注)記事の日付は太陰暦を用いております

2011年08月31日

故郷の盆

葉月三日 曇り時々雨

 盆にふるさとのいわきへ帰り、祖父母の墓参りと重ねていわきの被災地へ足を運んだ。帰省から半月ほど経ってしまっているが、なるべく私情を挟まず、訪れた地をその日の時系列のままに写真とともに記載することとする。(写真は全て、クリックすると拡大表示されます。)

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 出発前。父がアルバイトで相馬市での現場仕事に就いているため、我が家に放射線カウンターが備えられていた。中国製のその機械は、居間の食器棚の上に置かれ、0.23μSv/hを示している。目まぐるしく数秒ごとに数値は動いていたが、この数値がこの時間帯ではほぼ最大値であった。庭もほぼ、変わらぬ数値であることが確認された。


 家のある小名浜から北上し、小中学生時代に海遊びに出かけた、永崎、江名、豊間を海岸線に沿って車を走らせた。港町に印された被害の爪あとを目に焼きつけるしか術はなく、浮かぶ言葉が見つからぬまま、美空ひばりの碑で名が知られている塩屋崎灯台にほど近い海沿いの集落に車を停めた。津波によって破壊された家や既に取り壊されて基礎のみが残された跡地が、茂る夏草の中に並んでいる。

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 道路からの光景。家の向こうは海。通りから見える家の壁には、「解体撤去」の意向を伝える記述がある。

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 戸窓を失った家屋の中には、生活の名残りをそのままにした食器類や家具類が床板の上に散乱している。奥は砂浜。堤防が破壊され、黒い袋の土嚢が応急の防波堤として並べられていた。

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 土塁の防波堤を越えると海岸線が広がっている。小生が子供の頃に訪れた海水浴の風景は今年は見られない。岬の上には塩屋崎灯台が臨む。


 灯台を過ぎ、薄磯地区へ。海に面したこの地区は、津波によって町のほとんどの家屋が壊されていた。豊間中学校の校庭に山積みに築かれた瓦礫の岡は、屋外プールにまで迫っている。生徒の姿はもちろん、住民の生活する様子はほとんど想像できない。瓦礫屑のあまりの存在には、撤去という言葉すらまだまだ現実的に考えることが難しそうに思われてしまう。

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 瓦礫の奥に見える校舎の時計は、17時25分のあたりで止まっているようだった。津波のせいなのか、停電のせいなのか、もしくは単なる電池切れなのかは、小生にはわかるよしもない。

 
 北上を続ける途中の県道に、セブンイレブンが営業していた。恐らく津波によって四方の壁を流され、店舗としてほぼ機能不全であるにも関わらず、移動販売のトラックの中には冷蔵・冷凍商品が並べられ、店舗の中には野菜や雑貨類が手販売で陳列されている。

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 普段のコンビニとは縁遠い、生鮮野菜がダンボール箱で売られている。がらんどうの天井には、「がんばっぺ とよま」の掛け幕が下げられていた。

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 タバコも、おにぎりも、サンドイッチも、アイスも、店主の意気とセブンイレブンの協力体制によって街道の往来客へ用意されている。外壁が失われた店内の中で笑顔で迎えてくれた店員さんの制服姿が、鮮烈に印象に残っている。

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 誰が置き、描き始めたのかはわからないが、傷跡の残る公衆電話の横に立つ「がんぱっぺ いわき」と書かれた石のようなオブジェ。その奥の店舗の中には、写真やメッセージが並べられた寄せ書きのダンボール紙が立て掛けられていた。


 同じように痛みが残る街道沿いを走らせながらいわき市をさらに北に抜け、国道6号線で行けるところまで車を進めてみた。東京電力広野火力発電所のある広野町と、その北の楢葉町との町境にある「Jヴィレッジ」の入り口で、警備員の方たちによって国道は封鎖されていた。福島第一原発までおよそ20kmのところで、車を引き返すことになった。

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 持参した放射線カウンターを数分ほど手元で確認すると、最低で0.24μSv/h、最高値は0.71μSv/hを示した。


 Uターンして、市内を国道6号に沿って南下する。津波の後に火災が広がった久ノ浜駅周辺を過ぎ、四倉へ。震災以前は国道沿いの道の駅としていわきの新鮮な山海の幸を扱っていた「道の駅 よつくら港」

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 港に面したこのエリアには、津波で打ち上げられた漁船が空き地にまとめて並べられ、海に戻ることなく風雨に晒されている。漁船の並ぶ隣の空き地には、恐らく同様に津波によって破損した乗用車がむごたらしい姿で集められている。

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 道の駅では復興を願って屋台、フリーマーケットのテントが並び、多くの市民で賑わっていた。店舗の中には残念ながらいわき産の新鮮な海の幸は並べられていないが、野菜や果物、加工品を扱う人々の顔は明るく、売り子の声が高らかに響いていた。

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 店舗の前の催事スペースに、震災犠牲者の方々に手向ける碑が祀られている。主催者からの呼びかけで菊の花が手渡され、訪れた市民が顕花とともに祈りを捧げていた。


 いわき市の中心地の平地区から南に下り、住宅地として拓かれた中央台へ入る。震災後、もともと開発予定地とされていた地区に、避難者用の仮設住宅が用意されたという。プレハブ式のモノではなく、地元の住宅会社の意向によってらしく、木材を使用した仮設住宅が広大に建てられていた。

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 仮設住宅での被災した方たちの生活を想像することは易しくはないが、外観として木材の住居が与えてくれた、存外の暖かみに小さな感動を覚えた。


 中央台を離れ、結果いわき市北部の海沿いを一周して、小名浜へ戻った。港湾都市として栄えた時期ははるかに過ぎ、漁港と水族館の町としてこの20数年を迎えていた故郷。シンボルとしての水族館「アクアマリンふくしま」は津波により大きな打撃を受けたものの、7月15日に再オープンを実現させた。周辺の魚市場、物産店も大きな被害を被り、従来の観光客がまだまだ望めない状況は厳しいものの、それでも少しずつの歩みを止めずに前を向いて進んでいる。

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 周囲の土産物店舗では「11月完全再オープン」の表示が掲げられていた。漁港の水揚げは、つい先日に遠洋漁業としてカツオの初揚げがされたばかりの小名浜港。福島第一原発の影響による規制がいつあけるかは誰も予断はできないが、地元の人々は、いわきでとれる海の幸を心待ちにしている。

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 実家の自家用車に張られたステッカー。故郷の全ての人たちの思い。

 その夕、送り火を祖母の家の前で焚き、今年の盆に里帰りされた人々をせめてもの気持ちでお送りした。明日から9月。気がつけば震災から、半年を迎えようとしている。
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2009年03月05日

モゾモゾ

如月九日 【啓蟄】 晴れ


【啓蟄】…陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 冬:春=6:4

     啓蟄とは、土の中で縮こまっていた虫(蟄)が
     穴を開いて(啓いて)動き出す日のことです。
     この時期は、一雨降るごとに気温があがってゆき、
     春に近づいていきます。日差しも徐々に暖かくなってきます。
     ※読み:ケイチツ
     <参考:日本文化いろは事典 & こよみのページ



 雪と曇りが明けて、晴れ日を迎えた。虫がモゾモゾの頃、それが啓蟄。虫と共に、インチキ百姓もモゾモゾと土を這い回る。今日はネギの苗を植え、カブ、ニンジン、小松菜、ラディッシュ、春菊の種を播いた。順々に、作業は慣れだし手際が良くなるようでもあるが、作付する畝ごとに雑草や土の表情が異なるので、やはりその畝に合わせて按配して進めることになる。手間だが、まあなんというか、世話が焼けて可愛いようにも思えてくる。これが農繁期突入するとイイカゲンうんざりさせられるわけであるが。

 さて、お昼もすぎて厚手のインナーを一枚脱いだ頃、雑誌取材のライターさんとカメラマンさんが畑に到着された。「キャリアガイダンス」という、高校の先生(及び高校生)向けの、リクルート社の進路情報誌。いよいよ世の中も高校生にインチキ百姓暮らしを進める日が来たかというわけではなく、「環境を護る仕事」特集の中に取り上げていただくとのこと。なんか説明調だなこの文章。

 といっても高校生に対してナニカ、などと普段考えたこともないので、ライターの、いのうえさんが質問されることにそのまま答えるだけ。こういう場ではよく、自然農を始めたきっかけは、というところから始まるのでいつもは前職や大学時代の話が多くなるのだが、今日は自然と高校時代へも話が遡る。何も考えず、いや何かをモンモンと考えてはいて、その中で目の前の、自分を投影できうることにのみに「はっちゃけて」、それでも、漠然と将来へと漕ぎ進んでいたようには憶えている。その何も形にならない徒手空拳が、大学、就職を経ながら血肉になってきているような気がしないでもない。

 雑草屋での毎日の業いが、環境を護る仕事かどうかは解らない。そもそも「自然環境とは何ぞや?」という問いを小生に叩き付けてくれたのが自然農であるのだから。護るべき自然環境とは何ぞや?人間と自然環境とは何ぞや?それを問いかけながら生きていくのみではあるが、そんな問いを死ぬまで続けられるのだとしたら、それはとてつもない贅沢ではある。

 いのうえさんから取材後にメールをいただいた。

 「小松さんのお話をうかがっていたら、
  自然農と言うのは、大地と人間が二人三脚で、
  互いの力を引き出しあいながら、生きていく姿のような気がしました。
  で、それが、環境と関わるってことの
  本来のような姿のような。 (抜粋)」

 
 そうなのだとしたら、ちょっと、美しすぎますな(笑)。いやはや。こちとらモゾモゾしてるだけですから。はい。

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2008年12月14日

景色

霜月十七日 雨のち曇り

 気持ちの好い脱穀日和となった集合日から明けて翌日、つくばはいつもに増して冷たい雨の朝を迎えた。前日に参加できずに日曜日に作業予定していたプレーヤーの方にとっては、新米が遠のく残念な雨になってしまった。

 雨が上がった遅い午後、農具のチェックと米の様子を見に畑に出直した。ふと、昨日とはうってかわって冷えた空気の中に、筑波山がぐっと近くに迫ってくるようにあらわれた。

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 いつもより少し早いような、筑波山の雪。紫峰の別名を持つ筑波山は、文字通り冬の季節を迎えて色を紫に変える。畑に遊びに来たsちゃんやumeさんペアも、脱穀中止に肩を落としながらも筑波山の淡雪景色を楽しんでいた。
 
 夜、大学の先輩諸氏と夕食。自然農にちなんだわけではもちろんないが、名前に「耕す」の字や「木」や「花」のつく先輩たちと、さっぱりと話した。皆さん、興味だったり必然だったり家族だったり理由はあれど、想いをもって仕事してる話はやっぱり気持ちがよい。愚痴だったり、思い出話だったり、学生の頃のバカやってた糧が、それぞれに血肉になっての今でもある。その頃も、筑波山の頂には雪が被っていたのかもしれないのだが、呆れるほどにそんな情緒ある景色の記憶は残っていなかった。10年以上を経て、山の景色を日ごとに眺める暮らし。やれやれ、今の自分など微塵も想像していなかった自分がいて、さてこの10年後にはどんな景色を眺めているのか。

 いよいよもって、面白く。
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2008年07月01日

7月1日に生まれた男

皐月二十八日 曇りのち晴れ

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 13年前の夏、確かに自分はこの道を自転車で滑走していた。早朝からの作業を終え、数ヶ月ぶりの献血を済ませた午後、つくばセンターから大学を北に貫通する歩行者自転車専用道路(通称ペデストリアン)を歩いた。つくば駅からペデストリアンを北上すれば、大学の終点の先は我が家が目の前である。午後の早い時間から、帰宅途中の小学生に混ざって大学からつくば駅に向かう自転車の学生を多く目にし、今日の日付を思い出した。7月1日はひょっとしたら夏休みなのかもしれないと。1995年に筑波大学に進学した夏、同じようにこの道を何を思うでもなく自転車で往来した自分がそこにいた。時間は過ぎ、人もまた過ぎた後に、何が変わり何が変わらないのかを知りたくなり、家路の途中にすれ違う無数の学生一人一人の顔を追い掛けていた。そしてその面構えは、何も変わりはせず、そして自分もまた、変わってはいないのだった。

 7月1日、筑波大学時代の恩師である故秋野豊先生の誕生日である。全くの偶然にこの日にたまたま大学構内を歩いて、大学時代の自分を想起して、そして秋野先生と少し話をした。

 秋野先生は、1998年の夏、国連タジキスタン監視団政務官として執務中、反政府勢力に襲撃され殉職された。小生自身、大学4年次の7月の出来事だった。
 秋野先生のメッセージは、決して「国際政治に興味をもって、世界平和に貢献してほしい」というものだけではなかった。先生は、学内で会う生徒に「幸せですか?」「よく眠れましたか?」「今何が面白いですか?」と声をかけてくれた。勉強でも研究でもなく、生命は弾んでいますか?と問いかけてくれた。それは今も燦然と肉声となって魂に問いかけられる。
 

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 2008年7月19日(土)、つくばノバホールにて、「秋野豊メモリアルコンサート」が開かれる。是非この機に、人間「秋野豊」に触れる人が増えてくれることを望む。矛盾するかもしれないが、極論を言えば、行かなくてもいいのだと思っている。先生は、メモリアルコンサートに来てくれることを望んでいるわけではない。秋野豊を偲んでくれることを望んでいるわけではない。秋野先生を超えること、追いつくこと、真似することは誰もできない。付和雷同せず、立場や職業などを超えて、自分にも他人にも阿ることなく、「気概」を持って生きることを、先生は教えてくれた。「気概」を持って生きる人間が増えて、世の中が少しでもよくなり、ついでにグッとくるほど面白い世の中になればそれでいいのではないかと思う。どんなに世界の情勢が絶望的なり悲観的であったとしても、世の中を支えるのは一人の気概のあるサラリーマンの日々でもあり、気概のある主婦でもあり、気概のある学生でもあり、気概のある百姓の日々でもあるのだ。

 自分が秋野豊という虎になれないなら、次の世代が虎になればよいのだと思う。虎でなければ龍になればよい。それはコンサートによって築かれるものではなく、むしろその前であり、その後でもある。自分はコンサートに行く。行かない人もいて、行く人もいる。行っても虎にならないくらいなら、行かないで虎になるほうが、険しく素晴らしい。さて、あなたはどうする。先生を知ってるなら、自分の虎の道を歩けばいい。先生を知らないのなら、どんなことをしても、当日ノバホールに来て秋野豊に触れてほしい。

秋野豊メモリアルコンサート 公式サイト チケット絶賛発売中 ※


 大学を休学しての南米放浪から途中で戻ってきた98年の正月、先生からこんなメールをいただいた。


 『そうかそうか、学がけえってきたか。いろいろいい体験もしただろう。今度会うのが楽しみだな。おれは出発まで、少し日本にいそうだ。少なくとももう2週間はいると思う。元気で、秋野虎』


 小生が先生からいただけた、二つのメールの内の一つ、宝物のメール。


 世界は、現実は、生半可な物ではない。だからこそ、その内容と同じくらい、気概が世界には必要なのだと思う。楽しみ、悲しみ、それでも日常を前に進むために。


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2008年04月26日

背中

弥生二十一日 曇り

 前日の金曜日に実家に戻り、祖母の家からビニルハウス用の金属パイプ類もろもろを運んできた。祖父が昨年他界して、裏の畑で放置されていた資材であったものを、祖母にお願いしてつくばで使わせてもらうことにした。長さのあるパイプの運搬は難儀すると思っていたが、父の縁故でトラックを借りて運ぶことができた。いやあ、小松家にすっかりお世話になってますな。

 玉取に移ってから、家族が畑に来るのはこれがはじめて。土曜日なのでプレーヤーの皆さんもチラホラと見える中、ハウス資材を畑の隅に降ろし、なんとか運搬終了。荷を降ろした父には、所用で畑を外す小生に代わって菊芋を植えてもらうことにした。植え場所と、植え方、自然農のいろはを簡単に伝えると、合点も早くテキパキとこなし始めていく。もともとの里山育ちと家での庭作業の蓄積は伊達ではなく、(贔屓目に見て)他のプレーヤーさんに負けずに手際が良い(笑)。これなら安心だとしばらく任せて再び戻ると、五十ほどの植え穴のほとんどを終えてしまっていた。菊芋なんてどう植えても間違いなく芽が出るのという理由もあるが、そのスピードと着実な仕事ぶりに、久しぶりに親父の背中をたくましく思えた。

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 ハウスは梅雨までになんとか見様見真似で組み立て、雨宿りや荷物置き場に利用するつもりであるので、田植えの時期の前の合間をみて時間をとるようにしたい。温室利用ではないので、屋根を覆いたいのだが、天然素材でなんかいい方法ないものだろうか。ヨシズは高いかなあ。
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2008年04月04日

ひと休み

如月二十八日 【清明】 晴れ

【清明】…万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)
     清明は「清浄明潔」を略したもので、
     「万物ここに至って皆潔斎なり」と称されるように、
     春先の清らかで生き生きした様子をいったものである。
     この頃になると、春気玲瓏にして、桜や草木の花が咲き
     始め、万物に晴朗の気があふれてくる。
     ※読み:セイメイ
     <参考:【室礼】和のこよみ


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 陽気は嬉しいが、たっぷりの畝作りが体に堪える。

 週末、祖父の一周忌で実家にちょっと帰ってきます。一日も畑を空けるのが惜しいほど種播きシーズンは到来してますが、休憩も必要。来週頭にはごっそり芽吹いてることを存分に期待して♪
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2008年01月03日

着根

霜月二十五日 晴れ

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 年が越えました。実家では、海の幸が食卓に並び、随分と賑やかな彩りに。野菜だけではこの艶や活きのよさはやはり演出できません。

 天然の命が生み出す彩りの素晴らしさに改めて敬服し、感謝し、満腹した。おだやかで、きびしくて、ゆたかな、地元の正月。

 

 さあ、つくばに戻り、足場を固めていざ戦場へ。

 今年のテーマは「着根」としよう。まずは、そこから。
 どうぞ、今年も宜しくお願い致します。
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2007年08月15日

休息

文月三日 快晴

 祖父の新盆に里帰りし、しばし田畑を離れる。息抜きの実家帰りではあったが新盆の手伝いで慌ただしくも賑やかに飲み食いした数日を経てまたつくばへ戻る。

 帰路、国道を離れて太平洋岸にテントを張り、友人と郷で買った海産物を焼いてビールをあおり、翌日、朝陽を浴びる。

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 数時間後にはそのすがすがしさを消し去るような、記録的な猛暑。なんとも夏らしい、しばしの休息。
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2007年01月04日

発芽

霜月十六日 曇り時々晴れ

 数年ぶりに正月を実家で過ごした。自然農にはまり込んでからなんとなしに親戚筋に顔を合わせづらく、帰郷する時も不義理を重ねて盆と正月を避けて帰ることが多くなっていた。昨年の秋に遊びに来てくれた従兄弟が緩衝材になるかなという助平心と、まがりなりにも農園を始めてチラシやWEBなどで活動が見え始めてきたことを過大評価し、覚悟を決めて大晦日の夕日に車を走らせることにした。


 元日の朝、港町の岸壁の向こうに、だいだいに染まる初日を拝む。慣れ親しんだ、身を引き締める冬の浜風に、初心と決心が洗われるような気持ちになる。今年は、「発芽」の年にしよう。ぽつぽつと芽を吹かせ、根を伸ばし、育つための基を作って、大気を知る、その年。焦らず、徒長せず、枯れぬように。

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 色々な人の期待と想いを背負いながら、魑魅魍魎と観音菩薩の世の中を生きるしかないのだから。そう想いきって、やるしかない。
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2006年11月19日

交差

長月二十九日 雨

 筋肉痛がようやく治まったと思ったら、右足のふくらはぎが軽い肉離れを起こしてしまっていた。先週末の、出身大学の学類(学部)のサッカーチームが開催するOB戦から一週間。晩秋のいつもの行事のツケが今頃回ってくるとは情けない。

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 小降りの雨の中の試合ももちろん楽しかったが、その後の打ち上げも大いに楽しんだ。月並みな表現だが、楽しんだ。ユニークで、バイタリティのある後輩たちとグラスを交わし、ようやく皆の前で恥ずかしくなく自分の取り組みを話せていることに気づいた。まだまだでありながら、つくばという土地で自然農生活をすることで同類の仲間たちに農、自然、食などのキーワードを伝えることができたら。そんな夢も膨らむ夜となった。

 国際関係学と自然農が交差して何かが生まれること。いったいなんだろう。ふくらはぎの痛みと引き換えに得た、小さなワクワク感。心の隅に宿しながら今後を考えていこう。
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2005年01月08日

イノセント

霜月二十八日 晴れ@小名浜

 コタツに潜りながら庭を眺めていると、どうして犬と遊びたくなるんだろう。しかし、いざ寒空の下にということになると、不思議なことに腰に根が生えたようにたちまちコタツから出る気が失せる。どうせそのうちガラス窓越しにこちらを覗く犬の視線にやられてしぶしぶ根っこを断ち切ることになるのだが。
 週末に実家に帰って、よく晴れた南東北の太平洋岸の冬を楽しんでいる。あくまでもコタツの中から。二十数年のあいだ口に慣れ親しんだ雑煮はまさしく実家の味そのもので、どうしても自分ではこの味が出せない。その「オフクロノアジ」の再現の難しさはまるで神秘に近いものがあるよね。
 雑煮で腹を満たした後にうたた寝をきめこむのが幸福のセオリーではあるが、こちらを見つめる犬の黒目の奥に、そのセオリーを打ち破るイノセントを感じてしまい、ようやく腰を上げることにした。玉を転がして取りに走り戻ってくる。ただそれだけなのに犬も俺もなぜこんなに楽しそうに遊ぶんだろう。わはは、犬はバカだなあ。そして、俺もバカだなあ。

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 モモ、疾駆!
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2004年10月10日

男六人衆

葉月二十七日 曇り@つくば

 大学時代を一緒に過ごしたメンバーと共にタイムスリップ。

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 自然農とともに今後もずっと関わりつづけるであろう大事なモノ。



※今年で十周年を迎えた所属サークル … Doo-Wop
  あたたかく迎えてくれて、一緒に楽しめたことに感謝!
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2004年08月08日

飾りに窒息

水無月二十三日 晴れ @小名浜
 いわき市の中心都市、平(たいら)の七夕祭は、毎年8月6、7、8日と自分の誕生日に必ず重なるので、昔から親近感を感じている。商店街の店が軒を連ねて七夕飾りを通りに立て、屋台と飾りの歩行者天国となる。

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 本家仙台には遠く及ばないにしても、身の丈にあった規模、小一時間も歩けば周り終える手頃さがよい。これもまた、学生の頃から変わらぬ風景。ちらほら目に入る短冊のひとつに、『セーラームーンになりたい』とあった。俺は何になりたかったのかな。
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2004年08月07日

港に咲く花

水無月二十二日【立秋】 晴れのち曇り @小名浜
 夏の海辺の夜風は冷たい。涼しい、というより冷たい、というほうが好きだ。暑さもひとしおの夜はその冷たさが最高のデザートになるが、少し曇った日の夜などは冷えが厳しく文字通り冷たい。
 第43回いわき小名浜ミュウ花火、港の夜風と海鮮屋台が溢れる、美味くて心地よい故郷の花火大会に行ってきた。目の前は海、頭の上には花火、右手にはビール、左手にはウニの貝焼き、それがココの醍醐味。浴衣着て、下駄履いて、家路を帰る自己満足度は最高潮。『夏は夜、花火の頃はさらなり』とは枕草子は言わなかったか。


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 花火の写真は難しい
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2004年08月06日

見る阿呆

水無月二十一日 夜 晴れ @小名浜
 ドンドドン♪ドドドドン、ワッセ♪ 
 ハァ〜♪アァ〜アアァ〜♪いわき七浜〜♪

 生演奏のいわき音頭のお囃しにのせて目抜き通りを練り踊る。ここしばらく人通りが寂しい小名浜の街中も、今日ばかりは汗と酒と息でむせ返る。

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※いわき踊りは1981年に産まれた。地元を詠う粋な音頭と誰でも踊れる容易な振り付けでいわき市民に浸透し、広大ないわき市の夏を盛り上げる。年々盛況のようで、まずは好ましい。
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磯に遊ぶ

水無月二十一日 晴れ @小名浜
 小名浜は、その昔は砂浜の伸びる漁民の郷であったが、明治維新からの工業化を経て日本を代表する工業港を抱える町へと変わってきた。今では小名浜の海岸線はほぼ全て護岸工事によってコンクリートの要塞と化し、砂浜の面影はない。
 自分の子供の頃から小名浜の海は砂浜ではなく、工業港と、僅かに残った岬の磯である。今日は子供の頃の夏を思い出して、磯へ降りてきた。もちろん磯は夏休みの家族連れで賑わい、クロンボ小僧はカニを追いかけ、熟練老師は波に浮かんで貝を獲る。

 
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 三崎公園の潮見台より海を臨む

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 海草にむせぶ小名浜の磯
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