注)記事の日付は太陰暦を用いております

2011年10月04日

胸算用

長月八日  晴れ

 昼の日差しだけはまだまだぽっかりと暖かい今日の午後遅く、天気予報で翌日の傘マークを発見し、午前中所用で出られなかった畑に急行した。

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 秋の雨は、季節を足早に押し進める。ここ数日の、残暑呆けの体を平手打ちするかのような冷え込みには少々閉口気味であったが、まだぼんやりと残る暖かさに呑気をかまえ、種播き作業をのんびり遅らせてしまっていた。予想と気候はしばしば裏切られるのがおちであるものの、記憶を辿ればこの時期に降る雨は、秋がぐっと深まるきざしとなるはず。 

 発芽と生育を胸算用して、秋冬ものの葉物野菜たちの種播きを傘マークの前にある程度済ませてしまおうと、つるべ落としの夕暮れまで、少々粗めに作業を進めた。17時半には、辺りはじーんと暗くなり、手元がおぼつかず。数週間前のような気がしていた8月の頃は、まだまだ明るかった気配を残していたのにね。秋分はとうに過ぎたのだね。傘は明日の午後。曇りマークの朝のうちに、もう一仕事進めなくては。


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 暗やむ前に畑からもぎ取ってきたカブとインゲンで肴を作り枝豆を茹で、発泡酒を喉に流しながら自ビールを仕込んだ。醸すには少し気温が下がってしまってきたかしら。そんなこんなの、秋の夜長。
 
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2011年09月24日

Aカップ

葉月廿七日 晴れ

 よく晴れたなあ。冬野菜の種播いて、初秋の陽射しにぐったりと日焼けして、ニヤニヤして枝豆のAカップのふくらみを眺める。

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 今年も来ました。自然農枝豆、3種。木下豆(黄大豆)、みどり大豆、黒豆、2011年度の出荷を控えて、着々と身ごもりはじめとります。10月2日の来月のつくいちにて販売開始の予定。今年の豆畑はなかなか好調よ。もちろん出荷はCカップ以上になってから。

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 詳しくは雑草屋本舗のHPにてご確認を。寝て待て!
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2011年09月23日

飛んできた

葉月廿六日 【秋分】 晴れ時々曇り

 めっきり、秋色の風。足もとの露はひんやりと足袋を湿らせ、畑の草のあちらこちらに来春の種が実り、心地良い気温が絶好の野良仕事をおしすすめる。最後の力を振り絞ってだろうか、蚊の勢いが盛夏よりも激しく、刺さるたびにチクリと痛みを感じる。秋分だというのにまだまだ君達もがんばるねえ。ともあれ、いい季節になってきた。



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 気持ちよい作業ついでに駐車スペースの草刈りもやってしまおうと草むらを睨みつけると、なにやらカラフルなものが目に入る。ヤギがしきりにそちらの方を見ていたので何があるのかと気にはなっていたものの、わざわざ見やることもなく気にもしなかったんだが。はてと近づくと、どこかしらか飛んできたのだろうか、名無しの可愛らしい傘が草葉に隠れてひらいていた。道路からも、周りの民家からも、どちらも50m程は離れており、しかも開いたまま。おそらく台風15号ロウキーがやらかしたんだろうけど、いったいどなたが飛ばしたのか。なかなか手入れも良いし、よく飛んだに違いないね。

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 心当たりのあるお方、たたんで畑の竹竿に掛けておいておりますので、いつでもどうぞお持ち帰りくださいますよう。 
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2011年09月22日

台風、復旧、夏野菜

葉月廿五日 晴れ時々曇りのち雨

 
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 小屋や畑の支柱に少々のダメージ、稲にはほとんどノーダメージにて、台風15号が一過し、夕方の雨とともに肌寒い秋の夜がつくばに訪れた。



 ともあれ、zassouya.com、とりあえず回復しました。しかし、これ、まいったね。
 
 9月上旬から突然「zassouya.com」のドメインが利用不能になり、はなから経費削減で無料レンタルサーバーや格安ドメインホストサービスを利用していたせいもあって、今の今まで復旧作業がおぼつかなかった。否、むしろ今でさえも最低限のこのサイト「毎日が自然農」だけはなんとか表示にこぎつけたが、「つくし農園」と「雑草屋本舗」のサイトは、従来のURLでは表示できずにBlogのURLでの暫定措置に留まっている。何しろ、インターネットの根本の仕組みが実際のところわかっていない。頭での理解が、どうにもこうにもたどり着けずに今でも半分お手上げ状態なのです。

 DNS、サブドメイン、cname、Aレコード、IPアドレス、・・・・・・つまみ食い、ひろい食いしてどうにか無理やり設定しているけど、ぜーんぜんワカリマシェーン。3年前、一体どうやって自力で設定できたのかも覚えていない。

 自然農生活とかいって、こんな感じでネットに振り回されて、何してんのかね。

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 二週間ほど前に、畑で収穫したトマトとルッコラとインゲンとナスで、最高に美味いランチを作って写真をアップしたかったものの、上記のトラブルでできなかったので、今更ながら写真だけでも。残暑がどっぷりと漂っていた午後、原色に輝く美味をビールで流し込む。これぞ、夏野菜のダイナミズム。

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<サラダ>

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<パスタ>
 
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2011年08月31日

故郷の盆

葉月三日 曇り時々雨

 盆にふるさとのいわきへ帰り、祖父母の墓参りと重ねていわきの被災地へ足を運んだ。帰省から半月ほど経ってしまっているが、なるべく私情を挟まず、訪れた地をその日の時系列のままに写真とともに記載することとする。(写真は全て、クリックすると拡大表示されます。)

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 出発前。父がアルバイトで相馬市での現場仕事に就いているため、我が家に放射線カウンターが備えられていた。中国製のその機械は、居間の食器棚の上に置かれ、0.23μSv/hを示している。目まぐるしく数秒ごとに数値は動いていたが、この数値がこの時間帯ではほぼ最大値であった。庭もほぼ、変わらぬ数値であることが確認された。


 家のある小名浜から北上し、小中学生時代に海遊びに出かけた、永崎、江名、豊間を海岸線に沿って車を走らせた。港町に印された被害の爪あとを目に焼きつけるしか術はなく、浮かぶ言葉が見つからぬまま、美空ひばりの碑で名が知られている塩屋崎灯台にほど近い海沿いの集落に車を停めた。津波によって破壊された家や既に取り壊されて基礎のみが残された跡地が、茂る夏草の中に並んでいる。

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 道路からの光景。家の向こうは海。通りから見える家の壁には、「解体撤去」の意向を伝える記述がある。

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 戸窓を失った家屋の中には、生活の名残りをそのままにした食器類や家具類が床板の上に散乱している。奥は砂浜。堤防が破壊され、黒い袋の土嚢が応急の防波堤として並べられていた。

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 土塁の防波堤を越えると海岸線が広がっている。小生が子供の頃に訪れた海水浴の風景は今年は見られない。岬の上には塩屋崎灯台が臨む。


 灯台を過ぎ、薄磯地区へ。海に面したこの地区は、津波によって町のほとんどの家屋が壊されていた。豊間中学校の校庭に山積みに築かれた瓦礫の岡は、屋外プールにまで迫っている。生徒の姿はもちろん、住民の生活する様子はほとんど想像できない。瓦礫屑のあまりの存在には、撤去という言葉すらまだまだ現実的に考えることが難しそうに思われてしまう。

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 瓦礫の奥に見える校舎の時計は、17時25分のあたりで止まっているようだった。津波のせいなのか、停電のせいなのか、もしくは単なる電池切れなのかは、小生にはわかるよしもない。

 
 北上を続ける途中の県道に、セブンイレブンが営業していた。恐らく津波によって四方の壁を流され、店舗としてほぼ機能不全であるにも関わらず、移動販売のトラックの中には冷蔵・冷凍商品が並べられ、店舗の中には野菜や雑貨類が手販売で陳列されている。

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 普段のコンビニとは縁遠い、生鮮野菜がダンボール箱で売られている。がらんどうの天井には、「がんばっぺ とよま」の掛け幕が下げられていた。

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 タバコも、おにぎりも、サンドイッチも、アイスも、店主の意気とセブンイレブンの協力体制によって街道の往来客へ用意されている。外壁が失われた店内の中で笑顔で迎えてくれた店員さんの制服姿が、鮮烈に印象に残っている。

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 誰が置き、描き始めたのかはわからないが、傷跡の残る公衆電話の横に立つ「がんぱっぺ いわき」と書かれた石のようなオブジェ。その奥の店舗の中には、写真やメッセージが並べられた寄せ書きのダンボール紙が立て掛けられていた。


 同じように痛みが残る街道沿いを走らせながらいわき市をさらに北に抜け、国道6号線で行けるところまで車を進めてみた。東京電力広野火力発電所のある広野町と、その北の楢葉町との町境にある「Jヴィレッジ」の入り口で、警備員の方たちによって国道は封鎖されていた。福島第一原発までおよそ20kmのところで、車を引き返すことになった。

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 持参した放射線カウンターを数分ほど手元で確認すると、最低で0.24μSv/h、最高値は0.71μSv/hを示した。


 Uターンして、市内を国道6号に沿って南下する。津波の後に火災が広がった久ノ浜駅周辺を過ぎ、四倉へ。震災以前は国道沿いの道の駅としていわきの新鮮な山海の幸を扱っていた「道の駅 よつくら港」

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 港に面したこのエリアには、津波で打ち上げられた漁船が空き地にまとめて並べられ、海に戻ることなく風雨に晒されている。漁船の並ぶ隣の空き地には、恐らく同様に津波によって破損した乗用車がむごたらしい姿で集められている。

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 道の駅では復興を願って屋台、フリーマーケットのテントが並び、多くの市民で賑わっていた。店舗の中には残念ながらいわき産の新鮮な海の幸は並べられていないが、野菜や果物、加工品を扱う人々の顔は明るく、売り子の声が高らかに響いていた。

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 店舗の前の催事スペースに、震災犠牲者の方々に手向ける碑が祀られている。主催者からの呼びかけで菊の花が手渡され、訪れた市民が顕花とともに祈りを捧げていた。


 いわき市の中心地の平地区から南に下り、住宅地として拓かれた中央台へ入る。震災後、もともと開発予定地とされていた地区に、避難者用の仮設住宅が用意されたという。プレハブ式のモノではなく、地元の住宅会社の意向によってらしく、木材を使用した仮設住宅が広大に建てられていた。

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 仮設住宅での被災した方たちの生活を想像することは易しくはないが、外観として木材の住居が与えてくれた、存外の暖かみに小さな感動を覚えた。


 中央台を離れ、結果いわき市北部の海沿いを一周して、小名浜へ戻った。港湾都市として栄えた時期ははるかに過ぎ、漁港と水族館の町としてこの20数年を迎えていた故郷。シンボルとしての水族館「アクアマリンふくしま」は津波により大きな打撃を受けたものの、7月15日に再オープンを実現させた。周辺の魚市場、物産店も大きな被害を被り、従来の観光客がまだまだ望めない状況は厳しいものの、それでも少しずつの歩みを止めずに前を向いて進んでいる。

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 周囲の土産物店舗では「11月完全再オープン」の表示が掲げられていた。漁港の水揚げは、つい先日に遠洋漁業としてカツオの初揚げがされたばかりの小名浜港。福島第一原発の影響による規制がいつあけるかは誰も予断はできないが、地元の人々は、いわきでとれる海の幸を心待ちにしている。

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 実家の自家用車に張られたステッカー。故郷の全ての人たちの思い。

 その夕、送り火を祖母の家の前で焚き、今年の盆に里帰りされた人々をせめてもの気持ちでお送りした。明日から9月。気がつけば震災から、半年を迎えようとしている。
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2011年08月08日

チリン

文月九日 【立秋】 晴れ

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 過去最低の売上げを記録した8月のつくいち。むん、と熱気と炎天が公園に充満し、客足もまばらに、作物も華やかにはそろわず、なかなかシビアな誕生日となった。それでも馴染みの来場者との会話や、数年来の学友との再会、出店者たちとの雑談も楽しみ、やはり日々是好日を過ごした。

 家に戻ると、実家からは福島の桃の届け物が、会員登録している企業からは雑貨の贈答品が、親友からは風鈴の贈り物が届いていた。35歳。口で言っているうちはただの数字でしかなかったが、改めてこうして文字にしてみて、少々驚く自分に気付く。表面には出てこないが、じわじわと背中をこするような、底の深い焦り。何かが一線を越えてしまったような、得体の知れない不安。と、ネガティブに追いやってみた先に揺り戻してくる、諦観とポジティブシンキング。んなこと言ったって、生きるしかないし、前向くしかないしね。こうした葛藤と日常を正面から乗り越えた向こうに、不惑の域に到達するのかしらね。

 野菜で言ったら今の俺はどんな状態なのやら。根は生やしたか?背丈伸ばしてるか?蕾つけてるか?花咲いてるか?種はまだだな。枯れもしてまい。…あかん、これ以上、自分の歳について何も語ることがない。そもそも、ホントは何も考えていない。誕生日をテーマに、書きたくもないのに、無理やり書いているのだ。
 現実の35歳は、つくいち翌日の今日に休日を過ごしてリフレッシュし、明日から秋冬野菜の種播きに没頭し、また毎日が自然農の迷走生活にどっぷりと浸かるのだ。不安は不安を拡大再生産させる。その愚はせず、楽観もせず、野心と分別を携えて、己れの人生を進め。

 風鈴は、風の吹かぬ部屋の中に吊るしては鳴らず、風のあたる軒に吊るしてこそ涼を伝える。自分の軒はどこか。自分の風は何か。いつしかチリンとひと鳴り、音色を奏でるべく。

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〜秋の立つ 炎天の下 鈴チリン〜
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2011年08月04日

はじめました

文月五日 晴れ時々曇り

 同棲、はじめました。

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 前触れなく、予感もなく、事情と申し込みと好奇心が混ざり合った感じで、八月一日の八朔から、ドキドキの同居生活をスタートさせることになった。今のところ掃除、洗濯、炊事は全て小生が自分の分だけ行ない、相手の方は仕事に忙しく、帰って話して寝るだけの感じではあるが、そこそこに楽しく、まずは平静に過ごしている。

 Hさんは教育関係に在しており、体の動きなどを専門に研究されている。若くて笑顔がキュートで、世話好きで人懐っこく、また情熱的で野心家の一面も持つ。スタイルも良く、大胆な性格のせいか、風呂上りなどに部屋を開放したまま下着姿で過ごしていたりするので目のやり場に困ってしまうこともしばしば。初めてお会いしてから一年程の付き合いであり、月に一度お会いする程度の関係であったが、先月の最終週に急に呼び出され、目をじっと見つめられての熱心かつ軽やかなアプローチに心を動かされ、この度我が家に招き入れることになった。自然農についてはあまり詳しくないようなので、これから少しずつ話していければいいと思っている。ヤギの世話や田畑の作業など、時々に手伝ってくれると言うが、それほど期待もせず望みもせず、できる範囲で協力してもらえたらそれで良い。たまの晩酌の肴として、Hさんとの会話はなかなかに盛り上がり、議論し、感心し、互いに成長できれば幸いである。いつまで続くかはわからないけれど。


 ただ一点、「彼」の居候によって、婚期がますます遅れそうなのが懸念されるんだよね。というか、パートナーがいない同姓同士の共同生活ってストレスなくて意外に楽しそうなのが心配なんだよなー。まあいいか。どうにでもなれ。

 誤解のないように改めて申し上げますが、Hさんは素敵な男性です。


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 ちなみに、晩酌しながらの会話はこんなイメージ。なかなかやりあってます。
posted by 学 at 10:48| Comment(6) | TrackBack(0) | 新しき出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

よかったー

水無月丗日 曇り時々雨

 どっしりと、昨夜の雨がつくばを濡らし、ついに一ヶ月以上ぶりに田んぼに水面が戻ってきてくれた。ここ数日、夜半の雨があがる朝に田んぼに出ては、少しずつ湿り気を蓄えつつある土に一方では喜び、しかし一向に溜まってくれない水に髄分とやきもきさせられた。6月下旬の田植えシーズン真っ盛りからほぼひと月、水位は地面より上にのぼることはなく、スポンジ状の土壌に支えられてはいたものの、本当に雨に餓えていた。小生も、なによりも、稲が。目に見える水位にそれほど左右される必要はもしかしたらないのかもしれない。雑草の根が無尽に生え伸びるこの田んぼは、涸れても涸れても耐え忍ぶ、保水力が備わっている。この空梅雨にあって一度の人工的な注水がなくとも、土壌にひびが入るような乾燥状態になることはなかった。土中に張られた根が、地面を覆う雑草が、刈った後に敷いた枯れ草が、田んぼの水分を守り、蓄え、潤してくれていた。しかし、そうはいっても水田である。水面に稲が映えず、カエルもタニシも逃げ出すような田んぼは少々寂しく、稲の生育、分蘗も、どこかしらスピード感に欠けた様子は、やはりいたしかたないようであった。そこにきての、この、戻り梅雨。よかったーーーー。よかったよーーー。 たまる一方の洗濯物も、干せない布団も、こもる湿気も、関係ねえ。この雨を、この湿潤を、揺れる水面を、いかに待ち続けたことか。

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 もちろん畑にも、雨の喜びが。遅れた小豆の発芽も、蔓を伸ばし始めたキュウリも、喉を渇かせた里芋も、どうぞグビグビと水を飲んでくれ。今日水無月が閉じれば明日は文月の朔日。いつ灼熱の夏に戻ってもおかしくない。潅水もない、ハウスもない、天候に左右される自然農とは、天候の喜びを味わいつくす農でもあるのだ。

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2011年07月24日

虎刈り

水無月廿四日 晴れ 

 昨日、二十四節句の【大暑】を迎え、いよいよ夏本番へまっしぐら。梅雨明けの台風も大雨なく太平洋のかなたに去り、渇水の水無月はいよいよ終盤へ。 田植え後に十分な水位が保てぬ今年の田んぼは、まだまだ分蘗の様子が心もとないが、確かに、着実に、根付いた苗は生育をみせている。その隣に生い茂る雑草たちと競い合いながら。

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 自然農の水田は、田植え後の数週間から一ヶ月以内の草取りが肝要といわれる。根付き、分蘗を進めんとするそのタイミングに、いかに苗の根を傷めず田んぼに入り、かつ雑草を抑えるか。今年は雨が本当に少なく田んぼが渇きの声をあげているが、その分、土はズブズブと柔らかいことはなく草取りには入りやすい。田植え時に刈り倒して丸めて敷いた草を、もう一度ひっくり返して敷き、稲の周囲の草をさっと刈ってやる。田に営む虫たちの住処や餌場をなくしてしまわぬ様に、一度には入らず、一列おきに草を刈る。それもみな、その年の天候、雑草、苗の状況を考え、ああだこうだと試行錯誤していく。毎年繰り返しながら、毎年その度に変化のある景色、様相、作業である。
 昨日までの涼しいうちに三分の二進め、残してしまった三分の一を暑さの取り戻しつつある今日の日中に。一列おきに残した箇所は、また来週、再来週にでも。まるで虎刈りのその田んぼは、自然農の田んぼでは良く見るこの季節の景色の一つでもある。

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 畑では、なんとか種を播き終えた大豆畑の傍に、モグラ対策が功を奏して数年ぶりに実を宿すトマトとナスが一列並ぶ。この、赤いジューシーにかぶりつくのに、いったい何年待ちわびたことか。畑の変遷なのか、対策一つなのかはさておいたとしても、辿り着いたこの感触は、実践した自分自身にしかわからない別の意味での果実なのだ。少しずつ、本当に少しずつ、虎刈り風のいびつな進度かもしれないが、それを知る自分にだけは忠実にありたい。世の中がどうあったとしても。いや、そこまでは大した覚悟ではないとしても。

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<余談>
 ところで、ここ数日で一番の楽しみであった「地デジ難民化計画」。ワクワク全開でTVの前にたたずんだ本日の正午、我が家の20年モノの14インチのブラウン管は全く対策をとらぬまま、平然と地デジ放送を流し続けていました。がっっっっかり・・・。せっかく今夜から半強制的な読書生活が始められると喜んでいたのに。数ヶ月前からTVを据え置きしてしまって、農作業の疲労をビールとバラエティで流すという堕落の夜に浸かりきり、これを機にまた、静かな夜に戻れると思っていたのに。

 どうやら推察するに、加入しているケーブルTV局が自動的にデジタル放送へ対応し、配信しているよう。もしかして、つくば市民でケーブルTV加入の人だったら、地デジ対応製品買わずとも全然大丈夫だったのでは?という疑惑が。電気屋さん、凄い勢いで地デジ商戦やってるの横目で見てたけど、いったいどれだけのつくば市民が地デジ製品買ったのだろうね。 ともあれ、一緒に「地デジ難民」になりましょうと、楽しんでいた皆さん、不可抗力により小生は「地デジ民」になってしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。さて、27時間テレビでも見て時間の浪費でもしよっかなー。と思ったら、もう終わってた(笑)。コパアメリカもなでしこも終わったことだし、今夜のF1ドイツGP観戦が終わったらまたTVを部屋の隅に片付けるのもいいかもね。まだまだ短い、真夏の夜長を夜虫の音色で過ごすのもまた楽しからずや。

 
posted by 学 at 20:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

梅雨明けぬ

水無月十四日 晴れ

 〜梅雨待ちの 肩越え笑う 昇り雲〜

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 実は薄々感づいていた、先週末にやってきたいきなりの梅雨明け宣言。その宣告に張り倒されたかのように、水バテか、PETバテか、はたまたビールバテか知らないが、週明けにぐったりと体が重くなった。まだまだ残した作業はあるのに、などという意志はたちまちに切れ、しばしダウン。この辺り、文化人生活から数年遠のいた感覚は正しいもので、少々汗かいても水は飲まず、飯もそれほど食わず、自分の体感を感じて胃も腎も休ませてひたすら板間で寝ていたら、すっかり回復してしまった。嘲笑うかのように毎日筑波山の奥に立ち昇る入道雲を恨めしく眺めていても、結局夏は来る。 
 
 暑すぎて思考停止。 人は何をもって幸せ感ずるや。 夏の早朝、昼寝、ぐうたらの酒、汗と水浴び。悩み×突破=爽快感? 南無南無南無、全ては陽炎(かげろう)に溶けゆく。ああ、雲は遠く、雨は来ず。
posted by 学 at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする