注)記事の日付は太陰暦を用いております

2016年10月12日

正解を求めない

長月十二日 晴れ

 今の畑に自然農の手入れを始めてもうすぐ10年が経つ。ようやくサツマイモが、唐辛子が、ナスが、ピーマンが、実感をもって育ってくれるようになってきた。トマトも、キュウリも、オクラも、種を蒔いて、育てて食べるという喜びが、自然農の作業の中についてきてくれるようになった。

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 耕さず、虫や草を敵とせず、農薬肥料を必要としないで、人の力と自然の営みの中で育まれる農のあり方。自然農に、明確な定義はない。もしくはそうした農のあり方に、「自然農」という決まった言葉がなくても良い。千差万別、十人十色の自然感、エコロジー感と、持続可能性を前提とした大自然の采配が合い混ざって、一人一人の「自然農」的な栽培方法、農スタイルが存在してくる。
 古武術的な身体の使い方には「正解」という画一的な方法があるのではなく、個性に応じた「最適解」を探求する姿勢こそが求められる。自然と共生する農のあり方も、これと同様に「正解」はない。

  
 畑に実りが訪れてくれるようになって、それまでの積み重ねを振り返り、いったいどうして育ってくれるようになったのかを考えることがある。もしそれがわかるなら、その手法を確立したい、みんなに伝えたい、教えたい、のような気持ちがむくむくと沸き上がる。そして気がつくと、妻に、友人に、ああだこうだと、「今」の推論をわかったつもりで話してしまっている。
 しかし自分は実は何もわかっていない。川口由一さんが、福岡正信さんが、木村秋則さんが、ビル・モリソンさんが、そしてもちろん多くの余人が積み重ねてこられた、自然と共生可能な農のあり方のそれぞれの「最適解」をヒントに、それを現在進行形で探求しながら楽しんでいるだけでしかない。誤解を恐れず言えば、「わかりたい」とは思っていない。今の畑に立ち、季節を感じ、種を降ろし、草を刈り、育つと育たないの合間に過ごす。自分の個性として続けてきた、今日までの自然農的な応じ方の結果として、作物が育ってくれるようになってきたのは嬉しい。やっぱりね、嬉しいよ。「肥料入れなきゃ育つわけない」「耕さなくて育てるなんてありえない」「育たないのになんで続けるの」なんて声が気にならなかったと言えば嘘になるから。だからこそ、育つぞこのやろう、肥料も農薬も耕運機もなくて育てられるぞこんちくしょう、とも思っている(笑)。
 とはいえその一方で、肩を落としたくなるくらいに壊滅的に下手くそな、ニンジン、タマネギ、白菜、キャベツ。まだまだ、悲しいくらいに手応えが反ってこない。

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 自然農的な栽培を実践する方々の声に耳を傾けると、本当に多くの知恵と気づきが溢れている。そこには、真に迫ってくる「正解」のような技術、手法が存在する。そしてそれは今の世の中、簡単にWebを通じて目にすることができるし、実際に訪問して覗くこともできる。それらに触れると、ワクワクし、興奮し、想像力と好奇心が沸き上がってくる。試してみたい、なるほどそういうことか、自然の懐は深いなあ、皆さん視野が広いなあ、と心が動き、自分なりに咀嚼した上でおいしいとこ取りしていく。

 そういう意味では、苦手としている上記の野菜たちにも、すぐに結果があらわれるような正解が存在するかもしれない。しかしそれはきっと自分自身の最適解とは、少しだけ離れて存在する。そしてその最適解は、きっと「わかる」ではなく、「訪れる」という姿であらわれる。今年の畑に訪れてくれた、ナスやピーマンや、唐辛子たちのように。まずは肌感覚として、それに加えて若干の、自分なりの系統的な理解もブレンドされて。
 もちろん、この最適解はいまこの瞬間のものであり、畑が変遷していくなかで自分と共に常に進行していく。だからそれは変わりもするだろうし、あまり変わらないかもしれないし、どっちでもいい。重要なのはただ、嬉しい畑、心地よい畑に立てる自分でいられるように向き合うこと。今までもそうしてきたように。これからも。

 自然農での上手な育て方を知りたい、わかりたいという思いはそっと横に置いて、「こうかも、ああかも、良い感じ、つかめた気がする」的なアプローチ。こうした試行錯誤の積み重ねを、大自然の摂理の足元で甘えながら続けていきたい。うまく育ってくれた時も、うまくいかなかった時もまるごと含めて。その道のりこそが、自分にしか楽しめない自然農だから。

 これが自分なりの自然農の「最適解」であったからこそ、地位も名誉も収入もない中で、笑って生きていけるんだと思っている。

 さあ、エンドウ、空豆、カブに麦、秋後半の種まきが、また始まる。


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2016年01月03日

2086年

霜月廿三日 曇り時々晴れ
 
 あけましておめでとうございます。  

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 国際社会のために何かしらやってみたいと思って22年。
 自然環境のために何かしら貢献したいと思って19年。
 自然農と共に暮らしてゆきたいと思って14年。
 今の田畑と共に歩み始めて9年。
 
 なかなかいいペースで、同じ線上に歩みを進めてきた。

 大晦日の夜に長女が選んできた読み聞かせの絵本は、古事記の最終章の音読だった。新年の一歩は、ひとりで勝手に地球食(※記事末尾参照)と名づけた、我が家のスペシャルおせちで幕を開けた。第二歩目は、自然農の畑と田んぼに散歩しての、初詣だった。そして今日は、地球おせち(笑)を食べながらの、通常運行の豆の脱穀作業だった。
 
 
 今手元にある「麦とホップ」のホップは、大麦は、いったい誰が、どこで、どんなやり方で栽培したものか、知る術は無い。秋田の義祖母から届いた抜群に美味いリンゴは、いったい誰がどんな気持ちで育てたのか。おでんのつみれに仕立てたイシモチは誰がどこで(茨城産らしいが)釣り上げたのか。最近のスーパーではめったにお目にかかれない食品添加物フリーのさつま揚げは、どんな工場でつくられたのか。

 ほんの一昔、百数十年前の時代まで、私たちは、もっと小さく、狭く、顔の見える、手の届く、そして煩わしく、不便で、一部は不公平で、不条理な、世界に存在していた。西暦2016年、平成二十八年の今、私たちの世界は、大きく、広く、ネット上では顔が見える、しかし手は届かない世界であり、しかし相変わらず、煩わしく、便利で、いまだに不公平で、不条理なままなのだ。


 昨年、戦後70年を迎えた。今日の70年前の1946年、戦後の焼け野原に立つ日本人が、今の時代を想像することはできただろうか。さらに70年前は西暦1876年、明治9年。エジソンが白熱電灯を実用化したのはこの3年後である。日本ではまだ上下水道の普及もままならなかった。そしてその逆に、今から70年後の2086年とは。

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 日本人口の減少を危惧する人たちは、まだ1億3千万人キープしているべきと本当に思いますか? 世界の人口は100億をゆうに超えているのだとしたら、食糧問題は解決してますか? 化成肥料や石油由来の農薬、ガソリン重油が無ければ不可能な遺伝子組み替え作物の栽培はまだ続いてますか? 穀物を育てるエネルギーの何十倍も必要な牛肉をありがたがる文化も存在してますか? どこでもドア、タイムマシンは、完成してますか?
 私たちは、自分の人生に、そして子供たちの将来に、いったい何を望んでいるのだろうか。祖父母、両親たちの望んできたように、物質的、経済的における量的な向上は、今の自分も将来も、幸せとイコールですか? そのレール、その流れが70年続くと思いますか? 

 科学技術を否定せず、しかし有限性を認める。経済発展による利便性を否定せず、しかし持続不可能性も認める。そして現代社会の矛盾に目をそむけず、自分の内側にも真摯に目を向ける。
 
 新年を祝い、FacebookやSNSで幸せを他者とシェアしても、それは消費のシェアなのかもしれない。その消費活動は、現代社会の中では、絶対に、地球上の誰かの犠牲の上に成り立っている。人に対して、動物に対して、植物に対して。食物連鎖とかそういう意味ではなく、倫理的な、道徳的な意味での、実際にその者を不幸にしているという意味での犠牲だ。食料であれ、工業製品であれ、サービスであれ。

 何のために働き、何を食べ、何を排泄するか、そしてそれは世界とどうつながっているか。70年後は、おそらくどうあがいても、それらと向き合うことなく暮らすことはできない世の中になっているだろう。新年を祝う、そのワインは、その伊達巻の卵は、海老天の海老は、家庭を照らすLEDの材料は、いったい、今と同じように無意識的に消費して楽しむことが許される世の中になっているだろうか。世界は、地球はそこまで、絞り尽くされてくれるだろうか。


 だから、今、ここから、始めてみませんか?

 農作物にとって自然なあり方とは。
 社会環境にとって自然なあり方とは。
 身体にとって自然なあり方とは。
 心にとって自然なあり方とは。
  
 それは、新しく発明するようなメソッド(方法)なのではなく、これまで生きてきた人類が、様々に気づき、醸造し、語り継いできたもののなかにひっそりと隠れて存在している。決して難しくもなく、スピリチュアルなグッズを手に入れることでもなく、原始生活に没入するわけでもなく、今の自分からの一歩。ヒントはそこらじゅうにある。ただ一歩ずつ、今の自分を形作る一つ一つの要素に目を向けて、それは自然なあり方なのか、継続可能なあり方なのか、変えることが出来るとしたらどうすればいいか、それらを、自分で考えて見つけていくこと。ただそれだけで、70年後の世界は変わっているはず。

 自然農の田畑にふれることで、そう、確信するようになった。


 田畑と共にありながら、自然農からの想いを広げ、自然環境を守り、国際社会の未来を築く。高校生の頃からの想いが、逆回転しながら、また進み始めた。
 
 より、田畑の本質へ
 より、身体の本質へ
 より、心の本質へ

 言ってることはちょっとヤバイですが、ちょっとヤバいくらいじゃないと、70年後の将来なんて彩れるわけがない。やるしかない。


※食べ物から地球を見る。
 食べ物で地球と話す。
 その食事が、いったいどれほど自然に負荷をかけているか。
 その食事が、いったいどれほど自然を育んでいるか。
 大げさに言えば、そういう意識が、これからのトレンドになる。
 そういう意味で、満足度とエコロジーを両立させている
 我が家のおせちは、地球食なのです。

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2015年03月11日

幸せとは

睦月廿一日 晴れ

 2015年3月11日。


 昨晩、遅くまで漫画の単行本を読みふけってしまい、7時半ごろに、眠さをこらえながら目を開けた。珍しく午前中に外出予定がある妻の代わりに、次女を毎朝恒例のおまるにセットする。抱えながらも軽く瞑想しながら十数分、今日も次女は快便をひねり出した。小生はといえば、朝飯後に、隣接の林で今日もひとひねり、こちらも快腸である。

 朝ご飯は珍しく自分が担当した。玄米を精米機で三分搗きに精米して、香り米、神丹穂(赤米)をブレンドし、圧力鍋を火にかける。昨晩の味噌汁やスープパスタの残りを活用して、たっぷりのカレースパイスと豆乳をミックス、ノンオイルのカレースープが完成した。後はキャベツを山盛りに千切りして塩もみし、傷みかけのリンゴをスライスして、クミン、ブラックペッパー、黒ゴマをたっぷり利かせて最後にオリーブオイルをひと掛けし、簡単サラダを添えて完成。出発の時間が近づいた妻と長女は慌ただしく朝飯をかきこみ、次女に乳を飲ませて、二人は用事に出かけていった。

 残された小生と次女は、洗濯物を干した後、うららかに陽射しがさす庭にでて、のんびりと春を満喫することにした。

 
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 ゴザを庭に敷いて、アウトドア用の敷き毛布を広げ、その上に次女を転がせる。既製品のおもちゃがどこかしら不自然に思い、庭に落ちていた木の枝を拾い、少し磨き上げて、次女に渡してみた。柔らかいものも、と思い、花が開ききったフキノトウも横に並べておいた。次女の今日の仕事は、大自然の気候の中で、存分に春の訪れを体感することである。

 
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 さて、こちらはこちらで、庭仕事にとりかかる。妻からの提案で、今年は庭も存分に楽しむことにする。観賞用か、たまの子供の遊び場程度しか活用されていなかった庭の奥の築山は、起伏を利用してスパイラルガーデンへ。さらには、キッチン横の庭のスペースをフル活用して、アウトドアキッチンにしてしまおう、というアイデアも。とにかくまずは築山の整備。剪定したままほったらかしにしていた梅の枝を隣の空き地に移動させ、スパイラルガーデンに日が当たるように、上に伸びた柿の木、シイの木、金木犀らを大伐採。伐採した枝の中で、大ぶりなものを採寸し、野外カマド(三点櫓式)の組み木用に加工した。また同時に、アウトドアキッチンエリアを草刈りし、コンクリの床を掃き掃除して、煮炊き用の簡易カマド(スチール製)を設置した。



 次女は時々泣きながらも、庭を動き回る父を探し、笑い、青空と満開の梅を満喫している。

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 昼過ぎに、妻チームが帰宅。庭の模様替えを確認し、おもむろに妻が、「今日、火起こしの練習してもいいかな?」と目を輝かせた。妻はすぐさま台所へ戻り、なにやら調理の下準備を始める。練習というくらいだから、と思い、枝集めや焚き木の準備はあまり手伝わずに、小生は別の野良仕事、小豆と黒豆の唐箕選別に取り掛かる。

 よそ行きの服から汚れ対策完備の服に着替えた妻は、長女と一緒に煮炊きを開始。炊きつけ、火力、色々と心配しながらも、簡易カマドの上に載せた鉄鍋の汁が沸騰し始めた。長女らの歓声があがる。庭に転がされていた次女は昼飯(おっぱい)後は小生に背負われて、唐箕に煮焚きに連れまわされている。

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 小豆の選別がひとしきり済んだ頃、夕日もまだ高く残るうち、今宵のディナーが完成した。レバーと韮の味噌煮鍋に、朝炊いたご飯の焼きおにぎり。(料理の詳細は妻のBlogにて。) 庭で食べよう!と喜ぶ長女の声に応じて、簡単にアウトドアテーブル(ひっくり返した鉢、ベニヤ板、ゴザ)をセット。ワインが飲みたくなってたまらず、キッチンからテーブルワインを持ち出し、少し早めの夕餉をいただくことにした。


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 3月11日。震災の記憶はない長女に、少しだけ地震と津波の話をして、いただきますの前に少しだけあの日に思いを寄せる。


 妻と、初煮焚きの出来とワインに満足しながら、存分に幸福を満喫した。 

 これ以上に思いつく幸福って、どれほどあるだろうか。10ヶ月の赤ん坊が、庭に寝転んで自然の下で春を味わい、庭木を切った焚き木で煮炊きし、青空と梅を見ながら、本当に美味しいご飯を食べる。毎日がこれでなくても、時折にこんな夕餉を囲む幸せがあり、これ以上何を望むのだろう。

 もちろん、夕食のレバーはスーパーで購入し、ワインは遠くチリから輸入されていて、井戸水は電力会社のおかげさまで電気ポンプによってくみ上げ、現代文明にどっぷり浸かりながらの幸せでもある。とはいえ、これ以上、リニアモーターカーを敷設し、原発を再稼動し、インターネット文化に依存し、持続不可能な美食文化を追いかける、そんな未来、本当に、必要なんだろうか。政治家の皆さん、官僚の皆さん、大企業の皆さん、いったい何をそんなに求めるのでしょうか。 国際関係の中で、必要最低限の、国力の確保は、ある程度の規模で考える必要はある。しかし、それ以上の幸福って、今日のこの、我が家の庭での一日以上に、そんなに考え付くもんなのかね。


 同級のエリート諸君たちからも、日本を牽引して来られた先輩方々からも、就職活動に汲々する後輩の皆さんからも、この答えってあんまり聞いたことない。


 みんなは、いったい、何を求めてるの? 


 少なくとも我が家の幸せは、こんな一日が、時々訪れる日々なんだ。
 そう確信しているのです。


 
第八候: 啓蟄次候
【桃始笑(ももはじめてさく)】
=桃の花が咲き始める=
 (新暦3月11日頃〜3月15日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2014年12月30日

丸められんのか?

霜月九日 晴れ

 白菜ひと玉結球させるのに、7年かかった。小さく、小さく、霜に外葉を枯らしながらその白菜は少しずつ膨らんでいる。

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 今の畑に移って自然農を始めて7年。今年ようやく、友人との共同企画として実験的な試みを試した区画での成果。もしこれまで同様の畑だったら、果たして結球させられていたかどうかはわからない。いやおそらく、できてはいないだろう。

 農のあり方として、技術として、知識として、白菜を結球させることは、今の時代難しいことではない。ではいったい、結球させるために7年掛けることに、果たして意味はあるのだろうか。

 有史以来、人は、自分の望みに適う「自然からの恵み」を、いったいどれくらいの速さでどれくらいの規模で生産してきたのだろう。今私たちが数百円(時期によっては百数十円)で手に入れることができる白菜を、いったいどれほどの年月をかけて育種し、積み重ね、改良し、その知恵を積み重ねてきたのだろうか。

 とはいえ、自然農は、別にそんなことを体感するために行う農法ではない。10年ほど前に小生が自然農に取り組み始めた頃と比べても、わかりやすいテキストになるべき書籍が何冊も発行され、自然農で作物を育てる「方法」が情報化され、技術化され、もしかしたらお手軽になっているのかもしれない。きっと上手な白菜の育て方も書籍の中を探せばのっているはずだし、きっと育つのかもしれない。

 実際にこれまで何度か白菜の種を蒔き、苗を植え、収穫することを夢見てきた。しかし、育たなかった。

 大きく、甘く、形良く、育てるのが目的なら、きっと他にもすべがある。だから、肥料を使ったり、機械を使ったり、農薬を使えば、丸い白菜という結果を手にすることはそれほど難しいことではない。だが、白菜を丸く結球させるのに7年かけてそれを楽しむすべは、自分が取り組んでいる自然農において他にない。

 
 自分の人生を何に費やすか。

 とりあえず今の自分は、これからさらに数年かけて、無肥料、無農薬、不耕起の自然農で白菜を上手に育てることを一つのテーマに生きてみる。それは決して生産的ではなく、活動的でもなく、ポジティブでもスピリチュアルでもなく、ただの、流れみたいなものなのだと思う。それで金を稼ぐとか、名を成すとか、国家を背負うとか、日本をよくするとか、そんなもん関係なしに。
 
 インターネットや雑誌やFBの中で声高に世界や日本や社会や人生を息巻いて話す人々の声を聞きながら、お前らは、肥料なし、トラクターなし、農薬なしで、白菜丸められんのか? と思っていた。「いや別に育てなくていーし」と言う声も聞こえてきた。 そして来年の俺、白菜丸められてる?

 2014年、最後の雨上がりの畑に出て、まだまだ決して丸まっていない、中途半端な白菜をながめながら。


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  明後日の新暦1月1日は、七十二候の「雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)」。 とりあえず、麦は生えたぞこんちくしょう。


第六十七候: 冬至末候
【 雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)】
=雪の下で麦が芽を出す=
 (新暦1月1日頃〜1月4日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※



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2014年08月11日

38年目の真実

文月十五日 曇り

 
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 先日、38歳になりました。小生が生まれた年(1976年)に、今の自分と同じ38歳だった方(ということは1938年生まれの方)であれば、今年76歳になられることになる。それはちょうど、今年生まれた次女が38歳になる2052年(!!)に、小生が76歳を迎えることと同じことを意味する。ということは今の倍生きてようやく、今の川口由一さん(我が心のお師匠です)よりも一つ歳を重ねていることになる。

 38歳。小生が生まれた年(1976年)に米作りを始めた方がいるとすれば、今年の夏は38回目の稲作になる。こちとらまだ、今年で12度目の稲作。

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 先日の集合日の午後、つくし農園のプレーヤーさんたちと「自然農」にまつわる意見交流会をひらき、おなじみ「話す・聴く・気づきのワークショップ」のスタイルをとりいれて数時間すごしてみた。その中で、これまでの自然農の畑の変遷を今年の視点から見たときにどう感じるか、と話す機会があった。今の畑に移った7年前、正直、自分はもっとセンスがあって2,3年あれば豊かな自然農の畑になって鼻高々に収穫し、周囲に胸を張っている姿をイメージしていた。意見交流会では、いやはや、うまくはいかなかったですねえと、苦笑いでこの7年を振り返っていた。
 そして今、である。ようやく、育ってくれる作物とまだまだ育ってくれない作物の感覚をつかみ始め、一方で手を焼いてなかなか豊穣な畑に育てられない区画もあり、あるいは知人友人との試行錯誤で自然農のスタイルの中で効果的に畑を豊かにしていく手法も実践していたりもする。しかしながらその過程はただただ楽しいばかりであり、当初のイメージ通りに進まず、7年かかってもまだまだこれからと思う自分に何の不満も反省もない。対外的に(いい子ぶって)反省しているようにみせようかという自分もいなくはないのだが、しかしやはり、現在の状態は自分にとってはあくまでも自然体の結果でしかなく、そう生きようと決めて暮らしている以上、この7年の田畑の歩み(ひいては自然農に出会ってからの12年)には、全く後悔がない。

 
 38年、良くここまで育ったもんだね。育ててくれた周囲の環境と、自分をここまで導いてくれた霊性(としか表現しにくい、感性とも、直感とも、偶然とも、運命とも、魂とも言い表せない自分自身の内的な存在)に、感謝して、受け入れることしかできない。

 前述の意見交流会で、自分を自然農の田畑に立つ作物だとしたら一体どんなイメージが沸くだろうか、という問いかけを、出席者に(もちろん自分にも)投げかけてみた。そのとき小生がイメージしたのは、今の畑で一番苦労している区画で育てた、タフに、しかし疲弊しながら、小動物や病気に時折やられながらも、小さいながらなんとか芋を太らせてくれた、リアルな我が畑のジャガイモの姿であった。ジャガイモになった小生は、そのジャガイモの自分を栽培してくれた妄想上の生産者(おそらく自分自身)に対して、「芋は小さいかもしんないけど、この畑では自分ができるのはこれが精一杯だし、この畑で育てるんだったらこれが限度だよ!これからもっともっといい畑になるんだろ? このままでもいいし、もっと工夫してもいいし、なんでもいいけど良い感じの畑にしていってくれよ。」と声を掛けていた。

 命は、その環境の中で、自ずから最大限の力を発揮しようと、あらかじめ創られている(設計されているとも言って良い)。それはもちろん、人間も同じである。どこであれ、誰であれ、生命体である人間を謳歌しようとするならば、その環境の中で、その人生の中で、その制限の中で、最大限に生ききるしかない。それはただ前向きポジティブな姿勢を意味するのではなく、ネガティブな時期も、失意の時期も、その中での最大限自分が向き合える範囲で生命力を保ち続けることだっていい。(その意味では堕落だって許されている。) 命ある限り、ただただその瞬間における、自分の自然体の伸びしろを楽しみ、生きてること自体を楽しめるかどうか、である。日常的な、現実的な、具体的な、成果や、目標や、困難や、しがらみは、いかにもな顔をして人生に圧し掛かってはくるが、自分の人生の奇跡的な運命力に比べてしまえば、何のことはない。それに負けるくらいなら、それに埋もれてしまうくらいなら、全てを投げ出して、自然体としての自分に向き合えばいい。

 その自然体の作り方のヒントが、自然農であったり、ワークショップであったり、その他もろもろの、自分が今、人生を掛けて関心を抱き、時間を費やしている諸々のテーマなのだ。今の田畑に立って7年、自然農に出会って12年、この世に生を受けて38年。人生という畑に育ち、自分というその制限の中で生命力を謳歌している今、ここらでまた一つ、新しい扉を自分でこじ開けようと、もがき始めてみることにする。

 キーワードは「自然体」。ただただ、周囲と自身の相互反応の海の中で、航海していこうと思っている。さあ楽しみになってきた! これが今の、38年目の、自分のありのままの真実。





 さて今日の畑。38歳3日目にして出会った、生まれて初めて知ったミニトマトの真実。


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 綺麗に実をつけたトマトの実は、赤から黄、黄から緑に、上下に見事なグラデーションをつけて実り進む。ここまで見事な自然の美しさに、この歳になって初めて出会い、そして湧き上がるような喜びに浸った。目にした瞬間、写真や伝聞では決して伝わらない、なにかとても尊い真実を、胸に刻むことができたような気持ちになった。この自然の美しさが圧倒的に伝える「美」。それが、常に我々の生きている隣に存在している。

 生き続ける限り、知らないことが無限に存在し、生きるたびに新たな発見に出会い、感じいり、楽しむ事ができる。知れば知るほど、知らないことが増え、その知らないことを知るが故に、また知れる喜びを手にすることができる。それもまた、この歳になってあらためて実感する、真実でもある。

 これらの真実を、知った風でもなく、誰に見せびらかすでもなく、誰かの為とかの善意でもなく、純粋に生命体の欲求として、同時に人間の好奇心として、追及してみたい。あくまでも、自然体に。ミニトマトは、誰かを喜ばせようとしてグラデーションをなしているわけではない。あくまでも、トマトのその自然体がもたらしたグラデーションを観た自分が、それを楽しんだだけである。

「自然体」は美しい。翻って人間にとっての「自然体」とは何か。その問いをこれからの暮らしの中に、常に忍ばせていけますように。それが自分にとっての「自然体」であれますように。


 38年後。あと38回田植えを経験した自分は、いったい何を想ってそこに立っているだろうか。そう想像するだけで、ワクワクが止まらないじゃないか!

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2014年01月22日

自然であること

師走廿二日 雪のち晴れ

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 雑草屋として、自分はなぜ生きているのか。

 それは、自然農の哲学から広がる様々な「自然であること」に目を向けて、耳を傾けて生きていきたいからだ。

 と、最近お会いした方との話の中で気がついた。

 
 雑草屋とは別で活動している「つくサス」。その活動として今は映画の上映会に向けての毎日。

 映画「地球交響曲」シリーズは、登場する全ての出演者がそれぞれに辿り着いた「自然であること」が語られるドキュメンタリーである。ある人は宇宙から地球を眺めた体験を通して(第一番:元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート氏)、ある人は一本のトマトの苗に1万3千個のトマトを実らせた体験を通して(第一番:植物学者の野澤重雄氏)、またある人はヒグマをカメラで追い続ける体験を通して(第三番:写真家の星野道夫氏)、それぞれに「自然とは何か、自然であることは何か」に迫っていく。第一番から第七番(第八番は現在製作中)を通して、紹介される出演者が見つめる先には常に、地球と人間が調和して存在している。
 
 自然農は、自然に目を向け、耳を傾けなければ存在しない農のあり方でもある。「耕さない、虫や草を敵としない、肥料や農薬を使わない」という言葉は目的ではなく、目を凝らして、持続可能な「自然のあり方」に耳を傾ければ、おのずと自然との関わり方がそうなっていく、というアプローチに他ならない。

 「自然であること」とは、当然ながら、自然環境のことだけに留まるわけではない。心が自然であること、体が自然であること、暮らしが自然であること、それらを考えるだけで人生は留まることなくめぐり続け、果てることがない。

 農が、食が、「自然であること」を目に向けたら「自然農」をしていた。
 対話が「自然であること」に目を向けたら、「話す・聴く」ワークショップをしていた。
 子育てに「自然であること」に目を向けたら、「こぐま塾」をはじめていた。
  
 体が「自然であること」に目を向けたら、「古武術」や「ヨガ」に親しんでいた。
 心が「自然であること」に目を向けたら、「ヴィパッサナー瞑想」を体験していた。
 感覚が「自然であること」に目を向けたら、「ネイティブアメリカン」の教えに耳を傾けていた。

 全てが生きる生業(なりわい)になるわけではない。お金を生む生まないは重要な世の中であるが、それ以上に自分は、「自然であること」に寄り添って生きていきたい。大自然で野生として生きることが「自然」なのではなく、どんな世の中でも、「自然であること」とは何かと問い続けながら生きること。それが自分なりの、最大限の、地球と調和して生きていくことなのだと思う。


 人は自分の人生で全てを体験できる訳ではない(本質的には、全ての体験は共通しているとも考えているが)。しかし、他人の真に迫る体験を通して、擬似的にそれに近づくことは可能である。共感と想像力をもって体感し、それを自分の人生に落とし込むことができれば、それは自分の体験として深く刻み込むことができる。映画「地球交響曲」シリーズは、そうした共感力を持つ、数少ない作品の一つだ。

 日常を退屈とは思わずに、きっとワクワクに満ちているだろうと生きている方には、まさしくその門が開かれている。逆に、ネガティブな日常と閉塞感を抱えて生きている方にとっては、そこにカウンターパンチを浴びせてくれる。映画をきっかけに、まず自分が「自然であること」を取り戻し、そして同時に地球と人間の関係が「自然であること」に目を向ける人が一人でも増えてくれることを願っている。


 そう願う気持ちは、きっと小生自身の気持ちが「自然であること」に適っている・・・はず・・・?



 2014年1月25日(土)
 映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番」
 つくばカピオホールにて上映!


 詳細はこちらからアクセス!




 
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2013年09月18日

野分(のわき)

葉月十四日 晴れ

 一昔前の日本では、秋、特に二百十日(9月11日ごろ)を過ぎるころから訪れる、強い雨風を野分(のわき、のわけ)と呼んでいた。明治時代に気象用語として「台風(もともとは、タイは風偏に台の字)」という言葉が使われて現在に至り、今では野分という言葉はほとんど使われることがなくなった。思いを巡らせてみれば、天気図などは明治時代、気象衛星にいたってはつい35年ほど前からの運用であり、天気予報についても現在のような気象観測による予報などはされるはずもなく、農民にとって天気とは、もっぱら「読み」と「受け入れ」によって対応されるものであったに違いない。もちろん、その「読み」は現代人にはとうてい持ち得ないはるかに繊細な技術と伝承が残されてきたはずである。つまり、我々がいとも簡単に手に入れている「天気図」や「ひまわりの画像」がない頃は、渦巻状に表現される現代の台風的な認識は存在せず、二百十日を過ぎる頃にしばしば強い雨と風が訪れ、その後にからりと晴れの天気となる、という現象のみが存在していた。それをご先祖様たちは、強風によって草が押し倒される様をとって「野分」と名付けたのだろう。

 さて、先日の野分。日本各地に大きな被害をもたらした台風18号がつくばも通り過ぎた。方々から、ご心配の声もいただいたが、幸い小生の田畑には目立った影響もなく過ぎ、胸をなで下ろしている。

 この夏の、とりわけ少なかった雨に苦しんだ田んぼでは、本当に久しぶりに水面があらわれた(水田に久しぶりに水面があらわれるというのもおかしな話であるが)。稲に瑞々しい活気が取り戻され、遅まきながらも、不幸中の幸いながらも、安堵の気持ちが訪れた。野分の字面どおりに倒伏してしまうような稲穂もほとんどなく(一部の、生育が早かった農園プレーヤーさんの区画には少し傾いた区画も見られたが)、むしろ水面のにぎわいを稲が楽しんでいるように感じられるほどだった。
 
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 畑では、たっぷりの保水に喜び勇んだかどうかはわからないが、台風襲来直前に播種した葉物野菜の種が、そろって発芽していた。蒔いても蒔いても日射に負け気味だった8月に比べて、なんとも嬉しい一斉発芽であり、思わずニヤニヤがとまらない自分がいた。


 ふと、隣接する、耕起に耕起を重ねている、農家さんの畑地が目に入る。特にその畑地は、栽培目的ではなく、ただ雑草を生やしたくないという理由で年に何度もトラクターによって耕されている、軽油を使用して大地を引っ掻き回しているだけという、なんとも不思議な土地だった。(そういう土地は実はこの周囲には多くみられるのだが。) その、土がモコモコに耕された大地は、今回の強い風雨によって大きく削られ、流されていた。そしてその流出は、決して今回の台風に限ってのことではなく、また決してその土地だけに起こることでもなく、日本中世界中で行われている「耕起」された大地に雨が降った際に起こる土壌流出現象の、氷山の一角に過ぎない(詳しくは記事最下部参照)。どこでもいつでも、土地が耕されて雨が降るかぎり行われる、ごくごく日常の光景の、ちょっと目立った現象なのだ。

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 一方自然農の畑に目を移す。そこにはむせ返るほどの雑草と作物が生えており、多くの大地は表土が守られている。雨が降って叩くのは土壌ではなく、葉であり枯れ草であり、直接土には当たらない。また伝わり落ちる雨水は土を洗い流さず、根っこや枯れ葉に守られた土はそれほど流出することなく済んでいる。大豆は、足元の土壌が流されずに土が減ることもなく、また下草にも支えられたのか倒れるそぶりも見せず、変わらず残っていた。台風直前に蒔いた種も、種まき後に上に掛けた枯れ草によって守られ、流されずに済み、台風一過の陽気を受けて盛んに発芽した。

 
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 自然農以外をほとんど体験したことがない小生にとって、その他の農地で台風後にどんな様子になるのか、明確に体感したわけではないのだが、あえて自分中心でいえばこの自然農の田畑の優しい様子は、いつもストレートに心に染みる風景となっている。

 今回は、たまたまに、流されずに倒されずにすんだ規模の野分だっただけであり、過去に、はるかに強い雨風に襲われた際には、水に浸かるわ畝は崩れるわ作物は軒並み倒されるわ、ということもあったのだけどね。とはいえ、自然農には、ちょっと変化球的な、こうした環境保全的な側面もあるのです。

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※蛇足であるのを承知で付け加えれば、こうした土壌が流される問題は、「土壌流出」や「表面流出」といったキーワードで農業や環境問題の世界規模の課題として認識されている。単に土壌がやせてしまうという現象についてのみならず、特に現代農業での化成肥料や農薬などの化学物質の流出(場合によっては過分な有機肥料も問題とされることもある)による環境汚染などが、世界規模での大きな問題となっている。

 参照:土壌流出(wikipedia) 、 表面流出(wikipedia)


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2013年05月26日

知らない

卯月十七日 曇り時々晴れ
第二十三候: 小満 次候
【紅花栄(べにばなさかう)
=紅花が盛んに咲く=
 (新暦5月26日頃〜5月31日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


 一ヶ月ほど前のつぶやきの記事をなぜか今頃。

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 知らないことを知っていると振舞うとき、いったいどれほど多くの気づきを失ってしまっているのかということに、鈍感になってはいけない。

 普段から、自然農や興味をかけている物事に限らず、「知る」もしくは「体験する」ことに触れる機会は少なくない。それはネイティブアメリカン(インディアン)の教えに触れるワークショップであったり、古武術の体の使い方を習う稽古会であったり、自然農を実践される方との雑談であったり、はたまた子育てについての四方山話であったり。

 例えば昨年の、インディアンの教えに触れるプログラムへの参加では、3日間を山の中で、火をおこし、寝場所を確保し、野草を食べるという体験に触れた。そこで小生は、主催者であるKさんや一緒に参加された方達との話の折のついついしてしまう行為として、「ああそれは知っている」という態度や反応を、条件反射的にしてしまったことがある。
 プログラム内では、キャンプ地付近の山林で食べられる野草を探すという時間があった。ついつい、「Kさんの次に知っているのは自分である」と言わんばかりに、外側は普段どおりに落ち着いたようなそぶりを見せながらも、内心は嬉々として「あれも食べられるこれも食べられる」と行動している自分がそこにいた。また、火をおこすという時間でも、「一度体験したことがあるから大体は知っている」とどこかで周囲に表現したかったらしく、Kさんのエッセンスを受け取ろうとするスタンスになりきることが出来なかったことを思い出す。そこで小生が「まだ知らないことはたくさんある」という姿勢を保つことができていたならば、おそらくもっと多くの事象に触れ、新しい気づきへと繋げることができたかもしれない。しかしその時は確かに、どこかの誰かに(もしかしたら自分自身に)、その時点での自分を一所懸命に表明しようとして、気づきを増やす貴重な機会を失ってしまっていた。

 自分が興味を持ちその真髄に触れたいと思い、先人の智慧に習おうとするときに、このような小さな自我の表明ほど、その真髄から自ら遠ざかってしまうような行為はないように思う。「まだ知らない。まだまだ知らない。」だからこそ、その智慧や自分自身の気づきに対して今現在の瞬間で全力に向き合いたい、という動機が生じる。知っている、聞いたことがある、考えたことがある、それなら解っている、と思った瞬間に、教えは教えでなくなり、最も重要な、エッセンスも香りも空気感も立ち消えてしまう。結果、本で読んだような知識とそれほど大差のない、「それを知っている自分」という肩書きをただ上塗りすることになっているのに気がつかず、絶えず似たような経験を繰り返すことになる。ついつい。それどころか、むしろ「気持ち良い」行為として。

 小生は、自然農や、話すこと聴くことにフォーカスするワークショップや、古武術的体の動かし方や、シュタイナー的な教育や、ウィパッサナー瞑想のような心の整え方や、パーマカルチャー的な自然環境への接し方などに、興味を覚え、自分の時間を費やし、職業として取り組んでいこうとしている。その中で、おそらくは「自分は知っている」と表明しなければ商売として成立しにくい機会は数多くあるだろう。金銭のやり取りが発生する際に、客サイドから「知らない人物に教えてもらいたくない」、「知っている人だからお金を払える」と思われることなど山ほどあろう。であるならばこうした場で「知らない」と書くことはただのアホらしい表明なのかもしれない。しかしだからこそ、そうした場面であっても、できうるかぎり「まだ知らないことまでも知っているように振舞ってしまう」欲求から解放される自由を持ちえていたい。と思うのは、やはりアホなのだろうか。


 インディアンの教え。まだまだ感覚したいことが多すぎる。
 コミュニケーションとしてのワークショップ。常に新鮮なことばかり。
 古武術的な体の操作。未熟にも経験不足にもほどがある。
 シュタイナーのアプローチ。深遠すぎてたどり着けない。
 ヴィパッサー瞑想の導き。実践できずにいいとこどりばかり。
 環境問題への関心の寄せ方。日常にはまだまだ程遠い。
 そして自然農。
 まだまだ肉体化できず、実践として会得できていないこともままある。だからこそ、上記を含むあらゆることに対して、現在進行形で触れ続けていくのみなのだ。


 実際には、既に知っている(と自覚してしてはいる)ことは多々あり、それを経験や糧として次なる事象にあたっていくことは、当然の行為であり、そこに疑問の余地はない。しかしその「既知の事実」のような物事の中であっても、必ず新たな気づきは潜んでいる。もしくは同じように見える物事が起こった時でさえも、過去の状況と完全に一致する場面など本来は存在しない以上、知っているような気がしているだけで実は「知っていない状況」になっているかもしれない。その時に、いかに「知っている病」から自由になり、感覚と智慧をめぐらせてその状況に臨むことができるか、というのが自分に課す問いかけであり、と同時に、それに取り組む姿勢は、人生を終えるまで尽きることが無い最高の趣味・スパイスになりうるのだ。

 人も、自然も、科学技術も、社会も、全てが移ろい、変化し、一つ一つ積み上げながら一つ一つ変わり続けている。私達が知ることができる唯一の確かな経験は、「現時点では知っている」ということにすぎない。自分が惹かれて片足両足突っ込みかけている事について、まだまだ「知らない」からこそ、より多くの人(そして自分に相応しい程度の人数)を巻き込んで場を提供していきたいと思う。自分も知り続けながら、その知る途上にある喜びを分かち合っていきたい。


 科学をもって、経験をもって、テクノロジーをもって、世の中を「知っている」としてしまいがちな、自分を含めた現代社会へのアンチテーゼを心の灯火として生きていこう。WEBでの情報、TVでの知識、活字での経験、で知ったつもりになる監獄から脱出しよう。面白きこともなき世の中で、確かに存在する面白きこととは、その人自身の内なる魂にすでに宿っている。幸せの種を、常に自分の内に抱いていこう。蔓延する、「知っている」症候群から半歩でも一歩でも自由になり続けよう。


 稲の苗代に、畑の作物の成育にわくわくし、同時に自分の作業の遅れぶりには辟易もする。そんな、毎日が自然農。傍らには、妻と、娘。そして自分。

 上の写真(4月撮影)のタンポポは、すでに綿毛を飛ばし、その姿はない。そして元あったその場所には、違う草花が花を咲かせている。

 日々の発見を日常に。日常を発見の日々に。朝起きるたびに、毎日が始まる。


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朝焼けと粟子となつ(3月から借りている雄山羊)
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2012年09月21日

からだ

葉月六日 雨

 畑で鍬を降って土を動かす時、田んぼで草を刈る時、当然のことながら自分の体を使って腕を動かし、腰を動かし、作業を進めていく。数年前からであるが、そのときの「身体の動かし方」について、古武術的な身体操作という漠然としたテーマを常に頭の片隅に置きながら作業に取り組むようになった。少しずつ、本当に少しずつであるが、腰を曲げる時の姿勢が楽になったり、草刈りする時の腕の疲労が減ってきたり、自分の身体の使い方を、より効果的に、より本来の動きに、より力を使わないで済むようにと、変わり始めてきているように思う。

・ ・ ・

 我々は、常に身体を動かすことで生活を営んでいる。運動、スポーツ、トレーニングなど、それを目的とする動きに限らず、毎日の生活の中で、歩く、走る、手を上げる、腰を曲げる、首を回すなど、身体の部位を動かす行為はもちろんのこと、座る、立つ、横になるといった姿勢を維持するという行為も、自分の身体をコントロールするという点では、身体を動かすという行為と言えるだろう。当たり前だが、生きること即ち身体を動かすことであり、身体的な事情や病状によって運動能力を失われた方を除いては、それを否定することはできない。命が続く限り、我々は身体を動かす(姿勢を維持する)ことに関わることを運命づけられている。

 また我々には、身体を動かすという行為をそれこそ一日中絶え間なく行っている一方で、それと同時に、常に休むことなく働かせている機能がある。それが脳の働きだ。とはいえ、意識的にせよ無意識的にせよ身体を動かすという行為については視覚的に認識することが可能だが、脳の働きは多分に非認識的である。なかなか意識的に「脳が今動いているな」などと認識できることはない。脳の働きを大まかに考えるとすれば、ひとつは、内臓や細胞活動のような生命維持に携わる機能であり、もうひとつは、見る、聞くなどの五感といわれる感覚機能を認識する機能であり、そしてもうひとつは、考えたり想像したりする行為をつかさどる「思考」などに関する機能だといえるだろう。それらひとつひとつがとても重要な意味があり、それぞれが独立して機能しているようでもあり、同時に機能しているようにもみえるところも、脳が唯一無二の器官として存在する所以でもある。また当たり前のことでもあるがそうした脳の働きは、身体の働きと同様、おそらくはそれ以上に、人が生きる限り永続的に営み続けている。

 上で述べてきたように、人は生きる前提として、身体を動かし、脳を働かせることを余儀なくされている。つまり人間は、身体と脳を自分の命と切り離すことができない。言い換えれば、自分自身とは、身体の動きと脳の働きによって成り立っているといっても決して言い過ぎではない。
 ところが、この「身体」と「脳」だけでは人間は完成するわけではない。それすなわち「心」である。自分自身を何よりも強く認識させているのは「心」にほかならない。心の在り方こそが、自分を自分たらしめ、他者や社会との関係を築かせ、毎日を送る手立てとなっているからである。視覚的な「身体の動き」や非認識的な「脳の働き」に加えて、(もちろん脳以上に認識的にはあやふやなのだが)「心」こそが「身体」や「脳」以上に、明らかに自分自身と切り離すことができないという点は、おそらく実感としてはむしろ普通のことと言えるのではないだろうか。

 さて、これらの三つの「身体」と「脳」と「心」はどんな相関関係にあると言えるのだろうか。脳の働きが心と深く結びついているだろうことは、多くの方が容易にイメージできることかもしれない。そもそも頭で考えていると思い込んでいる場所自体が、それは脳なのか心なのかと問い詰められたら、はっきりと「どちらです」と言える人の方が少ないかもしれないのだ。器官としての脳の存在は多分に肉体的ではあるものの、思考的な機能については、脳と心は分かちがたく存在している。肉体器官としての脳と、思考装置としての脳が果たして一緒かどうかは議論が別になってしまうが、頭蓋骨の中の「脳みそ」として人が認識する上ではひとつであるとみている脳と、心は非常に関係が深い。
 一方、身体の動きが心と深く結びついていることに関心を寄せる人は、まだまだ多いとは言えないだろう。近年のヨガブームや、瞑想的なワークにも関心を持つ方が増えていることで、体を整えることと心を整えることが同様のフィールドとしてフォーカスされてきていることは間違いないし、昔からも修練として「心身を鍛える」という言葉があるように、心と体を一つのものとして考えられてきたことも事実であるが、日常的な意識として、普段の体の使い方が心の作用に影響を与えるかもしれないと考える人はそう多くはないであろう。
 
 ところが、身体の動きがすなわち脳の指令や反応と不可分であることは明確であり、すなわち、身体≒(ニアリーイコール)脳であるということは決して言い過ぎではない。さらに、身体≒脳≒心、とその式を延ばしてみてはどうだろう。体が動いているということはつまり脳が働いているということであり、脳が働いているということはつまり心が作用している、とは言えないだろうか。だとすれば、身体の動かし方が心のあり方と密接にリンクしているのというのは、方程式としてはYesである。であるなら、自分自身がどのように身体を動かし、どのように身体をコントロールするかということが、自分の心にどのような影響をもたらしているか、それはとても関係が深いはずである。そして、このようなことに想いを巡らすことは、とても大切なことである気がするのだ。

 自分とは、「身体の動き」と「脳の働き」と「心のあり方」であり、それらは強く結びつき、常に互いに作用しあって自分を自分たらしめている。

・ ・ ・

 鎌の動かし方が心にどう作用しているかはわからないが、より自然な身体の使い方やストレスの少ない体のあり方を身に着けること、肉体の動きに今よりも耳を傾けて観察しようとする行為が、心にポジティブな影響を与えることは想像に難くない。より面白く、より心地よく、自分がそうありたいために、逆に感性としては慎重に真剣に肉体感覚に意識を向けていくというアプローチをとり、自然農の作業や普段の身体使いの中でそれらが鍛えられていくとしたら、それは一石二鳥であり、なんともお得な趣味嗜好なのである。スポーツジムで身体を鍛えるよりもずっと地味で、日常的で、華のない作業ではあるのだが、おそらく小生にはこちらのほうが向いているのだろう。西洋的な肉体美とはひょっとしたら縁のない、なで肩で、股が離れて、ひと昔前の東洋人体型のような身体になってしまうのかもしれないけれど。

 知人に熊のようだと揶揄される小生には、まだまだ遠い道のりであるのが実態のところだけどね。

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これはこれで見事な身体美♪


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2012年08月01日

自分で診る

水無月十三日 晴れ 
 
第三十五候:大暑次候
【土潤溽暑(つちうるおいてむしあつし)】
=土が湿って蒸し暑くなる=
 (新暦7月28日頃〜8月1日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 自身が三十路を越えたころから、周囲に身体の調子を崩される方が増えてきた。ごくごく親しい人も、久しぶりに顔を合わせる人も、そしてなにより自分も重ねて。

 今年の3月、両親、姉と家族4人で福島の温泉地へ一泊二日のドライブ旅行に出かけた。それこそ数年来することもなかった、家族水入らずの旅であった。桃はまだ開かず、桜の開花はいよいよ見ごろかという頃の穏やかな旅行であったのだが、道中の夕食で、母が突然倒れた。持病はそれなりに年相応にあり、更年期も程よく付き合い、とはいえ目立った大病も無く過ごしてきた母であったが、和やかな夕餉の途中、うっっ、とうつむきみぞおちを押さえ苦しみだした。しばしの間様子みてからフロアスタッフを呼び、車椅子に乗せて部屋へ戻り、いつでも救急車を呼べる体制を整える。父と姉と共に数時間、驚くほどの低体温と顔色の悪化を心配しつつ、とにかく看病に努めた。幸い腹痛も収まり体温も戻ったためにその夜は部屋で過ごすことで事なきを得た。翌朝家族で顔を合わせて、はて原因は。もしや昨夜の会食にて、我が家の家計から少々背伸びした夕食価格を冗談交じりに母が尋ねた直後だったので、はては価格に驚いて卒倒しかけたのではないかと笑いあえたのだが、それは幸いにも、その後大事に至らなかったからである。

 その折、友人知人、医者に医院にと夜分の迷惑をかえりみず手当たり次第に電話をかけ、改めて医療に対する自分の見識のなさを痛感したのは記憶に新しい。母の例は一端であり、本当にこのところ、周囲の同世代の友人達にも、重さの程度はあれど病を患う知らせを耳にする。その度に、ただ耳にするだけで何も力になれない自分の無力さに、今更ながら呆れるのである。他人の病に深くかかわることはできなくとも、せめて近しい近親家族に対して自分が向けられる術はないものかと考えていたところ、先日、医師の友人と電話で談笑しながら、一つのヒントを授けてもらえることになった。彼は受話器の奥で、「今の患者さんの多くが、本来自分の身体とは自分のものだという当たり前の感覚を忘れてしまっているようにみえる」と嘆いていた。それはあたかも、車の車検をディーラーにあずけて済ませるような感覚で、病院に行き、医者に診せ、「さあ金は払うから後はまかせた。しっかり直して体を返してね。」と言っているかのような印象を受けるのだという。

 友人の気づきとは、自分で全てをできる必要はないが、あまりにも自分の体に対しての認識が薄いのではないかというものであった。体のサインや兆候、人間が本来持つ自己治癒力、体と心のバランスの取り方、そして病や死についての向き合い方、それらいずれかもしくは全てにおいて、まるで日常生活には必要の無い情報として捨て去っているかのように生きている人がいる。そしてその無意識に他人任せにし、体への認識を大切にせずに暮らしてきた末に、病を医療に預けきってしまうことになる。

 恐らく、それでも良いのであろう。何も、不都合なことは無いのかもしれない。現代社会は大自然の中の生活ではなく、健康保険制度の下、最新医療の恩恵に包まれて医者に任せて自分の人生を送ることにどこに問題があるのだろう。しかし。自分の体を自分のものとし、不調や病を自分で診て、緩やかに改善し、そしてそうした個性を受け入れながらライフワークバランスや食事やアクティビティを取り入れ、自身で健康に導く生き方も存在する。薬や医療や健康情報に任せすぎず、己の生命が発するシグナルに適度に耳を傾け、整え、治癒させていく。単なる民間療法という意味ではなく、もう少しだけ自分ごととして、自分の身体を手に入れるようなそんな感覚。それはきっと難しいことなんかではなく、時間や経済に過度に追い立てられることから少しだけ自由になることで、静かに聞こえてくるような気がするのだ。もしかしたらそれはヨガのようなものであったり、もしくは瞑想のようなものであったり、食事に気を配ることだったり、あるいは東洋医学に理解ある医師と適度に関係を築くことだったりするのだろう。もちろん最新医療との関係も、適度に必要とすれば良い。

 自分の身体をよく観ることなく肉体を不適度に使ったために腰を痛めたり。夏に冷たい飲み物をがぶ飲みしてばかりで、陰の気が高まり体調を損ねたり。適性に向かぬ仕事に傾きが大きくなって、ストレス性の頭痛を抱えてみたり。相変わらずそんなことばかりなのである。それでも少しずつ、「自分で診る」という友人のヒントを身に沁みこませながら、自分が、そして近しい人たちが、緩やかな健康を手にすることができるようにと願っている。それは小生にとって自然農と同じように、自然に沿いながら生きていくことと同義のプロセスであるはずだ。

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 庭でもいだトマトを井戸水で冷やし、日中の作業で上気した身体を冷やして整える。ただそれだけのこと。それでもこうやって自分の身体は見事に維持されている。大げさかもしれないけど、でもその積み重ねで人間は生きている。


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第2回 話す・聴く・気づきのワークショップ =8月19日(日) 開催=
 今回のテーマは【生命(健康・病・自分で診る)】です。
 参加者募集しております♪ 終了しました。
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2012年06月21日

梅雨来たりて夏に至る

皐月二日 曇り

第二十七候:芒種末候
【梅子黄(うめのみきなり)】
=梅の実が黄ばんで熟す=
 (新暦6月16日頃〜6月20日頃)


第二十八候:夏至初候
【乃東枯(なつかれくさかるる)】
=夏枯草が枯れる=
 (新暦6月21日頃〜6月25日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


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 台風の暴風雨、台風一過の猛暑、そして台風一過一過の今日、湿気も落ち着き日差しも隠れ、どんよりとした梅雨曇りの皐月の二日。 二十四節句は夏至。一足先に太陽の運行上のピークは訪れたものの、しかし地の上の気はようやく夏が春を追い越し、梅雨の緞帳が重く空に掛かる頃。七十二候は「乃東枯(なつかれくさかるる」。乃東とは漢方にも使われる夏枯草(カコソウ、別名ウツボグサ)の古名。この草は冬至の頃に芽を出し、田んぼや畑の畦道などに生える野の草であるが、ちょうど夏至の頃に種をつけ終えて黒く枯れることから、季節に読まれることになった。この辺りの野辺には見かけないが、その夏枯草と同様に、冬(晩秋)に芽を出した草花がようやく命を閉じていこうとするのがこの季節となる。麦、えんどう豆、菜種、そして数え切れぬほどの冬草の雑草たち。

 自然農で田畑に向かう時よく耳にし、かつ暦を重ねる度に身をもって知る草の姿に、冬草と夏草の二種類がある。生物学上にこうした草の分け方があるかは知らないが、川口由一さんの本にも、その他の自然農の手引きの類にもよく現れる言葉である。冬草は、大まかにいって秋から冬に芽を出し、春に盛り、夏の始まりに枯れていくというプロセスをたどり、同様に夏草は、春に始まり夏から秋に大きく育ち、冬に倒れて種を結ぶ草たちのことである。稲は夏草の代表であり、麦は冬草の代表である。豆で言えばえんどう豆は冬草、大豆は夏草と言えるだろう。もちろん、自然はそんなにシンプルではなく、この冬草夏草のグラデーションの間に様々な個性が入り乱れるわけなのだが、総じて、そのような色分けは間違いではない。自然農では、雑草にも当てはまるこうした草の傾向と個性を見分けつつ、刈る草、抑える草、生やす草、そして育てる作物に応じてゆく。この季節に枯れ行く冬草の命をあえて刈り倒して閉じずに、ただ根元をより分けて種蒔きするだけでよいし、これから共に生まれ育とうとする夏草たちは適度に刈り抑えて、作物が負けぬよう目配りをしなければならない。

 先日の台風4号の襲来後の猛暑で再確認したことだが、やはり太陽の素の力強さは、比すべきものが無いほどに荒々しい。 台風が、梅雨の一時の曇天を持ち去ってしまった後のあの突然すぎる猛烈な熱射は、まさしく太陽光のすさまじい厳しさを思い知るのに十分であった。幸いなことに日本には梅雨があり、夏至を迎えて間もないまだ成育途中の夏草たちを、湿り気と時折の五月晴れで優しく育てあげる。頃合いを見計らったころに梅雨が明け、それまでに根と葉を伸ばした草たちは、ギラギラの夏に耐え抜く力を宿すのだ。しかし梅雨明ければまもなく暦は立秋、夏は盛りとはいえ、既に太陽運行はピークではなく、とはいえ残暑を獰猛に蓄えながらも、日に日に季節は秋へ秋へと進んでいく。 つまり、最も暑さが極まろうとするこの夏至の太陽光を、梅雨空は穏やかに遮り、大地を乾き尽くすことなく瑞穂が根を張り巡らせるために優しく居座ってくれているのだ。

 ともすれば、カビだ、湿気だ、陰干しの匂いだと、嫌われる対象にあげられてしまう梅雨であるが、見方を変えれば日本にとって欠かさざるべき大切な大切な季節の営みのはずである。そうであるなら、季節、気候、天気は、決して克服すべき相手なのではなく、寄り添い共に歩む相手としてしか存在せず、季節や天候がどうあってもそれに幸福感を左右されない生活スタイルを模索していくのが本来の人間のあり方なのではないかと思う。 本来の人間のあり方など希望せず、文明生活に依存して自然克服型の生活スタイルしかもちえないのだとしたら、それはおそらく大きな損失であり、その先にいかに眩ゆい程に輝く素敵なリッチライフがあろうとも結局は根本的では自然環境に左右されてしまうことは避けられない。


 梅雨空にカビを恨めしく思いながらも感謝もし、気まぐれの猛暑に嫌悪感を覚えながらも感謝もし、育っても感謝、育たなくても苦笑、死んでも笑い、生きても笑い、それでも起こりうる悲喜こもごもをなんとか適当に乗り過ごして生きてゆきたい。 社会情勢も大変だけど、国際社会も喫緊だけど、それぞれが足元から幸せになりましょうよ。それでいいと思うんだよね。
 なんか最近こんなことばっかり書いてないか俺。ちょっとうぜえなこれ。やれやれ。 

 と、知人の自然農家さんからいただいた梅を塩漬けしながら、梅雨明けの土用干しを待つのでした。

 
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2012年05月28日

ワンダー

卯月八日 晴れ時々通り雨

第二十三候:小満次候
【紅花栄(べにばなさかう)】
=紅花が盛んに咲く=
 (新暦5月26日頃〜5月30日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 「特別な存在だから特別なのではなく、どこにでもあるありふれた存在だからこそ特別なんだ」、などというありふれた記事を書いていて、これはいい記事になったと鼻の下を伸ばしきってご満悦にひたっていたら、足元のコード類が悪そうな笑みを浮かべながら右足にからまってパソコンの電源が落ち、1時間かけたテキストデータが消し飛んだ。

 「過去に起こった大事に見えることに執着なんかしないで、今起こっているそのままの足元の出来事にこそワンダーが詰まっている」などと、奇麗ごと言ってんじゃねえよというような記事を書いていたら、画面がプツリと消え、うおおおと叫び、やっちまったーと、その1時間を嘆いてみたりしそうになった。

 しかし自分がキーボードを叩いていた1時間ちょっとの考察は、電気信号としては消え、形にはならなかったけど、そして稚拙すぎるその文章は幸運なことに他人の目に触れることなく済んだのだし、また二度と同じ文章や構成や語彙は訪れないのだけど、それは確かに存在したし、消えたようにみえてもおそらく自分のどこかに沈んでいったはずである。体内でもあり、脳内でもあり、過去でもあり、もしかしたら未来に。


 このところの大豆の豆蒔きゴールデン月間のさなかに、気休めの楽しみで仕込んできたどぶろっくん。その折、瓶詰めをした濁り酒の副産物として酒粕が手元に残った。その生きた酒粕を一部活用し、全粒粉を混ぜてパン用の種麹(酵母)を作ってみていた。昨晩思い立ち、その酵母とキッチンに残っていた小麦粉、ふすま粉、食塩を混ぜて、生まれて初めてのパン生地作りをやってみた。酵母を冷蔵庫に入れていたせいか醗酵がなかなか進まず、台所に放置しておいての今日の午後、ムチっとしまっていたパン生地は見事に粘りのある生地に変わり、とりもとりあえず聞きかじりのまま陶器とオーブンレンジに放り込み、生まれて初めてのパン焼きを体験した。峠の釜飯の空いた陶器に、そば粉をまぶしたパン生地を丸めて投入し、オーブンレンジも使い方分からずに「ケーキ」のボタンをとりあえず押して40分。適当に、思いつきで、片手間に、なんとなしに始めたパンの調理。そうしてできた自家製パンの味と体験の末にでた答えは、世界はワンダーに満ち溢れている、ワンダフルであるということだった。

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陶器の土鍋が良いとのこと。鍋がオーブンに入らないので峠の釜飯にて。

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膨らんだ!焼けた!そしてなにより、むっちゃ美味い!!


・ ・ ・

 金環日食や、筑波実験植物園で開花した「ショクダイオオコンニャク」がこのところ話題を集めている。数年に一度、数十年に一度の自然現象は無条件に人の耳目を集め、その頻度が少なければ少ないほど、その間隔が長ければ長いほど、人は興味関心を寄せ、好奇心と注意を向け、心を動かす。

 ところで、金環食のあった日が、月の動きで言えば新月(月齢0〜1)であったことに日ごろから気がついている人がどれほどいただろうか。当然のことであるが、月と太陽が重なると日とは、地球から見た時にその二つの天文体が同時に空に上がっているということである。毎月(正確に言えば約29日周期)繰り返されている月の満ち欠けのうちの、新月にあたる日であり、かつ太陽光線を月が遮るコースに入るというまれに起こる日に、日食として観測されるのである。今更であるけど。一方満月とは、太陽と月が地球を挟んで正対し、太陽光を月の球体全体で反射しているために見られる、約29日に一度の天体現象である。つまり満月の日は太陽が沈む頃に東から月が昇り、朝日が昇ると月が西に沈むことを意味している。言うまでもないことだが、満月の日に金環食が起こることは絶対にない。そのことは、当然過ぎて誰も触れないのだが、その「当たり前」のことに普段から気にとめていて日食を観察した人はどれだけいたのだろうか。

 数年に一度しか開花せず、悪臭でも世界有数と言われる植物と、毎日毎日の朝に咲く無数の花や、庭先で触れるたびに独特の臭気をもたらすありふれたドクダミ草との間に、いったいどれほどの存在の差があると言えるだろうか。

 日常のセンスオブワンダーを働かせる時間がなく毎日を過ごす人にとって、稀少な自然現象に関心を寄せたり興味を向けたりすることは、自然や環境への好奇心の入り口になりえるし、日常を彩る特別な出来事となりうる。しかし世界では、一瞬一瞬の何気ない光景や足元の自然に、日食や珍しい植物の奇跡に一歩も引けをとらないような「ありふれた奇跡」の毎日が隠れている。全ての現象は、その植物、動物、天体、無機物らにとって奇跡の一瞬であり、二度と同じことが起こることはない。物理学的に言ってもあるいは哲学的に言っても、今ここにある森羅万象は全て常に移り変わりと変化を繰り返しながら、同じ状態は一度としてなく実体として保ち続けて存在している。細胞レベルでも、粒子レベルでも。

 大げさに言えば、自然農とは、その一瞬の奇跡と、それでいながら重なり続ける複雑系の生態系の営みの狭間に生き続ける、人間と自然現象の関係のことである。もちろん自然農だけに当てはまる話ではない。世の中に普通のこととして存在する日常の、全ての事柄にセンスを発動させ、そこから発見や感動や安らぎを得ることができるのならば、世界はまるでワンダーランドである。言い切ってしまえば、それに気づきさえすれば、人は幸せへの切符を手にしたも同然なのだ。特別な出来事としてのワンダーを求めた結果、例えば日食レンズを買い忘れて後悔したり、あるいは植物園に渋滞してイライラしたりすることもある。もちろん、そうした特別な奇跡も楽しみつつ、同時に、いつもと同じように見える「ありふれた奇跡」があることに目を向けてみよう。そうすれば世界は常に生まれ、消え、更新され、しかも存続し続ける、そんな驚きのワンダーランドに包まれているのだから。

 特別なことだからオンリーワンで素晴らしいのではなく、ありふれた日常が実は一瞬一瞬のごく普通の奇跡の積み重ねであり、だからこそ特別なのではないか。パソコンのデータが消し飛んでしまって全然違う構成の記事になってしまったとしても、結果として残るこの気持ちはほとんど同じであり、と言うことは心配していたようにこの恐ろしく冗長になった文章が不幸にも他人の目に触れてしまうことを意味する。
 しかし、こうしたありふれた内容の文章だからこそ特別なのだと、自分に対して言い訳が見つかったところで、足元の電源コードに気をつけながらキーボードを打ち終えるのである。たかだか麹種を作って自分でパンを焼いたからって、何をほざいてるんだと。そうかもしれないし、そうであってもいい。その小さな日常のワンダーこそが、一人一人の幸せの種になりうるのだと信じて。

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2012年03月29日

メガネを外して

弥生八日 晴れ

第十一候:春分時候
【桜始開(さくらはじめてひらく)】
=桜の花が咲き始める=
 (新暦3月25日頃〜3月29日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 最近、メガネを外して生活することにした。
 高校生活も終わろうとする頃、そういえば黒板の字が見えにくいことに気付き、受験会場で大切な伝達事項を見落としてはまずいという理由が7割と、都会に出て遭遇するであろう可愛い子ちゃんを近眼のために見損なってはいけないという理由が3割で、両親を説得して(無論7割のみを掲げて)初めての眼鏡を作ったことを覚えている。大学に進学してからしばらくは眼鏡と裸眼を併用していたが、併用では不便を感じるようになりいつの間にかコンタクトレンズを常用するようになっていた。コンタクトレンズの毎日の着脱はその習慣に入ってしまえばなんてことはないのだが、放浪していた数ヶ月を除けば大学5年間ほぼ毎日コンタクトを装着していたことを思い出すと、今ではなんとも奇妙な感じもする。就職してからも同様にコンタクトの生活は続いたが、自由に使える金を手にしたこともあってか小洒落たデザインレンズなどを購入し、仕事のONOFFでコンタクトと眼鏡を時々に使ったりなど、眼鏡で遊ぶことも覚えた頃もあった。自然農を始めてからは、コンタクトレンズとはほとんど無縁の生活に一変した。畑作業、家畜の世話(離職後しばらく山羊牧場の仕事などもしていた)、山仕事、およそほとんどの農作業の場面で、コンタクトレンズは機動性を失う。とにかく、自然と関わる仕事は土埃と草木の粉くずに包まれおり、当然、目の中に入れたレンズとの相性が著しく良くない。数年慣れ親しんだコンタクトレンズは、装飾の面でも活動の面でもとても快適ではあったが、日常を農作業に従事することにした以上、その選択を取ることはできなくなった。それ以来小生は、朝起きて夜寝るまで、枕元の眼鏡を掛けて枕元に眼鏡を外すという、視力を眼鏡レンズによって矯正される日常を何の疑問もなく繰り返してきた。近眼は年を追うごとに少しずつ少しずつ度合いを強め、今では裸眼で0.01あるかないかという症状である。

 眼鏡がないと困る。なぜなら、周りが良く見えないから。良く見えないと、探し物もすぐに見つからないし、誰かの顔も近づくまで分からないし、信号や標識もはっきりと認識できないし、視界がぼんやりして落ち着かない。まだまだ、いくらでも、困る理由は数限りなく上げられる。しかし、さりとて、ふと立ち止まって考えてみる。良く見えないことで本当に困ることなんて、どれほどのことなのだろうかと。小生は最近までついぞ、そんな質問を自分に投げかけてみる機会などなかった。はたして、遠くが見えないことがどれほど困るのか。誰かの顔が近くまで分からないことがどれほど困るのか。視界がぼんやりして落ち着かないことがどれほど困るのか。とはいえ、探し物がすぐに見つからないのは少々不便だな。信号や標識がはっきりと認識できないのは車バイクに乗るときは一大事だな。しかし今は車もバイクもほぼ乗ってはいないな。パソコンで画面を見るときも、視力矯正されていたほうが見やすいだろうな。なるほどなるほど。つれづれに、冷静に検証していくうちに、それ(眼鏡の必要性)は不要とは言えないものの、なくてはならないと思い込む必要もないという結論に落ちついていくのであった。

 視力が良好で、視界がはっきりとくっきりと維持されていることが、当然の、疑うべくもない平均値になったのは、実はいつ頃からだったのだろうか。眼鏡が発明されて庶民の日常生活に進出する以前に、近眼者はどれほどの不自由者だったのだろうか。また、現代社会のような近眼者がもはやマイノリティではない社会はいったいいつ頃からだったのだろうか。

 おそらく、眼鏡の登場以前にもそれなりの近眼者は存在しただろう。近眼だけでなく、遠視や乱視など他の視力困難者も少なからず存在したであろう。そして当然、五体満足者に比べて若干の不自由も備えながら、ではあるものの、しかしながら不便という言葉とはかけ離れた生活を送っていたのではないだろうか。目が悪いなりにそれを当たり前のものとして受け入れ、どうにかできたらよいだろうが回復を望んで渇望することまではせず、ただその低下した能力で過ごすことしか術がなかったはずである。見えない(ここでは見えづらいことを意味し、盲の意味ではない)ことは、見えるよりは少々不具合なことはあるが生きるうえでおおよそ支障がないものであったように思われる。
 では少し視点を変え、これが動物ならどうであるか。視力が低下した動物は、弱肉強食のリアルの中で、あるものは視力に執着してその生存能力を低下させ、サバイバルの生存競争から退いていっただろう。あるいはその視力の低下以上に別の機関(聴力、嗅覚、感覚など)を鋭敏に研ぎ澄ませることに成功したものは、視力以上のサバイバル能力を駆使して生存し続けることも可能だったに違いない。人に視点を戻し、盲や聾や唖の方々が、その生活に我々が想像しえない様々な労苦を背負われていることに異論はない。しかしそうした方々が時に素晴らしい気付きを我々に示してくれるのは、感覚が失われたがゆえにそれ以上の別の感覚を持ちえることがあることを教えてくれるからでもある。

 視力が低下したことで、それまで手にしていた何かを失ったのは現実である。しかし同時に、視力でしか認識しか出来得なかった空間把握を、低下した視力を補ってたとえば聴覚、たとえば感覚、やもすれば嗅覚などで補うことができるかもしれない。できないかもしれない。しかし出来るかもしれないと思い、それを研ぎ澄まし日常的にトレーニングすることで、視力保持者や視力矯正者が観ることができない世界を認識することが可能になる、そんな現実が訪れるかもしれない。つまりそれは小生にとって「何かを失う」と同時に、「新しい何かを手にする」きっかけを与えられたとも言えることができる。

 現代社会で一様に「不便」だとされる物事すべてに、こうした「認識の転換」というプレゼントが隠されている。現代のテクノロジーが便利の追及の上に成り立っているのだとしたら、その恩恵を味わい尽くしていながらそれを語るのも恥ずかしいのだが、それでも不便などというものは別に生活や幸せが崩壊するような大したモノでもないという実感をその体に宿すトレーニングは必須だと思う。誰しもが「幸せ」という形の見えないものを求めるのならば、それは一つの幸福への切符にもなりえるのである。逆に言えば、世の中の「不便」に対して不満を感じることを少なくすれば、「不幸」がそれだけ遠のくのである。


 というわけで、自転車生活、裸眼生活、自然農生活、一日一食(不定期)をイイカゲンに続けながら、バイク購入を考え、ワンデーコンタクトレンズも所有し、インターネットに遊び、ジャンクフードを楽しむ。説得力ゼロのインチキ生活を、邁進中なのです。


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2月半ばに種まきしたポット苗がすくすく育ち、いよいよ畑へ。

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2012年02月22日

道中より

如月朔日 天気知らず

第四候:雨水初候
【土脈潤起(どみゃくうるおいおこる)】
=雨が降って土が湿り気を含む頃=
(新暦2月19日頃〜2月23日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 先日からしばし、つくばを離れています。もとより、旅は嫌いではない。旅行や、リゾートや、ツアーではなく、半ば入り口がそうであっても、内容を旅(のようなもの)にしたがるような粗野さが、自分にはまだ残っている。もちろん、目指す場所や過ごす内容や、期待する充実感をなぞる事で得られる喜びや楽しみもあるにはあるが、本当の旅の醍醐味とは、目的と予定調和の狭間で起こる、生の自分に起こる反応や感覚であり、どこかでそれを求めてしまう自分がいる。

 旅の位置づけが難しいのは、いつもの日常生活の中には旅ほどのライブ感を持ち込むことができなくなってしまうが故に、休暇で過ごすそうした旅にことさら非日常感を盛り付けてしまい、あくまでも旅と日常を無意識に切り離してしまうことがよくあるからである。そうした時に旅は、単なる気分転換であり、または一つの目的達成ゲームであり、せっかくの生き生きとした感性を手にした先に、まったりとした日常が上書きされるという繰り返しに陥ってしまう。若い時分に鼻息荒く口にした「人生とは旅だ」などというどこにでも溢れているようなセリフを今更持ち出したくもないが、時間をやり繰りして手に入れた余暇としての旅を、非日常のワンシーンに納めてしまわずに折々にその感覚を日常に照らし、自分と世の中を眺める感性を思い出す手段として携帯したいと思っている。 

 時間をかけて距離を移動し、普段では目にしない手にしない環境に触れてその新鮮な感覚を楽しみとするのが旅であるとすれば、実はそれは距離や時間に制限されない、という点も旅の本質であり醍醐味である。20代に時間と距離をかけて這いずり回った異国の放浪も代用のきかない経験ではあるが、自分の感性さえ、探求性と感受性を鈍らせていなければそれはいつでも、どんな場所でも、手にするチャンスはある。それは一つには自然農の田畑であったり、古武術的な体の使い方であったり、動物の行動に思いをはせるトラッキングであったり、それらは身の回りにすでに内在し、いわゆる普通の日常に隠れているインナートリップである。内側の声、すでに在るものへの気づき。その無限の広がりへの好奇心を手にしたとき初めて、人生はもしかしたら旅のようなものかも知れないとようやく言えるようになるのではないだろうか。

 今どこに居るのかって? さあどこでしょ。 留守を預けて、田畑も山羊も置いて、自然農をしばし手放して、どんな旅になっているのか。自分でもわかりませんゆえ。出発前に書いたこの記事がちょっとした置き手紙になっていますが、また戻りましたらどうぞよろしく。

 
2月15日の出発を前に記す




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== 1月の旅 雪の斜面もまた旅なり ==
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2011年12月15日

日常

霜月廿一日 晴れ  

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 しばらくご無沙汰しておりました。神無月と共にどこかに隠れてました、わけじゃないけど。

 畑では、大根やら小松菜やらカブやら、育つ箇所では少しずつ良く育ち始めている。大豆も程よく乾き、米もしっかりと干され、小豆も刈り終え、生姜と里芋と菊芋は土中で掘り出される頃合いを待ちかねている。要は収穫の秋、ド本番を急き立てられているのです。

 
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 毎日毎日、作業を目の前にこなしてはいるものの、書くこと、ねえなあ。放射線とか、TPPとか、遺伝子組み換えとか、ユーロ危機とかFIFAクラブW杯とかAKBとか、日常に、夕餉の度に深刻に体をひとめぐりして煮詰められて出て行くものの、書くべきことは見つからない。自身の内側に根付いて、自分の言葉で、堂々と向き合える思考ではない。つぶやくくらいならできるのだろうが、それが何になるのか。脱穀の合間に、コタツで豆を選別する合間に独りごちることと、Tweetしてネットに公開することに、どれほどの差があるのだろう。
 自然農の畑は、ムーブメントや体制や情勢とは次元を別にして、ただ、そのまま、自ずから然らしむるペースでしか進まない。自分の周囲と己れ自身が、笑ってしまうほど流されるままにしか生きられないからこそ、その泰然の田畑のペースを師として自分を引き戻したくなる。だからなんだというわけでもなく。

 米を脱穀して、豆を脱穀して、間引き菜摘んで、拾った猫を飼い遊んで、ヤギと蹴り遊んで、来春からの跳躍にむけて練る。枯れ葉をかき集め、垣根をこしらえ、ヤギの糞を畑に戻し、作業の合間に落ち葉で焼いた菊芋を頬張る。それこそが、世界に通じている道だと信じて。いわんや、それでしか、世界には通じていない。
 

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2011年06月11日

来し方と行く末

皐月十日 雨のち曇り

 恐れていたこと、というよりも起こるべくして起こってしまったことが、ここ数日の報道で明らかになってきた。地震と津波と原発事故が発生した直後からどうしても気になっていた、震災後の廃棄物の行方である。 津波の被害にあった東北地方の太平洋沿岸地域で進められている瓦礫の撤去作業であるが、その想像を超えるほどの津波の後始末は、懸命の作業で除去された後に地域ごと特定の場所に運ばれ、現在一時的に山のように積み上げられている。その集積所の作業員や周囲の住民にこの瓦礫からと思われる健康被害が報告されはじめた。また別の報道では、東京都内や各自治体の下水道処理施設での汚泥の焼却灰から周辺地域の観測値よりも高い数値の放射線量が測定されたのだという。

 現在の自然農生活の前職、小生が勤めていたのは産業廃棄物のリサイクルを主に取り扱う企業であった。今でこそエコやロハスといった言葉のように幾分オシャレ側に寄り気味の環境配慮の姿勢であるが、そもそも現代社会において環境問題に足を突っ込むということはそれほど生易しいことではない。その最も象徴的な分野が、社会の全ての事象の最終的な到着地である「廃棄物」、つまり「ゴミ」である。一般的に生活していてゴミと聞いて思い描くのは、当然家庭から出る「燃やせるゴミ」や「空き缶」などの生活ゴミだろう。しかし現代日本でゴミとして発生するもののほとんどは、企業から発生する「産業廃棄物」である。いわゆる産廃といっても、一般的にイメージしやすい工場などから発生する副産物だけではなく、建築現場からの土砂や木屑、解体現場からの建築廃材、ごみ処理施設からの焼却灰など、ありとあらゆる経済活動の際に発生していることは実態としてあまり認識されていない。そしてその産業廃棄物の多くは、現代のオシャレで快適で便利な生活とはあまりにもかけはなれた、キタナイ、クサイ、アブナイものとして存在している。産廃の現状は語り始めるとキリがないが、つまりは現代生活を送るということは、自分の見えないところで自分の思っているよりも遥かに多くのゴミを産み出しながら生活しているということでもある。

 この度の津波は、映像で見てもわかるようにありとあらゆるものを差別することなく壊し、押し流していった。そこには、家があり、工場があり、畑があり、つまり人間生活があった。家や建物には、建築資材としてアスベストや防腐処理材などが使われていただろう。工場には、危険物としての石油製品、化学薬品、塗料、金属粉、など通常時に厳重保管が必要な資材がたくさんあっただろう。田畑を営む農家や農協の倉庫には、取り扱いに注意を要する農薬や化成肥料が山積みされていただろう。それらがほとんど何の躊躇もなく津波に襲われ、流出し散乱して地域一帯に広がり、もしくはどこかに溜まっていったことは想像に難くない。そしてそれら全ての混合物は、一部は海や川へ流され、しかし多くの残骸は地面に残され、現在急ピッチで進めれられている瓦礫撤去の先の集積場所に、小山のように積み上げられている。その山には目に見えるゴミとしての木屑やプラスチックや金属が散乱しているだけではなく、危険な化学物質などが付着したり混在しているかもしれないことは、あり得る事態として想像できる。小生が関わってきた限りにおいて、化学物質を扱う製造業が保有する原材料や発生する産廃(液体や固体関わらず)の、人間に対しての危険度はとても高い。だからこそ、厳重な取り扱い方法や適切な産廃処理が執り行われるための管理体制がとられ、コントロールされてきた。それが今、非常に残念なことにどうしようもなく拡散してしまった上に、急ぎで進められている瓦礫の撤去という作業を経て、また新しい問題が生じてしまっている。

 
 原発事故後に放出された放射性物質は、量の多少に関わらず福島周辺に広がり、風や雨によって地面に降りた。その為に起こっている飲料水や農水産物への放射能汚染に対する人それぞれの対応の現状は、日々のニュースによって報じられている通りだ。健康を侵さぬようにと願っての、放射性物質の除去は関東東北在住民の関心ごとの一つでもある。マスクをして、雨合羽を着て、野菜や食品からの除去方法の情報を求め、少しでも放射性物質を自分から遠ざけることを考える。その結果、マスクや雨合羽はゴミ箱へ、野菜屑もゴミ箱へ、野菜を茹でた煮汁は下水道へ、また食品として取り込んだものもやがてはトイレに流され下水道へ、自分の目の前から消えていく。しかし、物質はゴミ集積所に持っていけば消え去るものでもなく、排水口から流れてしまったらどこかに消滅してしまうものではない。全てのものは地球上のどこかに存在し、必ず残り続ける。ゴミは、処理場へ集められて焼却処理され、灰となる。今までは、その灰は一部はセメント原料などに使用され、一部はどこかの埋立地に埋め立て処理されている。下水は、下水処理場に運ばれ、濾過と沈殿と化学処理などが施された後に、水は川や海へ流され、水以外の物質は汚泥として乾燥処理され、通常であれば一部は再利用されたり、また埋め立て処理などされている。このように、ゴミも下水も、365日フル稼働で地域の処理施設へ集積され、濃縮され、処分されている。その灰や汚泥には、日常生活のほとんど全ての原子分子が集められていることになる。(厳密には異なる点もあるが。) 拡散されて地上に降りた放射性物質が、人間による洗浄や選別を経た後に、結局また集められるというのは、皮肉以外の何物でもない。さてどうしたらいいんでしょ、と思ってみても、現在のその先の処理対応について、プロではない我々にできることはほとんどない。適切に、もしくは超法規的にでも、解決策にたどり着いてくれることをまずは応援するしかない。

 
 しかし、ついつい注目しがちな現在の不安とは別の次元として、今までの我々の快適な生活スタイルが、背後にいかに大量の化学物質、廃棄物のリスクを背負いながら成り立っているかを、今まさに気付かなければならない。地震が起きなければ問題は無かった、津波が来なければ今までどおりでよかった、それで思考停止して果たして良いのだろうか。自分だっていつもこんなこと考えているわけではない。だったら文明生活捨てるのか、なんて思わない。廃棄物や資源の浪費がないから自然農が答えだ、みんなやれ、なんて思わない。ただ、今の生活の環境、身の回りにある便利なモノすべてがどんなプロセスで作られ、途中でどんな廃棄物を産み、どんな原料が用いられ、使用後にどんな経路をたどって捨てられていくのか、少しずつでも気に留めながら過ごしてみることに、意味がないとは思わない。自分の洋服を必要以上にきれいにするために使用する合成洗剤が、目の前の排水口から流れた後に消えて無くならずにどこに向かうのか。カラフルな入浴剤の化学物質がお風呂を捨てた後にどうなってしまうのか。100円ショップで手にした余りにも安くて便利な抗菌グッズは、途上国の工場で塗料や薬品がどんな管理をされながら生産され、手に入れることができるのか。それが商品であれエネルギーであれ食べ物であれ、その「来し方と行く末を思う」という認識と想像が世の中の常識になることができれば、今よりもちょっとだけ世界が変わり、社会が変わり、人生が変わるきっかけになるのではないかと信じている。 自然農が魅力的なのは、ついつい忘れかけてしまうその大切なエッセンスを作業の合間合間にふと思い出させてくれる小宇宙が、田畑の中に展開されているからに他ならないのだ。

 化学物質汚染の恐れがある災害瓦礫、原発事故の末の放射能を帯びた下水汚泥、そのいずれにも「ゴミ」としていかに処分するかという人間の業が濃縮されてしまっている。それをできるだけ上手に解決することは容易ではない。うまくいけば一部は何かの原料としてリサイクルこともできるかもしれないし、しかし恐らく現実として多くは、結局は人間生活から少し離れた地球のどこかに「捨てる」以外に今のところ方法はないのかもしれない。厄介なものをこうして目の前からただ遠ざけることを基盤とした今の生活が、本当に理知的で文明的な社会なのか、考え直すべき時期に差し掛かっている。震災後に発生したこの廃棄物問題は、津波が、東電が、政府が引き起こしたのではない。このライフスタイル自体が本来内在していた問題であるのに、見えないように目を閉ざしていただけに過ぎない。答えはない。しかし、答えを探すことは許されている。変わることは許されている。

 一人では、一瞬だけでは、変われないからまた自然農の田畑に出て、出会いができた方々と、農作業の時間を過ごす。そんな奇麗ごとだけじゃねえんだけどもさ。
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2011年04月02日

シナリオ

如月廿九日 晴れ

 昨日、40μSv(マイクロシーベルト)を被曝した。極度の歯医者嫌いであった小生だが、清水の舞台から飛び降りた気持ちで、家から歩いて1分の歯医者さんで治療を受けることを決め、診断でレントゲンを受けた。これから3ヶ月かけて、4本くらいの治療と戦います。ああ、憂鬱。
 さて被曝。今日のつくばの屋外放射線量が約0.2μSv/hだったようなので、約200日分(コメントにてご指摘をいただきました⇒)約4週間分の外部被曝を受けたことになる。もしくは規制値いっぱいの、ヨウ素131が2000Bqのホウレンソウ1kg、狂ったようにポパイ並みに食べた感じ。うん。大丈夫だ。

 先日の記事で、ちょっと前向きすぎるかな、とも思っている自分もいる。心配は心配。怖いは怖い。病気、障害は、全体で何万分の一の確立であろうが、本人自身にとってみればゼロかイチかであるからね。ましてや子供には、親の判断で子供の将来の不安が増すのは悔やんでも悔やみきれないだろうしね。まあそれは、放射線への不安に限らず、生きること、人生の全てにおいて言えることなんだとも気付く。でも自分は、つくばにいることを決めた。家族はいわきに住んでいる。住む者、残る者として、この状況で、針の穴からを抜けてやってくるような恐怖を常備して暮らすという選択をやめることにした。それだけなのです。知り合いのお医者さんや、農学の先生や、友人、つくいち仲間などと話し、ネガティブなシナリオとポジティブなシナリオをミキサーにかけて、そうして、これからもつくばで自然農を営む自分の視点から、自分のシナリオを作る。それだけなのだ。

 その視点で、土壌への影響も、植物生育への影響も、考えなくてはならない。本当にやばいシナリオが導き出されたら、その時に、それに従って諦めればいいこと。今は多分、大丈夫、という予感。無知から導き出すのではなく全身で考察して、責任あるポジティブシナリオにたどり着こうという覚悟。

 自然を、人間を、生命をなめんな。人生をなめんな。怖くたって不安だっていい。その恐怖をエネルギーに変えて、前向きに楽しむ。日本は、それでしか変わらない。



 原子力エネルギーは、もうやめよう。政治判断で、停止を決めよう。いや、自分達で決める。なら現実的に考えよう。この無駄に不安なリスクだけを考えたら、全部の原子炉を即時停止を言いたくなる。でも電力供給としては無理。ならばまずは計画と予定を全部棄却しよう。そして、継続使用中の原子炉は、停止期限を決めて停止しよう。まずは政治で決めるだけ。決めたら、日本は絶対に対応してしまう。あっという間に原子力発電を補うだけの代替エネルギーを実現化させる。原発の停止期限以内に、間違いなくやり遂げるに決まってる。日本人の能力は、凄いもの。電力を使わなければ生きられないというのなら、それは必ず実現してしまうよ。だって日本だもの。

 別のシナリオ。日本での電力消費を、芸術、文化的に減少させる。「薄灯り」。それはほんのりとした柔らかい照明。行灯に照らされた障子の奥のような、ぼんやりとした暖かみのある照明。そんな灯りが、光量が、街の、商店街の、家庭の常識になる。ギラギラしたネオン、蛍光灯の昼のような照明から卒業して、暗すぎず、明るすぎず、無駄な電力消費の少ない、そんな照明を共有する新しいイキな文化。「薄灯り」="Usuakari"が、Tsunami、Sushi、Manga と同じように、新しい日本発信の文化、生活スタイルの世界語として世界に広がっていく。これは夢物語かね。「Usuakari Japan」結構カッコイイと思うんだけどね。



 農的影響についてはまた今度。明日はつくいち。菜の花と、菊芋を持って市場に行きます。それでは。 
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2011年03月31日

原発事故をうけて@

如月廿七日 晴れ

 前回から二週間明けて訪れた献血センターは、春休みにもかかわらず、いややはり、というべきか少し閑散としたいつもの献血センターの風景に戻っていた。日常は、こうしてまたひとつずつ戻り始めていく。採血中に、いつも読む手塚治虫の単行本をめくっていたが、流れてくるTV番組を横目で見ながらどうしても無視できない風景が報道されてきた。茨城県のピーマン農家、ハウス栽培で今が収穫時期の、通常1箱2000円の品が、400円で買い取られているという。ハウス栽培であるから、露地栽培よりも比較的放射性物質の影響が少ないとされるものですら、こうした捨て値とも思われるような悲惨な状況。露地モノの買い取り価格は果たしていったい。

 この一週間、震災の直接の被害からはほぼ回復した感のあるつくば。小生を含めて周囲の関心は、原子力発電所からの放射能による生活への影響へ移り始めている。農作物を育てるという立場に少なからず足を置いている自分にとって、「食」と「農」が放射性物質の放出という事態に対してどうあるべきかが突き詰められているのは、間違いない。いわゆる「放射能」の恐れからある程度離れた場所で、万が一、百万が一の健康被害をはやし立てるのは自由だ。その「きれいな」土地で、水で、空気の下で、怖い怖いという自由は誰にでもある。しかし、福島県民、茨城県民は、その土地で生き、住み、可能な限りこれからも生活するしかない。その厳然たる事実を僅かでも想像していただき、いたずらに感情的になって放射線の影響を恐れることなく、受け入れるべき共有遺産として認識することができるか。それが今私が膨らませることができる、唯一の希望である。

 今回の原発事故による環境への影響は、普段からの思想や職業など立場の違いによって、楽観悲観それぞれ様々に判断され、だからこそ猥褻なほどに情報が飛び乱れ、一体なにが正しくて何が間違っているかがおよそ冷静に見分けにくい、一種の混乱が生じている。だとしたら小生は、少なからず農産物を提供しているという立場として、できうる限りポジティブに、できうる限り予断を廃し、できうる限り科学的に、現状を解釈して提供することが自分の仕事であると理解して、平成23年3月31日時点での私見をまとめてみることにした。

 詳細、論拠は後ほど述べることにして、現時点での見解を以下にまとめる。


0.福島原発関係各者の渾身懸命の修復作業により、今後1ヶ月程度の期間で危険状況が収束してほしいという希望的予測を前提に考察しており、事態によっては後に判断が変わることも当然もある点をご了承いただきたい。

1.つくばで観測されている放射線量はごく少量であり、分析されている放射線核種の種類の放射能の強さから判断して、人体への影響はほとんどないと考える。

2.観測されている放射線量は、現在の強さが仮に一年続き、24時間365日外に出続けたとして、世界平均の人が受ける年間天然放射線量の同程度(3mSv)であり、足して倍(6mSv)。その量は、CTスキャンを一回受ける被曝量よりも少ない。

3.よって外部被爆の程度は、マスクや、部屋への持ち込み予防などに気をつければ通常被爆の上限範囲として人間生活にほとんど問題ない。一方屋内での放射線量は、外気の観測値の4分の1〜10分の1とされる。

4.飲食物による内部被爆は、厚生労働省の指標で制限されている放射能を超えない限り、過度に健康への影響を考える必要は無い。

5.なぜなら、仮に制限値いっぱいの最高値の水1.65L、牛乳0.2L、野菜0.4kgを毎日食べ続けたとしても、30日でようやく遺伝子が一つ傷がつく程度の放射線量(1mSv)であり、その放射線量による遺伝子の傷は一日経てば生命の修復活動で修復される。

6.体内摂取された放射性物質(ヨウ素、セシウム)は、半減期、体内排泄、代謝などで20日から数ヶ月で無影響化、もしくは体外に排出される。上の30日間の例は、これらの半減期なども計算された数値である。

7、甲状腺にたまる怖れのあるヨウ素131は2ヶ月でおよそ250分の1に減少、4ヶ月では約3万分の1に減少し、一部筋肉に入る怖れのあるセシウム137は70日後に2分の1になるが、そもそもチェルノブイリでの症例に筋腫瘍などの事例は一例も報告されていない。

8.チェルノブイリでは、比較にならないほどの放射性物質の大量、大規模拡散が起こり、また汚染地域での適切な生産物管理や検査が迅速に行われなかったために被害が拡大したとされる。

9.チェルノブイリでの調査報告では、ヨウ素対策などが不十分で、かつ大量被爆したとされる、当時15歳未満の若年層における甲状腺ガンがほとんど全ての症例で、他の白血病、他部位のがん患者の発症は、原発事故との直接の因果関係は証明されていない。

10.日本の現時点での放射線量の調査や生産物への摂取制限の規制はある程度機能しており、チェルノブイリのように管理の目が届かないような飲食物の摂取による体内への悪影響は起こりにくいものと予想できる。

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2011年03月16日

震災の先

如月十二日 晴れ(強い風)

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 2011年3月11日の大地震、大津波による大惨事は、日本人、とりわけ東日本に住む我々に心身ともに大きな爪あとを残している。今なお被災の只中にいる多くの方たちと、つくばでパソコンの前に座っている私にはとてつもない大きな隔たりがあることは間違いない。それでも、いやだからこそ、私にできることは何だろうかと考え、こうしてBlogを綴ることにした。


 「車に荷物は準備したけど、肝心のガソリンがもう半分も残ってない。どうにもわからないけど、もう少しこっちで頑張ってみる」
 福島県いわき市に住む私の両親と姉は、15日18時現在、断水とガソリン不足の中で、TVやラジオから流される災害報道、原発報道のみを頼りに、明日をも知れない不安を抱えている。全くの素人の小生が頭を真っ白にしてネットでの情報収集を重ね、13日には家族に「何が起きてもおかしくない、可能なら入院中の祖母ちゃんもつれて俺んちに来い」と提案した。上の言葉は、それを受けて、15日に2号機での格納容器破損のニュースが報道された後の家族からの電話だった。今現在、家族は自主的な屋内退避をしながら、事態の収束を待ち続けている。

 大地震、大津波は、天災である。政府批判をしたい人は、それでもなお、災害対策への不備、初動や対応の問題など、人災でもあったと批判するだろう。しかし完璧な人知はありえない限り、完全なる対応などもありえず、つまりどこまで行っても天災の前には人間は無力だということが、少なくとも小生には確信させられた。そして、言うまでもなく「天災」とは、「自然」と全く同じ意味でもある。つまり、人間にとって自然は、結局いまだにコントロールすることができない存在なのだ。地震、津波による都市村落の破壊は、あまりにも強大で、目にした私はただただ恐怖をおぼえることしかできなかった。「あきらめる」という人間に与えられた能力のひとつを、これほど感じさせられたことはなかった。天災、自然の前では、人は全く無力であったのは間違いないのだが、その一方で、そこから立ち直るという意志だけは、天災も自然も人間から奪うことはできない。被災からの復興へ、まだまだその一歩までも遠いような惨状かもしれないが、どんなことをしても、我々人間は立ち直ってみせる。どうか、まずは心身ともに安息が訪れますことを、そして少しでも良好に生活環境が整うことを願い、共に復興させていきたい。自衛隊の方々、警察や消防の方々、救援に携わる全ての人たちの懸命の活動に、ただただ願いを託すしかない。


 原子力発電所について、論じることは私にはできない。今回の地震に発生した、たかだか一昼夜の停電で自身の電力社会への依存を痛感させられた。日本の発電量のおよそ3分の1を供給している原子力発電は、言うまでもなく日本人の生活を支えている。今現在の現状として。それでも環境分野に足を置いてきた小さなプライドとして、心情と認識では原発には反対していたが、しかし現実には、無言で承認していた。自惚れた自我が、「俺が反対したって、他の多くの日本人は電力消費社会の維持を希望している」と偉そうに考え、だったら原発を受け入れるのが現実路線でしかない、と。聞きかじり程度に原発や電力供給の事情を調べてみても、原発に代わるほどの代替発電はまだ現実的ではない、と考えさせられ、さらに巨大な政治も伴う原子力開発の波に、逆らう気力はいつも消し流されていた。

 しかし事態は、一変した。 原子力発電を推進する、崇高な使命感と優秀な科学技術力は、私は心から尊敬している。より良い社会へ、より便利な社会へ、という人間の真摯な探究心が、宇宙開発、インターネット社会、ボーダーレス社会の素地となっていることは言うまでもない。しかし、この大震災で私たちが気付かねばならないことがある。超えられないもの、コントロールできないものが、厳然と、確実に、そしてあまりにも強大に存在することを。

 福島第一原子力発電所では、今までの最大規模の災害を想定して5m(資料によっては7m)の堤防を建設していたという。しかして、この地震で発生した津波は10m以上に達してしまった。地震と津波による連鎖的な事故によって、戦後最大とも言える原発パニックが福島の現地のみならず東京を中心に日本全国を襲っている。では避けることはできたのだろうか。堤防は20mだったら良かったのか、自家発電所を分散していたら良かったのか、海水投入を早めていたら良かったのか、対策は無数に考えうる。しかし全ては想定よりも大きな災害が訪れれば全てのシナリオは無に帰する、それだけは確かなのである。これまでの対策、これからの対策を百万遍考えるよりも、今この危険な現場に文字通り決死の覚悟で作業にあたっている方たちの無事と成功を、どんなに祈っても祈りすぎることはない。研究者、技術者、実行者、全ての知力体力を総動員して、どうか、我々日本人を、日本国土をお守りください。どんな言葉も屑に聞こえるほどの、命を懸けた闘いが行われていることを、感謝し応援するしかない。それ以外の地域にいる我々は、その現実をふまえて、日常を鑑みるしかない。


 我が家の上水は井戸水、電気ポンプで汲み上げている。通電すれば、断水地域よりも優先して水が使えるはずであったが、地震で配管が折れ、16日現在生活配水が使えずに友人知人に頼っている。便意に関しては幸い、庭先、裏庭に余裕があるため、大小に関わらず大地に排泄している。言葉を選べば、自然へ循環させている。南米旅行以来のサバイバルだが、節度を持って穴を掘り、枯葉やチップ屑を被せて、尻を拭いた紙のみゴミ箱に持ち帰っている。まさかの事態ではあったが、蚊のいない季節でよかったと思う程度でそれほど抵抗感はなかった。意地を張って言ってみれば、正体不明の開放感と充足感がみなぎってきた。便利ではないし、解決策ではないのだが、何かが損なわれるわけではなく、考えてみれば、現に飼いヤギの粟子は常に大便小便を大地に垂れ流しているのだ。
 震災当日の停電中の夜、公衆電話を求めてつくば市内を自転車で疾走した。全ての人工光が視界から消え、七日月の淡い月光と、星座の明かりが頭上を照らしていた。わずか150年程前の日本各地には、そんな夜が実際に存在していた。夜は、月明かりと星の光と、わずかな行灯程度で照らされ、無音と虫の声だけが支配していたはずだった。
 都内で地震にあった友人は、麻痺した交通機関に足止めされ、一晩を過ごした後30kmを歩いて帰宅していた。運悪く数日前にマイカーを廃車して、車を失っていた小生は、地震以降どこに行くのにも自転車である。ガソリンスタンドへの行列、車に商品を詰めるだけ買っている人たちを横目で見ながら、自転車で運べる程度の食料を買うしかなく、飲料水は車を持つ知人に分けて頂いた。
 震災から一晩明けたつくば市内では、恐らく停電でテレビもゲームもできない子供達が、芝生畑でサッカーやキャッチボール、凧揚げをして遊んでいた。普段はなかなか見られない、外で遊んでいる光景だった。震災報道を離れ畑でジャガイモを植えてみると、時折の余震を足裏で感じる以外は、おそらく何千年も変わらない農地と百姓のただの日常が広がっていた。


 今の文明があって、今の経済水準があって、はじめて存在意義を見出されている自然農。ただ昔に戻ることではない、「自然」と「人間」のバランスを問い直される時代にあってこその、思想であるはず。現代医学は、生物科学は、無機物から生命を作り出すことを今だ到達できないし、今後も、複製はあっても、改良はあっても、創出はできないだろう。原子物理学、機械工学は、宇宙の研究と膨大なる実験の末、人類に比すれば無限ともいえるエネルギーである原子力を手に入れた。しかし、自然の気まぐれは、その原子力の操縦を、人類から容易く取り上げることとなった。自然は、コントロールできないのだ。人類の知性は、そのコントロールの完成へ99%まで近づくことはできるのだろう。自然を理解し、操縦し、人間の思うように利用することは、文明の積み重ねによってほとんど完了しつつあるように思えていた。しかし、そのバベルの塔は、不幸なことに今この日本で崩落してしまった。我々はきっと、またバベルの塔を再建できるのであろう。以前よりもさらに高く、以前よりもさらに装飾しながら。そしてその塔は、おそらく今回の震災よりもはるかに大規模な被害をもって、我々の上に倒壊してくるに違いないのだ。
 
 自然は、コントロールできない。資源エネルギーは、無限ではない。地球は、人間の存在よりもはるかに大きい次元で存在している。その限度のある器の中で、人類がどうにかして生活していくには、その有限性をどうにか理解し、ある程度の利便性でリミッターをかけ、その中で満足を再生産していくしかない。 インターネットは、Twitterは、YOUTUBEは、人類の空間的自由を広大に広げてくれている。様々な科学技術が、今我々が享受するあらゆる便利さを支えている。それらを過度に失うことなく、それらを無限に追い求めることなく、どこまでが自然とバランスが取れるリミットなのか思考していくこと、それが今からできる最大の災害対策なのではないだろうか。 自然災害は、どんな堅牢な堤防もいずれ必ず突き崩す。 我々にできることは、コントロールできないものに手を出さない、たったそれだけのことなのだ。遺伝子組み換え作物の、人類に対する生物的作用の害の有無は判断はできない。しかし、組み換え作物の自然界への拡散によって起こるかもしれない生物多様性への悪影響(良影響かもしれないが)は、コントロールする術がない。原子力発電が担う電力は、確かに今の日本の産業と社会を支えている。しかし、今回の地震でかろうじて最悪の事故に至らなかったとしても、それを上回る震災が起きる可能性がある以上、原発事故による放射能汚染を防ぐというコントロールは、人類には不可能である。
 原子力で生み出された電気による、LED光とポンプ水循環で栽培された野菜を食べて、エコ野菜っていったいなんなのか。それが太陽光発電ならいいのか。風力ならいいのか。是非は、それぞれ個人が選択するだけである。その自由と責任が我々にはある。どんな社会を求め、どんな未来を求めるかを考えるのならば、そこには必ず、どんな自然環境のもとで人類は存在を許されるのかということを想像しなければならない。

 田舎暮らしなんかしなくていい。自然農なんかしなくていい。電気使う生活から、途中下車なんてできるはずはない。ただ、後始末できないものにまで手を出すべきではないことを、今まさに、それぞれが考える時が来たのではないかと思う。 原子力を即否定することで満足してもしかたがない。今、原発に少なからず支えられている現状を認識した上で、いかに自分達が納得できる文化、社会、経済を志向していけるか。化学肥料と農薬、除草剤、長距離輸送に支えられた食料生産に頼る、大量消費と大量廃棄を続けるのが豊かな社会なのか。金融商品で外貨を稼ぐのもいいし、インターネットで情報配信してもいいし、どんな商売でも優劣はないのだが、自然環境を疎かにし大地から足を離して、動物植物を食べずに生きることはできないのだ。ぼんやりのイメージでも、あいまいな選択でも、今はまだいいのかもしれないが、だがしかし、この震災をきっかけに日本人がどんな未来を描いていくか、それは我々一人一人に明確に課せられようとしているのは間違いない。

 核爆発が起こって死の灰が関東地方に降り掛かるようなことは、落ち着いて情報を精査していけば起こらないはずだと、今の私は導くことにした。最悪の事態による爆発で、たとえ放射性物質が関東地方の上空を漂っていたとしても、それが、死への階段、日本の崩壊とは考えられない。しいて言えるとすれば、それは我々が制御不能の技術を過信し、または判断を放棄したまま電力行政を受け入れ、利便性を追い求めた末の受け入れるざるを得ないリスクのはずだ。被曝の不安は確かに不安でしかなく、健康被害や後遺症などへの心配は減らせるものではないが、66年前、はるかに強力な放射線が注がれた原爆被害を、我々は既に乗り越えている。核の汚染の恐怖は、恐怖には違いないが、その恐怖は永遠ではなく、かならず過去のものとして進むことができる。

 地震と津波は天災だが、原発事故は、天災と人災のミックスである。そのような天災と人災のミックスを引き起こす種は、今の世の中の裏に表に本当に様々な分野に存在しており、原発事故のように個別にわかりやすい例はむしろまれである。だとしたらそれを見抜いて選択していくには、その技術は、その商品は、その便利さは、いったいどのようにして作られ、どのような対価と代償をもって届けられているかを知らなければならない。そして我々はそれを知った上で選択し、生産し、また消費していくしかない。その小さな繰り返しこそが、破滅的な人災のリスクを避ける、唯一の手段なのではないだろうかと思う。

 
 愛しい人、家族、友人と共に、笑顔で暮らし、知的にも身体的にも欲求を追及でき、暴力事件が最低限に抑えられるような社会が営めれば、それでいいと思っている。その欲求のパンドラの箱の管理を、他人に任せるのはやめにしませんか。そりゃ楽して、気持ちよくて、好き勝手して楽しんでられたらいいんだけど、それを続けていたら、被曝の恐怖などに右往左往する今のこの状態がいつかまたやってくる。果たしてガソリンに頼り過ぎない社会、電気に頼り過ぎない社会へと、少しずつ離陸することは可能なのだろうか。政治も、経済も、科学も、娯楽も、ここいらで一度、皆立ち止まって考えてみてはいかがだろうか。

 生活物資、燃料、給水、衣食住にわたり、被災地域の生存者はこんな将来の話では済まされない、明日をも知れない状態にある。まずは国内の総力を挙げて生命の、生活の維持を確保していただきたい。刻々と事態が暗転する原発も、信じられないほどの使命感を背にした現場作業員の努力で、どうにか最悪の中の最善の事態へ導いていただきたい。プロフェッショナルの方たちに身をゆだねるだけの自分をどうか許していただきたい。この苦境を乗り越えた先に、実際の日常をどのように選択していくかが、我々被害を免れた一般市民の、できうる限りの行動なのだと信じて。

 原発の日本での現状を、自分ごととして。
 エネルギーの選択を、自分ごととして。
 将来の選択を、自分ごととして。
 運動とかデモとかそういうものよりも、生活の中で自分ごととして考えていくことが本当の変化に繋がると信じる。


 つくば市の放射線量が安定している今日のうちに、ひとまずチャリンコ飛ばして献血行ってきます。

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2010年11月10日

「話す・聴く」小論

神無月五日 晴れ

 いつもの友人たちとの会話、仕事場でのコミュニケーションとはどこかルールの異なる、じっくりと「話す・聴く」という時間。小生とダンズテーブルのダンさんが共同開催する「自然農と想いを巡らす一日」では、「自然農」を中心に置きながら、一方で「話す」ことと「聴く」ことにも耳を傾ける一日を過ごしていく。我々が少なからず確信しているその面白さについて、少しゆっくりと考えてみたい。

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