注)記事の日付は太陰暦を用いております

2005年11月08日

コメント返信♪

神無月七日 晴れ

※11月6日の記事へのコメントに対する返信が膨らんでしまったので、記事にしてしまいます。

 以下、返信内容です。


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posted by 学 at 23:59| Comment(8) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月06日

自然農の理由

神無月五日 曇りのち雨  

 食べ物を自分で作る。
 自然の中で時間を過ごす。
 自己満足に浸る。

 こうした目的の他に、「自然農」だからこそ時間を費やせる理由がある。小生が「自然農」に惹かれ、人生の多くを費やしてもよいかなと思えているのはその理由があるからだと思っている。
 今後、いつかどこかで自分をきっかけに「自然農」に触れる機会があった人に、そのことをしっかりと伝えたい、伝えることはきっと意味があるはずだと思い、今現在の自分の理由を考えてみることにした。


 ひとつは、「食料問題について考えるきっかけを与えてくれる」こと。

 食糧増産、安定供給、人口保持を旗印に当然のように使用されている「化学肥料」と「農薬」、そして「動力機械」。それはそれで歴史的、科学的に正しい。しかし、化学肥料、農薬は何からできているのか、原料、燃料の石油、鉱物は無限に存在するのか。商社が未来永劫、地球の裏側から(もしくはこの日本のすぐそばかもしれないけど)供給してくれるのか。もしくは科学技術が解決してくれるのか。石油、鉱物資源に変わる再生産可能な夢のような技術を提供してくれるのか。
 「育てて、食べる」という、最も人間の原始的な「活動」が実はどんなに難しく、人類の叡智がいかに注ぎ込まれて来たか、私達はほとんど知る機会を失っている。しかし今までの農業の改善や進展(特に産業革命以降)の前提は、有り余る天然資源に依存することで成り立ってきた。その前提が今、成り立たなくなるかもしれない。(もちろん科学技術が解決してくれるかもしれない。)そこに、化学肥料、農薬、動力機械がなくても可能な農法はあるだろうか、という疑問が生まれる。そして、その答えのひとつが小生の出会った「自然農」なのであった。
 自然農は、食料増産、安定供給、人口保持を解決してくれる答えではないだろう。しかしその根本的な存在基盤が危うい今、求めるモノが間違っているのではないだろうか、という疑問を与えてくれる。その先にある危機を考えるきっかけを、きっと与えてくれるはずだ。


 ふたつめは、「マクロな地球環境をミクロな田畑で感じることができる」こと。

 自然農の田畑は、ここの写真をみていただくまでもなく、他の草、虫(概観すれば生物達)といかに共存しながら目的の植物を育てるかというテーマにあふれている。畑にしゃがめば蜘蛛や虫たちが生存競争に明け暮れ、雑草は太陽エネルギーや空気中の炭素、微量元素を取り込みその体に貯め、そして刈った草は長い時間をかけて土に還り栄養となり、化学物質の残らない土には想像をはるかに超える多くの微生物群が存在する。その姿はまさしく、熱帯のジャングルであり、ユーラシアの大森林であり、日本の里山そのもののミニチュアであるとさえ言える。
 人間にとっての自然はもちろん大自然そのままではないから、「栽培」という形をとる「自然農」が存在することにつながる。できるだけの自然環境を尊重しながらできるだけたくさん収穫物を得る方法を試行錯誤する。しかし目的は「収穫」のみにあらず、「共存」も同等に重んじてみる。そこで感じる思いや、感覚、知恵は、地球環境問題という目が眩みそうなマクロな問題を「直感」できるに違いない。


 もっともっとあるはずでもあり、もっともっとシンプルな言葉にもしたい。伝える、伝わるのは簡単な事ではない。



 今日のひとりごとのきっかけをくれた友人に感謝。

posted by 学 at 22:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

日々是好日

文月十六日(満月) 晴れのち夕立未遂 

 田んぼ。いち早く、○○モチ(名称公開禁止)が出穂をはじめた。植え始めの早いイセヒカリはブンケツが素晴らしい。一本植えの苗たちは、隣の慣行農の稲(機械植え=4〜5本?植え)の株の太さに負けずとも劣らじ。耕さず、肥料も農薬も使わず、虫や草と共に育てる自然農だって、ここまでは負けてはないようだぜ。

 畑。気後れしつつも、それなりに頑張っているものもある。オクラ、きゅうり、すいか等はそれなりに実をつけるものも見られ、トマト、大豆、サツマイモ、里芋、菊芋等はそれなりに成長の様子を見せてはいる。ただなあ、雑草の手入れがなあ。適時適時が要の自然農。乾燥か、土が豊かに整っていないのか、雑草か、虫か、一筋縄ではいかねえなあ。


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 稲穂が花をつけだす


 050820daizu
 もっさり茂る大豆


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 収穫時期を逃したオクラちゃん



 「甲子園が終わるとひと夏が越えたという感じがするわね。」大家さんに頼まれての草刈りを終えて、立ち話。夕方が似合う季節になって来た。

 満月の南空、晴天の花火大会。耳を澄ますとコオロギが響く夜が訪れている。
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2005年06月07日

ヤギも食わない

皐月一日 晴れのち曇り

 自然農的なもののひとつに、「鉱物資源をなるべく使わずに」という視点がある。

続きはクリック!
posted by 学 at 20:17| Comment(5) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月30日

菜の花パワー

如月二十一日 晴れ

 晴れたり曇ったりの天気が続く。変わらぬのは、毎日吹き抜ける春風である。ただその風に揺られながらも確実に変化を感じるのは、晴れの日の、のほほんとでもいうべき陽射しの柔らかさと暖かさ。その柔らかさをもっとも美しく受け取るのは、梅でも桜でもない、畑に伸びる菜の花たちではないかと思う。冬の間に遅れた土木作業に汗を流す合い間合い間、包み込むように笑顔を見せるその姿に疲れを忘れさせてもらえる。安い男である。
 
 今年の野菜作り、昨年壊滅的に失敗した経験を糧に、今年は自分の中の「自然農ルール」をはみ出して色々と挑戦も試みる。まずは、購入苗からの野菜作り。インチキ的ルールとしての『固定種の野菜を種から育てる』という不文律を少々改正し、種からの栽培と平行して、(どんな種類だかわからないというリスクを背負ったとしても)苗を購入して育ててみることにもチャレンジする。その他にも、篠竹の繁茂するエリアについてはあえて耕起して、竹が畑へ進出するのを防ぐことにしてみる。耕起した畑には、結果的に掘り返したり等して土を比較的多く動かす可能性のある、葱や牛蒡、山芋などを育ててみたい。守るべきところは守り、臨機応変な変化も試みる。そうして初めて見えてくることもあろうし、失敗して学ぶことも多かろう。思わぬ知人が訪ねて来てくれることで、色々とアイデアをもらえたり、気づかせてもらえたりもする。当然、作業がはかどりもする。インチキながら、そんな試行錯誤の日々。菜の花は、そんな毎日を優しく見届けていてくれる。

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2005年02月24日

脇役

睦月十六日 曇りのち小雨

 昨日の春一番から一転して曇天の下りる昼、自然農の田畑に冬の作業が進む。普段は米や野菜達の姿に隠れて表には出てこない脇役の姿を写してみた。

 050224nuka

 土に生きる微生物との共同作業こそ、自然農の本望。目に見えるものから見えないものまでの食物連鎖の末、分解された栄養素が根によって吸収される、これこそ単純明快な植物が育つ仕組み。自然農の基本は、「持ち込まない、持ち出さない」。つまり、畑の外から余分なモノ(肥料など)は入れず、また余計なモノ(雑草など)は無いので畑の外に出さない。しかし転換地(慣行農)から移行して年月が間もない土地は、地味(土地のもつ底力?)が豊かではないので、手助けしてあげるコトもある。そのオタスケマンの代表選手が『米糠』だ。栄養たっぷりの微生物の餌となり、分解もされやすく、畑の土を肥やし、しかも何より、無料で手に入る(実はこれが一番?)。即効性の「肥料」ではなく、あくまでも「きっかけ」としてとらえる。だから、数ヶ月前に田畑に振りまいておいて、しっかり分解されて土に馴染んだ頃を作物を育てる時期に合わせることになる。

 その糠を振りまく姿は、さながら枯れ木に灰を振りまく「花咲か爺さん」を思わせる、なかなか優雅な身のこなしが肝要。小脇に糠を乗せた手蓑(てみ)抱え、手先からスナップを効かせて振り撒いて歩き回る。均等に、撒きすぎず、薄すぎず。田畑に振り撒き終わるころには、作業着中が米糠まみれになるというのが、自然農の冬の定番となる(嘘)。
posted by 学 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月20日

雲の流れに思う

師走十一日 【大寒】 晴れ

 【大寒】…冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也(暦便覧)
      一年で一番寒さの厳しい頃 。逆の見方をすれば、これからは
      暖かくなると言うことである。春はもう目前である。
      ※読み:ダイカン
      <参考:こよみのページ

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 冬の勢力極まるこの時期も、昼の太陽に照らされる空気はどこか優しさすら覚える。深夜勤のアルバイトを辞めて日中の仕事を始めると、昼休みにこんな空に出会うことになる。いつもの畑からの景色とは違う、新鮮な昼の空。優しい空気を吹き飛ばす北風は、雲だけでなく背後に広がる畑の土埃も飛び散らせる。土を耕し雑草を一本残らず許さない畑の土は、常に風に吹き飛ばされ雨に流され、少しずつその土地から離れていく。草が表土を覆い、乾燥、雨風から守られている自然農の畑は、土を守り、虫たちを守り、毎年毎年、その命の量を増やしていく。森の木々がその深く広い根で山の洪水や土砂崩れを抑えているのと同じように。空に浮かぶ雲を眩しく見上げながら、そんな自然農の優しさに思いを巡らす。
posted by 学 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月07日

自然農と私

文月二十三日【白露】 晴れ時々強風

【白露】…陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也(暦便覧)
     野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。
     朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が
     混じり始める。<参考:こよみのページ)>


 今日の晩、旧友の催し物にてフリーで頑張る仲間の集いが行われるという。「もし可能なら、何か自分のしている仕事(農業)の内容が分かるようなものを持ってきて」と言われて、ハテ困った。履歴書でもなく、名刺などなく、かといって収穫物もなく、いったい何を持っていけばよいのやら。
 かくしてほどなく当Blogを画面印刷して持っていくことにして、講演会みたいなタイトルで筆を走らせる。

 只今ワタクシが取り組んでおります毎日は、『自然農』なるやっかいな哲学に心を半分奪われ、それと共に人生を過ごすにはどう生きるのが良いかと頭を曇らせる日々でアリマス。禍福にも都心からアクセス1時間半の田舎を仮宿としながら、日夜アルバイトと「自然農」作業と将来の構想に明け暮れてオリマス。
 実践されている先達の言葉をお借りすれば、
「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵とせず…」川口由一氏
「自然の営みに沿い農作物を育てる農のありよう…」沖津一陽氏
あまりにも『「自然」と「食」の営みと繋がり』を忘れ過ぎた我々に、禅問答のように問いと答えを投げかけ、人生のスパイスとして感動と知恵をほのめかしてくれる、それが『自然農』かな。草と共に、虫と一緒に、控えめに、且つたくましく育つ野菜達。そんなことってあるんです。マジで?と驚き、うゎ♪と喜び、何で?と考え、いいなぁ♪と浸る、そんな農、そんな畑。
 世界の食糧事情の解決には貢献せずとも、石油が枯渇した後に自分の周りだけは食い延びられるように心得をつかむことが、控えめなワタクシの目標でゴザイマス。自然農と、その側にある暮らしの中で自分に訪れるキーワードとを紡いでいこうと虎視眈々と含み笑い中。
 最近のキーワード、「人の集まる場所」「江戸時代」「シュタイナー教育」「和モダン」「海辺」「採算」。
 
 この夏で、齢二十八。而立まであと2年、不惑まであと12年。
posted by 学 at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする