注)記事の日付は太陰暦を用いております

2016年03月11日

3月11日

如月三日 曇りときどき雨

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 野草の上に、梅が花びらを散らしはじめている。庭のチンゲンサイが、カブが、トウ立ちして菜の花のつぼみを膨らませている。モンキチョウも、ミミズも、一匹また一匹と遊びだす。木の芽、花の芽、全ての命が今か今かと、準備をすすめている。3月11日とは、本来、そうした春の訪れの機微を楽しむ、そんな季節の一日である。

 震災のことは、パソコンも新聞もテレビも関係なく暮らしていると、まったく生活に飛び込んでこない。現代社会は、過去に縛られながら生きることに今や不感症になっていて、戦争のことも、震災のことも、記念日を大事にしてしまいすぎる。記念日を大事にするということは、実は、それ以外の日常への溶け込み方が薄まっているという裏返しでもある。

  記憶は、惨禍を繰り返さないためにも、亡くしてはならないだろう。しかし、いったい、3月11日が近付くこの時期以外に、震災を思い起こして実際に日常生活の行動を選択する人はどれだけいるだろうか。原子力発電はいまだに継続し、電力依存の社会はほとんど変わっていない。大規模な環境汚染を恐れる代わりに、小規模に環境を破壊しながらのソーラー発電所を選択する。天災で、人災で、文明社会がいかに容易く壊されるかを目の当たりにしても、経済成長が根本にある「復興」や「生活」が省みられることは少ない。 

 「もうあんな悲劇が起こりませんように」と、年に一回唱えても世界は変わらない。と言ったら語弊がふかくあるだろうか。それよりも、たとえ、何度悲劇が起こったとしてもそれに逆らわずに流されずにたおやかに強く生きる。そんな覚悟を持って日常的に息づいていく人が増えることこそが、世界が良くなる本当の一歩なのだと信じる。

 経済一辺倒の今の暮らしを見つめなおす。不自然が蔓延しているこの世の中を、心に体に五臓六腑第六感を総動員して、人間に自然に備わる幸福力が発揮される世の中に。買い物を、食べ物を、生きる時間を、過ごす時間を、少しずつ本質的に変えていくこと。それが震災を経て我々ができる、小さいけれども、最良の行動なのだと思う。

 ・ ・ ・ ・ ・

 今日、長く闘病している学生時代の親友夫婦から、本当に久しぶりに便りが届いた。「体のために、学の作っている野菜が食べたい」と。 自然農を続けていて、これほど嬉しいと思ったことも無かった。これまでも、自分のために、家族のために、知人友人のために、お客さんのために、遅々としながらも、自然農の田畑に向かってきた。育ったものを、採れた分だけ、のペースで続けてきた。それはこれからも変わらないと思う。

 それでも、今日初めて、誰かのために自然農をしたいと実感した気がする。大げさでもなく、俺はこのために、自然農をやってきてたんだと。春の訪れと寒の戻りを体中に感じながら、うずうずと、畑に向かいたい意欲が満ちてきている。自然農の野菜、野草、自然療法、これまで自分の歩んできた道と、これからも歩むであろう道が、大好きな誰かの、ほんの少しであっても力になれそうなことが、こんなに嬉しいとは。彼女の病態を心配する気持ちも大きいのだが、俺の野菜食って元気になる姿を思い描き、体にエネルギーが溢れてくるのだ。


 人間はそんなに強くも大きくも広くもない。目の前の家族、大切な友人、そんな小さな繋がりを一番大事な構成単位にして、自然体の幸せを探していく。それはきっと、金を稼ぐことではないし、社会で活躍することでもない。才能を発揮させることでも、良い行いをすることでもない。もっともっと根本的な、心に、体に、大自然に、耳を傾けながら生きていくこと。そうすると自分の心は、お金のためでなく、親友のために自分の時間を使っても良いと、叫んでいた。妻も、それを心から喜んでくれていた。


 震災の日をすっかり忘れて一日を過ごしかけていたこの日に、親友から届いた、とても大切なメッセージ。5年前の震災を日常に、今日のこのメッセージを日常に、また自然農の田畑に向かっていきたい。

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2014年09月09日

再会

葉月十六日 晴れ

 大学以来の友人が、Facebook経由で再会し、畑に遊びに来てくれた。都内でイタリアンを営むご夫婦の奥方。彼女も小生も、ともに大学時代の専攻からかけ離れた職種に現在身を置き、食育とか、スローフードとかに縁があって、そしてつくばにも縁があって、フットワーク軽く都内から訪問してくれた。

 夏の名残の強い陽射しと秋風の混ざる畑のガーデンテーブルに座り、子育てやら農業やら地球規模の問題(?)まで話を膨らませてあっという間の数時間。また再会しましょうと畑のジャガイモを手土産に帰っていった。

 数時間の二人の話の結論としては、結局人間はどんな状況になっても「生き抜く力」が重要だ、ということに。自然農であったり、イタリアンであったり、それはそれぞれに人生を費やしていますが、また何かどこかで、面白いことができるといいね。

 そんときは野菜使ってくれい。そしてとにかく、共に楽しく生き抜いていきましょう。

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 そのうち、こんなモリモリ野菜を届けられるかもしれませんので♪


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2014年03月13日

ワクワクワク

如月十三日 曇り

 今週末の3月15日に開催するワークショップ。
 「話す・聴く・気づきのワークショップ」にゲストでお越しいただく林さんから、今回への想いを寄せていただいた。 数年前に同居し、文字通り、心と身体をぶつけ合った(笑)、同志のような友人からの言葉が実にワークショップの本質を捉えてくださっていて、嬉しくて朝から興奮している。ワークショップの締め切りは過ぎたのだが、まだまだ定員まで席があるので、前日まで締め切りを延ばして、この記事を読んでくださった一人でも多くの方に足を運んでいただけたらと願う。

 今回、【身体 (運動・心・体の動かし方)】をテーマにワークショップを開催。まさしくそのテーマを生き方に反映させている、林さんからのメッセージ。

「話す・聴くワークショップって?」という思いで初めての会に参加させて頂いてから,複数のテーマで何度か体験してきました.人は話すことや相手に伝えるプレゼンテーションの上手さなどに注目しがちですが,じっくりと相手の話しを聴いたり,静寂で何も発言がないことを良しとするなど,今まで経験したことない少し違和感のある空間で,ゆっくりとした時間や体験を味わえます.

人が車座になり,真ん中のあたりをぼんやりと見つめ(あるいは目を閉じて),会話がなかったらソワソワしてきますね.身体操作でも,何か対人に動作をしようとする時には,相手を押すとか引くとか目的があるかと思います.しかしそれに過度に囚われると,緊張が生じたり,身体が追越してしまったり,不自然な筋の過度な緊張が生まれて,相手にも「力強さ」として緊張が伝わりますし,それをヒョイと取られてしまいます.

静寂の中で会話が生まれるのは,水面に雫が落ちるのと似ています.
その場にいるそれぞれの人に何かが広がるのですが,普段のワイワイ話しでは,こうした静寂さや静けさは感じることはあまりありません.
会話が生まれず静寂な時間が長くなると,自分の中に出てくるソワソワしてくるもの,焦りのようなものを感じます.そしてこれが何かと深く見つめると,時間を有効に活用しなきゃ,とか,何か良いことを話題提供したい,という自分自身の生活習慣から身に付いた"癖"や,"我"がありありと出てきます.自分の話したいこと,伝えたいことと,その場で生まれている流れ・場の空間があってこその会話であり,対話ですので,焦りやもやもやが生まれるのは,身体操作の際の制御出来ない自分の身体の癖や習慣的な力みと似ています.場の空間が身体操作の延長にも似て,とても面白いと思います.

今回は,「身体」がテーマということでおよび頂きました.
体育を専門としながら,稽古会(引用者注:ゲストの林さんは、つくば市で「身体操法研究会」の世話人をされています)では多くの先達の方に遠く及ばない自分の身体ではありますが,アメフト時代からの大きな身体観の変化や,身体との向き合い方,怪我の治療を通した身体の奥深さなど,今現在のありのままで,僕のままで,参加しようと思います.

ワークショップという響きにある,喧々諤々と議論をするイメージではなく,
全員に,話すことも,聴くことも,じっくり味わうことを許された時間・空間で,
参加者の皆さんがどのようにそれと向き合うのか.
小松さんとは,終了後にはLIVE空間のようでしたね,と感想を話し合ったことがあります.

そんな時間にご興味のある方は,どうぞ小松さんの家にお越し下さい.


 いやあ、ワクワクしてくるなあ!

 梅薫る我が家に、ワークショップに、是非とも遊びに来てください。

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第17回 話す・聴く・気づきのワークショップ =3月15日(土) 開催=
 テーマを【身体 (運動・心・体の動かし方)】で開催します。
 参加者募集しております♪  実技プログラムも体験ください♪
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第八候: 啓蟄 次候
【桃始笑(ももはじめてわらう)】
=桃の花が咲き始める=
 (新暦3月11日頃〜3月15日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2013年08月04日

つながり

水無月廿七日 晴れ時々曇り

第三十六候: 大暑 末候
【大雨時行(たいうときどきおこなう)】
=時として大雨が降る=
 (新暦8月2日頃〜8月6日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


 明日のつくいちは都合により休み。さりとて心はつくいちへ。

 6月に開いたホームパーティーにて、せっかく大切な友人とそのご家族を招く機会なのでと、このつくば生活で胸を張って紹介したい「つくいち」仲間の食材を揃えてお迎えすることにした。

 メインのオードブルは、8年前に農園を開いたときからの付き合いとなる「ナチュカフェ」さんにお願いした。今までの折々の行事の席に、会食やオードブルを用意してもらってきた友人。そのつど小生の自然農作物をメニューに添えてくれたり、老若男女に好まれながらも随所に見られるシェフの渾身のメニューが変わらず好きなのだ。今回は、自家製ソーセージ(絶品!!)に添えたトマトソースに、小生の大豆と黒豆を合わせてくれたメニューが、最高に美味しかった。ちょっとしたサラダや細部に配慮されたグリル料理など、肉も魚も野菜も、素材と味付けのバランスのとれたフランス風家庭料理が大皿に乗り、我が家の広くないテーブルにずらりと並ぶと、圧倒的存在感をもって、来てくれた友人達の目を輝かせてくれていた。

 ※パーティー後に少しあまった「ソーセージwith自然農大豆」を我が家のおかずでいただく。
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 オードブルに添えるパンは「ベッカライブロートツァイト」さんから。30人弱のパーティーに、全粒粉のバゲットを10本と小生の大好物のチャパタを10個、さらに店頭で使用されているレバーペーストもいただいた。ナチュカフェさんのオードブルに添えて、しかしパンそのものが主役級ともいえる存在感のある味わいに皆も満足してくれていたのを覚えている。

 ※ナチュカフェのキッシュと、ブロートツァイトのパンで畑ランチ。最強。
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 デザートには、「つくばベーグル」さんのオリジナルスイーツ。常々いただくベーグルには満足感と価格のお手頃感において圧倒的パフォーマンスを感じている上に、さらに味わい深いのが焼き菓子たち。手土産に困ったら迷わずつくばベーグルの焼き菓子、という方程式ができている小生にとって、今回のホームパーティーのデザートには外せないチョイス。妻と共にお店にうかがい、趣旨と予算を伝え、ご主人と奥様と相談する過程もなぜか楽しみになるほど、親身になって考えてくださり本当にありがたかった。そして何よりも嬉しかったのは、当然のように想像を超えて(厳密に言えば想像どおり)感動の美味しさを放つ、季節のベリーを挟んだダコワーズがパーティーのデザートを彩ったことだった。さすがです。

 そして生ビールと料理に舌鼓を打った後には、「コーヒーファクトリー」さんのオリジナルブレンド。とりわけコーヒーにこだわりをもつわけでもない小生なのだが、ファクトリーさんのコーヒーを飲むと、不思議に安心と満足と休息を覚える。いつも店頭で優しく迎えていただくご家族の暖かさがまるでコーヒーに乗り移ったかのような、味わいと深みと馴染みやすさ。豆にこだわりがあるわけではないような小生にとって、お勧めのオリジナルブレンドは間違いない選択であり、我が家にはいつも小分けのパックを常備して、大事な来客に備えている。

 一ヶ月半前を振り返ってみても、「思い出しよだれ」がでるラインナップ。とりわけ盛大でも豪華でもないかもしれないけど、自信をもって紹介できる美味しい店があるこの街とこの生活は、なかなかに幸せな磁場を放っていると自画自賛してしまう。

 つくいちではこれだけでなく、自然農のフィールドであるなら、浅野与五右衛門さん、近江屋商店さん、じねん堂さん。他にもいつも卵と笑顔をいただく御手洗農園さんをはじめとする出店者の皆さん。つくいちへの来場がきっかけで雑草屋を知り、つくし農園のプレーヤーになってくださる方もいる。つくいちが縁で広がり、継続的に繋がる、スピーディーではないけれども静かで有機的なお付き合い。何も資産を持ち合わせていないような小生にとっての財産に違いないということに、改めて気づかされている。

 そんな「つくいち」も、2008年の初開催から、この8月で6年目、61回目を迎える。毎月第1日曜日、つくば中央公園にて、脅威の晴天率で開催中。今月は明日の4日に開催。


 定期的に作物を提供できていない雑草屋にとって、特に今年に入ってからは時折の出店休みもしているつくいち。そんな休みの月には、つくいち会場の木陰にて「スラックライン」体験教室をひっそり開校しているので、雑草屋の「自然農」とは別の一面(動くインチキ百姓)も覗いてみたい方はどうぞ。

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※つくいちとは別に、こぐま塾でも「スラックライン」やってます♪
 
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2013年02月13日

こいつぁ

睦月四日 晴れ
第二候: 立春 次候
【黄鶯睍v(おうこうけんかんす)】
=鶯が山里で鳴き始める=
 (新暦2月9日頃〜2月13日頃)

七十二候を取り入れています※


 こいつぁ春から縁起がいいや。
 てなもんで、雑草屋の周囲は新春(旧暦)を迎えてひとしきり賑やかなことが続いた。

 10日は旧正月。自宅を会場にしてのワークショップも今回で8回目。テーマを「仕事」に据えて、5人での4時間半。いつもと同様、濃密に、静謐に、参加された方たちそれぞれが互いに存在を認め合いながら、会話の枠に収まりきらないようなコミュニケーションの時間を過ごした。ワークショップを過ごした最後に小生は、「この5人のような共有感覚を手にしたチームだったら、どんな仕事でもうまくいく気がしてます。ていうか皆さんと仕事がしたいです。」と、笑って話してしまっていた。今までのワークショップのいずれの会もその過ごした時間の充実度は計れぬものではあるが、今回のワクワク感もまた素晴らしいものだったね。

 その後、ゲストのFさんとその嫁さん、そして先日まで同棲していたHさんも合流してのプチ反省会(というか宴会)を開き、飲めや食えやで丑三つ時まで。ワークショップでの時間とはまた対照的な、賑やかな、混沌とした、ともかく楽しい宴でございました。



 明けて11日は建国記念の日。友人のI夫妻が来られての、庭での脱穀作業を世話&手伝い。小生としても、例年12月中に終わらせていた自分の脱穀も今年は延びに延びてまだ山積みでもあり、夫妻とともに脱穀作業を進める。

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 なんとか夫妻の作業の目処がたって来た頃の午後、なんとなしに我が飼いヤギ、粟子の種付けについての雑談をしていたら、あっという間にIさんの手配で知人のヤギ飼い氏をご紹介いただくことになり、トントン拍子の夕方には、粟子のお相手が我が家に招かれる手はずが整ってしまった。

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 夕方、お相手の雄ヤギ「七郎」君が庭に降り、粟子と初対面して数時間。偶然にもその日に発情期を迎えていた彼女に対し、雄ヤギの威信にかけてアプローチに成功。小生が確認できただけでも、七郎君は少なくとも2回の射精に達したのであります。いやはや、動物の世界は話が早ええやな。

 
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<Dance with goats>


  その日の晩は、親友の家(Dan's table)にお邪魔して、新年を祝う雑談会。19時から0時まで、四方山に四方山を掛け算して十六山。酒はなくとも豆菓子にお茶、すこぶる美味いスイーツを肴に延々と会話に花が咲いた。まだまだ寒さが芯にくる深夜、それでも体が熱く火照ったまま、バイクを飛ばして我が家に帰った。

 とにもかくにも、春から縁起がいいや、ってなもんで。

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 今日13日は、睦月の四日月。無言のうちに沈む夕暮れ。気が引き締まる光景を眺めながら、今年のテーマは「開花」とすることに決めました。


 
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2013年01月31日

えにし

師走廿日 晴れ

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第七十候:大寒初候
【款冬華(かんとうはなさく)】
=蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す=
 (新暦1月20日頃〜1月24日頃)

第七十一候:大寒次候
【水沢腹堅(さわみずこおりつめる)】
=沢に氷が厚く張りつめる=
 (新暦1月25日頃〜1月29日頃)

第七十二候:大寒末候
【鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】
=鶏が卵を産み始める=
 (新暦1月30日頃〜2月3日頃)

七十二候を取り入れています※


 ほんのりと、冬が融け始めている。 

 昼、庭にウグイスを見つけた。ネズミが天井裏を駆け回り、壁のあちらこちらの飾りに稲束や大豆の枝がぶら下がるこの家に、越してから早や5年が過ぎた。初めてこの家に移ったときと同じように、梅のつぼみが膨らみ、柿の冬枝が張り、足元にフキノトウがほころびはじめる頃である。晩に朝に、依然としてキンと冷え締まることこの上ないが、どうやら昼の陽射しには、たしかな暖かみが混じるようになった。

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 冷えに冷えたこの冬であったが、それでも自然は巡り巡り続けて、春はやってくる。この18ヶ月間、寝食を程よく共にした居候氏は、目出度くこの折に転機を迎え、春風よりも一足早くこの家をあとにすることとなった。息を抜いて間抜け面をしているときに限っていつ帰宅するかわからないという、楽しいスリルが味わえないのがことのほか残念であるが、互いの行く末を共に慶びあえる友人を見送れることが何よりも嬉しい。

 この1月、話すことと聴くことにフォーカスしたワークショップを2回開催した。先に開いたでは、テーマを「聴く・話す」として、じっくりと5時間半かけて過ごした。参加した友人から後に届いた言葉は、積み重ねの成果を感じた時間だったという、嬉しい内容だった。つい先日に開いたヨガと気づきのワークショップでは、初めてお会いした参加者の方から、参加できたこの日を宝物のように大事にしたい、という言葉をいただいた。「ヨガ」と「話す・聴く時間」がどれほど親和するのかは、主催する側にとっては確信めいたものであったが、参加された方にとってどういった時間になるかはまるで手探りであるがゆえに、その時間を喜んでいただけたというサインは、力強く我々を勇気づけてくれるものだった。

 あと4日で立春。今年の旧正月は11日後。七十二候は、昨年の立春より巡って七十二を数える。春を迎えての、また新しい一巡りへの移りかわり。田畑も森羅万象も、常に萌芽は内在している。土は徐々に暖まり始め、虫が起き、草木の息吹きがあちこちに聞こえている。小松学も、雑草屋も、70億の人類も八百万の神々さまも、巡り巡りて新陳代謝を繰り返していく。変わらないまま変わりつづける。人も、自然も、世の中も。

 16日前、とてもとても繋がりの深い親友が、命を全うして旅立った。またその一方でほとんど同時期に、不幸なる政治に巻き込まれた見知らぬ方々が命を落とし、さらには帰趨さえも耳に届かない世界中の方々が、今もどこかで命を落としている。小生は、たまたまの人生をなにごとかの係わり合いの中で生きつづけているに過ぎない。だからこそ、畏友を胸に抱き、自らの生を全うすべく、手元足元にある幸せのかけらを携えながら、今日も大豆を選別しつづける。暖房を節約しつつ、豆の出来不出来に一喜一憂しつつ、週末のつくいちを心待ちにしながら。居候氏の荷物が空いた6畳間に、ぽかりと物寂しさを感じる厳冬のなかで。

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 亡き親友に、そして今命ある全ての縁(えにし)に、祈りを捧げます。

 安らかに。そしてまた会おう。



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2012年05月24日

交差点

卯月四日 晴れ

第二十二候:小満初候
【蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)】
=蚕が桑を盛んに食べ始める=
 (新暦5月21日頃〜5月25日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 土曜日、日曜日、そして月曜も、火曜も、普段ひとりで畑にたたずむ小生としては久しぶりに乱雑にかつ濃密に人と交わった数日となった。新しく飛び込んでみたフットサルサークル。大学の卒業学部(国際総合学類)の同窓会イベント。友人とのワークショップの打ち合わせ。新しい友人とその友人が来園されての自然農トーク。久しぶりの大工手伝い。そして都内方面に出てのミーティング。

 フットサルサークルでは、全くの新規の見学者としてお邪魔して2時間たっぷり練習とゲームで汗を流し、輪に入れていただき、笑顔でまた次回!とウェルカムされて楽しんできた。
 同窓会イベントでは、もちろん現役生の瑞々しい生命感にも感化されたし、同期の友人との十数年を振り返りながらの近況報告も楽しみ、自分と同様に偶然と縁でつくばの地にまた住み仕事をすることになった後輩とも再会し、在学時の専攻から遠からず近からずの「環境問題」をテーマとした繋がりに喜びも感じた。
 ワークショップの打ち合わせでつくばに来てくれた友人とは、「自然農」を絆にここ数年親交を暖めてきている間柄であるが、いつもの畑と違ってのつくばの中央公園横のオープンカフェで緑を眺めながらのミーティングはとても楽しかった。
 農園に遊びにきてくださった新しい友人たちは、もちろん「自然農」が縁で来園されたわけだが、そこから飛躍しての様々な社会観やコミュニケーション論や雑談に花が咲き、夕方の肌寒さも忘れるほど時間が過ぎていった。
 月曜日は大工バイトに久しぶりに出かけた。朝方の金環日食はおさわり程度に済ませ、移動の車内や現場の中で、また様々に近況や今後の話に花を咲かせた。木工仕事なのに、普段は別の仕事をしたり今後に居酒屋を始めようとする方もいたりするところがまた、このバイトの面白さでもある。
 都内への行脚は雨の中のバイク移動となった。一日で3名とお会いして、今後の取り組みへのご協力やプライベートに色々と相談できた。いずれもあまりに深く話し込んで、この数日ではなかなか消化しきれない内容にまで及んだものもあるが、これまでの繋がりがまた新しく別の視界を持って広がる可能性があることに、面白さと高揚感を覚えずにいられなかった。

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〜 草を食む 山羊を眺めつ 我を知る 己も青き 縁を食むかも 〜

 

 ここ最近、自然農からの気づきから沁み広がるように、他人に対しての接し方が自分の中で変化しつつある。それはもしかしたら独りよがりで自分勝手な気づきかも知れず、様々に人を傷つけながらの変化なのかもしれないが、過去は変えられず今を生き将来に変えうるしかない人生ならば、自分はその変化をありのままに受け入れて肯定していこうと決断している。それは開き直りなのではなく、自己責任としての決断なのだと、考えている。

 過去に同じような乱雑な出会いがあった時、振り返ってみると自分は今よりも濃度を薄めて対処してきたのではないかと思う。目の前の出会いに対して先入観をもって様々に決め付けて、カテゴライズしたり、その一方で自分の表現を枠内で抑えて当たり障りなく、もしくは過度に装飾して対面してきたことも少なくなかったはずだ。もちろんそんなことばかりではなく、大事な大切な出会いに対しては今と同様のもしくはもっと濃度の高いコミュニケーションを重ねてきてきたことは言うまでもないが、しかしそれ以外の乱発する出会いについては、自分はゆっくりと他人と接しようとする選択を取り入れることを十分にはできずにいたように感じている。
 だからといって今、何がどう変わった、という特別な何かがあるわけではないのだけれどね。普段お付き合いのある皆さんにとっては、別段いつもの小松学と何にも変わってねえだろ、というのが実際でのところであると思うけど。

 これまでも、これからも、日々目の前に人々との交差点は訪れるし、その折々にまた変化と醸成が積み重なっていくものなのだろう。そして、その交差点でお会いする人たちとのその瞬間の出会いはそこでしかなく、過去でも未来でもないのだとしたら、自分にとってけっしておざなりにしたり希薄にすることが無いようにしたいし、それが可能なライススタイルを持ち続けて生きたいと思う。時にはメンドクサイ輩を目の前にして、怠惰な自分に揺り戻されることがあっても。時には自分の接した結果で他人を不幸に導くことになってしまったとしても。最終的には我々は、その人生の幸も不幸もその本人自身が決めることしかできないのだから。であるなら、経緯や結果にとらわれすぎることなく、今の今、その交差点でどんな時間を生きるかを自分の責任として受け止めていきたい。それを喜びの一つとして。ただひたすらに、今を生きる。

 新しい出会いに執着することなく、これまでの出会いにも固執することなく、変化を恐れず、同時に変わらないことも受け入れ、今の、ただいまの、最良の道を丁寧に探していきたい。

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醸造されて、瓶詰めされた、どぶろっくん

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2012年02月11日

たぬき

睦月廿日 晴れ

第二候:立春時候
【黄鶯睍v(こうおうけんかんす)】
=鶯が山里で鳴き始める頃=
(新暦2月9日頃〜2月13日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


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紀元節にて 一ノ矢八坂神社の隆々たる杉の近影



 朝、山羊の粟子を家裏の笹の茂みに結わえて食事をさせ、集合日の準備を進める。2012年度のつくし農園が今日からスタート、試み新たにする進行への緊張や、今年もご参加くださるプレーヤーの方々への緊張や、昨日の就寝前の少々の残り酒などが混ざっての、霜柱がキンと立つ気持ちよい朝を迎えた。

 年度始め恒例の、プレーヤー皆さんとの9時50分からの一ノ矢八坂神社への参詣の時間が近づき、作業荷物をまとめ、笹薮から山羊を小屋へ連れ戻す。その時、主のいない小屋の裏あたりから、ざざざと木陰に逃げ走る淡い黒の塊が通り過ぎた。猫より大、犬に近く、ずんぐりむくりと茶黒に濁るその後姿は、この地域で始めて目にした野生の狸であった。なんと、狸ですよ。思えば数日前の夜、帰宅した際に車のヘッドライトを横切った野ウサギといい、昨日の昼は家隣りの杉の木を叩く啄木鳥といい、なにやら最近、野生づいている。

 サインでも、兆候でもなんでもないのだろうが、野生の動物は何かしらのそれら自身の感覚でシンパシーのようなものをアンテナの一つとしながら生活圏を広げ、そして狭めて行動しているはずである。それであるのなら、なにかしらの共通感覚が最近の目の前に現れる友人たちとの間に築かれつつあるのだろうか。あるいは、自分の中のアンテナが、少しでも彼らに近づいているような変化があるのだろうか。体の動かし方(大げさに言えば身体の操作方法)、感覚(イメージ)の広げ方、そういったことへの自分なりの傾倒、自然へのシンパシーが、少しでも彼らの感覚へ千尋の一滴ほども近づけているのだとしたら。5年もここに住んでいて、啄木鳥も、野ウサギも、ましてや狸の存在に気付く事無く暮らしてきただけに、ついつい目線が甘くなる。そして、何気なくまだ逞しく存在する野生にもまた心強く、そして嬉しくなる。

 良く動き、良く話した集合日。昨年一年で崩れ始めた田んぼの畦道は、皆さんとの共同作業でまた、堅牢を取り戻した。これが人工の美しさでもあり。だからこそ自然の美しさもまた素晴らしい。

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 所々崩れ、草に覆われた畦
   ↓↓
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 まずは今月、畦道二本の内一つが修復を終えた


 と、美談はそれくらいであり、集合日の実習畑では昨日まで無事であったキャベツの生き残りの株が、野鳥(おそらくキジであろうか)に無残に食い荒らされていたという現実。さらには作業後のこの筋肉痛。体の動かし方などと嘯いていながら、まったく使えていないこの無知さ。
 
 人間と、自然と、共存など手安く実現などしないからこそ得がたく、失いがたく、問い続けなければいけないテーマであり、人生のエッセンスなのであると信じる。
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2011年06月10日

欠けているもの

皐月九日 曇り

 いつだったか学友の家に遊びに行き、庭の片隅のちょっとした畑の中で、これでもか、と生い茂る小松菜と、ぐいぐい背丈を伸ばすエンドウ豆の苗株を見つけて、友人には気付かれないように心の中ですげえなとつぶやいたことがあった。その辺の雑誌にあった通りに肥料やって種まいて良くわからんうちにこんなに育っちゃってさ、と何気なくその小松菜を摘んで、夕飯の味噌汁にぶち込んで食べさせてくれた。

 あれから数ヶ月ほどして、今の家に移って4年目を迎えてようやく、庭の一部を改良して猫の額ほどの畑をこしらえてみた。雑草と土の様子を考えて、草を刈り出してから鍬を入れ、10cmほどの深さで耕起して、適当に余っていた菜花類の種を播き散らかした。かくして、慣行農ではないものの耕起して種を播いては野菜屑を放り込む、半分自然農半分有機農のような適当マイガーデンに今、ミックスベジタブルが繁茂している。 自然農の畑であれほど苦戦しながら、育った育たないと数年も頭を掻き毟っている横で、隠れて羨ましいと嫉妬した友人の適当ベランダ農園を習った庭の畑に、モリモリと葉っぱが育つのだ。

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 原発事故以来、世の中では「安全(と思いたい)派」と「心配(をしておきたい)派」との間で、本来あるべきでない分裂がみられはじめている。そうじゃない例が多数だと信じたいが、互いに互いを白眼視しつつ、それぞれの見識の足りなさを嘆き、悲しみ、挙句の果てには罵倒してしまう。 放射能の健康被害に気を配る方たちには、不安な要素を固める情報が集まり、よりその不安な要因を拡大し強固なものにしていく。健康への影響を控えめにみる方たちは、その根拠を求めて手に入れた情報に安堵し、不安要素の声に耳を貸さなくなっていく。 「こんなに心配しているのに、どうしてあの人たちはあんなにノホホンとして無関心でいるのだろう」と、「これくらいじゃ全然心配ないのに、どうしてあの人たちはあんなにビクビクして煽り立てるのだろう」との間には、埋まらない溝が開いてしまっているかのようにみえてしまう。

 しかし一度立ち止まって考えてみる。そこに架かる橋はないか。もしくは本当に溝があるのか。否、そこには両者を繋ぐ、共通の基盤が存在しているはずだ。全く違う価値観を持ってしまって互いを不快にさせるアピールしかできないないのではない。本当はその奥に共通の想いが隠されているはずなのだ。それはシンプルであり、本質でもある。どちらも、心の芯から放射能の恐ろしさにまいってしまっているということで、一致しているのだ。原発事故以降に福島原発から不幸にも放出されてしまった放射性物質に対する影響の受け止め方にこそ差はあれ、結局のところは、放射能の量がとてつもないものであったなら全員一致で「放射能コワイ」になるはずだからである。いざと言うレベルになったら全員まとめて放射能には適わないという認識の元、「今は安全」と「今でも心配」という振れ幅の中にいるのだ。その大前提の恐怖があるからこそ、その不安が妖気のごとく漂う中でどうにかして日常の安心を手にしようと、一方では「安全派」に身を寄せ、一方では「心配派」に足場を固め、少しでも自分の不安を取り払おうと必死になってしまっている。その結果、自分の反対側の人たちの言動や行為はそれぞれの安心を脅かすものとして無意識に認識され、自分の安定を守りたいが故にネガティブな感情を抱いてしまうのではないだろうか。

 どっちが科学的か、どっちが現実的か、どっちが優しいか、なんてなんの意味もない。

 電磁波だってこわい人はこわいし、こわくない人はこわくない。農薬だってこわい人はこわいし、こわくない人はこわくない。ダイオキシンだって、化学調味料だって、温暖化だって、デフレだって、少子化だって、不景気だって、貿易自由化だって、こわい人はこわいし、こわくない人はこわくない。全てが、ある振れ幅の中で意見がぶつかり合っているのだ。科学的に絶対の真実などなく、選択としてどっちが現実的かなんて立場でしかなく、倫理的にどっちが優しいかなんて価値観によるだけなのだ。そんな大前提の社会の中で、しかしながら人は選択をして生きなければならないからこそ、難しさを抱えて右往左往してしまう。

 とはいってもこんな「なんだってどっちだってある」みたいな価値相対主義みたいなこと言ってたって仕方がない。どんなものにも相違はある、その違いによっては時折不愉快にもなる、だけども必要なのは、その相違や不愉快の原因が解決しうるものなんだとしたら、それを突破することを創造しなくてはならない。立場や価値観でただ分裂してるんじゃなくて、もっと根本的なところで生きていくほうがいい。その先や現実を、想像し、そして柔軟に変化もしながら。

 大切なのは人であって、イデオロギーではない。大切なのは魂(たましい)であって、価値観ではない。全てが同じ方向性で価値観を共有している方が、むしろ気持ちが悪い。原発反対と有機農業と憲法9条と遺伝子組み換え反対が、なんとなくセットで同じような人が主張しているのは気持ちが悪いでしょ。それよりも、「これはあいつとは意見が合わないけど、一緒にいると話してて面白いなあ」の方が大事じゃないだろうかね。

 自然農をやってる人にも、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 有機農やってる人にも、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 原発推進派にだって、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 安全派にだって心配派にだって、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 
 それなのだから、立場とか運動とかイデオロギーで頭を固めずに、どんなことにも一つ一つを別個に考えて、問題解決型の思考で対処していけばいい。放射能についても、思う存分に不安になればいいし、思う存分に安心してもいい。感情と理性を自分自身の根拠としてフル稼働させて辿り着いた姿勢なら、それに自信を持って、その上で互いに優しくなればいい。答えがわからなくても生きるしか術はないのだから、自分が満足できるように選択してさえいれば、他人がどんな価値観を選択しようが犯されることはない。そこを見失うことなく、小さな対立をうまく乗りこなしてサーフィンしていきたいと思う。



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 自然農にとらわれずに適当に育つ、庭の野菜たちのように。ついつい凝り固まる自分の脳と体を、酒と友人たちで解きほぐしていけることを願っている。

 一番大事なのは、想像力なんだ。原発の将来だって、放射能汚染での対立だって、教育だって、農業だって、環境だって、つまりは愛ですよ。想像力ですよ。そこなのよ、つまりは。自分にまだまだ欠けているのは、そこなのよね。 
  
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2011年04月18日

垣根をこえ

弥生十六日 (望月) 晴れ 

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 「茨城県」の「民主党議員」が、「福島県」の「自民党議員」に優しいパスを送り、安全が確認されたものの正規価格で取引されずにいる茨城産、福島産の野菜を救うためのプロジェクトが動き始めている。五十嵐つくば市議を中心とした方たちによって、震災後の茨城県の野菜農家の原発による被害を受けている現状を乗り越えようと、「イバベジ」の愛称の下に茨城県産野菜の野菜ボックスの販売が今月初めにまずスタートした。曰く、「安全認定を満たした農産物に限った野菜の詰め合せ『野菜ボックス』 を販売することでこの危機をみなさまと一緒に乗り越えるべく活動をしています」のビジネス支援プロジェクト。第二の故郷つくばでスタートしたこの素晴らしい取り組みを、第一の故郷いわきでもどうにかつなげて欲しいと、とるもとりあえず実家の母と近しい斉藤福島県議に電話をしてみた。電話をしてから、五十嵐氏の政党と斉藤氏の政党を思い出し、これはまずかったかと思案したが、五十嵐氏は「イバベジをフクベジ、ミヤベジ、どんどん広がってもらえたらいい」と歯牙にもかけず、一方斉藤氏も、「いわきの農家を助けるプロジェクトに是非とも」とあっという間に連携が進み、明日19日にはフクベジの、第一弾が動き始める運びとなったそうだ。

 不思議なものだが、「自然農」の百姓が、「慣行農」の農家の野菜の流通を心から応援してしまっている。体の健康、自然の摂理などを大きな指針においた自然農に身を寄せるイチつくば民が、低量とはいっても健康への影響の評価はまだまだ不明瞭であり、自然の摂理に大きく反してしまった、放射線被曝の可能性がゼロではない野菜、また普通の化学肥料や農薬も使用されているであろう慣行農法の農家さんたちの生活を、どうしてか支援できることはないかと考えている。もちろん自分の自然農を日々続けることは変わらずに。
 
 自民党も民主党も、原発推進派も反対派も、やりたいならとことんやればいい。ただし、今このどうしようもなく先行きが見えにくい世の中で必要なのは、決して従来から引きずりきって腐りかけている対立型の思考回路ではなく、反対も賛成も飲み込んで推し進めていく解決型の思考回路でしかない。 喫緊の課題から最優先して選択して手をつけながら既存の垣根をぶっこわして四方八方に視野を飛ばして進んでいくことが、政府、非政府組織問わずに求められている。対立軸に寄ってしか発想できない人は、どうぞ眠っていてください。
 
 震災前も震災後も変わらない、個人的な、あるいは周辺的な悩み、不安はいくらでもある。現在進行形で真っ最中でもあるし、見通しだってよくわからん。それでも、前に進むしか、というか生きるしか道はない。「内閣外ですが責任ある立場を用意しますので協力してください」と何かを出し惜しんで政局に注視する民主党国会議員。ここぞとばかりにニヤついて、「そんな都合よく民主党さんに協力できませんよ」とTVで話す自民党国会議員。もうどっちでもええわ。我々は国政を追い抜いて、垣根をこえて、自分達でできる復興支援を、路傍の石からでも始められる。被災地は、今日も生きて生活してるもんね。

『茨城・福島農産物サポートプロジェクト』
どうか皆さん、応援してください!
全国に散ばるいわきの皆さん、一箱からでも注文できますよ!
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2011年02月02日

師走ってるよ

師走廿九日

 久方ぶりに、酔いに任せて。

 副業の仕事で浜松に足を伸ばし、7〜8年越しの友人と夕食を共に過ごす。前職時代に公私に渡って時間を共にしていただいていた彼、彼女に、子らをも交えて夕餉に招いていただいた。職場での関係以上に、気兼ねなく遊び交わした彼らとの再会は、思っていた以上、期待していた以上に時の隔たりを忘れさせてくれる時間であった。

・・・・・・・・・・・・・・・

 寒さと風が印象深い今期の冬。映像の向こうで眺める豪雪とは縁遠いつくばでは、カサカサに乾いた日々が続く。旧暦では師走も師走。明日は大晦日にて、いよいよ新春を迎えようとしている。自然農9年目、つくばにて6年目、玉取に田畑を移して4年目を迎える今年、あいも変わらず、いよいよもって、師走っているこの季節である。世の中になのか、自分になのか、異論反論が渦巻いては消え、消えては渦巻く時勢に揺さぶられ、それでも年齢だけは重ねるしかない、この自然界、生物界、人間界の法則。政治にとか、イデオロギーにとか、正論にとか、正しいことがあるかのように見せかけて実は、バイアス(先入感、偏見)のみが先行しているこの時代と季節に、自身も無駄に焦燥し、そしてまた諦観する、この師走。新暦では今日は2月に入っている中で、旧暦の師走と言って悦に浸ろうとする自我であり、その程度の自己満足でもある。

 先日のつくし農園の臨時集合日では参加者と共に「振り返り会」を開き、改めてプレーヤーの話をとつとつと聞きながら、はっと自分を振り返らせられることに何度も出会う。そうしてまた思考はめぐり、・・・・・(この先が続いてくれない・・・) あー。酔っ払い。ホテルの部屋から、インターネットを繋げて、倒れる前に書きなぐっている。


 明後日2月3日は、旧暦の睦月の一日、そして翌日は立春。ここ数年では珍しい、睦月と立春が近くに重なり合う新春の慶び。厳冬、花粉5倍、火山灰などの様々な不安事象を、根拠のないポジティブマインドに背負わせて、昨日今日明日をまた一日進む。残り少ない師走Days。

 とにかく、師走ってんだばーろちくしょー。明日に晦日を過ぎたら、もう新春だバーロー。うなぎパイのお土産買い捲ってんぞバーロー。つくばに戻って立春を過ぎたら、初詣に行くぞてめーこのやろー。誰でもかまわんが、自然農を、原発反対とか平和運動とかコミュニティとか、視野狭窄の安易なスローガンに結び付けんなこんちくしょう。人類にとって、自然は別に美しいだけじゃなく、人工は別に反自然なだけじゃなく、それらあらゆるものを飲み込んでなお持続可能な方向性が絶対的な存在基盤として必要だという課題が存在するからこそ、それを考え続ける自由と義務が人類に課せられてるんだ。逡巡こそ、真実なんだ。模索と諦観と希望こそ、○×△なんだ。だからこそ、俺は、生きてんだ。うーん、支離滅裂、ろれつめろめろ。


 Y野さん、Bたやん、ひーちゃん、あーちゃん、今日はありがとう。酔っ払いは、師走と共に去りぬ。おやすみ、明日はつくばに帰ります。
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2009年10月18日

とある会

長月一日 晴れ
 
 自然農に向き合う日々、とはいえ、自分を包む森羅万象が無限に交差する毎日。小生の目の前に現れるのは草や土や虫だけではなく、人があり、文化があり、つくば駅、スーパーマーケット、コンビニ、インターネット、DVD、漫画、友人、他人、酒、飯、ジャンクフード、ありとあらゆる事象がこの脳に記憶され、あるものは積み重なり、あるものは過ぎ去っていく。その交差が、思考と無思考とによってさらに時間と共に醸成され、いつの間にかそれが我輩自身となり、または世界を眺めるレンズとしての価値観となり、それは老いて死ぬまで尽きることはない。

 言い換えれば、どんな交差を選ぶかによって自身が形作られ、またはどんな醸成を費やすかによって自身の味が深まってゆく。別段珍しくもないことを、改まって言葉にしてみると、人間っちゃまあそういうことでございますな。だから、俺はいったいどうなって行くのかなあ、というのは、まさに今、俺に起こっている事、考えていること、していること、が決めてるってことなのね。ふむ。


 さて、自然農仲間の一人でもある友人のS女史が、とある試みを始動させた。

 『考える青草の会 THINKING Green Grass Group

 S女史の言葉を借りると、(以下『』箇所、会のBlogより引用)『・・・、我々人間はみな考える生き物です。日常のそれぞれの場で各々が考えることを、切り取られた空間ではありますが、多くの人と 語り合う共通の「場」が創り上げられたらというのが願いです。・・・』
そんな「場」を設け、『英語と日本語の両言語で思考を深め、各々の視野を広げる』ことを目的とした会をスタートさせるとのこと。詳細は会のBlogをご参照いただきたい限りであるが、その意気や熱く、ついつい話しに耳を傾けてしまう。
 
 脳みそと感情が、ぐりぐりじりじりと、駆け回るような、焦げ付くような、月に一度の大人の遊び場。そんな期待をしている。あえて、不得意な英語の場に遊びに出かけて、また畑に戻って、毎日の自然農へ何かを持ち帰る。すなわちこれはちょっとした旅なのだろう。なるほどそういえば以前、Dさんとも、「ワークショップは一種の旅のようなものですね」と話したことがあったではないか。人と交わり、異文化や異見を肌で味わい、己の道へ帰るのだ。さてさて、愉快で気軽な小旅行の誘いに感謝し、旅と同様に、前日までの小さな不安と、現地でのハプニングを楽しみにしておりますよ。


 まだ始まってもないのに少し表現が大盛り気味かな。そうね。まあ宣伝だもんで、大目にみてくださいませ。
 
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2009年07月15日

飲め、飲め、飲め

閏皐月廿五日 晴れかな?

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 夏の暑さを吹き飛ばす、ビアガーデンの開催!!!!


 とき 7月31日(金)、8月1日(土)、8月2日(日)
 
    15:00〜21:00(Last Order 20:30)
 
 ところ Dan's table(つくば市谷田部)



 我が盟友のホームグラウンド「Dan's table」にて、ビアガーデンを開きます。小生も、スタッフとして参戦いたします。自然農レシピも、一部に登場予定♪ ドリンク、アクセス、詳細はダンズテーブル、ビアガーデン特設サイトにてチェック!


 ビール好き、夏好き、ワイワイ好き、なんでも好き、全員まとめて、こっち来い。



 ※8月2日は「つくいち」も開催します。
 
   9:00〜14:00はつくいちにGoooo!
  15:00〜21:00はビアガーデンにGooooooo!!
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2009年03月27日

フル

弥生一日 晴れ時々雨

 前職時代の先輩後輩が来園。来園前の午前中にジャガイモ12kgを植え終えて、昼から先輩友人とワインを飲んであーでもこーでも話し、夜は後輩友人と泡盛を飲んであれやこれや無限にアンテナを広げて話す。明日は田んぼ作業だけど、かけがえの無い時間をフルに楽しんで費やす。

 俺は今どこにいて、彼は彼女はどこにいて、フルに生きる。

 感謝して、寝床に着く。



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 庭に咲き乱れるムラサキハナナ。嬉しやこの光景。

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2009年01月15日

贅沢

師走二十日 晴れ

 インフルエンザを鼻の先でなんとか振り払えたと思いきや風邪の初期症状が発症し、それでも大暴れさせることなく力技で追いやって復活した今日この頃。10年来の友人F谷氏が来園した。
 
 奇しくも農に関わることになった友の、新天地のビジネストークを楽しんだ後、自然農から飛躍する、宇宙物理、生命科学、生物行動学、社会心理、人間関係、農、教育、宗教哲学、エロス、地球環境、食糧生産にわたる、無限のテーマをキャッチボールして、脳みそのシェイクを味わう。こだわりとかしがらみとかおせっかいとかプライドとか、くだらないもの全部すっ飛ばして、興味シンシンに忠実な時間。

 自分が興味のあることを通して、どんな小さなことでもいいから真実へ近づいてみる。それを仕事として実践できる可能性があるだとしたら、こんなに贅沢なことはない。そのことにあらためて気づかせてくれた、今日の駄弁りディスカッション。友は、心で握手して、3人の娘を風呂に入れるのだと都内に帰っていった。いい時間、どうもごちそうさま!
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2008年12月21日

たまらん

霜月二十四日【冬至】 晴れ


 長い長い冬至の一日。友人のカフェで、友人と歌って、友人が聴いてくれる。なんでしょうかこの、小さな飽和的な球状の良関係。たまらん。

 精神を集中させた後に開放する歌の喜び、気合いと経験で運ばれてくる美味い料理の喜び、10年来の交友を酒と駄弁りで浪費する喜び。たまらん。

 夜が一番長い日に、朝陽が昇る前まで馬鹿騒ぎして布団に雑魚寝する楽しさを分かち合えるおバカな仲間がいることは、自分の最も貴重な財産のひとつなんだと思い知る。たまらん。


 充足完了して、冬本番に突入。



【冬至】…日南の限りを行て日の短きの至りなれば也(暦便覧)
      ★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=4.9:5.1

      一年中で最も夜の長い日。この日より日が伸び始めることから、
      古くはこの日を年の始点と考えられた。
      冬至南瓜や柚湯の慣習が残る日。
      ※読み:トウジ
      <参考:【室礼】和のこよみ
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2008年12月16日

へそ曲がりつつ

霜月十九日 晴れ

 天邪鬼でへそ曲がりと子供のころから言われていた記憶があり、その性質が顕著に表れるのが、クリスマスシーズンだった気がする。何で日本人でノンクリスチャンなのにキリストの誕生日を祝わなければならんのだ、と。そのくせ、親からの(いやサンタさんからの)プレゼントは甘んじて受け取り、学生時代にクリスマスパーティーを楽しみ、ケーキだって美味しくいただいてきた。
 学生の頃からのサークル活動で、クリスマスにイベントを行うのが習慣にもなっていたせいか、先に述べた個人の偏屈性とは完全に矛盾しながらも、この時期のイベントには体が積極的に反応する。あえて言い訳をするならば、「自分が楽しむ」のではなくて「クリスマスを楽しんでる人たちを盛り上げる」んだという理由付けをして。

 友人のカフェなどで、この時期の集客に力が入るのを見ると純粋に応援している自分がいる。いつもよりなんとなく気分が高揚して、ちょっとリッチに外食したいな、という世間の空気が売り上げにつながってくれれば嬉しいから。


 そんなこんなの今年の年末。大好きなナチュカフェで、クリスマスイベントが開催される。23日と24日は気合のディナー、21日はアカペラミニコンサート付のランチorディナーの開催。


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 21日のアカペライベントには、お手伝いとして小生も参加させていただくことになりました。まずは美味しい食事を、そして付け合せに雰囲気あるアカペラを。


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 ディナーで食べたポークソテー♪  ↑オードブル↑も受付中との事!!  


 いずれも、要予約ですよーーー。
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2008年11月05日

背景

神無月八日 晴れ


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photo by yamaさん



 先週末、四回目のつくいちが開催された。落葉樹が彩りを見せ始めるこの季節、肌寒い朝の時間にもかかわらず、馴染みの来場者や初めての方がいらしてくれていた。天候にも恵まれ、10時も過ぎる頃には秋の陽射しが公園を暖めだして、前日からの心配もよそに芝生やシートの上で早めのランチや休日の午前を楽しむ姿がテントの向こうに見ることができた。

 大学後輩で友人でもあるI君と、同い歳でパン職人のS君から、「つくばにもヨーロッパのマルシェのようなファーマーズマーケットがあったらいいよね。」と話があったのが昨年のこの頃だったろうか。(はっきりとは憶えていないが。)最初からキーワードがエコなわけでも、安心・安全でも、あったわけではない。漠然としながらも、「信念を持って、味や素材にこだわり、お客さんに対して届けたいメッセージがあるような」そんなお店や生産者が集まったマーケットで買い物が楽しめる、そうした市場が定期的に開くことができたらつくばはもっと楽しい町になる。そんな共有のワクワク感とちょっとしたプライドが、つくいちの出発点のような気がしている。

 「背景までおいしい」とは、つくいちのメインテーマである。背景とは、素材の生まれた場所でもあり、育った環境でもあり、加工の手段でもあり、作り手の顔でもあり、さらには届いた先のお客さんの顔でもある、のではないだろうか。それは、言葉だけの安全・安心・環境などよりもはるかに大事な、「来し方」と「行く末」を伝えてくれる、生産者と商品の「物語」でもある。 小手先のエコや、お手軽な安心・安全よりも、もっと大事な、人間の真剣勝負から生み出される本気の「背景」こそが「おいしさ」なのではないかと、そう思うのだ。そうした真剣勝負や想いが詰まった商品が、結果として持続可能な社会への配慮を築いていく。そんな市場がつくばに根付いていったとしたら、そりゃあ楽しい町になると思うんだよね。イーアスなんかではなくてさ。

 定義のしにくい「背景」ではあるが、友人のNさんがシェフを務めるナチュカフェBlogの記事を読んで、まさしくこれこそ「背景」だと痺れてしまった。言葉百遍の想いよりも雄弁に伝えるナチュカフェのソーセージのパワフルな美味さは、まさしく背景までおいしいメニューだったように思えた。

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photo by yamaさん



これからどのようなマーケットへと進んでいくかは楽しみでもあり若干の不安もありながらも、出店者たちの日常に確かな背景がある限り、おいしさは続いていくのだと思う今日この頃。



 そして振り返る、我が田んぼの稲刈り。いよいよスタート。自然農の田畑にも、背景がそこはかとなく詰まっています。

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※この記事の中の「つくいち」へのこだわりは、小生個人の私感であり、つくいち全体の考えを表すものではありません。
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2008年09月21日

目の奥に

葉月二十二日 曇りのち雨

 ナチュカフェさんが、新装オープンして半年を越したこの秋、いよいよディナータイムがスタートする。

 畑作業の後のちょっとしたお手伝いを終えながらの、オープン5日前の夕暮れ。ドキドキ感を隠さない御夫婦と談笑しながら、メニューやお値段のことなども伺った。オードブル、メインの数を揃えると話す御主人に、無知の友人として品数の多さを質問してみた。

「前からやりたかったんですよね。○○○とか。 つくばで他の奴には出せねーぞってやつを出しますよ。」

 いつもの控えめなセリフとは毛色の違う、想いが乗った一言。照れながら笑うその目の奥に、誰よりも自分を知る、静かな炎が見え隠れしていた。そのラフな野心が、たまらなくカッコいいんだな。


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 <dinner image from nachucafe's postcard>
 

 『夜のナチュカフェはパリのビストロ。。』

 ディナーは9月26日からスタート。詳細はこちらを→クリック!


※上記の○○○の答えは、、、お店でお楽しみください♪
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2008年06月25日

一歩を

皐月二十二日 曇り

 自分からの一歩、他人からの一歩、少しずつの一歩が友人という糸をたどって少しずつ編み物が産まれていくようなそんな感覚のこの一ヶ月。それぞれ築いているモノは違うのだが、なぜかスクラムを組んでこの先を歩いていきたくなるような、そんな友人。

 友人の言葉を借りれば、それはお互いの向いている方向や景色がシンクロしているから響きあうのだと。

 その響きによって、自分の一歩が、我々の一歩が、また小気味良く前に進んでいくような感覚。


 牛に会い、木の家に会い、筑波山の裏側に会い、ブルーベリーに会い、そんなピクニックの一日が、また次の一歩を推し進めていく。
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ハントヴェルクさんが一日をまとめてくれました♪



 さあ、田植え、種播き、草取り、収穫。梅雨空はとどまり、時は待ってくれない。5年先と1年先と3ヶ月先と1週間先と。毎日と明日を、自分と自然農の狭間で漕ぎ出す。



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モー。今日はありがとさん。

スナオマルシェについてはまた後日にて。
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