注)記事の日付は太陰暦を用いております

2015年08月24日

風の音にぞ

文月十一日 晴れ

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 8月8日の立秋を迎えて、早や2週間。日中の暑さにはグウの音も出ないが、朝晩の居室に流れ込む風の涼やかさに、「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」気持ちになる。

 夏の盛りに藤原敏行が古今和歌集に詠んだこの句を、以前は共感など微塵も感じなかった。ここ数年、妻のBlogにもよく登場するように、冷房無し、扇風機無しの暮らしに突入してから、大げさではなく1000年の時を越えて万葉の肌感覚を体験しているような気がする。例えば、8月を過ぎてなお、日中の作業は残暑が厳しく眩暈がすることもしばしばある。しかし6月7月の頃の、これがまだまだ続くのかという絶望感はなく、陽が傾けばぐっと涼むことを身体は知っており、すでに暑さの峠を越した実感が訪れるのだ。
 暑ければそこにクーラーがある、という感覚にどっぷり浸かっていた以前では、そこまで敏感には体感できていなかったように思える。文明は人間の人生を豊かにしているのか否か。きっと、クーラーに入り浸りを余儀なくされる都会生活、現代生活を選択していたら、この体感は得られなかったかもしれない。暑さという苦痛から「逃れる」という意味においては、クーラー生活は豊かだとも言える。その一方で、暑さの移り変わりを体感し、季節の彩りを肌感覚で楽しむという贅沢もまた、豊かだとも言えるのだ。

 もっと言っちゃえば、クーラーの効いた店舗の空調を「ありがたい」と思うのではなく、「邪魔だなあ」と思えるような、価値観の変化が、訪れつつあるのだよね。これマジで。


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 話は変わるのだが、旧暦の七夕は、四日前であった。風変わりなのは自覚しているが、我が家では、巷から一ヶ月以上遅れて、旧暦で七夕を祝っている。数日続いた曇天に娘は少し残念がったが、この二日間は晴天になり、遅ればせながら天の川を楽しませることができそうだ。

 歴史上長い間、時計やカレンダーとは縁の遠い暮らしをしてきた人類。今日が、今が、何年何月何日何時何分何秒、地球が何回まわったとき、なんて、そこまで大切な概念ではなかった。せいぜい、月を眺め、季節の移り変わりを目安に、漠然と(かつ丁寧に)時の流れを把握して日々を暮らしていた。その上で、社会規範としての日時のルールは存在し、緩やかに、その取り決めと便利さは人類の財産として少しずつ利用する機会が増えていき、時計、カレンダー的なものが次第に共有されてくるようになった。月日の目安であれば、新月と満月を頼りにしながら。時間の目安であれば、太陽の昇没を頼りにしながら。という具合に。

 七夕とは、旧暦の七月(文月)の七日に、天の川に隔てられた織姫と彦星が、再会を果たすという一年に一度の約束の日。古来、シナ大陸から日本に渡り、東洋に広く伝えられているメルヘンな物語であるが、明治以降の新暦の7月7日では、梅雨の真っ最中。年に一度の再会も、毎年毎年果たせない、悲しい物語になりつつある。当然この話が作られたのは旧暦の時代。梅雨が明け、秋雨前線の到来の前(もともとの大陸ではどうなのかは残念だが知らないが)、真夏の盛りの7月下旬から8月下旬にかかるこの時期に、旧暦七月、文月七日はやってくる。それはつまり、夏の夜空に天の川がきらめき、織姫と彦星が再会するのに絶好の機会なのである。

 今年の文月七日(8月20日)は、残念ながらの曇り空。月の運びで8月下旬にずれ込んだ今年の暦は、秋雨前線を少々早く送り込んだ模様。娘には、「再会を待ちきれずに乙姫が流した涙の雨だ」と、絵本の引用で納得してもらいながら、今年の七夕も楽しんでいる。

 幸い、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞の、世間の洪水のような情報からは遠のき、イベント盛りだくさんで用意してくださる幼稚園保育園からも離れた家庭保育の日々。我が家では我が家なりに、本来の、季節と風習がマリアージュした、伝統行事を楽しみながら過ごしている。それもそれで、豊かなのではないか、という自負も抱きつつ。


 ところで蛇足ながら、文月は、お盆の季節でもある。ここからは小生の私見だが、お盆とは、旧暦の七月、死者の霊をお迎えするのに夜道が暗くては、という優しさから、十五日の満月を中心に、十二日〜十七日頃までの期間に設けられていた。それはご先祖様を迎えるせめてもの、心遣いであった。明治以降、その旧暦七月の十五日、という風習のみが、意味を問われる事なく新暦8月15日に翻訳され(旧暦は新暦の約一ヶ月後ろにずれることから単純に8月15日と変換されたのだろう)、月の明るい頃かどうかは関係なく、明るい夜だろうが暗い夜だろうが、蛍光灯とLEDに照らされたお盆の夜に、ご先祖様が無理やり召還されている、という少々風変わりがお盆が現在展開されているのだ。

 明日から、旧暦のお盆の入り。仏壇の無い我が家に線香でも炊いて、帰省ラッシュを避けてあげてのご先祖供養も悪くないのかもしれない。

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 だからなんだ、と言われればそれまでなんだけど。

 季節と風習は、こんなにも絶妙で風流で、天然色の楽しみ方もあるのだという独り言。


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2014年11月26日

晩秋アンダー雨

神無月四日 雨

 旧暦の神無月。前の月周りが閏月(閏月については過去のBlog記事「うるうづき」参照)であったせいか、例年よりも神無月が遅くやってきて、どこかしらのんびりとした秋の歩みを感じていた。さて月が明けて四日。数日前のポカリとした陽気に油断していたら、いよいよ季節を一歩も二歩も進めるかのような、冷たい雨が訪れた。

 晩秋の雨はやっかいだ。米に、豆に、刈り進めて天日で干して脱穀にどんどん移りたい作業を、そうはさせじと足止めさせる。かろうじて、雀の攻撃を恐れて例年よりも早く刈り終えたかった稲は、今日の雨の予報に肝を冷やして、前日に車のライトを利用しながら夕方遅くまでかかって、すべて刈り終えることができた。その分後まわしになって畑に佇んでいる大豆たちは、おそらくこの雨の過ぎたあとの空っ風に煽られて、鞘を勢いよく弾けさせて畑に豆を飛ばし落とすことになるだろう。先に刈って干し始めている枝つきの大豆たちも、一旦はブルーシートを被せて、雨を避けて一休みといったところである。
 
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 その一方で見方を変えれば、雨ならば、と重い腰を上げて別の作業に取り掛かるチャンスにもなる。雨の強まらないうちに畑で掘りあげた里芋や生姜を、雨脚の強まった庭のテラスの軒下に腰をかけて井戸水で洗っていく。晴れるとついつい畑での作業を探してしまう自分にとっては(そして出荷をお待ちいただいているお客様にとっても)、恵みの雨と言えなくもないのだ。 

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 このところの季節の追い込みですっかり冬に近づいた畑だったが、冷たい雨は、さらに畑の色を変えていくだろう。朝の冷気と重なって雨に濡れる草々たちの、その色は実に淡いものであるが、しかし意味合いの濃い、今年のひと巡りを閉じようとするメッセージが込められているような、そんな色であるような気がして、ついついカメラを向けてしまう。

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 晩秋の冷気にあたった未成熟のトマトが、いったいどうやってその命を閉じていくのか。そんな、現代社会ではまるで取り沙汰されることもないだろう出来事を、トマト好きの人間のうちいったいどれほどの人が見たことがあるんだろう。自然農の畑の中で雨に打たれながら枯れゆこうとしているライトグリーンのトマトの実をながめ、ふとそんなことを考えて、その考えもすぐにどこかへ去り、また庭の芋洗いの作業に戻った、雨の下の晩秋の一日。

 
 
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2014年03月29日

春咲くらむ

如月廿九日 曇り

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〜菜の花や コブシ水仙 雪柳 オオイヌノフグリ 椿咲くらむ〜


つくばに春が咲き誇ろうとしている。

畑に埋もれたいような、そんなソワソワの気持ちを抑えて、週末は名古屋に姫路にと、見聞と舌を楽しませに出かけてきます。しばしの休息。


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 私は花より団子なのよ



第十一候: 春分 次候
【桜始開(さくらはじめてひらく)】
=桜の花が咲き始める=
 (新暦3月26日頃〜3月30日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2014年02月27日

なぜかしら

睦月廿八日 曇りのち雨

 昨日までの陽射しの暖かさが収まり、どこかしら重い曇天から氷雨が落ちる今日。これから数日寒さが続くという予報が聞こえてもくるのだが、なぜかしら、今年の春は暖かくなるような、そんな気がしている。

 先日の、月半ばの大雪豪雪大吹雪を経て、それからもしばらく続いた寒気にあたっていた数日間。寒空に毎日田畑に出かけながらも、日中のほんのりとした肌暖かさを感覚していて、そんな霊感(笑)を感じていた。こういう時、所詮は当たるも八卦当たらぬも八卦、気象サイトの長期予報などを確かめることはない。ここにこう書いてみているのも、ただ、そんな予想をして、自分の感性をなんとなしに野にさらしておこうかという程度の、戯れなのだろう。

 そしてこのところの、汗ばむような陽気から一転、今日から週末にかけての寒さのぶり返しの予報。結局は三寒四温なだけなのかも知れない。それもこれも含めて、今年の春は暖かくなる、そう予感して公言したい自分がいる。・・・なんだこの感じ(笑)?。さあ、どうでるかなー。


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 春霞につつまれる陽気の中にいると、ついつい日暮れまで畑に居たくなる。



第五候: 雨水 次候
【霞始靆(かすみはじめてたなびく)】
=霞がたなびき始める=
 (新暦2月24日頃〜2月28日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2013年03月01日

変わりましたぜ

睦月廿日 曇りのち雨

 やおら、昨日までの風向きが変わり、どちらかと言えば「ぬるい」と評すべき風がつくばに吹いた。 見上げれば、ひとつふたつ、待ちに待った梅の蕾が弾けるような芳香とともについに花ひらいた。 見下ろすと、どうやら冬眠から覚めたらしいモグラが、庭を縦横無尽にトンネル工事に勤しんでいる。

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 春眠は暁を覚えず、どうにもこうにも瞼と腰が重くて重くてしかたがないのだが、いよいよ厳寒の気は北に去り、おもむろに春が、つくばの地にのしかかってきたようだ。

 どんよりとした停滞感のある南からの空気。春一番かと思わせるような、時折の突風。そして湿気とともに包み込むような、夜の雨。 気がつけば、鼻の奥に着実に蓄積される、杉花粉の大襲来。

 全ての春の訪れが一気にやってきたような、今日。ようやく、季節が変わりましたよ。こんなにはっきりとした季節の移り変わりを全身で体感するのも珍しく、どこか嬉しく、どこかこそばゆく、そして鼻水がとめどなく、いつもよりも美味しく酒がすすむのでした。

 さああああ、行くぜ!! お騒がせするぜ!

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第三候: 立春 末候
【魚上氷(うおこおりにのぼる)】
=温かくなった水の中に魚の姿が見え始める=
 (新暦2月14日頃〜2月17日頃)

第四候: 雨水 初候
【土脉潤起(どみゃくうるいおいおこる)】
=雨が降って土が湿り気をおびてくる=
 (新暦2月18日頃〜2月22日頃)

第五候: 雨水 次候
【霞始靆(かすみはじめてたなびく)】
=霞が景色を彩り始める=
 (新暦2月23日頃〜2月27日頃)

第六候: 雨水 末候
【草木萠動(そうもくきざしうごく)】
=草木が芽吹き始める=
 (新暦2月28日頃〜3月4日頃)

七十二候を取り入れています※
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2012年08月11日

秋立った

水無月廿一日 曇り時々晴れ時々雨

 
第三十七候:立秋初候
【涼風至(りょうふういたる)】
=涼しい風が立ち始める=
 (新暦8月7日頃〜8月11日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 8月7日は二十四節句の「立秋」。自分が生まれた日であることを祝われていた子供の頃は、夏休みでお誕生会もないし、鼻の日だし、有名人はのび太だし、そんなもんかという一日だった。いつの頃からか生まれた日かどうかは概念上のものとなり、「秋が生まれる日」なのだと暦を眺めるようになり、自然農を始めてからは、風や夕日の色が変わる頃だと気づくようになった。 

 前日の午後に雨に恵まれ、明けた立秋の朝。土が喜んでいるのか草が喜んでいるのかは分からないが、とにかく、けぶるけぶる。どれだけ雨が沁みたものかと、心待ちにして田畑に出てみたものの、乾ききって凍み豆腐のような大地には、数時間程度の降雨では出汁で戻すほどにも足りず、しんみりと濡れた程度であった。とはいえ朝靄の空は白く、日は霞み、気持ちだけでもの立秋の景色を映していた。

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 気休めの雨が去った後、それからまた、降らぬ日々が続いている。そんな中にも、夜更けの風に冷気が混ざるようになり、気の持ちようによっては少しずつ少しずつ、夏の盛りは穏やかに過ぎていこうとしている。気がつけばコオロギが鳴き、気がつけば大豆の花が咲き、気がつけば水無月は去り、またいつの間にか台風の季節、長雨、秋到来、と季節も暦も経過していく。その経過のプロセスは、人間がこの世に出でし頃から、恐らくほとんど変わらない。

 当たり前に過ぎ行く、日本の四季。誰も操作しないのに続く、地球の自転、公転。人間は、その営みの中でしか生きる糧を育て得ないのに、その理を忘却して発展した気になってしまっている。我々は自然の営みから離れた食べ物を生み出して作り出して生きることはできない。それを忘れての人生も社会もないことに気づかなければならない。全ての人が気づかなくとも、自分だけでも、自分の周りだけでも、その理に触れて生きてやる。これは思想だ。そして闘いでもあり、共生でもある。

 たかが食べ物じゃない。たかが農じゃない。生き様だ。それくらいの気概は、一年に一度くらいは持たないと駄目なんだ。矛盾もよし、自己満足でもよし。生き死にを問われて、それでも譲れないものを抱えて生きることを選ぶ。それはもう、自然農とかどうこうではなく。
 
 
 立秋。春を始まりとする北半球、東洋の暦の中で、立春からちょうど半年過ぎたその日。自分はその日に生を受けた。歳を重ねるたびに、たまらなく秋が好きになってくる。半年間、広がり、膨れ、大きく、生命力を高める季節が進み、その日より季節は、半年かけて狭まり、縮み、小さく、生命力を閉じていこうとする。自然も、人間も、動物もそれに近似したプロセスを備えている。その理から、エッセンスをつかもう。楽しみを、可笑しみを、喜びを、憂いを。私達は、過ぎ去り、変わり、そしてまた生まれ、育む、そうした流れの中での営みの中にこそ生きる。

 なんじゃもんじゃよくわからんが、そんなことを思う残暑の夜の夢。ま、たまには鼻血出そうな感じもよかろう。そして何より、雨がまた軒を濡らし始めてきたのだ。

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2012年08月06日

天から

水無月十九日 曇りのち雨

 来たぞ雨。いつぶりだったのやら、おぼろげに記憶している最後の小雨が降ったのは先月半ば、ざっと20日ぶりの、はっきりとした降雨。ここ数日の天気予報で何度か起きた、数日先の傘マークが当日には消えている件を今日の今日まで危惧していたが、ようやく、お昼の雨雲を天にいただき、恵みの雨が降り注ぎました。

 早朝から午前中へ、いつもよりも厚めの雲に日射が遮られて過ごしやすく、しかし蒸し暑さは変わらない畑で作業して、疲れもピークを迎えようかという頃、南の空から近づく雷鳴に耳を向ける。本当か?いやいや今日も騙されんぞ、と一人ごちながらも、ついつい無理して種蒔きを続ける。いつもだったらとうに音を上げている頃なのに、ついついもう一列、もう一列と手が進む。オリンピックで連日目にしていているつもりではあったが、そして比べるのにも程があるが、人間ってやろうと思えばやれるもんだね。
 と、そんな馬鹿馬鹿しさも嬉しい午後の数時間、ひとしきりの天恵なのでした。「大雨時行(たいうときどきふる)」、今日は大雨とは行かなかったものの、七十二候もまさに旬。ようやく、雷雨の楽しみが増えそうな季節へ。もちろん、過ぎたるは及ばざるが如しであるのも肝に銘じながら。


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 とはいえ、こんなには降り続けてはくれなかったけどね。


・ ・ ・ ・ ・

 8月6日だから思うわけではないが、天から降りてくるものは「恵み」だけにして欲しい、と我が生が続く限り願う。世界中の、どの地域にも。今も、これからも。


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2012年08月03日

朝、音、香り

水無月十六日 恐らく誰がなんと言おうと晴れ

 
第三十六候:大暑末候
【大雨時行(たいうときどきふる)】
=時として大雨が降る=
 (新暦8月2日頃〜8月6日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 朝、4時過ぎにうつらうつらと朝ぼらけを迎え、6時ごろまでタオルケット1枚の布団でごろごろとまどろんだ。網戸越しに聞こえてくる、空も明けきらない4時台の音は、ヒグラシから始まるセミのささめきであった。一度意識が布団の中に戻り、またふと目が覚め5時に近づくと、そのささめきにカッコウや名も知らぬ鳥達の声が混じり始めた。空はもう薄明るさを手に入れている。そして意識が完全に布団から抜け出した6時ごろ、ささめきはついにアブラゼミのさざめきへと移行する。空色と空気はまだまだ朝露の中に濡れているが、音だけは既に、夏の灼熱の音色に染まり始めていた。 耳の変化に気づいた朝を楽しんでいると、ほのかに、だがとても主張の強い、甘さを含む風が網戸をくぐり抜けて鼻に届いてきた。どこかで嗅いだ記憶があるが、だがどこにも記憶が辿りつかない、そんな香りだった。その香りは、この朝の音の変化のグラデーションの中に訪れ、そして今咲いたよ!という見えない時間を鼻に届けてくれた、確かな瞬間でもあった。明け方には咲いておらずに、自然が少しずつ起きはじめる最中にそれは開花し、それをしっかりと誰かに(おそらくは花粉を運んでくれる虫達に)伝えるために、どんよりと濡れた重めの空気に乗せて香りを放ち始めたのである。あきらかにしっかりとした意思のような願いを込めて。その願いの主が誰なのか確かめたくなり、たまらなくなってサンダルで庭に下りると、それは軒先にグリーンカーテンを覆い始めたゴーヤの小さな小さなレモン色の花であった。


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 昨夜、1年前の8月から迷い込んだ居候氏の入居1周年祝いを催した。実家から届いたチルドパックの鰻の蒲焼に、甘味噌で炒め絡めた蒸し芋、キュウリの酢の物、刻み茗荷を乗せた冷奴を添えて、キンキンに冷やした自ビールで乾杯した。研究に忙しい主役の居候氏はビールを飲めずに接待側が一人で飲み暮れていたが、結局は飲んでも飲まなくても同じになり、深夜まで語りつぶれて寝床についたのだった。そして1、5日酔いの朝。

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 田んぼは田んぼで、畑は畑で、途方に暮れたり憔悴しきったりすることも相変わらずあるのだが、それでも一日一日の起承転結は二度とないものであるし、そして再発見や新発見の種に溢れている。それは身の回りの自然が多様であればあるほど。自然は多様であればあるほど様々な変化率が増し、そして同時に豊かで、安定にも満ちている。そんな論文が掲載されたと、居候氏から教えていただいた。それは理工学的アプローチであり、おそらく演算的なシミュレーションなのかもしれないけど、そうした人工的な科学の発見の先に、理想モデルとして多様性である自然が導き出されると言うことは、まさにさもありなんという想いを強くするのである。

 炎暑の間隙を縫ってのジャガイモの収穫に明け暮れる肉体労働の日々の中に、こうして時々に再発見や新発見の花が咲く毎日の暮らし。それを続けながら、落ち着かせながら、ふと身近に嬉しい顔があるような生活を、ほのかに、ささやかに、願う。
 
 おおお、7時半になったらついにミンミンゼミが起きだした! 6時台に感じていた最後の物足りなさはこいつだったのか!

 
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 自然農の夏の朝は雫で溺れそうになる。


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2012年07月27日

到来

水無月九日 ギンギラ晴れ

 
第三十四候:大暑初候
【桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)】
=桐の実がなり始める=
 (新暦7月22日頃〜7月27日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 外から戻ると、キンキンに冷えた井戸水のシャワーを浴びて、麦茶かカルピスかビールを流し込む。昼でも夜でも、そのどれかが胃の中に流れ込む。そんな毎日が動き始めた。一人の家では、半裸、半裸、全裸。居候氏がいても、半裸。朝日が昇る前に畑に出られなければ、その日は負けだ。

 団扇も出した。風鈴も出した。打ち水、水シャワー、たまの扇風機、そんな夏。立秋前の土用の夏は、完全に暑さに対応しきっていない身体にどしんと襲い掛かる。気持ちが追いつかないままに、猛暑猛暑の高い壁。これは乗り切れねえです。すっかり、到来しちまったのね。

 田んぼの水も、すっかりあがったぞ。畑の土も、ドライにドライ。雑草に覆われている自然農であるのが救いとばかりに、刈り草に守られている。雷雨なら願ったり。来るなら来い。あああ、どうすっぺー。
 
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2012年04月09日

白い春

弥生十九日 晴れ

第十四候:清明次候
【鴻雁北(こうがんきたす)】
=雁が北へ渡って行く=
 (新暦4月9日頃〜4月13日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 一の矢神社の桜の満開が目の前に迫り来るようなつくば。午後の境内には入学式姿の家族が参拝に訪れていた。どっしりとした陽気、収まりつつある花粉、眼前に山積みされた植え終わらないジャガイモ。いつもの、4月度真っ盛りですな。

 我が家の景色には、もうしばらく先の山桜の開花を前に、白に着色された春が広がっている。 

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コブシの白

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ユキヤナギの白

 白い春もなかなかいいもんでしょ。

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2012年03月24日

薄だいだい

弥生三日 雨のち曇りのち晴れ

第十候:春分初候
【雀始巣(すずめはじめてすくう)】
=雀が巣を構え始める=
 (新暦3月20日頃〜3月24日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 夕が随分と伸びてきた。春爛漫とはいかないが、頃合いをはかるように雨が降り日が射し風が吹く。彼岸は越えたものの寒さは今しばらく残っているようで、今日の雨の冷たさには驚かされた。手足を縮ませる霧雨の中でなんとか臨時集合日の作業を終え、午後には出席されたプレーヤーの皆さんとの持ち寄りランチ会を楽しんだ。散会後の午睡に負けずに山羊を世話しながら縁側に腰掛けると、薄がかりの雲が開けた西空からの陽に、庭の満開の白梅が透明に輝きだした。

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 秋時の赤味の強い緞帳のような西日とは異なる、軽やかな薄だいだいの春の夕日。細く重く冷たい春雨が上がった後の淡色の草木をキラキラと照らすこの陽射しに、どうやら一番春を感じるらしい。霞のかかるぼんやりともたるような春よりも、冷たさと温かみが切り替わる直前の、(例年より少し遅れているはずの)このスッキリとした雨上がりが自分は好きなのだと気づいた。そしてそうした後の朝はグッと冷えこみ、さらにはいよいよ後半戦を迎える花粉爆撃が恐るるほどに大量投下されるのである、のだが。

 
 先日お目にかかった大学の大先輩からお招きいただいた、那須のキャンプ場での今夜の夕餉の誘惑を断念し、明日は、本日残した田畑の作業をおしすすめる。朝の冷え込みにも花粉にも負けず、少々引き篭もり気味だった体をフル稼働させるには今しかないのだよね。

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2012年03月02日

ことはじめ

如月十日 曇りのち雨

第六候:雨水末候
【草木萌動(そうもくきざしうごく)】
=草木が芽吹き始める頃=
 (新暦2月29日頃〜3月4日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 雪が降り、溶けてよく晴れ、そして今日の雨。湿り気を含んだ土は柔らかく、厳寒期を過ぎた畑は、太陽の暖かさを感じるごとに枯れ色から萌黄色へと染まりはじめる。油断すれば霜柱が立つこの季節の中で単純に春を喜ぶことは愚かではあるが、濡れた土に触れて作業をすれば手が悴み、しかし厚着を重ねて動いていると汗ばんで上着を脱ぎ、その体温の上昇に自然と胸がワクワクし始める。このまぎれもない実感に、経験を土台とした予感と、一握りを備え持つ不安を混ぜ合わせて、春の高揚感は作り出されている。

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 事始めとは、旧暦二月(如月)八日に農作業を始める日とされ、旧暦十二月(師走)八日の事納めと合わせて「事の八日(ことのようか)」として人々に馴染まれてきた。面白いのは農作業の視点で見ると二月八日が事始め、十二月八日が事納めであるのに対し、神事を執り行う視点では二月八日は事納めで十二月八日が事始めとなるところである。「事」が神にとってなのか人にとってなのかによって変わり、それが同じ日付けで反対の意味を同時に含んでいるところが味わいがあってよい。民草である小生にとっての事始めは二日前の如月八日であったが、今年は雪に覆われて、一日遅れの昨日にいよいよ本格的な農作業をスタートさせることになった。
   
 事始めの際、魔除けの風習として目籠(籠の目が六芒星を象ることから)を竹竿につけて掲げたりニンニクを置いたり、根菜を煮た御事汁などを食べたりしたようだが、今年はそこまで手が回らず。目籠は家にも小屋にも置き放ってあるし、ニンニクは霊験あらかたなる一ノ矢神社のニンニクお守りが玄関に吊るしてある。御事汁の代わりには、根菜を煮込んだシチューを食べた。一日遅れの事始めに相応しい、適当な行事でいいかげんに済まし、心の内に訪れる穢れを払いつつ、これから師走の事納めまで続く自然農の日々を思いやった。生きている限り去来するものは本当に様々であるが、変化に心を奪われること無く、しかし自分も変化し続ける存在であることを忘れず、田畑を移して5年目を迎える自然農を、自身を、楽しんでいきたい。


※事の八日などについてはこちらのHPを参考にいたしました。

・「本日2月8日事始め」(にぽぽのお散歩日記 様から)

「事始め」と「事納め」(日刊☆こよみのページ  様から)
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2012年02月28日

梅の枝に

如月七日 晴れ

第五候:雨水次候 
【霞始靆(かすみはじめてたなびく)】
=霞がたなびき始める頃=
(新暦2月24日頃〜2月28日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 旅より戻り、山羊に苗に再会する。節句は雨水に入っているものの、留守中にも雪が降り、ここ数日も朝に晩によく冷える。日中は、持ち帰った洗濯物の山と旅の垢を片付けるのにはもってこいの陽気となり、洗っては干し、風の入らぬガラス越しの縁側に座り、いよいよ春からの作付け計画を練り始める。

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 居候氏に水遣りをお願いしていた、臨時の縁側ハウス栽培にて種播きしていたポット苗たちは、留守中の陽射しと彼の愛が程よく注がれたようで、むくりむくりと芽を吹き始めた。家の中にこしらえた少々手狭な縁側栽培であるが(そして居候氏の居住スペースに著しく侵入をかけてしまっているが)、毎日眺めて水を差してあげる喜びもまた、なかなか良いもんだね。自然農5年目の畑にデビューしてもらうのは、もうしばらくこの温室で育ってもらってからとなる予定。それまでは、珍しく日々の水遣りを楽しむ日課が続くことになりそうだ。

 今年は春の足踏みが長い。例年、まずはなにから始まると言えば、それは梅の花である。2月も終わらんとするこの時期に、庭の梅の蕾がなかなか開かない。かろうじて、昨日と今日の陽気を受けてか、一つ、そして一つ、ようやく片手にも満たない開花を見つけることができた。2月のつくいちに合わせて切り落とした枝を刺し、玄関と窓辺に置いていた花瓶にも、一ヶ月を待ってそろそろと梅の香りを漂わせてくれることになった。つくいちで、梅の枝をお渡しする際に「二週間もあれば花がひらきますよ」とお伝えした皆様、どうも長らくお待たせいたしました。ようやく咲きました、ほっとしました。それとも我が家の暖房があまりにも質素で遅れていただけなのかしら。もっと暖かな皆様の家庭におかれましては、とっくに咲かせていたのかもと、杞憂を願うばかりである。 

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 七十二候にもある春霞も、まだまだたなびく気配はなさそうである。昨日の夕暮れには、しんと冷えて澄み渡る、厳冬のような夕暮れが西を彩っていた。それでも木に土に陽気は積み重なり、どんなことがあろうとも、一日一日と地面を覆う薄緑色の生命が増してゆく。気づけば名も知らぬ雑草が一斉に、一面に芽吹くこの季節は、土ぼこりの立つ他所の田畑を横目にその自然農の田畑の緑の暖かみを誇りに思う季節なのだ。と、そんな想いを縁側で先取りしつつ、うつらうつらと作付け計画の裏紙によだれを落とすのであった。さて明日から腰を上げるか、と思っていたら、天気予報は冷徹にも雪のち雨を告げるのでありました。そんなものよね、何事も。

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2012年02月01日

土用にて

睦月十日 晴れ

 十日前に旧正月を迎え、翌日には大雪が降ったころから、手足が凍えるような冷え込みが続く。庭の雪だるまも日陰のせいもあってか、顔や手を溶かしながらも安穏としてまだまだ鎮座し続けている。いよいよ寒さは極を迎えているが、ちらほらと、庭の土に、木の枝に、新芽や花芽が顔をのぞかせ始め、ようやく春が立とうとしているのも、間違いない。

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<雪だるま@庭 1月24日>



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2011年10月28日

日に日に

神無月二日 晴れ

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 四日前の新暦の10月24日から、節句は【霜降】に。この秋はなんだかぼんやりと暖かいな、と思っていると、昨日からの神無月の暦と共に、しっかりとした寒気が朝晩を包むようになった。布団の中にくるまっていたとしても、朝の冷え込みは畑を見れば一目瞭然だ。まずサツマイモ、そして大豆や小豆の葉、インゲンの葉、そして秋ジャガ、サトイモ、ショウガ、などなど、霜まではいかなくとも摂氏10度を下回る朝冷えの空気にあたり、次々と萎れていく。 この、畑の作物の枯れこみを目にするようになると、いよいよ田んぼの稲も最後の命を終えようと、葉色が金色に色を落とし始める。

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 慣行農や有機農の田畑はわからないが、少なくとも4年目の、自然農の田畑は季節による移ろいが鮮やかである。家からの通り道、市道沿いのサツマイモや里芋の葉は、まだまだ色艶に濃い色を残しているように見えるのだが、この二日ばかりの冷え込みにあたった自然農の作物たちは、「もののあはれ」はかくや、とばかりに命を閉じる準備を始める。

 日に日に、秋は深まり、米は重く、豆は硬く、芋は太り、冬の菜は静かに葉を伸ばす。朝の畑に白い霜が一面に降りる前に、残された豆と麦の種蒔きを終えなくては。今年の春からの仕舞いとしての稲刈り、大豆取り、芋掘りを進めると同時に、来年の春への種播き、草取り、土作りが交差する。この季節の独特の焦燥感と充実感。自然とともにある農を傍に置く楽しみでもあるのだ。


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 さて、稲刈りだ。
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2011年10月04日

胸算用

長月八日  晴れ

 昼の日差しだけはまだまだぽっかりと暖かい今日の午後遅く、天気予報で翌日の傘マークを発見し、午前中所用で出られなかった畑に急行した。

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 秋の雨は、季節を足早に押し進める。ここ数日の、残暑呆けの体を平手打ちするかのような冷え込みには少々閉口気味であったが、まだぼんやりと残る暖かさに呑気をかまえ、種播き作業をのんびり遅らせてしまっていた。予想と気候はしばしば裏切られるのがおちであるものの、記憶を辿ればこの時期に降る雨は、秋がぐっと深まるきざしとなるはず。 

 発芽と生育を胸算用して、秋冬ものの葉物野菜たちの種播きを傘マークの前にある程度済ませてしまおうと、つるべ落としの夕暮れまで、少々粗めに作業を進めた。17時半には、辺りはじーんと暗くなり、手元がおぼつかず。数週間前のような気がしていた8月の頃は、まだまだ明るかった気配を残していたのにね。秋分はとうに過ぎたのだね。傘は明日の午後。曇りマークの朝のうちに、もう一仕事進めなくては。


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 暗やむ前に畑からもぎ取ってきたカブとインゲンで肴を作り枝豆を茹で、発泡酒を喉に流しながら自ビールを仕込んだ。醸すには少し気温が下がってしまってきたかしら。そんなこんなの、秋の夜長。
 
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2011年06月30日

紫陽花日和

皐月廿九日 晴時々雨

 梅雨の明けぬままに気温が30度を越す晴天がこのところ続き、田植え途中の田んぼが、庭の紫陽花が、何より自分が、雨を欲していた。日本各地での局所的な豪雨の報が届くこともあったが、幸か不幸かつくばには、梅雨前線や不穏な雨雲は訪れてくれなかった。日の出から田畑に出て、小学生の登校を眺めて汗を拭き、日が頭上に昇る前に家に引き上げ、昼寝をして、午後遅くに重い腰を上げてまた田畑に戻る。そんなサイクルはもう半月ほど先に延ばしたいと思っていた今日の昼過ぎ、ようやく雨雲から、恵みの雫が降りそそいでくれた。

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 田植えして、大豆播いて、草刈りして、紫陽花が咲いて、明日からは水無月の一日(旧暦です。たまたま今年は新暦の7月1日と重なりました)。気まぐれの梅雨が明けぬうちに、早く苗を植えきらなければ。梅雨明けの報が聞こえないうちに作業を進めようと、しばらくはビクビクしながらの日々が続く。

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 あ、雨やんだ。 畑へGO!
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2010年06月16日

せっく

皐月五日【端午の節句】 晴れ時々雨

 ぐっと蒸し暑さが漂い始めた。梅雨入りの声も聞こえ、晴れ日には真夏の暑さが降りそそぐ。ふと暦を見れば、五月五日の端午の節句を迎えていた。菖蒲の花はないものの、季節はいよいよ、田植え頃。鎌倉時代の頃から、「菖蒲」と「尚武」の語呂合わせで勇ましい男子の成長を祝う節句として根付いてきたものの、もともとは「早乙女」を祭る女性の為の節句であったともいわれている。田植えがはじまる前、穢れを祓うために「忌みごもり」を行い、菖蒲で身を清めてから田植えに向かうための、女性の節句だったという。

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 つくいちでも、ご近所でも、会う人会う人に、田植えを迎えたと話すたびに驚かれる。そのたびに、昔からの本来の季節感にあわせて当然の季節に田植えをはじめているだけだと伝える。早苗の月としての皐月、早乙女の端午の節句、そのまま、今のままで、何も問題ないのです。

 夏至が近づき、朝は4時過ぎに明け、夕は7時過ぎに暮れる。サツマイモの苗はまだ100株残し、大豆、トウモロコシ、もちろん田植えもこれから盛りへ。朝から晩までフル作業で田畑に出て、帰ってから浴びる冷水シャワーが、最高の喜びになってきた。

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 ワールドカップ? 嬉しい悲鳴あげてます。眠い。
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2010年02月17日

湯気

睦月四日 曇り

 四日前に旧暦の正月が明けた。大晦日につくし農園の今年度最初の集合日を過ごし、宵からの大雪に暮れて、迎えた旧正月。雪明けの正月、雨、晴れのち粉雪、そして曇り。足元には、ひくひくと産毛のような薄緑色の雑草が行きつ戻りつ生えだした。この頃に田畑に立つと、「新春」の本当の時期をありありと実感させられる。

 子供の頃から雪の少ない南東北の太平洋岸で育ったせいか雪への恋慕は強いのだが、今年の2月(新暦)はここ数年に比べて、ちらほらと降雪する日が多いような気がする。1月よりも、ぐっと寒さの深みを増す2月は、湿気の冬でもある。乾ききった寒さに土が凍るような前月に比べて、雨とみぞれと雪が時折思い出したかのように地面を濡らし、その湿気から立ち上る湯気の中で、春の息吹がそろそろと起き上がろうと準備を始める。

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 自然農の田畑は、あくまでも、優しい。今の我が農地が思うようには豊かさが増さぬとはいえ、その優しさは、暖かい。放っておいても荒れ狂うばかりに草に覆われる夏ではなく、枯れきって霜と霜柱に攻め立てられる1月の寒さでもなく、この湯気の中で草と虫と微生物とがモゾモゾし始める直前の、この時期のしっとり凍えた自然農の畑に、その優しさが際立つ。機械で耕して、肥料を鋤きこんで、薬を散布して、今から人間様の思うとおりに育てるぞ、という意気込みから少し距離を置いた、この優しさに、自分はやはり魅かれているのだと思う。

 そうした距離の狭間で、枯葉を入れたり、土着のキノコ菌を被せたり、米糠を補ったり、と有限の改善策を試行錯誤して、自然農オンリーの畑と改善策の畑、両方の準備を這いつくばって進めている。あと二日も過ぎれば二十四節句は雨水へ。雨水を迎えれば、春の作付がいよいよそろそろ。 バンクーバー?チャンピオンズリーグ?どうすんの俺??
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2010年02月04日

立つ

師走廿一日 【立春】 雪のち晴れ

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 数日前の大雪の予報が、期待ほどに盛り上がらず、もう降りやしまいとすっかり腑抜けていた今日の朝、しきりに冷える窓を開けると柔い粉雪が庭に積もっていた。別段に鬼の面もかぶらず、黙って西南西も向きもしない節分の夜を過ごして、いよいよの立春。

 なにはともあれと言うべきか、待ちに待ったと言うべきか、重い腰に鞭打ってと言うべきか。何につけても理由を欲したがる小生の怠け心を無理やりにでも奮い立たせるべく、「春立つ」の音の響きにあやかって、今年の農作業が、とりわけ特別なこともなく、梅の蕾の静けさのごとく、自分の心の中で幕開けした。作業の中身に、前日との差はなくとも、心が、ようやく前を向き始めた。

 どうでもいいようなこのスイッチを、誰からでもなく、自分で入れられたことが大きいのだと。積もり積もる下の、2月3月の冬の野良仕事が、このスイッチオンによってベルトコンベアのごとく回転をはじめる。あれをやり、これをやり、これもして、あれもして、眩暈と恍惚の自然農トランスへ。そんな桃源郷があればいいのだがね。現実は、行きつ戻りつの振り子の中なのであろうが、今年はもう少し没入したい意気地を持っていきたい。感性360度に張り倒して、頭は緩急つけて、肉体は喜びに変わるぐらい酷使して。今日くらいは鼻息荒く。いざ。
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