注)記事の日付は太陰暦を用いております

2005年06月10日

入りました

皐月四日 雨

 昨日のBlogで「雨でも降ってくれ」と書きながら、実は横目で今日の台風の予報を眺めていた。空も風も感じずに明日の天気を読もうともせず、雨の訪れもわからずにせっせと水遣りをしている姿は、なんとも滑稽である。
 報道によれば今日から梅雨入りのよう。もうそんな時期かと思っていたが、日記を見ると昨年はもっと早い梅雨入りであった。季節の巡る時期の正確さには、いつもながら驚かされる。入梅が近づくと書いて4日、雨が欲しいと書いて1日、実は季節をわかり出してる?などと思い上がりながら、雨空を見上げて、昨日蒔いた種のことを思う。

 雨に濡れる畑には出れない代わりに、昨日の畑のベストショットをば。

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 鈴なりにゆれるエンドウマメでござい。
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2005年06月06日

麦秋

卯月三十日 晴れ
 
 昨日は二十四節句の【芒種】であった。

【芒種】…芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也(暦便覧)
     稲の穂先のように芒(とげのようなもの)のある穀物の
     種まきをする頃という意味であるが、現在の種まきは
     大分早まっている。西日本では梅雨に入る頃。
     ※読み:ボウシュ
     <参考:こよみのページ

 芒種の頃は、日本では種まきと限らず、田植えの季節と位置付けられてきたようである。ただし、小生のような愚農でなく、(当然のことながら)しっかり苗を育てることができた者にとってということであるが。
 この5月末から6月頭にかけて北埼玉の田園地帯では麦の穂が湿気を増した風に揺られる姿が見られる。それはまさしく「風の谷のナウシカ」に登場する「金色(コンジキ)の野」という表現がふさわしい、優雅な風景である。周囲にはむせ返るほどの濃緑が盛り、その中にギラギラと麦穂がたなびく姿には、ついついウットリしてしまう。
 育ちの悪い武蔵野自然農園の麦たちも、なんとか麦秋にこぎつけたようで、幾分胸をなでおろした。麦秋を経て芒種に至ると、いよいよ入梅の声が近づいてくる。

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2005年05月05日

さあ立った

弥生二十七日 晴れ

 このところ続く陽射しは春の盛りから次の季節をついつい思ってしまうものがある。今日の熊谷地方は、その陽射しにプラスしていよいよ「蒸し暑さ」の萌芽のような空気を感じはじめた。さあ、今年の夏が産声をあげた。【立夏】である。

【立夏】…夏の立つがゆへ也(暦便覧)
     この日から立秋の前日までが夏。
     野山に新緑に彩られ、夏の気配が感じられるようになる。
     かえるが鳴き始め、竹の子が生えてくる頃。
     ※読み:リッカ
     <参考:こよみのページ
 
 5月5日は端午の節句であるが、もちろん昔は旧暦の五月。端午の節句は田植えの季節、端午の節句は菖蒲の季節。田植えも菖蒲もまだまだ先。今年の皐月五日、6月11日にこそ、あらためて日本男児の節句について解説いたしましょう。なかなかこれが、面白いんだな。



- フキの立つ 陽射しに聞こえし 夏の声 -

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★蛇足解説★「小松式暦論」(うざったい人は敬遠ください)

 こよみのページや他諸説では、昔の暦では今日から「立秋」(8月7日頃)までを『夏』としていると叙述されるが、季節はだいぶズレを感じますよね。小生は、今日の「立夏」を春の頂点と理解し、これから「夏至」(6月21日)までは夏の準備期間であり、「夏至」がまさに夏のスタートとする。そして「立秋」は秋の芽生えにして夏の頂点。そこから夏と秋の交代準備が始まっていくと考える。よって、『春』は「春分」から「夏至」まで、『夏』は「夏至」から「秋分」と考えさせていただく。
 ※夏至については過去logをご参照
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2005年05月03日

八十八夜を過ぎて

弥生二十五日 曇り時々晴れ

 ♪夏も近づく八十八夜♪といえば、唱歌「茶摘」でおなじみのフレーズである。いろいろ調べてみると、八十八夜とは新茶の為だけに用いられた暦ではなく、立春から三ヶ月(月の満ち欠けが3周り)が過ぎたという季節の知らせとして広く使われていたということがわかってくる。「八十八夜の別れ霜」などの言葉も示すように、立夏を数日後に控えたこの日は霜が降りる境界線の時期となり、いよいよ霜の心配をせずに夏野菜の種を蒔き始める頃を告げるバロメーターとされてきたと推察される。ちなみに今年の八十八夜は、昨日、5月2日。

 雑誌「わしズム」のコラムに、八十八夜はなぜ八十八日でなく「夜」なのかという珍説を見つけた。曰く「立春の日の月の形を覚えておき、同じ形になるのを三度待ち(月の満ち欠けの周期「約29.5日×3=88.5日」)」、農作業の目安としたのではないか、とのこと。なるほどなるほど、面白い!来年からは立春の頃の月の形を覚えておいて、八十八夜を数えて見るのもオツではないか。

 八十八を組みかえると米の形を成すことにかけて、この頃を過ぎて稲の種籾をおろす時期とするところもあるが、これは俗説。なんにせよ、先日ひと段落終えた苗床ネット、効果抜群でいまだにスズメにかいくぐられた形跡なし!栄誉をたたえ、ここに写真をアップする。昨年からお世話になっている丸ヶ崎自然農の会の苗床ネットの訃報を耳にしているだけに申し訳なく思いつつも、江南での初心者に、土地の神様も大目にみてくれているのだろうと素直に感謝しよう。

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 わかりづらいがオレンジに見えるネットが二重に重なり苗床を覆っております。


 ついでに、ネットを張り終えるまでの二晩の間大活躍した「傘お化け」と「麦藁かかし」の二名はこちら。

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2005年04月20日

明日の為に

弥生十二日 雨 【穀雨】

 久しぶりに雨にむせぶ夜。明日の為に静かに染み入る。穀雨、染み入る。


 【穀雨】…春雨降りて百穀を生化すれば也(暦便覧)
      田んぼや畑の準備が整い、それに合わせるように、
      柔らかな春の雨が降る頃。
      この頃より変りやすい春の天気も安定し日差しも強まる。
      ※読み:コクウ
      <参考:こよみのページ
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2005年04月09日

ヤヨイサク

弥生一日 晴れ

 日本人が桜を語るとき、言葉は要らないのだろう。誰もがみな心の中に、根を張っていて春になると咲くのではないだろうか。
 日本人である小生の最大の贅沢のひとつは、気のおけない心友たちと桜の下でしこたま酔うことであるのは、否定できるはずがありません。今年はその贅沢は、とって置こうかな。

 朝の荒川の土手。満開が東から西へ伸び、万感に浸る。


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 東から

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 西へ
 
 語源由来辞典によれば、弥生は、「弥生(いやおい)」が変化したものとされる。「弥(いや)」は、「いよいよ」「ますます」などの意。「生(おい)」は、「生い茂る」と使われるように、草木が芽吹くことを意。草木がだんだん芽吹く月であることから、弥生となった。
 
 散歩がますます嬉しくなる月でもある。



語源由来辞典…これからも色々とお世話になる予感がする。
        抑えた口調と、安直に答えをださない姿勢が、好ましい。
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2005年04月05日

歓談日和

如月二十七日【清明】晴れ

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 【清明】…万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)
      清浄明潔の略。晴れ渡った空には当に清浄明潔という語がふさわしい。
      地上に目を移せば、百花が咲き競う季節である。
      ※読み:セイメイ
      <参考:こよみのページ

 まさしく!と膝を打つ。だからこそ二十四節句を律儀に追う理由でもある。我が自然農園にも「清明」来たり。
 周りの田畑は、この百花が咲き競わん頃、ぐおんぐおんと耕運機に走り回られ雑草雑花を根絶やしにされて丸裸の土になるのが常である。雑草や野花たちに覆われた畑で野菜作りをすること。どれが良い、どれが悪いという価値観を超えて、そこにたたずむことが嬉しいということ。それが自然農の魅力ではないだろうか。
 さてさて、畑に腰を降ろして、しばし雑草たちと歓談しよう。もうすぐお前たちの少しを刈り取って、野菜の種を蒔く時もくるのだから、その時は許してくれよな。それまでは仲良くやろうぜ。な。

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オオイヌノフグリ(青)、ホトケノザ(紫)、菜の花(黄)  ツクシ
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2005年03月26日

めっきりと

如月十七日 晴れ

 日中は、めっきりと暖かくなった。春分も過ぎてもちろん、西日の落ちる時間もだいぶのんびりとしてきたようだ。夕方畑から戻ったあとの外出についついバイクを飛ばしたくなり、冬の間に埃のかぶってしまったヘルメットを取り出した。
 バイクからの景色は、車のときよりも周囲の畑や田んぼに意識が届きやすくなる。自然と、今の季節の熊谷市周辺での農風景が目に入りだす。田んぼには、二毛作の麦が青々と広がり、畑には、畝を高くしたネギ畑が目立ち始め、とう立ちした菜っ葉類は、菜の花の準備に黄色く染まりだしている。そうした周囲の景色はいつもインチキ百姓のバロメーターとなり、少し遅れて当農園にもやってくるのである。
 夕食を済ませた帰路、東南の空高く、満月を一日過ぎた月が明るく明るく道を照らしてくれていた。どこまでも白く、そして刺すような強さで、春の乾いた夜にくっきりと。まだ残る冬の寒さと、道端に香る春先の花の匂いと、ほのかに強みを増した月の明るさ。初春の夜のバイクには、そんな楽しみがついてきた。

 
本日の作業:ジャガイモ3種の植付け(計46個)、えんどう豆のつるの支柱作り(一列)、田んぼの溝きり(10m)
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2005年03月04日

虫の蠢き

睦月二十四日 雪(明け方)

 今日から少し江南を空けることになった。といっても一週間ほど。この時期は、育てるものも少なく、雑草の管理も全くといっていいほどないのでさほど問題にはならない。あるとすれば小生の気持ちが畑から離れて困るくらいか。

 この一週間があけて江南にもどれば、もう3月は半ばである。明日からの二十四節句は「啓蟄」。虫も草も、空気も、そしてもちろん人間たちも、春の近づきに静かに触発されてくる頃。そうなれば、いよいよ農作業シーズンが本格的に開幕である。到来を待ちきれない農人たちは、気もそぞろとなり、あれやこれやと野菜の種、花の種の準備を始めるのがこの頃の一番の楽しみでもある。かくいう小生も一週間先の畑を待ちきれずに、先日種屋に足を運んでしまった。

 ジャガイモ数種と、トマトやナスやゴボウなどまだ少し気の早い野菜を少々購入、これに加えて昨年の播き残しを加えれば、あとはいざ、畑に向かうだけである。啓蟄より幾分早く蠢きだした農の虫一匹、せわしなく、来る春を待つ。


 【啓蟄】…陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也(暦便覧)
      啓蟄は冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃という意味。
      実際に虫が活動を始めるのはもう少し先。
      柳の若芽が芽吹き蕗のとうの花が咲く頃である。
      ※読み:ケイチツ
      <参考:こよみのページ
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2005年02月07日

もういくつ寝ると

師走二十九日 晴れ

 明日は旧暦の大晦日。明後日は正月元旦となる。旧暦の正月一日は、もちろん月の満ち欠けによる周期ですので毎年(太陽暦=新暦に対して)ずれが生じます。

 このご時世にわざわざ旧暦の正月を云々言うのは、別にへそ曲がりの戯言というわけでなく、ちょっとだけ想像して欲しいからなのかも。昔(つい150年程前まで)は、この時期が新年を迎える時期であったことを。梅がほんのり色づき、春の息吹が日の長さに感じられるようになり、空気が完全に乾ききり、いよいよ冬も峠を越してきたかと思いだすこの頃がお正月だったということを。旧正月の習慣をいまだに残しているアジアの人々の、古来の文化への愛着の持ち方に少し羨ましさも感じるほど、あっさりと文明開化してしまったわが祖国。文化にグローバルスタンダードはいらないのにね。いつか農民が天下をとったら、旧正月と旧暦の復活を公約に入れたら楽しいだろうな。
 


※今からでも間に合う【新暦&旧暦対応カレンダー】
  ・・・こちら(オガワさんのHP)の画像内にあるメールアドレスへ注文できる
    みたいです。小松も今年から愛用し始めました。
    ご連絡されるときはここを見たとご一報くださると助かります。
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2005年02月04日

耳にタコ

師走二十六日 【立春】 晴れ

 【立春】…春の気たつを以て也(暦便覧)
      この日から立夏の前日までが春。
      まだ寒さの厳しい時期ではあるが日脚は徐々に伸び、
      九州や太平洋側の暖かい地方では梅が咲き始める頃である。
      ※読み:リッシュン
      <参考:こよみのページ

「今日は立春です。暦の上では春となりますが、まだまだ冬本番、寒さは続きます。皆様、今日も十分に暖かい格好で・・・・・」

 朝のTVに始まって、FMラジオ、お昼のニュース、ひいては夜の天気予報まで、よく飽きもせずに同じようなセリフを並べるものだと思う。毎年毎年、お天気キャスターの2月4日とは、原稿を考える必要のない一日であるのかもしれない。

 もう少し、この日に「立春」を用いたご先祖様たちの感性に思いを寄せてみてはどうだろう。その「言葉」に少し耳を傾ければ、そこに流れる歴史や季節とともに生きる人たちの声が聞こえてくるのではないだろうか。

 立春にはじまり、立夏、立秋、立冬と、四季にはそれぞれ「季」の「立つ」節句(二十四節句)が用意されている。これらの節句の時期は、それぞれの、「前の季節」のピークに訪れる。つまり、本日の立春は、寒さが極まる2月4日。立夏は、花と緑が萌え盛る5月5日。立秋は、暑さも茹だる真夏の8月7日(小生の誕生日)。そして立冬は、枯葉に山が燃え尽きる11月7日となる。
 ある季節のピークがその次の「季」が「立つ」日、と感じた理由(つまり気候にずれのある支那の暦を素直に受け入れた感性)を勝手に想像すれば、まさにその季節の盛りに、次の「季」が「産声を上げている」と考えたからではなかろうか。言うなれば、季節は文字通り重なっているのだ。昔の人は「昨日までは冬で、今日から春」などという二元論で生きていなかった。冬の盛りに春は産声を上げ、そして春が育つとともに冬は静かに衰え、冬が死に春が満開を謳歌する5月、新たに次の夏が産声をあげるのである。
 そうしてついつい頭に浮かんでしまうのだ。次の季節への移り変わりを時には控えめに、時には待ち焦がれて望む先人の暮らし。寒さの中に春を偲ぶ心、夏の盛りに秋に寄せる気持ち。そうすることで、時には辛い季節を乗り切っていたのではないだろうか、と。

 実は当たり前のことなのかもしれないのだけど。こだわっても意味のないことかもしれないけど。
 
 立春も過ぎた明日、明後日の週末、生まれたての春が街に産声をあげているはず。自然は、迷わずに生きている。
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2005年01月27日

ベイビーたち

師走十八日 晴れ

 月の満ち欠けに心を左右されている訳ではないが、良いことがあった時、悪いことがあった時に、月のひと巡りを思い描くことで浮き沈みが緩やかになる気がする。二日前の満月の夜、とても嬉しい時間が思いがけずに訪れたが、それもまた月の如しだと思えばやがて欠けてゆくものであり、それで良いと思う。喜怒哀楽、月の如く満ち欠けすればこそ真理なり。

 そうしてひと月の巡りを感じる内に、風と土は確実に命の息吹きを届け始めだしている。枯草の下にはすでに青臭い新芽の赤ん坊たちがちょろちょろと目につくようになった。もちろん、逞しき雑草のベイビーたちである。そうしてここ数日を土ばかり見て目線を上にあげるのを忘れていると、裏庭に訪れていた芽吹きの大群をついつい見過ごしていたことに今日初めて気づいた。

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 こんなにも近づいているというのに、意地でも「春」という言葉を使うまいとする自分がいる。滑稽に思えてしまうが、どうしても一週間後の「立春」までは使いたくないのだ。まだ、気が(機が)早すぎるのである。冬の盛りのこの時期、春と呼ぶにはまだ幼すぎる暖かさの息吹は何よりも嬉しいのだけれども、だが、しかし。まだ、早いよねえ。

 梅のベイビーたちを見過ごしてたことを大家さんに告げて恥ずかしがっていると、「若い人はまだそんなことに気を取られすぎなくていいのよ。もっと人のことなんかに気を回す頃なんだから。」と優しく諭された。季節とも深く、人とも深く。なんとも味のあるお言葉をいただいて嬉しい、冬の盛りの午後、梅の木の下。
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2005年01月05日

踏み忘れ

霜月ニ十五日 【小寒】 晴れ 

 【小寒】…冬至より一陽起るが故に陰気に逆らう故益々冷る也(暦便覧)
      この日は寒の入り、これから節分までの期間が「寒」である。
      寒さはこれからが本番。池や川の氷も厚みをます頃である。
      ※読み:ショウカン
      <参考:こよみのページ

 年末年始を連夜の深夜勤務で過ごし、完全に昼夜が逆転してしまった。両親からの、まさしく寝正月だね、とのコメントもいまいち笑えないですよね。連続で深夜勤が続くと午後から畑に出ることも体力的にきつくなり、ここ数日残雪と寝不足を言い訳にして顔を出していない。年末に元気に芽を伸ばしつづけていた麦の姿が少し気になりだす。農林水産省消費者相談Q&Aによると、『麦踏み』についてこうある。「麦の種をまいて葉が出てきた頃に行う日本独特の農作業です。この作業を行うことによって、霜柱ができたときでも土が持ち上がらず麦の根を傷めません。 また、踏むことにより茎がたくさん分かれ、根も強くなり麦の生育を助けます。」なるほど。むむむ。麦踏みする前に霜柱どころか大雪に埋れてしまったじゃないか。
〜農作業 したい時には 時遅し〜 と親不孝を詠むような句が頭に浮かびますな。明日連続勤務が明けるので、早速、時遅しの「麦踏み」でも試みましょう。昨年の冬至に写した麦の赤ん坊たちを載せて、小寒の挨拶と致します。

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 明日朝の予想気温はここ江南は氷点下4度。いやはや、まさしく「寒の入り」です。


農林水産省「消費者の部屋」相談室 …本日たまたま発見しましたが、色々どうでもいいことまで豆知識が手に入ります。米の輸入するようになった経緯から、和菓子の「ぎゅうひ」とは何ですか、まで様々。しかも月刊で更新中。農水省さん、これもお仕事、ご苦労様。
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2004年12月27日

冬の「気」

霜月十六日 満月 晴れ

 満月が輝く夜を明かし、つとめて(早朝)を歩く。西に落ちる月はなお輝きを増して辺りを照らそうとし、東の空はその輝きを追いやるように刻一刻と明け始める。冬の朝は、格別に空気がうまい。口から漏れる白い息も、首筋を抜ける北風も、足元にせり出す霜柱も、引き締まった空気にくるまれて固まり、やがて朝日に溶けていく。
 その中を歩き、明ける空を眺めていると、底からみなぎるようなパワーに溢れてくるような気持ちになる。言葉では伝えきれないけど、その中を歩けば誰もが感じるだろう、冬の「気」のようなモノ。満月が沈む朝は、さらにその「気」を強く感じることができる特別な朝。冬の間に、3回しか味わうことができない朝。
 

 西に満月が傾き

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 東に朝日がせまる

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2004年12月21日

午後4時36分

霜月十日 【冬至】 晴れ(北風強し) 

 【冬至】…日南の限りを行て日の短きの至りなれば也(暦便覧)
      一年中で最も夜の長い日。この日より日が伸び始めることから、
      古くはこの日を年の始点と考えられた。
      冬至南瓜や柚湯の慣習が残る日。
      ※読み:トウジ
      <参考:こよみのページ

 冬に至る。インチキ百姓式の計算では、季節の割合は「秋4:冬6」。とうとう冬が主役になる日である。2月3日の「立春」まで冬は勢力拡大を続け、3月20日の「春分」に春に主役を譲る時までの3カ月、寒さの季節の到来である。

 皆さんもご存知の通り北半球ではもっとも夜が長く、もっとも昼が短い一日。この日を境に、日の出は徐々に早くなり、日の入りは徐々に遅くなる。冬も本番だなと感じるこの日ではあるが、太陽との関係に思いを寄せれば、この日から、暖かくなる為の準備がスタートするとも考えられる。寒さはピークに向かう冬の毎日の中で、一日ごとに地球を暖める時間が増していくこの事実、地球の営みに賛辞を贈りたくなるではないか。
 ※正確には、日の出が最も遅い日は1月頭であり、日の入が最も早い日
  は12月10日頃となる。冬至は、1年中で太陽の高度が最も低く、
  1日の日照時間が最も短い日となる。
 (参考HP:予報士ネット お天気ミニ知識

 さて、昼が一番短いこの日、いつもより長く畑にでて作業をしました。冬の菜っ葉類(タアツァイ、真菜、白菜)の間引き、人参の間引き、残していたショウガの収穫、もはや枯れ果てたセイタカ抜き、かがむ作業が多いせいか腰が悲鳴をあげだして小休止。続いて大家さんの軒先を借りて、先日刈って乾燥させていた蕎麦の脱穀。量は少ないものの手作業の為なかなか時間がかかる。茎と実は分離できたものの、細かい葉屑などをより分けるには、ザル籠などの他に唐箕もいるなあ。夕方、畑に戻って作業のやり残しの続きを行い、沈みゆく夕陽を感慨深く眺めた。唐突に、我が農園での冬至の日を記録におさめたくなり、ファインダーをのぞいた。午後4時36分、太陽が、西の秩父の山の奥に沈み、まもなく畑は夕闇に包まれていった。

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  以下、本日の点景を少々。

>>続きはこちら
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2004年12月14日

後光さす

霜月三日 晴れ
 秋は夕暮れ、冬はつとめて、とは清少納言。先日冬が来たと書いたものの、冬至が近づき秋の盛りも終わりつつあるこの頃は、秋だか冬だか区別はつけられない。まあ別段つけることもないし、ふとそんなことを思っていたら、「枕草子」の春はあけぼの…の一節を思い出した。今はまだ、「つとめて(早朝)」の趣きよりも「夕暮れ」に趣きを感じる。であればまだ辛うじて秋なのかな。などと思う日暮れ時。とは言え冬の朝にめっぽう弱い小生が、「つとめて」に趣きを感じることはいつになるやら。


 稲刈り時に、お米の種類ごとそれぞれ、特に育ちが良かった株を選抜していた。来年の種籾用に保存するためである。よって食用の籾と混ざらぬように別々に脱穀するのが好ましく量も少ないこともあって、江南にて後で手作業で脱穀しようと、稲束を持ち帰っていた。もう少し乾燥させてからの保存が良かろうと軒下にぶら下げていた今日の夕方、畑から戻ると西日を背にした稲穂が輝いていた。

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『秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいてかりなどの連ねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。』<枕草子>
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2004年12月02日

透明に暮れる

神無月二十二日 晴れ
 朝晩に厳しく冷えるようになってきた。昼の二時半も過ぎると陽射しはローラーをかけられたように薄く延びていき、北風が急に冷たく感じてくる。
 空気が澄んできたのかな。バイクを走らせているとそう思うような夕暮れ。部屋に戻った窓の外が、晩秋の空を伝えていた。

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 12月の夕暮れは、思っていたよりもずっと透明だった。
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2004年11月07日

秋の盛り

長月二十五日 

 【立冬】…冬の気立ち初めていよいよ冷ゆれば也(暦便覧)
      この日から立春の前日までが冬。日は短くなり時雨が降る季節。
      北国や高山からは初雪の知らせも届き、関東では空っ風が吹く頃。
      <参考:こよみのページ
 
 暦では冬の始まりとされるこの日であるが、私の感覚では秋9:冬1の日。冬の生まれた日。今年の夏が最後に死に絶えたこの頃、秋は盛りとなり、また新しい冬が命を灯す。晴れた日にも陽射しに暑さ(夏)の名残は感じられず、あくまでも乾いた秋の光に包まれる。いよいよ、これからは日に日に冬の大きさが増すばかりである。冬至(12/23)で秋5:冬5とついに冬へ季節を明け渡し、立春(2/3)に春が生まれる(冬9:春1)まで、寒さが増える日々が続くのだ。
 妄想は頭の中に留めておくのが良いが、畑は嘘はつかない。よく晴れた夜の次の朝は、毎日のように霜が降り始めている。霜に枯れる草、霜などかまわず命を育てる草。大豆はカラカラと音を立てるようになり、残っていたカボチャの葉は霜にあたるたびに黄色くしおれてゆく。朝陽に輝く薄霜が、何よりも美しい。

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 霜化粧した大豆

 041107shimo1
 かぼちゃの葉

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2004年10月28日

息も白く

長月十五日 今日は晴れるぞう
 まったくもって暦は正確で困る。いや困りはしないが驚く。昨日木枯らしが吹いたかなと思ったら、今朝は初霜である。もちろん、5日前の10月23日から二十四節句は【霜降(そうこう)】に入っている。

 【霜降】…つゆが陰気に結ばれて、霜となりて降るゆへ也(暦便覧)
      北国や山間部では、霜が降りて朝には草木が白く化粧をする頃。
      野の花の数は減り始める、代わって山を紅葉が飾る頃である。

      <参考:こよみのページ

 初霜は儚い。朝日が雲から昇る頃にうすぼんやりと白さが目に映りだしたと思ったら、日を浴びて間もなくすぐに消えてしまった。ホントに霜だったの?と思うほどに。写真に姿を残すことなく。明日、再度トライ。
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2004年10月15日

寒露の朝

長月二日 晴れ晴れ晴れ!
 七日前の10月8日から、二十四節句は【寒露】に移っている。実に一週間ぶりに青空が顔をのぞかせた早朝、空気に緊張感が漂い、湿り気の中に冷たい芯を感じる。朝露が、キリリと冷たい。
 少し遅れたが、寒露の頃を知る。

 【寒露】…陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也(暦便覧)
      冷たい露の結ぶ頃。秋もいよいよ本番。
      菊の花が咲き始め、山の木々の葉は紅葉の準備に入る。
      稲刈りもそろそろ終わる時期である。

      <参考:こよみのページ


 そんな寒露の朝日の空に嬉しくなって散歩にでた。周囲の田んぼは既にすっかり稲刈りを終えて、刈り後の株から青芽が伸びてきている。刈られた後なお生きようとするその生命力には、ふいに驚かされもする。稲藁を乾燥させて資材として利用するためであろう、三角テント状に藁を組んでズラリと並べられた田んぼもちらほら散在しており、秋晴れの朝日を受けて影を伸ばすその姿は、衝撃にも近い存在感である。

 041015sankaku

 空、太陽、田んぼ、稲、そして人工のオブジェ。単純なのに、それでいて、時に完璧のようにも思えてしまうただの風景。そこは、なぜか静かな喜びをもらえる場所。八百万の神が、朝日と共に今日を祝福しているような瞬間。けっして、大袈裟ではなく。
posted by 学 at 08:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする