebook.com/tatsuo21/posts/1878821665587643





 
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2020年01月30日

夢と悪夢の狭間で

睦月六日 晴れ 於大子町

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 大学時代の畏友が関わる核融合実験炉事業で、世界最大級の超伝導コイルが世界で初めて完成したというニュースが届いた。
(そのニュース


 自分はこれまで、自然農、持続可能な社会、有限な資源、身体と心の自然体、をテーマを追い求めて暮らしてきた。大学時代に恩師から「環境問題(資源エネルギーと、環境汚染と、食糧問題と、人口問題)」への関心を植え付けてもらってから20年以上、資源リサイクル業界を経て、持続可能な身体と心と社会の在り方の小規模実践を実生活で試行錯誤しながら生きている。


 人類の技術の進化がもたらす、飛躍と悪夢。私たちは常に、そのバランスの上で生き続けている。どんな技術の発展がもたらされても、生活というレベルで言えば、その技術の活かされ方次第で私たちは幸にも不幸にもなれる。森林伐採、放置、気象変動、治水技術の課題が複合化しての水害ひとつとっても、人類の技術の進化による恩恵と不利益の混沌が浮かび上がってくるように、2020年現在の、現実社会が、その飛躍と悪夢を雄弁に物語っている。
 別なレイヤーで言えば、世界の課題解決は、技術が解決できる課題と、心が解決できる課題のバランスの狭間にあるとも言える。テクノロジーによって解決の光が見えることもあり、しかしどのように運用されても、「心のありよう」に沿っていなければ、表面上の解決だけにとどまってしまう。

 原子力発電が世界に登場した時も、過去の私たちは、夢と希望に胸を膨らませ、同時に懸念も抱いてきた。そして、それは確かに現実に、夢と希望ももたらし、また残念ながら、懸念通りの事態も起こっている。
 情報技術(インターネット、携帯電話)の登場でも同様に、手放しでスマホ最高!と言ってる場合ではなく、実際は夢と希望と懸念の事態の狭間にあり、その恩恵と不利益の同時性の中で私たちは生きている。


 核融合技術の登場で、きっと世界は変わるだろう。核分裂技術が登場して世界が変わったよう。いや、もしかしたらそれ以上に。

 だからこそ私たちは、夢も希望もいだいて良い。大いに、夢をみよう。であるなら、同時に、どうか、核融合への懸念を表明する人がいる限り、(それは核分裂が辿った歴史を決して繰り返してはならないからこそ、)その声に耳を傾けてほしい。反対勢力ではなく、ともに人類の持続可能な幸福性の実現を願う同士なのだから。


 「夢の実現」という言葉は、必ずその裏側に「悪夢の実現」が離れずに存在する。そんな懸念を、どうか一笑に付すことなく、進んでいってほしい。

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 耕さず(つまり農業機械に頼ることなく)
 農薬・肥料を用いず(つまり化学工業への依存もせず)
 人の力でできる範囲で行う(つまり大規模農業化も目指さない)
 農の在り方

 を楽しむ自然農に、核融合はいらない。近代医療をおおむね必要としない心身治癒法や自然療法にも、エアコンも冷蔵庫も使わない自然派生活にも、化学調味料や合成甘味料や大量生産食品に依存しない自給自足的生活にも、核融合は別にいらない。

 と同時に、電気を使い、車に乗り、インターネットに頼り、日本国家に安全保障や生活インフラを確保してもらっている生活者としては、核融合技術がもたらすこれからの「便利さ」(しつこいがその裏に不便さが隠れていることもお忘れなく)の恩恵を受けることになるだろう。

 だからこそ、

 ファーストファッションの背後にある、国際的な劣悪な労働環境の存在。
 食料自給率4割以下の暮らしの背後にある、世界規模の農業環境劣化や水不足問題。
 情報産業の発展の背後にある、レアメタル金属採掘にまつわる紛争や殺戮の事実。
 
 ゼロかイチではない。賛成か反対ではない。課題解決は、バランスの調整でしかない。だからこそ、自然農の徒を自覚しているからこそ、大好きな友人が誇りをもって取り組み、かつ世界の夢を背負っている事業であっても、懸念を持ち続けて観察していく義務を果たしていかなければならない。

 とか言いつつも、自分にできることは、飲み会で友人に、「核融合核融合チョーシに乗ってんじゃねーぞ!」と悪態をつくだけなんだけどね(笑)。これからも、変わることなく、ポジティブに、フレンドリーに、盛大に悪態をつき続けていきたい。


 最後になるが、ホントにおめでとう!! ワクワクとビクビクを同時に捧げる! これからも世界をよろしくね♪

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2019年01月07日

KHJ(こうみえて・ひきこもり・ジェラシー)

師走二日 晴れ 於いすみ市

 1月14日(月)、成人の日の晴れやかな日に、150人超の人前でパネリストの一人として登壇することになった。


 「自分らしい生き方シンポジウム in 関東」
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 主催団体は、KHJ。「日本で唯一の全国組織の家族会(当事者団体)」で、家族・ひきこもり・ジャパンの頭文字でKHJ。なかなかポップ。
 さて、なぜこんな結構大そうなイベントに、ひきこもり未経験者の私が登壇する羽目になったのか。そもそも経験者でもないのに(しかも私以外の顔触れが、皆さんそうそうたるひきこもりキャリアの方々ばかり)、こんなところで偉そうに語りやがって、という声も聞こえてきそうなので、言い訳代わりに長々と書いてみることにした。(お陰様で当日は満員御礼なので、人集めの肩の荷はないのだ♪)


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 

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(全然関係ないけど、昨日は新月。これは満月。)



 この数年間、茨城県南で、ひきこもり経験者の主催する当事者イベント(ひきこもり大学茨城キャンパス)を微力ながらお手伝いをしてきた(行けないことも多数あり)。その縁で、ひきこもり当事者の方がゆっくり過ごして対話できる居場所「新月カフェ」を開いてみることになり、ほぼ毎月開催し、進行役を務めてきた。

 いわゆる「ひきこもり」という現象が、社会的に何か問題なのか、というのは実は重要ではない。誤解されるのを承知で書くが、いわゆる「ひきこもり」という現象は、例えばLGBT、例えば未婚者、例えば在日外国人の方たち、と同様に、当事者本人が困っているかどうか、という一点に尽きる。本人が困ってない、気にしてない、であれば、それはもう、本当に「問題」ではない。であるから、という理由において、困っている、悩んでいる、のであれば大いに「問題」なのだ。

 あえてややこしく書くのは、理由がある。
 
 それは、数年前の私こそが、「ひきこもりなんて、本人の意思が弱いのが問題だろう」と考えていたからである。その考えが、ひきこもり当事者の生の声を聞いて、180度ひっくり返った。

 「世界中で、一番人生と社会を悩みぬいている人種の一つが、ひきこもりの人たちだ!」

 大学で国際関係という学問に身を寄せ、いわゆる途上国を放浪し、環境問題などに関心を持った流れで、世界の困窮する課題にそれなりに敏感だという自負がある。だからこそ、社会の構造やシステムの狭間で産み出される惨禍で苦しむ世界中の人たちを心苦しく思い、その為に何かできやしないか、この日本で暮らしながら、何か彼らの力になれることはないかと、アリの歩みでありながらも活動してきた。
 
 だからだろう、日本は、裕福で、恵まれた国。何の検討もなしに、そう安易に思い込む自分がいた。戦争や、飢えや、劣悪な環境汚染などによって、命の危険にさらされている人たちに比べて、ひきこもりやニートなんて、ただの甘えじゃないか。多くの周囲に居た人たちと同様に(今でも多くのそうした声を聞く)、大したことじゃない。と切り捨てていた。

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 (勝浦港で見かけた、愛想のない野良猫)

 そんな考えが、一変した。

 日本社会には、基本的な、本当に根本的な、【教育】と【勤労環境】そして【一般常識】という構造(観念?)に、大きな欠陥がある。その事を確信したのは、イベントで聞いたこの言葉だった。

 「自分がひきこもっていたころ、毎日のように考えていたのは、世界の70億人の中で、自分が一番生きている価値がないということでした。」

 いったいぜんたい、私含めて今まで出会った友人知人の中で、自分の価値を『70億分の最下位』と位置づけられる人が一人として居ただろうか。たとえどんなに、悲しい出来事があったとしても。たとえどんなに落ち込むことがあったとしても。世界で最も価値がない人間・・・。私には、そんなことを考える勇気はない。

 でも、目の前で話をされるひきこもり経験者は、平然とそれを告白しているのだ。そしてイベント後の懇親会を機に何名かの経験者と話をすると、皆さん、結構サラリと、「まあそんな感じは普通でしたよね。」と口にする。しかも実は、かなりの深刻さを当時は含んでいたことも付け足しながら。私は思った。「この人ら、悩み方が半端ない。。。で、それ実際あなた悪くないし!んでこのヘビー級の悩みを起こさせてる今の社会(学校とか会社とか行政とか人生観とか)ちょっと変わらんといかんだろ!」。その感覚は、数年たった今でも変わっていない。


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 (冬の野原には、セイタカアワダチソウがよく似合う)

 その後の縁で、「じっくりと数時間、和室に座ってのんびり話す」という企画を話してみたら、皆さんの賛同をいただき、「新月カフェ」が実現する。そこから様々に縁がひろがり、土浦での家族会「スマイルアップ元気会」、「ひきこもり新聞」、「つながる・かんがえる対話交流会(つなかん)」などに顔を出すうちに、今回のKHJさんから声をかけていただくことになった。

 そして今、私は、趣味的な本気のライフワークとして、ひきこもり経験者の友人たちと、月に何度か、楽しく過ごしているのだ。


 ということで結論。
「ひきこもり」という状況は、ひとまずは、本人や周囲が、人生をかけて悩んでいるという点で、問題なんだ、ということ。次に、そのような(辛辣で過酷な)状況を産み出してしまっている日本社会には、まだまだ風穴こじ開ける必要がいっぱいある、ということ。

 だから私は、自分にできる範囲ではあるが、少しでも関わりを持ち続けていきたいなと思っている。

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 (勝浦港の岬にある神社への階段。高いところが好きな我が子ら。)


 余談。

 そういえば誰にも関心を示してもらえないが、ひっそりと、「自然体研究家」を自称している。自然体とは、無理してないのに、バランスが取れている状態のこと。人として、心と体が自然体であること。生命体として、地球と暮らしが自然体であること。それを大切に生きている(つもり)。

 その上で、学校に左右されないようにホームスクールで子育てをし、医者に左右されないように自己治癒で体を整え、経済に左右されないように無職(自由職)で暮らし、食糧事情に左右されないように自然の中で食べ物を育てようとしている。

 今の日本は、「ひきこもり」という状況が生まれている通り、人間も、社会も、不自然体な面がいっぱいある。ひきこもりを経験されている方は、その不自然さを、人生を賭けて訴えているのだ。私が大切にしている自然体を追い求めて生きていたら、縁あって「ひきこもり」の方たちに出会った。私は、社会の不自然さに対し、自分で、夫婦で、楽しみながら自由になろうとしているが、ひきこもりの方たちは、不自然さに捕まって悩まれていた。

 そんな因果で、きっと「新月カフェ」を開催している。新月カフェは、「参加した人が、社会的な不自然さからできる限り自由になって、安心して過ごすことを目指している場」だ。

 自然体は、単に身体と心の状態ではない。常識と思っている社会の仕組みからも自由になる「選択」でもある。金がないと生きていけない。学校に行かないと生きていけない。そう思い込んでいる常識は、不自然体である。私は、それから自由になった喜びを、存分味わいながら、これからも生きていきたいと思う。ひきこもり経験者の人たちとも時々遊びながら。ついでに、人生の悩みの深遠さを教えてもらいながら。


 こんなことを、当日話してきたいと思っている。


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「自分らしい生き方シンポジウムin関東」

 日時:2019年1月14日(月・祝)12:30〜18:00(受付開始12:00)

 場所:IKE・Bizとしま産業振興プラザ 6F 多目的ホール
   (東京都豊島区西池袋2-37-4)

 参加費:一般・家族・支援者2,000円、学生・本人1,000円
 ※参加には事前申し込みが必要です。

詳しくは、こちらのURLから。
https://www.khj-h.com/event/symposium/1953/


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2018年05月17日

お金を摘みに出る

卯月三日 曇り

 文化的サバイバルバケーション中である「パーマカルチャーと平和道場」を数日間留守にして、貨幣経済畑(世間で言う労働環境)で収穫(世間で言う給与)を手にした。その収穫物を分けて、電車に乗り、帰宅の移動手段を交換することができた。

 これはいったい何を意味しているのか。


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 マインドフルネスに身体操作を練りつつ電車に揺られながら漠然と考えが進んで行く。そうか、お金を稼ぐっていうのは、魚を釣るとか、乳を搾るとか、薪を割るとかと同様の、何かの目的物を手にする為の一手段に過ぎないんだ。生きる=お金を稼ぐ、ではないんだ。


 道場で実践している、「貨幣経済だけの世界で生きていかない」という試み。今までお金がないと生きていけないと思い込んでいた世界は、ただの貨幣経済のみの視点で見ていた世界に過ぎない。世の中のあらゆる資源(物質的な資源から精神的な資源まで)は、お金を介さないとアクセスできない訳ではない。お金がないと生きていけない、というのは自己暗示、あるいは社会暗示とも言える、思い込みだ。

 お金は、ツールだ。今この瞬間にも、貨幣を外した世界は存在している。命も、安心も、喜びも、愛情も、手伝いも、種蒔きも、炊事洗濯も、そしてなにより大地の恵みも、貨幣経済の枠にとらわれずに常に存在している。

 お金を介さないと交流(交換)できないモノが欲しいなら、お金を使用する必要があるのでときどき収穫に出ればいい。食べたい魚を釣るように。食べたい果物をもぐように。畑で菜花を摘むように。世界には、お金を収穫に出る、という自由が存在する。

 貨幣でしか換算できない経済のなかで暮らす人生から、貨幣に矮小化されない多様な経済の中で暮らす人生へ。それはどこか遠くに存在するものではない。今この瞬間にも存在している。いつか手に入れるかどうか、ではなく、気づけるかどうか。

 肥料や農薬や耕運機がなければ農はできない、という矮小化された農から離れることができるように。近代医療、薬がなければ健康は手に入らないという、制限された医療から自由になれるように。自然農や、自然療法(や心身治癒)などの試みは、机上の空論なのではなく実際に田畑として、治療として続けられているからこそ、力がある。であるなら同様に、貨幣経済に依存しない暮らしも、実践あるのみ。ギフトエコノミー、ギフトエコロジーは、自分がやるか、どうかだ。

 田畑の答えがシンプルで十全な自然の営みの中に存在するように、暮らしも、きっとシンプルで十全だ。試し、戻り、気づき、交わり、続いていく。試さないなんて、もったいない。世界は、ワクワクに満ちている。

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 そう、おもちゃもいらない、赤ん坊のようにね。


参考資料:「独立国家のつくりかた」坂口恭平著
     http://amzn.asia/37xWvjM



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2016年10月12日

正解を求めない

長月十二日 晴れ

 今の畑に自然農の手入れを始めてもうすぐ10年が経つ。ようやくサツマイモが、唐辛子が、ナスが、ピーマンが、実感をもって育ってくれるようになってきた。トマトも、キュウリも、オクラも、種を蒔いて、育てて食べるという喜びが、自然農の作業の中についてきてくれるようになった。

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 耕さず、虫や草を敵とせず、農薬肥料を必要としないで、人の力と自然の営みの中で育まれる農のあり方。自然農に、明確な定義はない。もしくはそうした農のあり方に、「自然農」という決まった言葉がなくても良い。千差万別、十人十色の自然感、エコロジー感と、持続可能性を前提とした大自然の采配が合い混ざって、一人一人の「自然農」的な栽培方法、農スタイルが存在してくる。
 古武術的な身体の使い方には「正解」という画一的な方法があるのではなく、個性に応じた「最適解」を探求する姿勢こそが求められる。自然と共生する農のあり方も、これと同様に「正解」はない。

  
 畑に実りが訪れてくれるようになって、それまでの積み重ねを振り返り、いったいどうして育ってくれるようになったのかを考えることがある。もしそれがわかるなら、その手法を確立したい、みんなに伝えたい、教えたい、のような気持ちがむくむくと沸き上がる。そして気がつくと、妻に、友人に、ああだこうだと、「今」の推論をわかったつもりで話してしまっている。
 しかし自分は実は何もわかっていない。川口由一さんが、福岡正信さんが、木村秋則さんが、ビル・モリソンさんが、そしてもちろん多くの余人が積み重ねてこられた、自然と共生可能な農のあり方のそれぞれの「最適解」をヒントに、それを現在進行形で探求しながら楽しんでいるだけでしかない。誤解を恐れず言えば、「わかりたい」とは思っていない。今の畑に立ち、季節を感じ、種を降ろし、草を刈り、育つと育たないの合間に過ごす。自分の個性として続けてきた、今日までの自然農的な応じ方の結果として、作物が育ってくれるようになってきたのは嬉しい。やっぱりね、嬉しいよ。「肥料入れなきゃ育つわけない」「耕さなくて育てるなんてありえない」「育たないのになんで続けるの」なんて声が気にならなかったと言えば嘘になるから。だからこそ、育つぞこのやろう、肥料も農薬も耕運機もなくて育てられるぞこんちくしょう、とも思っている(笑)。
 とはいえその一方で、肩を落としたくなるくらいに壊滅的に下手くそな、ニンジン、タマネギ、白菜、キャベツ。まだまだ、悲しいくらいに手応えが反ってこない。

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 自然農的な栽培を実践する方々の声に耳を傾けると、本当に多くの知恵と気づきが溢れている。そこには、真に迫ってくる「正解」のような技術、手法が存在する。そしてそれは今の世の中、簡単にWebを通じて目にすることができるし、実際に訪問して覗くこともできる。それらに触れると、ワクワクし、興奮し、想像力と好奇心が沸き上がってくる。試してみたい、なるほどそういうことか、自然の懐は深いなあ、皆さん視野が広いなあ、と心が動き、自分なりに咀嚼した上でおいしいとこ取りしていく。

 そういう意味では、苦手としている上記の野菜たちにも、すぐに結果があらわれるような正解が存在するかもしれない。しかしそれはきっと自分自身の最適解とは、少しだけ離れて存在する。そしてその最適解は、きっと「わかる」ではなく、「訪れる」という姿であらわれる。今年の畑に訪れてくれた、ナスやピーマンや、唐辛子たちのように。まずは肌感覚として、それに加えて若干の、自分なりの系統的な理解もブレンドされて。
 もちろん、この最適解はいまこの瞬間のものであり、畑が変遷していくなかで自分と共に常に進行していく。だからそれは変わりもするだろうし、あまり変わらないかもしれないし、どっちでもいい。重要なのはただ、嬉しい畑、心地よい畑に立てる自分でいられるように向き合うこと。今までもそうしてきたように。これからも。

 自然農での上手な育て方を知りたい、わかりたいという思いはそっと横に置いて、「こうかも、ああかも、良い感じ、つかめた気がする」的なアプローチ。こうした試行錯誤の積み重ねを、大自然の摂理の足元で甘えながら続けていきたい。うまく育ってくれた時も、うまくいかなかった時もまるごと含めて。その道のりこそが、自分にしか楽しめない自然農だから。

 これが自分なりの自然農の「最適解」であったからこそ、地位も名誉も収入もない中で、笑って生きていけるんだと思っている。

 さあ、エンドウ、空豆、カブに麦、秋後半の種まきが、また始まる。


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2016年01月03日

2086年

霜月廿三日 曇り時々晴れ
 
 あけましておめでとうございます。  

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 国際社会のために何かしらやってみたいと思って22年。
 自然環境のために何かしら貢献したいと思って19年。
 自然農と共に暮らしてゆきたいと思って14年。
 今の田畑と共に歩み始めて9年。
 
 なかなかいいペースで、同じ線上に歩みを進めてきた。

 大晦日の夜に長女が選んできた読み聞かせの絵本は、古事記の最終章の音読だった。新年の一歩は、ひとりで勝手に地球食(※記事末尾参照)と名づけた、我が家のスペシャルおせちで幕を開けた。第二歩目は、自然農の畑と田んぼに散歩しての、初詣だった。そして今日は、地球おせち(笑)を食べながらの、通常運行の豆の脱穀作業だった。
 
 
 今手元にある「麦とホップ」のホップは、大麦は、いったい誰が、どこで、どんなやり方で栽培したものか、知る術は無い。秋田の義祖母から届いた抜群に美味いリンゴは、いったい誰がどんな気持ちで育てたのか。おでんのつみれに仕立てたイシモチは誰がどこで(茨城産らしいが)釣り上げたのか。最近のスーパーではめったにお目にかかれない食品添加物フリーのさつま揚げは、どんな工場でつくられたのか。

 ほんの一昔、百数十年前の時代まで、私たちは、もっと小さく、狭く、顔の見える、手の届く、そして煩わしく、不便で、一部は不公平で、不条理な、世界に存在していた。西暦2016年、平成二十八年の今、私たちの世界は、大きく、広く、ネット上では顔が見える、しかし手は届かない世界であり、しかし相変わらず、煩わしく、便利で、いまだに不公平で、不条理なままなのだ。


 昨年、戦後70年を迎えた。今日の70年前の1946年、戦後の焼け野原に立つ日本人が、今の時代を想像することはできただろうか。さらに70年前は西暦1876年、明治9年。エジソンが白熱電灯を実用化したのはこの3年後である。日本ではまだ上下水道の普及もままならなかった。そしてその逆に、今から70年後の2086年とは。

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 日本人口の減少を危惧する人たちは、まだ1億3千万人キープしているべきと本当に思いますか? 世界の人口は100億をゆうに超えているのだとしたら、食糧問題は解決してますか? 化成肥料や石油由来の農薬、ガソリン重油が無ければ不可能な遺伝子組み替え作物の栽培はまだ続いてますか? 穀物を育てるエネルギーの何十倍も必要な牛肉をありがたがる文化も存在してますか? どこでもドア、タイムマシンは、完成してますか?
 私たちは、自分の人生に、そして子供たちの将来に、いったい何を望んでいるのだろうか。祖父母、両親たちの望んできたように、物質的、経済的における量的な向上は、今の自分も将来も、幸せとイコールですか? そのレール、その流れが70年続くと思いますか? 

 科学技術を否定せず、しかし有限性を認める。経済発展による利便性を否定せず、しかし持続不可能性も認める。そして現代社会の矛盾に目をそむけず、自分の内側にも真摯に目を向ける。
 
 新年を祝い、FacebookやSNSで幸せを他者とシェアしても、それは消費のシェアなのかもしれない。その消費活動は、現代社会の中では、絶対に、地球上の誰かの犠牲の上に成り立っている。人に対して、動物に対して、植物に対して。食物連鎖とかそういう意味ではなく、倫理的な、道徳的な意味での、実際にその者を不幸にしているという意味での犠牲だ。食料であれ、工業製品であれ、サービスであれ。

 何のために働き、何を食べ、何を排泄するか、そしてそれは世界とどうつながっているか。70年後は、おそらくどうあがいても、それらと向き合うことなく暮らすことはできない世の中になっているだろう。新年を祝う、そのワインは、その伊達巻の卵は、海老天の海老は、家庭を照らすLEDの材料は、いったい、今と同じように無意識的に消費して楽しむことが許される世の中になっているだろうか。世界は、地球はそこまで、絞り尽くされてくれるだろうか。


 だから、今、ここから、始めてみませんか?

 農作物にとって自然なあり方とは。
 社会環境にとって自然なあり方とは。
 身体にとって自然なあり方とは。
 心にとって自然なあり方とは。
  
 それは、新しく発明するようなメソッド(方法)なのではなく、これまで生きてきた人類が、様々に気づき、醸造し、語り継いできたもののなかにひっそりと隠れて存在している。決して難しくもなく、スピリチュアルなグッズを手に入れることでもなく、原始生活に没入するわけでもなく、今の自分からの一歩。ヒントはそこらじゅうにある。ただ一歩ずつ、今の自分を形作る一つ一つの要素に目を向けて、それは自然なあり方なのか、継続可能なあり方なのか、変えることが出来るとしたらどうすればいいか、それらを、自分で考えて見つけていくこと。ただそれだけで、70年後の世界は変わっているはず。

 自然農の田畑にふれることで、そう、確信するようになった。


 田畑と共にありながら、自然農からの想いを広げ、自然環境を守り、国際社会の未来を築く。高校生の頃からの想いが、逆回転しながら、また進み始めた。
 
 より、田畑の本質へ
 より、身体の本質へ
 より、心の本質へ

 言ってることはちょっとヤバイですが、ちょっとヤバいくらいじゃないと、70年後の将来なんて彩れるわけがない。やるしかない。


※食べ物から地球を見る。
 食べ物で地球と話す。
 その食事が、いったいどれほど自然に負荷をかけているか。
 その食事が、いったいどれほど自然を育んでいるか。
 大げさに言えば、そういう意識が、これからのトレンドになる。
 そういう意味で、満足度とエコロジーを両立させている
 我が家のおせちは、地球食なのです。

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2015年03月11日

幸せとは

睦月廿一日 晴れ

 2015年3月11日。


 昨晩、遅くまで漫画の単行本を読みふけってしまい、7時半ごろに、眠さをこらえながら目を開けた。珍しく午前中に外出予定がある妻の代わりに、次女を毎朝恒例のおまるにセットする。抱えながらも軽く瞑想しながら十数分、今日も次女は快便をひねり出した。小生はといえば、朝飯後に、隣接の林で今日もひとひねり、こちらも快腸である。

 朝ご飯は珍しく自分が担当した。玄米を精米機で三分搗きに精米して、香り米、神丹穂(赤米)をブレンドし、圧力鍋を火にかける。昨晩の味噌汁やスープパスタの残りを活用して、たっぷりのカレースパイスと豆乳をミックス、ノンオイルのカレースープが完成した。後はキャベツを山盛りに千切りして塩もみし、傷みかけのリンゴをスライスして、クミン、ブラックペッパー、黒ゴマをたっぷり利かせて最後にオリーブオイルをひと掛けし、簡単サラダを添えて完成。出発の時間が近づいた妻と長女は慌ただしく朝飯をかきこみ、次女に乳を飲ませて、二人は用事に出かけていった。

 残された小生と次女は、洗濯物を干した後、うららかに陽射しがさす庭にでて、のんびりと春を満喫することにした。

 
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 ゴザを庭に敷いて、アウトドア用の敷き毛布を広げ、その上に次女を転がせる。既製品のおもちゃがどこかしら不自然に思い、庭に落ちていた木の枝を拾い、少し磨き上げて、次女に渡してみた。柔らかいものも、と思い、花が開ききったフキノトウも横に並べておいた。次女の今日の仕事は、大自然の気候の中で、存分に春の訪れを体感することである。

 
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 さて、こちらはこちらで、庭仕事にとりかかる。妻からの提案で、今年は庭も存分に楽しむことにする。観賞用か、たまの子供の遊び場程度しか活用されていなかった庭の奥の築山は、起伏を利用してスパイラルガーデンへ。さらには、キッチン横の庭のスペースをフル活用して、アウトドアキッチンにしてしまおう、というアイデアも。とにかくまずは築山の整備。剪定したままほったらかしにしていた梅の枝を隣の空き地に移動させ、スパイラルガーデンに日が当たるように、上に伸びた柿の木、シイの木、金木犀らを大伐採。伐採した枝の中で、大ぶりなものを採寸し、野外カマド(三点櫓式)の組み木用に加工した。また同時に、アウトドアキッチンエリアを草刈りし、コンクリの床を掃き掃除して、煮炊き用の簡易カマド(スチール製)を設置した。



 次女は時々泣きながらも、庭を動き回る父を探し、笑い、青空と満開の梅を満喫している。

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 昼過ぎに、妻チームが帰宅。庭の模様替えを確認し、おもむろに妻が、「今日、火起こしの練習してもいいかな?」と目を輝かせた。妻はすぐさま台所へ戻り、なにやら調理の下準備を始める。練習というくらいだから、と思い、枝集めや焚き木の準備はあまり手伝わずに、小生は別の野良仕事、小豆と黒豆の唐箕選別に取り掛かる。

 よそ行きの服から汚れ対策完備の服に着替えた妻は、長女と一緒に煮炊きを開始。炊きつけ、火力、色々と心配しながらも、簡易カマドの上に載せた鉄鍋の汁が沸騰し始めた。長女らの歓声があがる。庭に転がされていた次女は昼飯(おっぱい)後は小生に背負われて、唐箕に煮焚きに連れまわされている。

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 小豆の選別がひとしきり済んだ頃、夕日もまだ高く残るうち、今宵のディナーが完成した。レバーと韮の味噌煮鍋に、朝炊いたご飯の焼きおにぎり。(料理の詳細は妻のBlogにて。) 庭で食べよう!と喜ぶ長女の声に応じて、簡単にアウトドアテーブル(ひっくり返した鉢、ベニヤ板、ゴザ)をセット。ワインが飲みたくなってたまらず、キッチンからテーブルワインを持ち出し、少し早めの夕餉をいただくことにした。


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 3月11日。震災の記憶はない長女に、少しだけ地震と津波の話をして、いただきますの前に少しだけあの日に思いを寄せる。


 妻と、初煮焚きの出来とワインに満足しながら、存分に幸福を満喫した。 

 これ以上に思いつく幸福って、どれほどあるだろうか。10ヶ月の赤ん坊が、庭に寝転んで自然の下で春を味わい、庭木を切った焚き木で煮炊きし、青空と梅を見ながら、本当に美味しいご飯を食べる。毎日がこれでなくても、時折にこんな夕餉を囲む幸せがあり、これ以上何を望むのだろう。

 もちろん、夕食のレバーはスーパーで購入し、ワインは遠くチリから輸入されていて、井戸水は電力会社のおかげさまで電気ポンプによってくみ上げ、現代文明にどっぷり浸かりながらの幸せでもある。とはいえ、これ以上、リニアモーターカーを敷設し、原発を再稼動し、インターネット文化に依存し、持続不可能な美食文化を追いかける、そんな未来、本当に、必要なんだろうか。政治家の皆さん、官僚の皆さん、大企業の皆さん、いったい何をそんなに求めるのでしょうか。 国際関係の中で、必要最低限の、国力の確保は、ある程度の規模で考える必要はある。しかし、それ以上の幸福って、今日のこの、我が家の庭での一日以上に、そんなに考え付くもんなのかね。


 同級のエリート諸君たちからも、日本を牽引して来られた先輩方々からも、就職活動に汲々する後輩の皆さんからも、この答えってあんまり聞いたことない。


 みんなは、いったい、何を求めてるの? 


 少なくとも我が家の幸せは、こんな一日が、時々訪れる日々なんだ。
 そう確信しているのです。


 
第八候: 啓蟄次候
【桃始笑(ももはじめてさく)】
=桃の花が咲き始める=
 (新暦3月11日頃〜3月15日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2014年12月30日

丸められんのか?

霜月九日 晴れ

 白菜ひと玉結球させるのに、7年かかった。小さく、小さく、霜に外葉を枯らしながらその白菜は少しずつ膨らんでいる。

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 今の畑に移って自然農を始めて7年。今年ようやく、友人との共同企画として実験的な試みを試した区画での成果。もしこれまで同様の畑だったら、果たして結球させられていたかどうかはわからない。いやおそらく、できてはいないだろう。

 農のあり方として、技術として、知識として、白菜を結球させることは、今の時代難しいことではない。ではいったい、結球させるために7年掛けることに、果たして意味はあるのだろうか。

 有史以来、人は、自分の望みに適う「自然からの恵み」を、いったいどれくらいの速さでどれくらいの規模で生産してきたのだろう。今私たちが数百円(時期によっては百数十円)で手に入れることができる白菜を、いったいどれほどの年月をかけて育種し、積み重ね、改良し、その知恵を積み重ねてきたのだろうか。

 とはいえ、自然農は、別にそんなことを体感するために行う農法ではない。10年ほど前に小生が自然農に取り組み始めた頃と比べても、わかりやすいテキストになるべき書籍が何冊も発行され、自然農で作物を育てる「方法」が情報化され、技術化され、もしかしたらお手軽になっているのかもしれない。きっと上手な白菜の育て方も書籍の中を探せばのっているはずだし、きっと育つのかもしれない。

 実際にこれまで何度か白菜の種を蒔き、苗を植え、収穫することを夢見てきた。しかし、育たなかった。

 大きく、甘く、形良く、育てるのが目的なら、きっと他にもすべがある。だから、肥料を使ったり、機械を使ったり、農薬を使えば、丸い白菜という結果を手にすることはそれほど難しいことではない。だが、白菜を丸く結球させるのに7年かけてそれを楽しむすべは、自分が取り組んでいる自然農において他にない。

 
 自分の人生を何に費やすか。

 とりあえず今の自分は、これからさらに数年かけて、無肥料、無農薬、不耕起の自然農で白菜を上手に育てることを一つのテーマに生きてみる。それは決して生産的ではなく、活動的でもなく、ポジティブでもスピリチュアルでもなく、ただの、流れみたいなものなのだと思う。それで金を稼ぐとか、名を成すとか、国家を背負うとか、日本をよくするとか、そんなもん関係なしに。
 
 インターネットや雑誌やFBの中で声高に世界や日本や社会や人生を息巻いて話す人々の声を聞きながら、お前らは、肥料なし、トラクターなし、農薬なしで、白菜丸められんのか? と思っていた。「いや別に育てなくていーし」と言う声も聞こえてきた。 そして来年の俺、白菜丸められてる?

 2014年、最後の雨上がりの畑に出て、まだまだ決して丸まっていない、中途半端な白菜をながめながら。


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  明後日の新暦1月1日は、七十二候の「雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)」。 とりあえず、麦は生えたぞこんちくしょう。


第六十七候: 冬至末候
【 雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)】
=雪の下で麦が芽を出す=
 (新暦1月1日頃〜1月4日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※



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2014年08月11日

38年目の真実

文月十五日 曇り

 
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 先日、38歳になりました。小生が生まれた年(1976年)に、今の自分と同じ38歳だった方(ということは1938年生まれの方)であれば、今年76歳になられることになる。それはちょうど、今年生まれた次女が38歳になる2052年(!!)に、小生が76歳を迎えることと同じことを意味する。ということは今の倍生きてようやく、今の川口由一さん(我が心のお師匠です)よりも一つ歳を重ねていることになる。

 38歳。小生が生まれた年(1976年)に米作りを始めた方がいるとすれば、今年の夏は38回目の稲作になる。こちとらまだ、今年で12度目の稲作。

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 先日の集合日の午後、つくし農園のプレーヤーさんたちと「自然農」にまつわる意見交流会をひらき、おなじみ「話す・聴く・気づきのワークショップ」のスタイルをとりいれて数時間すごしてみた。その中で、これまでの自然農の畑の変遷を今年の視点から見たときにどう感じるか、と話す機会があった。今の畑に移った7年前、正直、自分はもっとセンスがあって2,3年あれば豊かな自然農の畑になって鼻高々に収穫し、周囲に胸を張っている姿をイメージしていた。意見交流会では、いやはや、うまくはいかなかったですねえと、苦笑いでこの7年を振り返っていた。
 そして今、である。ようやく、育ってくれる作物とまだまだ育ってくれない作物の感覚をつかみ始め、一方で手を焼いてなかなか豊穣な畑に育てられない区画もあり、あるいは知人友人との試行錯誤で自然農のスタイルの中で効果的に畑を豊かにしていく手法も実践していたりもする。しかしながらその過程はただただ楽しいばかりであり、当初のイメージ通りに進まず、7年かかってもまだまだこれからと思う自分に何の不満も反省もない。対外的に(いい子ぶって)反省しているようにみせようかという自分もいなくはないのだが、しかしやはり、現在の状態は自分にとってはあくまでも自然体の結果でしかなく、そう生きようと決めて暮らしている以上、この7年の田畑の歩み(ひいては自然農に出会ってからの12年)には、全く後悔がない。

 
 38年、良くここまで育ったもんだね。育ててくれた周囲の環境と、自分をここまで導いてくれた霊性(としか表現しにくい、感性とも、直感とも、偶然とも、運命とも、魂とも言い表せない自分自身の内的な存在)に、感謝して、受け入れることしかできない。

 前述の意見交流会で、自分を自然農の田畑に立つ作物だとしたら一体どんなイメージが沸くだろうか、という問いかけを、出席者に(もちろん自分にも)投げかけてみた。そのとき小生がイメージしたのは、今の畑で一番苦労している区画で育てた、タフに、しかし疲弊しながら、小動物や病気に時折やられながらも、小さいながらなんとか芋を太らせてくれた、リアルな我が畑のジャガイモの姿であった。ジャガイモになった小生は、そのジャガイモの自分を栽培してくれた妄想上の生産者(おそらく自分自身)に対して、「芋は小さいかもしんないけど、この畑では自分ができるのはこれが精一杯だし、この畑で育てるんだったらこれが限度だよ!これからもっともっといい畑になるんだろ? このままでもいいし、もっと工夫してもいいし、なんでもいいけど良い感じの畑にしていってくれよ。」と声を掛けていた。

 命は、その環境の中で、自ずから最大限の力を発揮しようと、あらかじめ創られている(設計されているとも言って良い)。それはもちろん、人間も同じである。どこであれ、誰であれ、生命体である人間を謳歌しようとするならば、その環境の中で、その人生の中で、その制限の中で、最大限に生ききるしかない。それはただ前向きポジティブな姿勢を意味するのではなく、ネガティブな時期も、失意の時期も、その中での最大限自分が向き合える範囲で生命力を保ち続けることだっていい。(その意味では堕落だって許されている。) 命ある限り、ただただその瞬間における、自分の自然体の伸びしろを楽しみ、生きてること自体を楽しめるかどうか、である。日常的な、現実的な、具体的な、成果や、目標や、困難や、しがらみは、いかにもな顔をして人生に圧し掛かってはくるが、自分の人生の奇跡的な運命力に比べてしまえば、何のことはない。それに負けるくらいなら、それに埋もれてしまうくらいなら、全てを投げ出して、自然体としての自分に向き合えばいい。

 その自然体の作り方のヒントが、自然農であったり、ワークショップであったり、その他もろもろの、自分が今、人生を掛けて関心を抱き、時間を費やしている諸々のテーマなのだ。今の田畑に立って7年、自然農に出会って12年、この世に生を受けて38年。人生という畑に育ち、自分というその制限の中で生命力を謳歌している今、ここらでまた一つ、新しい扉を自分でこじ開けようと、もがき始めてみることにする。

 キーワードは「自然体」。ただただ、周囲と自身の相互反応の海の中で、航海していこうと思っている。さあ楽しみになってきた! これが今の、38年目の、自分のありのままの真実。





 さて今日の畑。38歳3日目にして出会った、生まれて初めて知ったミニトマトの真実。


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 綺麗に実をつけたトマトの実は、赤から黄、黄から緑に、上下に見事なグラデーションをつけて実り進む。ここまで見事な自然の美しさに、この歳になって初めて出会い、そして湧き上がるような喜びに浸った。目にした瞬間、写真や伝聞では決して伝わらない、なにかとても尊い真実を、胸に刻むことができたような気持ちになった。この自然の美しさが圧倒的に伝える「美」。それが、常に我々の生きている隣に存在している。

 生き続ける限り、知らないことが無限に存在し、生きるたびに新たな発見に出会い、感じいり、楽しむ事ができる。知れば知るほど、知らないことが増え、その知らないことを知るが故に、また知れる喜びを手にすることができる。それもまた、この歳になってあらためて実感する、真実でもある。

 これらの真実を、知った風でもなく、誰に見せびらかすでもなく、誰かの為とかの善意でもなく、純粋に生命体の欲求として、同時に人間の好奇心として、追及してみたい。あくまでも、自然体に。ミニトマトは、誰かを喜ばせようとしてグラデーションをなしているわけではない。あくまでも、トマトのその自然体がもたらしたグラデーションを観た自分が、それを楽しんだだけである。

「自然体」は美しい。翻って人間にとっての「自然体」とは何か。その問いをこれからの暮らしの中に、常に忍ばせていけますように。それが自分にとっての「自然体」であれますように。


 38年後。あと38回田植えを経験した自分は、いったい何を想ってそこに立っているだろうか。そう想像するだけで、ワクワクが止まらないじゃないか!

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2014年01月22日

自然であること

師走廿二日 雪のち晴れ

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 雑草屋として、自分はなぜ生きているのか。

 それは、自然農の哲学から広がる様々な「自然であること」に目を向けて、耳を傾けて生きていきたいからだ。

 と、最近お会いした方との話の中で気がついた。

 
 雑草屋とは別で活動している「つくサス」。その活動として今は映画の上映会に向けての毎日。

 映画「地球交響曲」シリーズは、登場する全ての出演者がそれぞれに辿り着いた「自然であること」が語られるドキュメンタリーである。ある人は宇宙から地球を眺めた体験を通して(第一番:元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート氏)、ある人は一本のトマトの苗に1万3千個のトマトを実らせた体験を通して(第一番:植物学者の野澤重雄氏)、またある人はヒグマをカメラで追い続ける体験を通して(第三番:写真家の星野道夫氏)、それぞれに「自然とは何か、自然であることは何か」に迫っていく。第一番から第七番(第八番は現在製作中)を通して、紹介される出演者が見つめる先には常に、地球と人間が調和して存在している。
 
 自然農は、自然に目を向け、耳を傾けなければ存在しない農のあり方でもある。「耕さない、虫や草を敵としない、肥料や農薬を使わない」という言葉は目的ではなく、目を凝らして、持続可能な「自然のあり方」に耳を傾ければ、おのずと自然との関わり方がそうなっていく、というアプローチに他ならない。

 「自然であること」とは、当然ながら、自然環境のことだけに留まるわけではない。心が自然であること、体が自然であること、暮らしが自然であること、それらを考えるだけで人生は留まることなくめぐり続け、果てることがない。

 農が、食が、「自然であること」を目に向けたら「自然農」をしていた。
 対話が「自然であること」に目を向けたら、「話す・聴く」ワークショップをしていた。
 子育てに「自然であること」に目を向けたら、「こぐま塾」をはじめていた。
  
 体が「自然であること」に目を向けたら、「古武術」や「ヨガ」に親しんでいた。
 心が「自然であること」に目を向けたら、「ヴィパッサナー瞑想」を体験していた。
 感覚が「自然であること」に目を向けたら、「ネイティブアメリカン」の教えに耳を傾けていた。

 全てが生きる生業(なりわい)になるわけではない。お金を生む生まないは重要な世の中であるが、それ以上に自分は、「自然であること」に寄り添って生きていきたい。大自然で野生として生きることが「自然」なのではなく、どんな世の中でも、「自然であること」とは何かと問い続けながら生きること。それが自分なりの、最大限の、地球と調和して生きていくことなのだと思う。


 人は自分の人生で全てを体験できる訳ではない(本質的には、全ての体験は共通しているとも考えているが)。しかし、他人の真に迫る体験を通して、擬似的にそれに近づくことは可能である。共感と想像力をもって体感し、それを自分の人生に落とし込むことができれば、それは自分の体験として深く刻み込むことができる。映画「地球交響曲」シリーズは、そうした共感力を持つ、数少ない作品の一つだ。

 日常を退屈とは思わずに、きっとワクワクに満ちているだろうと生きている方には、まさしくその門が開かれている。逆に、ネガティブな日常と閉塞感を抱えて生きている方にとっては、そこにカウンターパンチを浴びせてくれる。映画をきっかけに、まず自分が「自然であること」を取り戻し、そして同時に地球と人間の関係が「自然であること」に目を向ける人が一人でも増えてくれることを願っている。


 そう願う気持ちは、きっと小生自身の気持ちが「自然であること」に適っている・・・はず・・・?



 2014年1月25日(土)
 映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番」
 つくばカピオホールにて上映!


 詳細はこちらからアクセス!




 
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2013年09月18日

野分(のわき)

葉月十四日 晴れ

 一昔前の日本では、秋、特に二百十日(9月11日ごろ)を過ぎるころから訪れる、強い雨風を野分(のわき、のわけ)と呼んでいた。明治時代に気象用語として「台風(もともとは、タイは風偏に台の字)」という言葉が使われて現在に至り、今では野分という言葉はほとんど使われることがなくなった。思いを巡らせてみれば、天気図などは明治時代、気象衛星にいたってはつい35年ほど前からの運用であり、天気予報についても現在のような気象観測による予報などはされるはずもなく、農民にとって天気とは、もっぱら「読み」と「受け入れ」によって対応されるものであったに違いない。もちろん、その「読み」は現代人にはとうてい持ち得ないはるかに繊細な技術と伝承が残されてきたはずである。つまり、我々がいとも簡単に手に入れている「天気図」や「ひまわりの画像」がない頃は、渦巻状に表現される現代の台風的な認識は存在せず、二百十日を過ぎる頃にしばしば強い雨と風が訪れ、その後にからりと晴れの天気となる、という現象のみが存在していた。それをご先祖様たちは、強風によって草が押し倒される様をとって「野分」と名付けたのだろう。

 さて、先日の野分。日本各地に大きな被害をもたらした台風18号がつくばも通り過ぎた。方々から、ご心配の声もいただいたが、幸い小生の田畑には目立った影響もなく過ぎ、胸をなで下ろしている。

 この夏の、とりわけ少なかった雨に苦しんだ田んぼでは、本当に久しぶりに水面があらわれた(水田に久しぶりに水面があらわれるというのもおかしな話であるが)。稲に瑞々しい活気が取り戻され、遅まきながらも、不幸中の幸いながらも、安堵の気持ちが訪れた。野分の字面どおりに倒伏してしまうような稲穂もほとんどなく(一部の、生育が早かった農園プレーヤーさんの区画には少し傾いた区画も見られたが)、むしろ水面のにぎわいを稲が楽しんでいるように感じられるほどだった。
 
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 畑では、たっぷりの保水に喜び勇んだかどうかはわからないが、台風襲来直前に播種した葉物野菜の種が、そろって発芽していた。蒔いても蒔いても日射に負け気味だった8月に比べて、なんとも嬉しい一斉発芽であり、思わずニヤニヤがとまらない自分がいた。


 ふと、隣接する、耕起に耕起を重ねている、農家さんの畑地が目に入る。特にその畑地は、栽培目的ではなく、ただ雑草を生やしたくないという理由で年に何度もトラクターによって耕されている、軽油を使用して大地を引っ掻き回しているだけという、なんとも不思議な土地だった。(そういう土地は実はこの周囲には多くみられるのだが。) その、土がモコモコに耕された大地は、今回の強い風雨によって大きく削られ、流されていた。そしてその流出は、決して今回の台風に限ってのことではなく、また決してその土地だけに起こることでもなく、日本中世界中で行われている「耕起」された大地に雨が降った際に起こる土壌流出現象の、氷山の一角に過ぎない(詳しくは記事最下部参照)。どこでもいつでも、土地が耕されて雨が降るかぎり行われる、ごくごく日常の光景の、ちょっと目立った現象なのだ。

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 一方自然農の畑に目を移す。そこにはむせ返るほどの雑草と作物が生えており、多くの大地は表土が守られている。雨が降って叩くのは土壌ではなく、葉であり枯れ草であり、直接土には当たらない。また伝わり落ちる雨水は土を洗い流さず、根っこや枯れ葉に守られた土はそれほど流出することなく済んでいる。大豆は、足元の土壌が流されずに土が減ることもなく、また下草にも支えられたのか倒れるそぶりも見せず、変わらず残っていた。台風直前に蒔いた種も、種まき後に上に掛けた枯れ草によって守られ、流されずに済み、台風一過の陽気を受けて盛んに発芽した。

 
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 自然農以外をほとんど体験したことがない小生にとって、その他の農地で台風後にどんな様子になるのか、明確に体感したわけではないのだが、あえて自分中心でいえばこの自然農の田畑の優しい様子は、いつもストレートに心に染みる風景となっている。

 今回は、たまたまに、流されずに倒されずにすんだ規模の野分だっただけであり、過去に、はるかに強い雨風に襲われた際には、水に浸かるわ畝は崩れるわ作物は軒並み倒されるわ、ということもあったのだけどね。とはいえ、自然農には、ちょっと変化球的な、こうした環境保全的な側面もあるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※蛇足であるのを承知で付け加えれば、こうした土壌が流される問題は、「土壌流出」や「表面流出」といったキーワードで農業や環境問題の世界規模の課題として認識されている。単に土壌がやせてしまうという現象についてのみならず、特に現代農業での化成肥料や農薬などの化学物質の流出(場合によっては過分な有機肥料も問題とされることもある)による環境汚染などが、世界規模での大きな問題となっている。

 参照:土壌流出(wikipedia) 、 表面流出(wikipedia)


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2013年05月26日

知らない

卯月十七日 曇り時々晴れ
第二十三候: 小満 次候
【紅花栄(べにばなさかう)
=紅花が盛んに咲く=
 (新暦5月26日頃〜5月31日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


 一ヶ月ほど前のつぶやきの記事をなぜか今頃。

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 知らないことを知っていると振舞うとき、いったいどれほど多くの気づきを失ってしまっているのかということに、鈍感になってはいけない。

 普段から、自然農や興味をかけている物事に限らず、「知る」もしくは「体験する」ことに触れる機会は少なくない。それはネイティブアメリカン(インディアン)の教えに触れるワークショップであったり、古武術の体の使い方を習う稽古会であったり、自然農を実践される方との雑談であったり、はたまた子育てについての四方山話であったり。

 例えば昨年の、インディアンの教えに触れるプログラムへの参加では、3日間を山の中で、火をおこし、寝場所を確保し、野草を食べるという体験に触れた。そこで小生は、主催者であるKさんや一緒に参加された方達との話の折のついついしてしまう行為として、「ああそれは知っている」という態度や反応を、条件反射的にしてしまったことがある。
 プログラム内では、キャンプ地付近の山林で食べられる野草を探すという時間があった。ついつい、「Kさんの次に知っているのは自分である」と言わんばかりに、外側は普段どおりに落ち着いたようなそぶりを見せながらも、内心は嬉々として「あれも食べられるこれも食べられる」と行動している自分がそこにいた。また、火をおこすという時間でも、「一度体験したことがあるから大体は知っている」とどこかで周囲に表現したかったらしく、Kさんのエッセンスを受け取ろうとするスタンスになりきることが出来なかったことを思い出す。そこで小生が「まだ知らないことはたくさんある」という姿勢を保つことができていたならば、おそらくもっと多くの事象に触れ、新しい気づきへと繋げることができたかもしれない。しかしその時は確かに、どこかの誰かに(もしかしたら自分自身に)、その時点での自分を一所懸命に表明しようとして、気づきを増やす貴重な機会を失ってしまっていた。

 自分が興味を持ちその真髄に触れたいと思い、先人の智慧に習おうとするときに、このような小さな自我の表明ほど、その真髄から自ら遠ざかってしまうような行為はないように思う。「まだ知らない。まだまだ知らない。」だからこそ、その智慧や自分自身の気づきに対して今現在の瞬間で全力に向き合いたい、という動機が生じる。知っている、聞いたことがある、考えたことがある、それなら解っている、と思った瞬間に、教えは教えでなくなり、最も重要な、エッセンスも香りも空気感も立ち消えてしまう。結果、本で読んだような知識とそれほど大差のない、「それを知っている自分」という肩書きをただ上塗りすることになっているのに気がつかず、絶えず似たような経験を繰り返すことになる。ついつい。それどころか、むしろ「気持ち良い」行為として。

 小生は、自然農や、話すこと聴くことにフォーカスするワークショップや、古武術的体の動かし方や、シュタイナー的な教育や、ウィパッサナー瞑想のような心の整え方や、パーマカルチャー的な自然環境への接し方などに、興味を覚え、自分の時間を費やし、職業として取り組んでいこうとしている。その中で、おそらくは「自分は知っている」と表明しなければ商売として成立しにくい機会は数多くあるだろう。金銭のやり取りが発生する際に、客サイドから「知らない人物に教えてもらいたくない」、「知っている人だからお金を払える」と思われることなど山ほどあろう。であるならばこうした場で「知らない」と書くことはただのアホらしい表明なのかもしれない。しかしだからこそ、そうした場面であっても、できうるかぎり「まだ知らないことまでも知っているように振舞ってしまう」欲求から解放される自由を持ちえていたい。と思うのは、やはりアホなのだろうか。


 インディアンの教え。まだまだ感覚したいことが多すぎる。
 コミュニケーションとしてのワークショップ。常に新鮮なことばかり。
 古武術的な体の操作。未熟にも経験不足にもほどがある。
 シュタイナーのアプローチ。深遠すぎてたどり着けない。
 ヴィパッサー瞑想の導き。実践できずにいいとこどりばかり。
 環境問題への関心の寄せ方。日常にはまだまだ程遠い。
 そして自然農。
 まだまだ肉体化できず、実践として会得できていないこともままある。だからこそ、上記を含むあらゆることに対して、現在進行形で触れ続けていくのみなのだ。


 実際には、既に知っている(と自覚してしてはいる)ことは多々あり、それを経験や糧として次なる事象にあたっていくことは、当然の行為であり、そこに疑問の余地はない。しかしその「既知の事実」のような物事の中であっても、必ず新たな気づきは潜んでいる。もしくは同じように見える物事が起こった時でさえも、過去の状況と完全に一致する場面など本来は存在しない以上、知っているような気がしているだけで実は「知っていない状況」になっているかもしれない。その時に、いかに「知っている病」から自由になり、感覚と智慧をめぐらせてその状況に臨むことができるか、というのが自分に課す問いかけであり、と同時に、それに取り組む姿勢は、人生を終えるまで尽きることが無い最高の趣味・スパイスになりうるのだ。

 人も、自然も、科学技術も、社会も、全てが移ろい、変化し、一つ一つ積み上げながら一つ一つ変わり続けている。私達が知ることができる唯一の確かな経験は、「現時点では知っている」ということにすぎない。自分が惹かれて片足両足突っ込みかけている事について、まだまだ「知らない」からこそ、より多くの人(そして自分に相応しい程度の人数)を巻き込んで場を提供していきたいと思う。自分も知り続けながら、その知る途上にある喜びを分かち合っていきたい。


 科学をもって、経験をもって、テクノロジーをもって、世の中を「知っている」としてしまいがちな、自分を含めた現代社会へのアンチテーゼを心の灯火として生きていこう。WEBでの情報、TVでの知識、活字での経験、で知ったつもりになる監獄から脱出しよう。面白きこともなき世の中で、確かに存在する面白きこととは、その人自身の内なる魂にすでに宿っている。幸せの種を、常に自分の内に抱いていこう。蔓延する、「知っている」症候群から半歩でも一歩でも自由になり続けよう。


 稲の苗代に、畑の作物の成育にわくわくし、同時に自分の作業の遅れぶりには辟易もする。そんな、毎日が自然農。傍らには、妻と、娘。そして自分。

 上の写真(4月撮影)のタンポポは、すでに綿毛を飛ばし、その姿はない。そして元あったその場所には、違う草花が花を咲かせている。

 日々の発見を日常に。日常を発見の日々に。朝起きるたびに、毎日が始まる。


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朝焼けと粟子となつ(3月から借りている雄山羊)
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2012年09月21日

からだ

葉月六日 雨

 畑で鍬を降って土を動かす時、田んぼで草を刈る時、当然のことながら自分の体を使って腕を動かし、腰を動かし、作業を進めていく。数年前からであるが、そのときの「身体の動かし方」について、古武術的な身体操作という漠然としたテーマを常に頭の片隅に置きながら作業に取り組むようになった。少しずつ、本当に少しずつであるが、腰を曲げる時の姿勢が楽になったり、草刈りする時の腕の疲労が減ってきたり、自分の身体の使い方を、より効果的に、より本来の動きに、より力を使わないで済むようにと、変わり始めてきているように思う。

・ ・ ・

 我々は、常に身体を動かすことで生活を営んでいる。運動、スポーツ、トレーニングなど、それを目的とする動きに限らず、毎日の生活の中で、歩く、走る、手を上げる、腰を曲げる、首を回すなど、身体の部位を動かす行為はもちろんのこと、座る、立つ、横になるといった姿勢を維持するという行為も、自分の身体をコントロールするという点では、身体を動かすという行為と言えるだろう。当たり前だが、生きること即ち身体を動かすことであり、身体的な事情や病状によって運動能力を失われた方を除いては、それを否定することはできない。命が続く限り、我々は身体を動かす(姿勢を維持する)ことに関わることを運命づけられている。

 また我々には、身体を動かすという行為をそれこそ一日中絶え間なく行っている一方で、それと同時に、常に休むことなく働かせている機能がある。それが脳の働きだ。とはいえ、意識的にせよ無意識的にせよ身体を動かすという行為については視覚的に認識することが可能だが、脳の働きは多分に非認識的である。なかなか意識的に「脳が今動いているな」などと認識できることはない。脳の働きを大まかに考えるとすれば、ひとつは、内臓や細胞活動のような生命維持に携わる機能であり、もうひとつは、見る、聞くなどの五感といわれる感覚機能を認識する機能であり、そしてもうひとつは、考えたり想像したりする行為をつかさどる「思考」などに関する機能だといえるだろう。それらひとつひとつがとても重要な意味があり、それぞれが独立して機能しているようでもあり、同時に機能しているようにもみえるところも、脳が唯一無二の器官として存在する所以でもある。また当たり前のことでもあるがそうした脳の働きは、身体の働きと同様、おそらくはそれ以上に、人が生きる限り永続的に営み続けている。

 上で述べてきたように、人は生きる前提として、身体を動かし、脳を働かせることを余儀なくされている。つまり人間は、身体と脳を自分の命と切り離すことができない。言い換えれば、自分自身とは、身体の動きと脳の働きによって成り立っているといっても決して言い過ぎではない。
 ところが、この「身体」と「脳」だけでは人間は完成するわけではない。それすなわち「心」である。自分自身を何よりも強く認識させているのは「心」にほかならない。心の在り方こそが、自分を自分たらしめ、他者や社会との関係を築かせ、毎日を送る手立てとなっているからである。視覚的な「身体の動き」や非認識的な「脳の働き」に加えて、(もちろん脳以上に認識的にはあやふやなのだが)「心」こそが「身体」や「脳」以上に、明らかに自分自身と切り離すことができないという点は、おそらく実感としてはむしろ普通のことと言えるのではないだろうか。

 さて、これらの三つの「身体」と「脳」と「心」はどんな相関関係にあると言えるのだろうか。脳の働きが心と深く結びついているだろうことは、多くの方が容易にイメージできることかもしれない。そもそも頭で考えていると思い込んでいる場所自体が、それは脳なのか心なのかと問い詰められたら、はっきりと「どちらです」と言える人の方が少ないかもしれないのだ。器官としての脳の存在は多分に肉体的ではあるものの、思考的な機能については、脳と心は分かちがたく存在している。肉体器官としての脳と、思考装置としての脳が果たして一緒かどうかは議論が別になってしまうが、頭蓋骨の中の「脳みそ」として人が認識する上ではひとつであるとみている脳と、心は非常に関係が深い。
 一方、身体の動きが心と深く結びついていることに関心を寄せる人は、まだまだ多いとは言えないだろう。近年のヨガブームや、瞑想的なワークにも関心を持つ方が増えていることで、体を整えることと心を整えることが同様のフィールドとしてフォーカスされてきていることは間違いないし、昔からも修練として「心身を鍛える」という言葉があるように、心と体を一つのものとして考えられてきたことも事実であるが、日常的な意識として、普段の体の使い方が心の作用に影響を与えるかもしれないと考える人はそう多くはないであろう。
 
 ところが、身体の動きがすなわち脳の指令や反応と不可分であることは明確であり、すなわち、身体≒(ニアリーイコール)脳であるということは決して言い過ぎではない。さらに、身体≒脳≒心、とその式を延ばしてみてはどうだろう。体が動いているということはつまり脳が働いているということであり、脳が働いているということはつまり心が作用している、とは言えないだろうか。だとすれば、身体の動かし方が心のあり方と密接にリンクしているのというのは、方程式としてはYesである。であるなら、自分自身がどのように身体を動かし、どのように身体をコントロールするかということが、自分の心にどのような影響をもたらしているか、それはとても関係が深いはずである。そして、このようなことに想いを巡らすことは、とても大切なことである気がするのだ。

 自分とは、「身体の動き」と「脳の働き」と「心のあり方」であり、それらは強く結びつき、常に互いに作用しあって自分を自分たらしめている。

・ ・ ・

 鎌の動かし方が心にどう作用しているかはわからないが、より自然な身体の使い方やストレスの少ない体のあり方を身に着けること、肉体の動きに今よりも耳を傾けて観察しようとする行為が、心にポジティブな影響を与えることは想像に難くない。より面白く、より心地よく、自分がそうありたいために、逆に感性としては慎重に真剣に肉体感覚に意識を向けていくというアプローチをとり、自然農の作業や普段の身体使いの中でそれらが鍛えられていくとしたら、それは一石二鳥であり、なんともお得な趣味嗜好なのである。スポーツジムで身体を鍛えるよりもずっと地味で、日常的で、華のない作業ではあるのだが、おそらく小生にはこちらのほうが向いているのだろう。西洋的な肉体美とはひょっとしたら縁のない、なで肩で、股が離れて、ひと昔前の東洋人体型のような身体になってしまうのかもしれないけれど。

 知人に熊のようだと揶揄される小生には、まだまだ遠い道のりであるのが実態のところだけどね。

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これはこれで見事な身体美♪


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2012年08月01日

自分で診る

水無月十三日 晴れ 
 
第三十五候:大暑次候
【土潤溽暑(つちうるおいてむしあつし)】
=土が湿って蒸し暑くなる=
 (新暦7月28日頃〜8月1日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 自身が三十路を越えたころから、周囲に身体の調子を崩される方が増えてきた。ごくごく親しい人も、久しぶりに顔を合わせる人も、そしてなにより自分も重ねて。

 今年の3月、両親、姉と家族4人で福島の温泉地へ一泊二日のドライブ旅行に出かけた。それこそ数年来することもなかった、家族水入らずの旅であった。桃はまだ開かず、桜の開花はいよいよ見ごろかという頃の穏やかな旅行であったのだが、道中の夕食で、母が突然倒れた。持病はそれなりに年相応にあり、更年期も程よく付き合い、とはいえ目立った大病も無く過ごしてきた母であったが、和やかな夕餉の途中、うっっ、とうつむきみぞおちを押さえ苦しみだした。しばしの間様子みてからフロアスタッフを呼び、車椅子に乗せて部屋へ戻り、いつでも救急車を呼べる体制を整える。父と姉と共に数時間、驚くほどの低体温と顔色の悪化を心配しつつ、とにかく看病に努めた。幸い腹痛も収まり体温も戻ったためにその夜は部屋で過ごすことで事なきを得た。翌朝家族で顔を合わせて、はて原因は。もしや昨夜の会食にて、我が家の家計から少々背伸びした夕食価格を冗談交じりに母が尋ねた直後だったので、はては価格に驚いて卒倒しかけたのではないかと笑いあえたのだが、それは幸いにも、その後大事に至らなかったからである。

 その折、友人知人、医者に医院にと夜分の迷惑をかえりみず手当たり次第に電話をかけ、改めて医療に対する自分の見識のなさを痛感したのは記憶に新しい。母の例は一端であり、本当にこのところ、周囲の同世代の友人達にも、重さの程度はあれど病を患う知らせを耳にする。その度に、ただ耳にするだけで何も力になれない自分の無力さに、今更ながら呆れるのである。他人の病に深くかかわることはできなくとも、せめて近しい近親家族に対して自分が向けられる術はないものかと考えていたところ、先日、医師の友人と電話で談笑しながら、一つのヒントを授けてもらえることになった。彼は受話器の奥で、「今の患者さんの多くが、本来自分の身体とは自分のものだという当たり前の感覚を忘れてしまっているようにみえる」と嘆いていた。それはあたかも、車の車検をディーラーにあずけて済ませるような感覚で、病院に行き、医者に診せ、「さあ金は払うから後はまかせた。しっかり直して体を返してね。」と言っているかのような印象を受けるのだという。

 友人の気づきとは、自分で全てをできる必要はないが、あまりにも自分の体に対しての認識が薄いのではないかというものであった。体のサインや兆候、人間が本来持つ自己治癒力、体と心のバランスの取り方、そして病や死についての向き合い方、それらいずれかもしくは全てにおいて、まるで日常生活には必要の無い情報として捨て去っているかのように生きている人がいる。そしてその無意識に他人任せにし、体への認識を大切にせずに暮らしてきた末に、病を医療に預けきってしまうことになる。

 恐らく、それでも良いのであろう。何も、不都合なことは無いのかもしれない。現代社会は大自然の中の生活ではなく、健康保険制度の下、最新医療の恩恵に包まれて医者に任せて自分の人生を送ることにどこに問題があるのだろう。しかし。自分の体を自分のものとし、不調や病を自分で診て、緩やかに改善し、そしてそうした個性を受け入れながらライフワークバランスや食事やアクティビティを取り入れ、自身で健康に導く生き方も存在する。薬や医療や健康情報に任せすぎず、己の生命が発するシグナルに適度に耳を傾け、整え、治癒させていく。単なる民間療法という意味ではなく、もう少しだけ自分ごととして、自分の身体を手に入れるようなそんな感覚。それはきっと難しいことなんかではなく、時間や経済に過度に追い立てられることから少しだけ自由になることで、静かに聞こえてくるような気がするのだ。もしかしたらそれはヨガのようなものであったり、もしくは瞑想のようなものであったり、食事に気を配ることだったり、あるいは東洋医学に理解ある医師と適度に関係を築くことだったりするのだろう。もちろん最新医療との関係も、適度に必要とすれば良い。

 自分の身体をよく観ることなく肉体を不適度に使ったために腰を痛めたり。夏に冷たい飲み物をがぶ飲みしてばかりで、陰の気が高まり体調を損ねたり。適性に向かぬ仕事に傾きが大きくなって、ストレス性の頭痛を抱えてみたり。相変わらずそんなことばかりなのである。それでも少しずつ、「自分で診る」という友人のヒントを身に沁みこませながら、自分が、そして近しい人たちが、緩やかな健康を手にすることができるようにと願っている。それは小生にとって自然農と同じように、自然に沿いながら生きていくことと同義のプロセスであるはずだ。

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 庭でもいだトマトを井戸水で冷やし、日中の作業で上気した身体を冷やして整える。ただそれだけのこと。それでもこうやって自分の身体は見事に維持されている。大げさかもしれないけど、でもその積み重ねで人間は生きている。


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第2回 話す・聴く・気づきのワークショップ =8月19日(日) 開催=
 今回のテーマは【生命(健康・病・自分で診る)】です。
 参加者募集しております♪ 終了しました。
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2012年06月21日

梅雨来たりて夏に至る

皐月二日 曇り

第二十七候:芒種末候
【梅子黄(うめのみきなり)】
=梅の実が黄ばんで熟す=
 (新暦6月16日頃〜6月20日頃)


第二十八候:夏至初候
【乃東枯(なつかれくさかるる)】
=夏枯草が枯れる=
 (新暦6月21日頃〜6月25日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


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 台風の暴風雨、台風一過の猛暑、そして台風一過一過の今日、湿気も落ち着き日差しも隠れ、どんよりとした梅雨曇りの皐月の二日。 二十四節句は夏至。一足先に太陽の運行上のピークは訪れたものの、しかし地の上の気はようやく夏が春を追い越し、梅雨の緞帳が重く空に掛かる頃。七十二候は「乃東枯(なつかれくさかるる」。乃東とは漢方にも使われる夏枯草(カコソウ、別名ウツボグサ)の古名。この草は冬至の頃に芽を出し、田んぼや畑の畦道などに生える野の草であるが、ちょうど夏至の頃に種をつけ終えて黒く枯れることから、季節に読まれることになった。この辺りの野辺には見かけないが、その夏枯草と同様に、冬(晩秋)に芽を出した草花がようやく命を閉じていこうとするのがこの季節となる。麦、えんどう豆、菜種、そして数え切れぬほどの冬草の雑草たち。

 自然農で田畑に向かう時よく耳にし、かつ暦を重ねる度に身をもって知る草の姿に、冬草と夏草の二種類がある。生物学上にこうした草の分け方があるかは知らないが、川口由一さんの本にも、その他の自然農の手引きの類にもよく現れる言葉である。冬草は、大まかにいって秋から冬に芽を出し、春に盛り、夏の始まりに枯れていくというプロセスをたどり、同様に夏草は、春に始まり夏から秋に大きく育ち、冬に倒れて種を結ぶ草たちのことである。稲は夏草の代表であり、麦は冬草の代表である。豆で言えばえんどう豆は冬草、大豆は夏草と言えるだろう。もちろん、自然はそんなにシンプルではなく、この冬草夏草のグラデーションの間に様々な個性が入り乱れるわけなのだが、総じて、そのような色分けは間違いではない。自然農では、雑草にも当てはまるこうした草の傾向と個性を見分けつつ、刈る草、抑える草、生やす草、そして育てる作物に応じてゆく。この季節に枯れ行く冬草の命をあえて刈り倒して閉じずに、ただ根元をより分けて種蒔きするだけでよいし、これから共に生まれ育とうとする夏草たちは適度に刈り抑えて、作物が負けぬよう目配りをしなければならない。

 先日の台風4号の襲来後の猛暑で再確認したことだが、やはり太陽の素の力強さは、比すべきものが無いほどに荒々しい。 台風が、梅雨の一時の曇天を持ち去ってしまった後のあの突然すぎる猛烈な熱射は、まさしく太陽光のすさまじい厳しさを思い知るのに十分であった。幸いなことに日本には梅雨があり、夏至を迎えて間もないまだ成育途中の夏草たちを、湿り気と時折の五月晴れで優しく育てあげる。頃合いを見計らったころに梅雨が明け、それまでに根と葉を伸ばした草たちは、ギラギラの夏に耐え抜く力を宿すのだ。しかし梅雨明ければまもなく暦は立秋、夏は盛りとはいえ、既に太陽運行はピークではなく、とはいえ残暑を獰猛に蓄えながらも、日に日に季節は秋へ秋へと進んでいく。 つまり、最も暑さが極まろうとするこの夏至の太陽光を、梅雨空は穏やかに遮り、大地を乾き尽くすことなく瑞穂が根を張り巡らせるために優しく居座ってくれているのだ。

 ともすれば、カビだ、湿気だ、陰干しの匂いだと、嫌われる対象にあげられてしまう梅雨であるが、見方を変えれば日本にとって欠かさざるべき大切な大切な季節の営みのはずである。そうであるなら、季節、気候、天気は、決して克服すべき相手なのではなく、寄り添い共に歩む相手としてしか存在せず、季節や天候がどうあってもそれに幸福感を左右されない生活スタイルを模索していくのが本来の人間のあり方なのではないかと思う。 本来の人間のあり方など希望せず、文明生活に依存して自然克服型の生活スタイルしかもちえないのだとしたら、それはおそらく大きな損失であり、その先にいかに眩ゆい程に輝く素敵なリッチライフがあろうとも結局は根本的では自然環境に左右されてしまうことは避けられない。


 梅雨空にカビを恨めしく思いながらも感謝もし、気まぐれの猛暑に嫌悪感を覚えながらも感謝もし、育っても感謝、育たなくても苦笑、死んでも笑い、生きても笑い、それでも起こりうる悲喜こもごもをなんとか適当に乗り過ごして生きてゆきたい。 社会情勢も大変だけど、国際社会も喫緊だけど、それぞれが足元から幸せになりましょうよ。それでいいと思うんだよね。
 なんか最近こんなことばっかり書いてないか俺。ちょっとうぜえなこれ。やれやれ。 

 と、知人の自然農家さんからいただいた梅を塩漬けしながら、梅雨明けの土用干しを待つのでした。

 
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2012年05月28日

ワンダー

卯月八日 晴れ時々通り雨

第二十三候:小満次候
【紅花栄(べにばなさかう)】
=紅花が盛んに咲く=
 (新暦5月26日頃〜5月30日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 「特別な存在だから特別なのではなく、どこにでもあるありふれた存在だからこそ特別なんだ」、などというありふれた記事を書いていて、これはいい記事になったと鼻の下を伸ばしきってご満悦にひたっていたら、足元のコード類が悪そうな笑みを浮かべながら右足にからまってパソコンの電源が落ち、1時間かけたテキストデータが消し飛んだ。

 「過去に起こった大事に見えることに執着なんかしないで、今起こっているそのままの足元の出来事にこそワンダーが詰まっている」などと、奇麗ごと言ってんじゃねえよというような記事を書いていたら、画面がプツリと消え、うおおおと叫び、やっちまったーと、その1時間を嘆いてみたりしそうになった。

 しかし自分がキーボードを叩いていた1時間ちょっとの考察は、電気信号としては消え、形にはならなかったけど、そして稚拙すぎるその文章は幸運なことに他人の目に触れることなく済んだのだし、また二度と同じ文章や構成や語彙は訪れないのだけど、それは確かに存在したし、消えたようにみえてもおそらく自分のどこかに沈んでいったはずである。体内でもあり、脳内でもあり、過去でもあり、もしかしたら未来に。


 このところの大豆の豆蒔きゴールデン月間のさなかに、気休めの楽しみで仕込んできたどぶろっくん。その折、瓶詰めをした濁り酒の副産物として酒粕が手元に残った。その生きた酒粕を一部活用し、全粒粉を混ぜてパン用の種麹(酵母)を作ってみていた。昨晩思い立ち、その酵母とキッチンに残っていた小麦粉、ふすま粉、食塩を混ぜて、生まれて初めてのパン生地作りをやってみた。酵母を冷蔵庫に入れていたせいか醗酵がなかなか進まず、台所に放置しておいての今日の午後、ムチっとしまっていたパン生地は見事に粘りのある生地に変わり、とりもとりあえず聞きかじりのまま陶器とオーブンレンジに放り込み、生まれて初めてのパン焼きを体験した。峠の釜飯の空いた陶器に、そば粉をまぶしたパン生地を丸めて投入し、オーブンレンジも使い方分からずに「ケーキ」のボタンをとりあえず押して40分。適当に、思いつきで、片手間に、なんとなしに始めたパンの調理。そうしてできた自家製パンの味と体験の末にでた答えは、世界はワンダーに満ち溢れている、ワンダフルであるということだった。

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陶器の土鍋が良いとのこと。鍋がオーブンに入らないので峠の釜飯にて。

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膨らんだ!焼けた!そしてなにより、むっちゃ美味い!!


・ ・ ・

 金環日食や、筑波実験植物園で開花した「ショクダイオオコンニャク」がこのところ話題を集めている。数年に一度、数十年に一度の自然現象は無条件に人の耳目を集め、その頻度が少なければ少ないほど、その間隔が長ければ長いほど、人は興味関心を寄せ、好奇心と注意を向け、心を動かす。

 ところで、金環食のあった日が、月の動きで言えば新月(月齢0〜1)であったことに日ごろから気がついている人がどれほどいただろうか。当然のことであるが、月と太陽が重なると日とは、地球から見た時にその二つの天文体が同時に空に上がっているということである。毎月(正確に言えば約29日周期)繰り返されている月の満ち欠けのうちの、新月にあたる日であり、かつ太陽光線を月が遮るコースに入るというまれに起こる日に、日食として観測されるのである。今更であるけど。一方満月とは、太陽と月が地球を挟んで正対し、太陽光を月の球体全体で反射しているために見られる、約29日に一度の天体現象である。つまり満月の日は太陽が沈む頃に東から月が昇り、朝日が昇ると月が西に沈むことを意味している。言うまでもないことだが、満月の日に金環食が起こることは絶対にない。そのことは、当然過ぎて誰も触れないのだが、その「当たり前」のことに普段から気にとめていて日食を観察した人はどれだけいたのだろうか。

 数年に一度しか開花せず、悪臭でも世界有数と言われる植物と、毎日毎日の朝に咲く無数の花や、庭先で触れるたびに独特の臭気をもたらすありふれたドクダミ草との間に、いったいどれほどの存在の差があると言えるだろうか。

 日常のセンスオブワンダーを働かせる時間がなく毎日を過ごす人にとって、稀少な自然現象に関心を寄せたり興味を向けたりすることは、自然や環境への好奇心の入り口になりえるし、日常を彩る特別な出来事となりうる。しかし世界では、一瞬一瞬の何気ない光景や足元の自然に、日食や珍しい植物の奇跡に一歩も引けをとらないような「ありふれた奇跡」の毎日が隠れている。全ての現象は、その植物、動物、天体、無機物らにとって奇跡の一瞬であり、二度と同じことが起こることはない。物理学的に言ってもあるいは哲学的に言っても、今ここにある森羅万象は全て常に移り変わりと変化を繰り返しながら、同じ状態は一度としてなく実体として保ち続けて存在している。細胞レベルでも、粒子レベルでも。

 大げさに言えば、自然農とは、その一瞬の奇跡と、それでいながら重なり続ける複雑系の生態系の営みの狭間に生き続ける、人間と自然現象の関係のことである。もちろん自然農だけに当てはまる話ではない。世の中に普通のこととして存在する日常の、全ての事柄にセンスを発動させ、そこから発見や感動や安らぎを得ることができるのならば、世界はまるでワンダーランドである。言い切ってしまえば、それに気づきさえすれば、人は幸せへの切符を手にしたも同然なのだ。特別な出来事としてのワンダーを求めた結果、例えば日食レンズを買い忘れて後悔したり、あるいは植物園に渋滞してイライラしたりすることもある。もちろん、そうした特別な奇跡も楽しみつつ、同時に、いつもと同じように見える「ありふれた奇跡」があることに目を向けてみよう。そうすれば世界は常に生まれ、消え、更新され、しかも存続し続ける、そんな驚きのワンダーランドに包まれているのだから。

 特別なことだからオンリーワンで素晴らしいのではなく、ありふれた日常が実は一瞬一瞬のごく普通の奇跡の積み重ねであり、だからこそ特別なのではないか。パソコンのデータが消し飛んでしまって全然違う構成の記事になってしまったとしても、結果として残るこの気持ちはほとんど同じであり、と言うことは心配していたようにこの恐ろしく冗長になった文章が不幸にも他人の目に触れてしまうことを意味する。
 しかし、こうしたありふれた内容の文章だからこそ特別なのだと、自分に対して言い訳が見つかったところで、足元の電源コードに気をつけながらキーボードを打ち終えるのである。たかだか麹種を作って自分でパンを焼いたからって、何をほざいてるんだと。そうかもしれないし、そうであってもいい。その小さな日常のワンダーこそが、一人一人の幸せの種になりうるのだと信じて。

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2012年03月29日

メガネを外して

弥生八日 晴れ

第十一候:春分時候
【桜始開(さくらはじめてひらく)】
=桜の花が咲き始める=
 (新暦3月25日頃〜3月29日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 最近、メガネを外して生活することにした。
 高校生活も終わろうとする頃、そういえば黒板の字が見えにくいことに気付き、受験会場で大切な伝達事項を見落としてはまずいという理由が7割と、都会に出て遭遇するであろう可愛い子ちゃんを近眼のために見損なってはいけないという理由が3割で、両親を説得して(無論7割のみを掲げて)初めての眼鏡を作ったことを覚えている。大学に進学してからしばらくは眼鏡と裸眼を併用していたが、併用では不便を感じるようになりいつの間にかコンタクトレンズを常用するようになっていた。コンタクトレンズの毎日の着脱はその習慣に入ってしまえばなんてことはないのだが、放浪していた数ヶ月を除けば大学5年間ほぼ毎日コンタクトを装着していたことを思い出すと、今ではなんとも奇妙な感じもする。就職してからも同様にコンタクトの生活は続いたが、自由に使える金を手にしたこともあってか小洒落たデザインレンズなどを購入し、仕事のONOFFでコンタクトと眼鏡を時々に使ったりなど、眼鏡で遊ぶことも覚えた頃もあった。自然農を始めてからは、コンタクトレンズとはほとんど無縁の生活に一変した。畑作業、家畜の世話(離職後しばらく山羊牧場の仕事などもしていた)、山仕事、およそほとんどの農作業の場面で、コンタクトレンズは機動性を失う。とにかく、自然と関わる仕事は土埃と草木の粉くずに包まれおり、当然、目の中に入れたレンズとの相性が著しく良くない。数年慣れ親しんだコンタクトレンズは、装飾の面でも活動の面でもとても快適ではあったが、日常を農作業に従事することにした以上、その選択を取ることはできなくなった。それ以来小生は、朝起きて夜寝るまで、枕元の眼鏡を掛けて枕元に眼鏡を外すという、視力を眼鏡レンズによって矯正される日常を何の疑問もなく繰り返してきた。近眼は年を追うごとに少しずつ少しずつ度合いを強め、今では裸眼で0.01あるかないかという症状である。

 眼鏡がないと困る。なぜなら、周りが良く見えないから。良く見えないと、探し物もすぐに見つからないし、誰かの顔も近づくまで分からないし、信号や標識もはっきりと認識できないし、視界がぼんやりして落ち着かない。まだまだ、いくらでも、困る理由は数限りなく上げられる。しかし、さりとて、ふと立ち止まって考えてみる。良く見えないことで本当に困ることなんて、どれほどのことなのだろうかと。小生は最近までついぞ、そんな質問を自分に投げかけてみる機会などなかった。はたして、遠くが見えないことがどれほど困るのか。誰かの顔が近くまで分からないことがどれほど困るのか。視界がぼんやりして落ち着かないことがどれほど困るのか。とはいえ、探し物がすぐに見つからないのは少々不便だな。信号や標識がはっきりと認識できないのは車バイクに乗るときは一大事だな。しかし今は車もバイクもほぼ乗ってはいないな。パソコンで画面を見るときも、視力矯正されていたほうが見やすいだろうな。なるほどなるほど。つれづれに、冷静に検証していくうちに、それ(眼鏡の必要性)は不要とは言えないものの、なくてはならないと思い込む必要もないという結論に落ちついていくのであった。

 視力が良好で、視界がはっきりとくっきりと維持されていることが、当然の、疑うべくもない平均値になったのは、実はいつ頃からだったのだろうか。眼鏡が発明されて庶民の日常生活に進出する以前に、近眼者はどれほどの不自由者だったのだろうか。また、現代社会のような近眼者がもはやマイノリティではない社会はいったいいつ頃からだったのだろうか。

 おそらく、眼鏡の登場以前にもそれなりの近眼者は存在しただろう。近眼だけでなく、遠視や乱視など他の視力困難者も少なからず存在したであろう。そして当然、五体満足者に比べて若干の不自由も備えながら、ではあるものの、しかしながら不便という言葉とはかけ離れた生活を送っていたのではないだろうか。目が悪いなりにそれを当たり前のものとして受け入れ、どうにかできたらよいだろうが回復を望んで渇望することまではせず、ただその低下した能力で過ごすことしか術がなかったはずである。見えない(ここでは見えづらいことを意味し、盲の意味ではない)ことは、見えるよりは少々不具合なことはあるが生きるうえでおおよそ支障がないものであったように思われる。
 では少し視点を変え、これが動物ならどうであるか。視力が低下した動物は、弱肉強食のリアルの中で、あるものは視力に執着してその生存能力を低下させ、サバイバルの生存競争から退いていっただろう。あるいはその視力の低下以上に別の機関(聴力、嗅覚、感覚など)を鋭敏に研ぎ澄ませることに成功したものは、視力以上のサバイバル能力を駆使して生存し続けることも可能だったに違いない。人に視点を戻し、盲や聾や唖の方々が、その生活に我々が想像しえない様々な労苦を背負われていることに異論はない。しかしそうした方々が時に素晴らしい気付きを我々に示してくれるのは、感覚が失われたがゆえにそれ以上の別の感覚を持ちえることがあることを教えてくれるからでもある。

 視力が低下したことで、それまで手にしていた何かを失ったのは現実である。しかし同時に、視力でしか認識しか出来得なかった空間把握を、低下した視力を補ってたとえば聴覚、たとえば感覚、やもすれば嗅覚などで補うことができるかもしれない。できないかもしれない。しかし出来るかもしれないと思い、それを研ぎ澄まし日常的にトレーニングすることで、視力保持者や視力矯正者が観ることができない世界を認識することが可能になる、そんな現実が訪れるかもしれない。つまりそれは小生にとって「何かを失う」と同時に、「新しい何かを手にする」きっかけを与えられたとも言えることができる。

 現代社会で一様に「不便」だとされる物事すべてに、こうした「認識の転換」というプレゼントが隠されている。現代のテクノロジーが便利の追及の上に成り立っているのだとしたら、その恩恵を味わい尽くしていながらそれを語るのも恥ずかしいのだが、それでも不便などというものは別に生活や幸せが崩壊するような大したモノでもないという実感をその体に宿すトレーニングは必須だと思う。誰しもが「幸せ」という形の見えないものを求めるのならば、それは一つの幸福への切符にもなりえるのである。逆に言えば、世の中の「不便」に対して不満を感じることを少なくすれば、「不幸」がそれだけ遠のくのである。


 というわけで、自転車生活、裸眼生活、自然農生活、一日一食(不定期)をイイカゲンに続けながら、バイク購入を考え、ワンデーコンタクトレンズも所有し、インターネットに遊び、ジャンクフードを楽しむ。説得力ゼロのインチキ生活を、邁進中なのです。


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2月半ばに種まきしたポット苗がすくすく育ち、いよいよ畑へ。

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2012年02月22日

道中より

如月朔日 天気知らず

第四候:雨水初候
【土脈潤起(どみゃくうるおいおこる)】
=雨が降って土が湿り気を含む頃=
(新暦2月19日頃〜2月23日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 先日からしばし、つくばを離れています。もとより、旅は嫌いではない。旅行や、リゾートや、ツアーではなく、半ば入り口がそうであっても、内容を旅(のようなもの)にしたがるような粗野さが、自分にはまだ残っている。もちろん、目指す場所や過ごす内容や、期待する充実感をなぞる事で得られる喜びや楽しみもあるにはあるが、本当の旅の醍醐味とは、目的と予定調和の狭間で起こる、生の自分に起こる反応や感覚であり、どこかでそれを求めてしまう自分がいる。

 旅の位置づけが難しいのは、いつもの日常生活の中には旅ほどのライブ感を持ち込むことができなくなってしまうが故に、休暇で過ごすそうした旅にことさら非日常感を盛り付けてしまい、あくまでも旅と日常を無意識に切り離してしまうことがよくあるからである。そうした時に旅は、単なる気分転換であり、または一つの目的達成ゲームであり、せっかくの生き生きとした感性を手にした先に、まったりとした日常が上書きされるという繰り返しに陥ってしまう。若い時分に鼻息荒く口にした「人生とは旅だ」などというどこにでも溢れているようなセリフを今更持ち出したくもないが、時間をやり繰りして手に入れた余暇としての旅を、非日常のワンシーンに納めてしまわずに折々にその感覚を日常に照らし、自分と世の中を眺める感性を思い出す手段として携帯したいと思っている。 

 時間をかけて距離を移動し、普段では目にしない手にしない環境に触れてその新鮮な感覚を楽しみとするのが旅であるとすれば、実はそれは距離や時間に制限されない、という点も旅の本質であり醍醐味である。20代に時間と距離をかけて這いずり回った異国の放浪も代用のきかない経験ではあるが、自分の感性さえ、探求性と感受性を鈍らせていなければそれはいつでも、どんな場所でも、手にするチャンスはある。それは一つには自然農の田畑であったり、古武術的な体の使い方であったり、動物の行動に思いをはせるトラッキングであったり、それらは身の回りにすでに内在し、いわゆる普通の日常に隠れているインナートリップである。内側の声、すでに在るものへの気づき。その無限の広がりへの好奇心を手にしたとき初めて、人生はもしかしたら旅のようなものかも知れないとようやく言えるようになるのではないだろうか。

 今どこに居るのかって? さあどこでしょ。 留守を預けて、田畑も山羊も置いて、自然農をしばし手放して、どんな旅になっているのか。自分でもわかりませんゆえ。出発前に書いたこの記事がちょっとした置き手紙になっていますが、また戻りましたらどうぞよろしく。

 
2月15日の出発を前に記す




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== 1月の旅 雪の斜面もまた旅なり ==
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