注)記事の日付は太陰暦を用いております

2015年08月07日

自然体宣言

水無月廿三日 晴れ

 寝苦しい夜が続く。

 明け方3時。トイレに立つ娘が、廊下が暗くて怖いと言って、私を起こした。そのまま自分もトイレに入り、そのまま、ビールを一缶手にして、なんとなしにパソコンの前に座った。


 今日は39歳の誕生日。

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<トウモロコシ越しに日の出を拝む>



 きっと、もうすぐ明ける早朝に畑にでて、汗まみれになる9時前に家に戻り、冷水シャワーでさっぱりし、妻子と計画している餃子&流し素麺パーティーを楽しみ、ビールに酔い、夕方には縁側で寝るに違いない。


 39年生きて手にした幸せ。好物の餃子を150個焼いてあげると腕まくりをする妻の笑顔。きっと奇声を上げて楽しむ長女の姿を思い浮かべながら竹を割って流し素麺の仕掛けを作る喜び。畑の後の水シャワー。移動してから8年目を迎えた自然農の田んぼと畑に、今更ながら改めて具合不具合に感嘆する日々。土が変わっていたり、植物の変遷に目を丸くしたり、毎年異なる気象環境に手業を応じたり。


 この夏、畑の区画の一部を、地主さんにお返しすることになった。お借りしていた地主さんのご家族が兼業の手を広げられるとのことで、借りる以前の状態に戻してお返しすることに。2年前ほどから土や草の様子がぐっと変わり、農地の中で一番今後が期待され始めた区画であった。そのフカフカの土、積み重なった雑草堆肥、豊かな微生物群が生息している土壌環境を、草を刈り倒して、トラクターで耕して、返却する。返却したあと地主さんは、その後の作付けのために、土壌消毒し(微生物を化学薬品で殺菌して無生物状態を作り出す)、化成肥料と農薬を使用した慣行農法で、出荷用野菜を栽培されるそうだ。

 自然農のプロセスは、自然力とそれらの積み重ねが半永久的に存続していく。時間の積み重ねであり、人の手、つまり関わりの積み重ねであり、そして植物動物微生物、気象環境天候全てが絡まりあい、紡ぎあい、折り重なり、その場所、その人の自然農の田畑が作られていく。そうした農の営みなのだと思う。

 それに比べると慣行農(いわゆる現代の化学農法)はどうだろう。いつからやっても、誰がやっても、どこでやっても、何を蒔いても、同じように作物が育つように、物質化工業化単純化経済化して、作物を生産していく。化成肥料ならある程度の確立で同水準の野菜が収穫できるけど、自然農ではその標準化が難しい。自然農ではこうした工業的な標準化を目的としない。複雑系の中で奇跡的に営まれるバランスを、自然と自分の係わり合いの中で探していく、永続的な探求の日々である。

 だからメンドクサイし、マニュアルが無いし、簡単とは言い切れないし、わかりやすくない。
 だからこそワンダーフルだし、一喜一憂だし、一期一会だし、飽きることがない。

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<人参の花 そして種取りへ>


 こうした自然農の日々を過ごし始めて、はや12年。自然農によって触発される、この自然の妙へのワクワクのプロセス。それが高じて、関心は「自然体」へ広がっていく。こころ、からだ、くらし、いのち、全てが自然の理の中に存在している。野生100%という意味での自然とも違い、あくまでも人間としての自然は、周囲の影響を受けながらも、人間にとって心地よい状態を自ずから導き出していくプロセスのようなものである。

 心と身体が自然、もしくは自然体であれる状態とはどんな状態であり、それを実現する手段はどのようなものがあるのか。社会が自然、もしくは自然体であれる状態とは、どんな状態であり、それを実現する手段はどのようなものか。自然農とは、自分にとって食糧生産と自然環境と経済活動が「自然体」に近づくための農の面からのアプローチである。

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<マツヨイクサの蜜を集める蜂>



 農に限らず、身体の使い方、自然治癒力、心の整え方などなど、「自然体」というキーワードで人生を彩っていきたいという想いが止まらないのだったら、それは始めるべきなのかもしれない。そんな職業がないのであれば、武術研究者の甲野善紀氏の言葉を借りれば「今までにない職業をつくる」だけだ。それなら、森羅万象思うままに自然体を探求する研究所でも開いて、自然体研究家にでもなってみよう。

 39歳。自然農百姓、兼自然体研究家の、小松学が生まれました。これからも、どうぞよろしくお願いします。



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2015年05月13日

日照りと雨の合間の奇妙な光景

弥生二十五日 大雨のち晴れ

 
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 雨を二十日以上待ち続けて、昨晩の台風(低気圧)が去り、ようやく、畑に田んぼに恵みが届いた。

 前日の、昨日の畑。実は奇妙な光景に出会っていた。
 
 雨の降らない空が続き、畑はギリギリまで乾燥していた。普段やらない水遣りも、発芽した芽、育ち始めた幼苗を慮り、数日おきにじょうろで給水していた。10日(日)に畑に出かけ、11日は畑には出なかった。そして12日。枝豆、ジャガイモ、スイカ、トマト、トウモロコシ、ことごとくに、これまでこの時期に見たことが無いような異変が起こっていた。

 まさか、乾燥しすぎ??? 誰かに除草剤でもかけられた??? いやいや、冷静に。そんなわけない。記憶をたどる。乾燥で枯れる時はたしか、薄黄色く、干上がるように、ゆっくりと変色していく。除草剤なら、苗の周りの雑草だって影響を受けずにはいられない。特有の、ケミカルの匂いだって感じられない。 この、一気にクッタリと溶けるような、この感じ。  ・・・溶ける? そういえばこの光景、晩秋によく見かけてきた。まるで、霜にでもやられたような。 霜?? 先日の集合日の実習で、「さすがに遅霜はもう来ないでしょうね」と言っていた矢先の、この症状。

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 土日月とイベント続きで、このところ早朝は寝坊してばかりの日々。早朝の霜など確認していたわけも無く、慌てて気象庁のホームページで確認する。

 >>気象庁 - 過去の気象データ【 2015年5月11日(1時間ごとの値)】

 11日の明け方、気温は5度台まで下がっており、おそらく、完全な霜とは言えないまでも、冷たい露が畑に降りたのは間違いなかった。 春から作付けしていた野菜たちは、いわゆる夏野菜。霜に、冷気に、強くは無い。数年ぶりに襲来したこの時期の霜に、畑の幼い苗は、なかなかのダメージを受けていたのだった。誰かに除草剤かけられた?と、動揺して妄想するほどに。


 しかし自然は巧みである。この4月下旬からのまれに見る乾燥が、発芽時期、芽の生育を遅らせ、結果として、苗が大きくなってはいなかった。これが、毎日水遣りして、発芽を促進し、苗を育て、気候に沿わずに育てていたらどうだっただろう。苗は大きくなり、遅霜の被害も、もっと大きくなっていたかもしれない。台風が去った13日。大雨の恵みを受け、湿潤の土と陽気に覆われた今朝の畑には、幸いなことに、既に復活しようとする作物たちの気配が感じられる。そうだ、自然農は、種を蒔き、草を刈り、季節に従うしかできない。 あれこれ考えるのもアリだけど、どこまでも、主人は自然でいこう。


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 日照りがあり、その結果があり、霜があり、その結果があり、雨があり、その結果がある。自然農は、それに耳を傾けることを肯定していくプロセスなのだから。

 
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第二十候: 立夏次候
【蚯蚓出(みみずいずる)】
=みみずが地上にはい出る=
 (新暦5月10日頃〜5月14日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2015年03月27日

体質改善PJ @(体臭編)

如月八日 晴れ

 最近、人には大きな声で言いませんが、かなり色々と、そぎ落としてます。

 そぎ落とすとは小生の中では、人生に余計なものを減らしていく、といった程度の意味で。 

 1年くらい前から、身体を洗うのを止めている。石鹸はほとんど使わず、たまに、お湯とタオルで洗うだけ。さらには、風呂にも毎日は入らなくなった。週に、2〜3度ほど、シャワーもあれば、湯船もあれば、適当に、曖昧に、楽しんで入っている。もちろん、身体と同様に、髪もほとんど洗わなくなった。シャンプーは、ハレの行事で整髪料を使用したときや、焚き火調理などして髪に煙の匂いが染み付いたとき程度。後は(流行の)湯シャンである。時々、温泉とか大浴場に入ったときには、昔を懐かしんで、石鹸でサラーッとなでて洗うこともある。

 結果。実施前よりも、確実に体臭が激減した。いわゆる加齢臭も、ほとんどしない(妻談)。特に顕著なのが、着用する下着や寝具類の匂いが、実施前に比べて、奇跡のように発生しなくなった。水虫の類も、ほぼ消失。冬の間の、肌の乾燥やかゆみも激減した。

 聞きかじりの情報と、推察を織り交ぜての現時点での意見としては、この現象は、表皮の常在菌が活性化して、体臭の元を分解してくれるようになったということだろうか。汗や皮脂、あるいは垢などの老廃物は、生きている以上常に発生する。そして原始以来、生物は、それを当然の生理として、生きてきた。つまり、老廃物が生じることは然るべき現象であって、つまり、それによって悪臭や腐敗が発生してしまったら、生命としては不快であり、生存環境の維持に失敗したとも考えられる。であるなら、生物は、その老廃物をシステムとして処理する方法を取り入れてきたはずだと考えられよう。

 それが、常在菌との共生である。環境中のあらゆる菌類(微生物)は、目には見えないが無数に存在している。そしてそれは、(本来は分類するのも滑稽ではあるのだが)善玉菌や悪玉菌などと呼ばれ、絶妙なバランスの上に立って存在している。人間の生活圏内にも当然菌は無数に存在し、また当然、表皮にも生存している。

 現代のデオドラント文化、清潔文化は、この常在菌を含めた菌類との共生を、徹底的に洗浄、除去、排除することを優先している。おそらくもともとは、ひどい汚れをを取り除くというところから産まれたはず文化であるが、今では、「菌は悪」「汚れは悪」といったイメージで、ときには宗教的なほどに無菌を崇拝する傾向がみられる。

 しかし、匂いの元は、生きている以上絶対になくならない。であるならその排除を試みる取り組みは、永遠に続く。永遠に、日常的に、執拗に、時には脅迫的に。


 ところが、常在菌の存在は、そのむなしい永遠の行為からの脱却を可能にする。なぜなら、常在菌は、その老廃汚物を餌として、二酸化炭素やその他に分解してくれるから。ニンニク臭も、加齢臭も、汗の臭いも、見事なほどに、爽やかに、お日様を浴びた赤ちゃんのような香りに変えてくれる。石鹸、シャンプー、除菌スプレー、消臭スプレーその他ほとんどの清潔グッズを使用すると、悪玉菌はおろか常在菌たちは存在を許されない。そして皮肉なことに、常在菌の永住していない皮膚では、競争相手のいない悪玉菌が先行して繁殖する。その結果、臭いの元だけは皮膚に残り、それが数時間で不腐し、臭いを放つ。取り除いても取り除いても、毎日、生きている限り、老廃物は発生する。毎日、老廃物は表皮にあらわれ、それを取り除き、菌も洗い落とし、また明日も、老廃物は生み出される。

 その輪から逃れようと、除菌スプレーを持ち歩き、香料入り洗剤で洗濯した服を身にまとい、無菌と人口的な香りの中で、つかの間の安心感を得ようとする。

 そのループから、解放されよう。

 常在菌を、ペットのように、肌に飼おう。

 餌代はかからない。自分の肌の老廃物を食べていきている。なによりも、身体の表皮の潤いを保ち、外からの病原菌の繁殖も予防し、なおかつ体臭を改善してくれる。ただ、石鹸とシャンプーを使わない。それだけのことで。

 
 不潔になろう、というのではなく、不要な清潔信仰を見直す、そんな程度のこと。

 まずはその辺りから、身体、変えていかない?



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  キミはいつでも、お日様の香り♪
 
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  「ツバキ」ももう、いらないんじゃない?


<今後の体質改善PJの連載予定>
A歯磨き(口臭)
B裸足(冷え性)
C断食(腸内細菌)
などなど、気ままに記事にしていければと思う。
posted by 学 at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体を見つめる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

幸せとは

睦月廿一日 晴れ

 2015年3月11日。


 昨晩、遅くまで漫画の単行本を読みふけってしまい、7時半ごろに、眠さをこらえながら目を開けた。珍しく午前中に外出予定がある妻の代わりに、次女を毎朝恒例のおまるにセットする。抱えながらも軽く瞑想しながら十数分、今日も次女は快便をひねり出した。小生はといえば、朝飯後に、隣接の林で今日もひとひねり、こちらも快腸である。

 朝ご飯は珍しく自分が担当した。玄米を精米機で三分搗きに精米して、香り米、神丹穂(赤米)をブレンドし、圧力鍋を火にかける。昨晩の味噌汁やスープパスタの残りを活用して、たっぷりのカレースパイスと豆乳をミックス、ノンオイルのカレースープが完成した。後はキャベツを山盛りに千切りして塩もみし、傷みかけのリンゴをスライスして、クミン、ブラックペッパー、黒ゴマをたっぷり利かせて最後にオリーブオイルをひと掛けし、簡単サラダを添えて完成。出発の時間が近づいた妻と長女は慌ただしく朝飯をかきこみ、次女に乳を飲ませて、二人は用事に出かけていった。

 残された小生と次女は、洗濯物を干した後、うららかに陽射しがさす庭にでて、のんびりと春を満喫することにした。

 
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 ゴザを庭に敷いて、アウトドア用の敷き毛布を広げ、その上に次女を転がせる。既製品のおもちゃがどこかしら不自然に思い、庭に落ちていた木の枝を拾い、少し磨き上げて、次女に渡してみた。柔らかいものも、と思い、花が開ききったフキノトウも横に並べておいた。次女の今日の仕事は、大自然の気候の中で、存分に春の訪れを体感することである。

 
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 さて、こちらはこちらで、庭仕事にとりかかる。妻からの提案で、今年は庭も存分に楽しむことにする。観賞用か、たまの子供の遊び場程度しか活用されていなかった庭の奥の築山は、起伏を利用してスパイラルガーデンへ。さらには、キッチン横の庭のスペースをフル活用して、アウトドアキッチンにしてしまおう、というアイデアも。とにかくまずは築山の整備。剪定したままほったらかしにしていた梅の枝を隣の空き地に移動させ、スパイラルガーデンに日が当たるように、上に伸びた柿の木、シイの木、金木犀らを大伐採。伐採した枝の中で、大ぶりなものを採寸し、野外カマド(三点櫓式)の組み木用に加工した。また同時に、アウトドアキッチンエリアを草刈りし、コンクリの床を掃き掃除して、煮炊き用の簡易カマド(スチール製)を設置した。



 次女は時々泣きながらも、庭を動き回る父を探し、笑い、青空と満開の梅を満喫している。

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 昼過ぎに、妻チームが帰宅。庭の模様替えを確認し、おもむろに妻が、「今日、火起こしの練習してもいいかな?」と目を輝かせた。妻はすぐさま台所へ戻り、なにやら調理の下準備を始める。練習というくらいだから、と思い、枝集めや焚き木の準備はあまり手伝わずに、小生は別の野良仕事、小豆と黒豆の唐箕選別に取り掛かる。

 よそ行きの服から汚れ対策完備の服に着替えた妻は、長女と一緒に煮炊きを開始。炊きつけ、火力、色々と心配しながらも、簡易カマドの上に載せた鉄鍋の汁が沸騰し始めた。長女らの歓声があがる。庭に転がされていた次女は昼飯(おっぱい)後は小生に背負われて、唐箕に煮焚きに連れまわされている。

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 小豆の選別がひとしきり済んだ頃、夕日もまだ高く残るうち、今宵のディナーが完成した。レバーと韮の味噌煮鍋に、朝炊いたご飯の焼きおにぎり。(料理の詳細は妻のBlogにて。) 庭で食べよう!と喜ぶ長女の声に応じて、簡単にアウトドアテーブル(ひっくり返した鉢、ベニヤ板、ゴザ)をセット。ワインが飲みたくなってたまらず、キッチンからテーブルワインを持ち出し、少し早めの夕餉をいただくことにした。


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 3月11日。震災の記憶はない長女に、少しだけ地震と津波の話をして、いただきますの前に少しだけあの日に思いを寄せる。


 妻と、初煮焚きの出来とワインに満足しながら、存分に幸福を満喫した。 

 これ以上に思いつく幸福って、どれほどあるだろうか。10ヶ月の赤ん坊が、庭に寝転んで自然の下で春を味わい、庭木を切った焚き木で煮炊きし、青空と梅を見ながら、本当に美味しいご飯を食べる。毎日がこれでなくても、時折にこんな夕餉を囲む幸せがあり、これ以上何を望むのだろう。

 もちろん、夕食のレバーはスーパーで購入し、ワインは遠くチリから輸入されていて、井戸水は電力会社のおかげさまで電気ポンプによってくみ上げ、現代文明にどっぷり浸かりながらの幸せでもある。とはいえ、これ以上、リニアモーターカーを敷設し、原発を再稼動し、インターネット文化に依存し、持続不可能な美食文化を追いかける、そんな未来、本当に、必要なんだろうか。政治家の皆さん、官僚の皆さん、大企業の皆さん、いったい何をそんなに求めるのでしょうか。 国際関係の中で、必要最低限の、国力の確保は、ある程度の規模で考える必要はある。しかし、それ以上の幸福って、今日のこの、我が家の庭での一日以上に、そんなに考え付くもんなのかね。


 同級のエリート諸君たちからも、日本を牽引して来られた先輩方々からも、就職活動に汲々する後輩の皆さんからも、この答えってあんまり聞いたことない。


 みんなは、いったい、何を求めてるの? 


 少なくとも我が家の幸せは、こんな一日が、時々訪れる日々なんだ。
 そう確信しているのです。


 
第八候: 啓蟄次候
【桃始笑(ももはじめてさく)】
=桃の花が咲き始める=
 (新暦3月11日頃〜3月15日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2015年02月27日

解放へ

睦月九日 晴れ


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 早春の雨が田畑を濡らし、今日は春一番。土も、梅も、一輪、また一輪と、花を広げ始めた。

 春を待ち焦がれている、と言ったら百姓らしいだろうか。

 模範的な百姓とは程遠い、小生。厳しい冬風、冷たい雨の合間にのぞかせる、うららかな陽気に喜びながらも、実は内心、ざわついています。春が来たら、ジャガイモ植えないといけない。そもそも、春作業が始まるまでの準備作業も終わってない。作付計画も、なぜだか心が滅入る。

 自然農は好き。今日も畑に出て、若草の芽吹きに、ワクワクもしていた。それと同様に、また今年も始まる野良仕事に、憂いもしている。


 キーワードは、きっと、「身の丈にあった自然農でいたい」ということなんだと、直感している。誰のための自然農なのか。誰のための人生なのか。もっと好き勝手でいい。もっと自分を解放していい。

 今年、2015年のテーマは、「解放」に決めた。

 やりたい放題、したい放題、自然は、いったい、どこまで寛容なのか。そして自分は、どこまで、自分に寛容でいたいのか。ますます、人生を楽しむべく。

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第五候: 雨水次候
【霞始靆(かすみはじめてたなびく)】
=霞がたなびき始める=
 (新暦2月24日頃〜2月28日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2015年02月15日

のぐそ

師走廿七日 晴れ

 ねえキミ、野グソしたことある?
 大地に、「愛のお返し」したことある?
 
 小学生低学年の頃、学校で大をするのが恥ずかしいという風潮があり、どうしてもトイレに入れずに、我慢したままの下校したあの日。家に着く直前に、いつも会うたびに追いかけてくる野良犬(当時はあちこちに野良犬いたなあ)と目が合い、下半身の不調を抱えたまま、いそいそとその路地を走り抜ける。なんとか犬から遠ざかり、あと一歩、家の門が目に入ったその瞬間、どこからともなく訪れた安堵の気持ちとともに緊張の糸は切れてしまった。そんな悲しい思い出が、小生の糞ライフの、いちばん古い記憶である。 もっとも、これは野グソではない。
 
 人生でもっとも記憶に残っている野グソは、古代遺跡のジャングルの林の中で営まれた。学生時代、中米へ旅し、グァテマラのとあるマヤ遺跡に訪れたことがあった。ジャングルの中のその遺跡は、観光地化されきらずにただただジャングルの中に屹立する苔むしたピラミッドや遺跡群が、熱帯雨林の木々とともに雑然と存在していた。下手な野球場よりもずっと広いようなその遺跡には、公衆便所の数など当然限られていた。旅にも食事にもなれ、体調も万全の頃だったが、不運は突如訪れた。
 朝に食した現地屋台で買い求めた、野菜とチーズのピタパンのサンドイッチ。おそらくあれだ。中南米での下腹の不調は急転直下にやってくる。遺跡の真ん中のジャングル然とした林の中から、入り口付近のトイレに駆け込む余裕は、もはや小生には残されていなかった。幸い、午前中も早い時間、あたりに人はいない。南無三と木陰に駆け寄り、遺跡と共に歴史を重ねてきた大地に、身を任せたのだった。
 それが、海外での、嬉し恥ずかし初野グソであった。もちろん、周囲の土を盛り、落ち葉枯れ枝を被せ、匂いや散策の観光客へ迷惑のないように、最大の配慮をして、ピラミッドをあとにしたのだった。

 その後の海外での、不測の事態には、たいがいなんとか対応してきた。外でするほうがまし、というような便所しかないような場所だってある。蚊に刺されることを気にしなければ、案外、大自然には、心地よいスペースが広がっていた。


 それに比べて、ここ日本で、大地へお返しする機会は、滅多に訪れない。小生も、東日本大震災での停電により便所が機能しなくなった数日間、周囲の林の中で用を済ませた以外、自らの選択をもって野グソをすることなど、考えてみたこともなかった。

 その日本、この日本で、野糞歴41年、大地に還した ウンコが一万三千回を数える、偉人が存在する。その彼の名は伊沢正名氏。もはや革命ともいえるその実践者の手にかかれば、野糞という行為は、「大地への愛のお返し」という、崇高な使命に変わる。それでいて風貌は、一介のサラリーマンのような、研究者のような、そこいらにいるメガネをかけた素敵なオジサマ(実に常識人たる格好をされている意味において)なのである。

 昨年、ふとしたことから伊沢さんの情報を耳にして、講演の動画を拝聴した。それから2時間、釘付けとなった。衝撃、であった。そしてその衝撃から一年。ようやく、お招きする幸運に与ることとなった。

 
 何故、ひとは大地から離れてしまったのか。そして何故、いまこそ野グソなのか。

 全てが明らかになる一日。


 あなたにとっての、自然とは、環境とは、エコとは、全ての概念がイチからひっくり返ります。

2/21(土)糞土師 伊沢正名氏 講演会&ワークショップ
=2015年2月21日(土) 開催=

 只今絶賛、参加者募集中!




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 震災時に、隣の林に還した、私の愛の、4年後の姿。本邦初公開。
もちろん、土に埋めてあるので、枯れ葉しか見えないですけど。


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2015年02月13日

前夜

師走廿五日 晴れ

 旧暦に生きているわけではないが、このところ、師走をめいっぱい走っている。
 そもそもが、イベントに奔走したり、インターネットでの宣伝、広報、告知、集客に、向いているわけではない。

 パソコンに向かいメールの文面を考えることと、自然農の畑で春に向けて区画の整理をすることは、いったい同価値なんだろうか。Blogのひと記事ひと記事を追われるように暮らしていくことと、大豆の鞘を叩いて叩いて脱穀することも、同価値なんだろうか。

 いや、そんなのわかっとるがな。

 どっちにしたって、意味も価値も、比べる俎上にない。
 どちらにしたって、経済的な価値の有無については、それが売上に結びついているなら価値があるのだろう。その価値が、自分にとって価値があるかどうかは、これまた意味がないことだ。


 つくいちに野菜を出荷し、開催イベントの広報に駆けずり回り、味噌作りでてんやわんやし、明日はいよいよ、2015年度のつくし農園の開園を迎える。

 今年で農園10年目。この地に移ってから8年目。


 沢山の人たちに出会い、別れ、変わらずに田畑に接していく。


 もっともっと、緩やかにいきたい。年を追うごとに、緩やかにいきたい。
 ガツガツした狼のようでいながら、羊のように草を食んでいたい。

 なんのこっちゃわからんけど。そんな気分の開園前夜。

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第二候: 立春次候
【黄鶯睍v(うぐいすけんかんす)】
=うぐいすが山里で鳴き始める=
 (新暦2月10日頃〜2月13日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2015年02月04日

鬼も福も

師走十五日  晴れ

 「鬼は内!!!」

 叫んだ瞬間に長女の顔が後悔と困惑の表情に溢れ、取り戻すように、振り払うように、「鬼は外!鬼は外!鬼は外!福は内!」と連呼して、我が家の節分はクライマックスを迎えた。


 明日は立春。春が産まれる、冬の盛り。
 満月の節分を迎え、季節の節目を感じながら。


 庭の霜柱は連日のように隆起し、寒さは極まる。田畑からついつい足が遠のき、納屋や縁側に積まれた未脱穀の大豆の山に向き合う日々。そうこうしているうちに、畑の大根や里芋は零下の冷え込みに襲われて傷みが拡がってきた。毎年毎年、寒さにやられることがわかっているのに、ついつい、「今年はまだ大丈夫かも」というアホのような理屈で畑に放置し(作業が後れ)、いくつかの収穫物を、ダメに(=次シーズンの栄養に)してしまう。

 いよいよ腰を上げて里芋を救出したここ数日。今日も長女と二人で畑で作業をして、帰りは久しぶりに裸足ウォーキングで帰ってきた。裸足と言えば1月から、素足月間を過ごしている。靴下重ね履きで冷え性対策を敢行する妻に影響されて、昨年末まで重ね履きを実施していたが、足の爪の感触に急に違和感を覚え、一転して裸足健康法に振り切ってみた。もともと裸足暮らしに薄憧れている身として、無理のない範囲での、裸足での生活。そんな延長で、真冬に外でも裸足ウォークを楽しんだ。太陽に照らされたアスファルトは暖かい、日陰は冷たい、草の上は暖かい、濡れてる土は凍るように冷たい、という生の感触を、5歳の娘とともに体感して、皮膚感覚に刻み込みながら楽しんだ。

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 夕方、毎年恒例に飾る「やいかがし」作りを忘れていて、突貫工事で玄関に飾ることにした。残念ながら枯れてしまった庭のヒイラギの葉は手に入らないため、鬼が嫌う「トゲトゲ」なら同じだと、先日剪定した生垣のカイヅカイブキに棘の鋭い葉が出ていたので、それを使用。鰯の頭も用意できなかったので、カタクチイワシの煮干を丸ごと串刺しにして代用し、なんとか応用編を完成させた。


 そして豆まき。近所のスーパーでほとんど無料配布に近い形で並べていた豆会社の鬼の面を拝借し、夕日が沈んだ庭でいそいそと豆まきステージの演出に取り掛かる。我が家には、父や母が鬼の面を被って追いやられる光景はない。庭の木陰や庭石の奥に潜む(=こちらを凝視する)、リアルに家を襲おうとする鬼に向かって、大豆を投げつけるのだ。もちろん大豆とは、販売用に選別した過程で発生する、虫食いやら殻やらの屑豆たち。すっかり暗くなった庭に、今年は5人(5匹?)の鬼が襲来し、懐中電灯で照らし出されたその面を見つけた長女は、気が動転するのをなんとか抑え、近所に響き渡る大声で、「鬼は外!」を連呼したのだった。

 2月、立春を、毎年のスタートと認識したのはいつ頃からだろうか。いよいよ、また今年のひと巡りが始まる。鬼と共に、福と共に、鬼も福も内に呼び込んで、清濁合わせながらが、我が家の自然農スタイルなのだ。


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↑ 鬼!鬼! ↑  



第七十二候: 大寒末候
【鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】
=鶏が卵を産み始める=
 (新暦1月30日頃〜2月3日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※



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2015年01月18日

カラフル

霜月二十八日 晴れ(木枯らし吹きすさぶ)

 自然農に足を踏み入れて、もう12年が過ぎようとしている。

 米作りも、場所は4転しながらも、1年も絶えることなく12回。毎年、毎年、同じ年は2度となかったが、また米を手にすることができた。育てる場所、育て方、育つ気候、思うように進むわけではないが、慣れてないようでもあり慣れたようでもあり。

 
 1月のとある休日。飲み仲間でもあるプレーヤーご夫妻が前日からの我が家でのアルコール合宿を経て翌日、2014年米の脱穀作業を一緒に行った。米の品種が土に合わなかったのか、分蘖以降の実りが思うように結実せず、残念ながら期待していたほどには収量が伸びなかった。それは一つの来期の課題として残ったものの、そうは言っても、嬉しい嬉しい実りでもある。

 足踏み脱穀機で稲穂から籾を外し、唐箕で風選別して稲藁屑をより分け、精米機で籾を外していく。文章にすれば1行で済むこれらの作業だが、想いはひとしお。と言っておきながら、ついつい12年回目のこの作業に、小生自身としては、(信じられないことに)おざなりになってしまう気持ちが生まれることもある。そんなとき、この日のように友人と一緒に時間を過ごすことで、やはりまた、気持ちを新たにすることができるのだ。あぶねえあぶねえ。

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 友人も、6年目の米作り。昨年よりも手馴れた様子でとんとん拍子に作業は進み、あっという間の2時間弱で、今年の新米が完成した。標準的な刈り取り時期よりも少し早めに刈った友人の米は、実に綺麗なカラフルな彩りとなって現れていた。早採りの未熟米の緑、玄米のベージュ、薄く分搗きされた白、がミックスされた自然農の米が、原色を着こなす友人の食卓へ。


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 どんな作業も、どんな自然も、同じ様子、同じ模様、同じデザインはない。宇宙はカラーに満ち溢れている。さあ今年の米は、どんな彩りを見せてくれるのか。また気持ちを新たに、13回目の米作りへ。



第六十九候: 小寒末候
【 雉始雊(きじはじめてなく)】
=雄の雉が鳴き始める=
 (新暦1月15日頃〜1月19日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2015年01月13日

1405日目

霜月廿三日 晴れ

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 2011年3月11日から、もう、1405日が過ぎようとしている。
 
 今年の最初のBlog。何の区切りでもないし、特に深い意味はないけれど、改めて、あの時起きたこと、あの時生まれた思いを忘れたくないと、全文、当時のまま再掲載することにした。

 2011年3月16日。震災から5日過ぎた日の、そのままの言葉で。


=== 以下、過去記事「震災の先から全文転載 ===

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 2011年3月11日の大地震、大津波による大惨事は、日本人、とりわけ東日本に住む我々に心身ともに大きな爪あとを残している。今なお被災の只中にいる多くの方たちと、つくばでパソコンの前に座っている私にはとてつもない大きな隔たりがあることは間違いない。それでも、いやだからこそ、私にできることは何だろうかと考え、こうしてBlogを綴ることにした。


 「車に荷物は準備したけど、肝心のガソリンがもう半分も残ってない。どうにもわからないけど、もう少しこっちで頑張ってみる」
 福島県いわき市に住む私の両親と姉は、15日18時現在、断水とガソリン不足の中で、TVやラジオから流される災害報道、原発報道のみを頼りに、明日をも知れない不安を抱えている。全くの素人の小生が頭を真っ白にしてネットでの情報収集を重ね、13日には家族に「何が起きてもおかしくない、可能なら入院中の祖母ちゃん(筆者注:2013年に他界)もつれて俺んちに来い」と提案した。上の言葉は、それを受けて、15日に2号機での格納容器破損のニュースが報道された後の家族からの電話だった。今現在、家族は自主的な屋内退避をしながら、事態の収束を待ち続けている。

 大地震、大津波は、天災である。政府批判をしたい人は、それでもなお、災害対策への不備、初動や対応の問題など、人災でもあったと批判するだろう。しかし完璧な人知はありえない限り、完全なる対応などもありえず、つまりどこまで行っても天災の前には人間は無力だということが、少なくとも小生には確信させられた。そして、言うまでもなく「天災」とは、「自然」と全く同じ意味でもある。つまり、人間にとって自然は、結局いまだにコントロールすることができない存在なのだ。地震、津波による都市村落の破壊は、あまりにも強大で、目にした私はただただ恐怖をおぼえることしかできなかった。「あきらめる」という人間に与えられた能力のひとつを、これほど感じさせられたことはなかった。天災、自然の前では、人は全く無力であったのは間違いないのだが、その一方で、そこから立ち直るという意志だけは、天災も自然も人間から奪うことはできない。被災からの復興へ、まだまだその一歩までも遠いような惨状かもしれないが、どんなことをしても、我々人間は立ち直ってみせる。どうか、まずは心身ともに安息が訪れますことを、そして少しでも良好に生活環境が整うことを願い、共に復興させていきたい。自衛隊の方々、警察や消防の方々、救援に携わる全ての人たちの懸命の活動に、ただただ願いを託すしかない。


 原子力発電所について、論じることは私にはできない。今回の地震に発生した、たかだか一昼夜の停電で自身の電力社会への依存を痛感させられた。日本の発電量のおよそ3分の1を供給している原子力発電は、言うまでもなく日本人の生活を支えている。今現在の現状として。それでも環境分野に足を置いてきた小さなプライドとして、心情と認識では原発には反対していたが、しかし現実には、無言で承認していた。自惚れた自我が、「俺が反対したって、他の多くの日本人は電力消費社会の維持を希望している」と偉そうに考え、だったら原発を受け入れるのが現実路線でしかない、と。聞きかじり程度に原発や電力供給の事情を調べてみても、原発に代わるほどの代替発電はまだ現実的ではない、と考えさせられ、さらに巨大な政治も伴う原子力開発の波に、逆らう気力はいつも消し流されていた。

 しかし事態は、一変した。 原子力発電を推進する、崇高な使命感と優秀な科学技術力は、私は心から尊敬している。より良い社会へ、より便利な社会へ、という人間の真摯な探究心が、宇宙開発、インターネット社会、ボーダーレス社会の素地となっていることは言うまでもない。しかし、この大震災で私たちが気付かねばならないことがある。超えられないもの、コントロールできないものが、厳然と、確実に、そしてあまりにも強大に存在することを。

 福島第一原子力発電所では、今までの最大規模の災害を想定して5m(資料によっては7m)の堤防を建設していたという。しかして、この地震で発生した津波は10m以上に達してしまった。地震と津波による連鎖的な事故によって、戦後最大とも言える原発パニックが福島の現地のみならず東京を中心に日本全国を襲っている。では避けることはできたのだろうか。堤防は20mだったら良かったのか、自家発電所を分散していたら良かったのか、海水投入を早めていたら良かったのか、対策は無数に考えうる。しかし全ては想定よりも大きな災害が訪れれば全てのシナリオは無に帰する、それだけは確かなのである。これまでの対策、これからの対策を百万遍考えるよりも、今この危険な現場に文字通り決死の覚悟で作業にあたっている方たちの無事と成功を、どんなに祈っても祈りすぎることはない。研究者、技術者、実行者、全ての知力体力を総動員して、どうか、我々日本人を、日本国土をお守りください。どんな言葉も屑に聞こえるほどの、命を懸けた闘いが行われていることを、感謝し応援するしかない。それ以外の地域にいる我々は、その現実をふまえて、日常を鑑みるしかない。


 我が家の上水は井戸水、電気ポンプで汲み上げている。通電すれば、断水地域よりも優先して水が使えるはずであったが、地震で配管が折れ、16日現在生活配水が使えずに友人知人に頼っている。便意に関しては幸い、庭先、裏庭に余裕があるため、大小に関わらず大地に排泄している。言葉を選べば、自然へ循環させている。南米旅行以来のサバイバルだが、節度を持って穴を掘り、枯葉やチップ屑を被せて、尻を拭いた紙のみゴミ箱に持ち帰っている。まさかの事態ではあったが、蚊のいない季節でよかったと思う程度でそれほど抵抗感はなかった。意地を張って言ってみれば、正体不明の開放感と充足感がみなぎってきた。便利ではないし、解決策ではないのだが、何かが損なわれるわけではなく、考えてみれば、現に飼いヤギの粟子は常に大便小便を大地に垂れ流しているのだ。
 震災当日の停電中の夜、公衆電話を求めてつくば市内を自転車で疾走した。全ての人工光が視界から消え、七日月の淡い月光と、星座の明かりが頭上を照らしていた。わずか150年程前の日本各地には、そんな夜が実際に存在していた。夜は、月明かりと星の光と、わずかな行灯程度で照らされ、無音と虫の声だけが支配していたはずだった。
 都内で地震にあった友人は、麻痺した交通機関に足止めされ、一晩を過ごした後30kmを歩いて帰宅していた。運悪く数日前にマイカーを廃車して、車を失っていた小生は、地震以降どこに行くのにも自転車である。ガソリンスタンドへの行列、車に商品を詰めるだけ買っている人たちを横目で見ながら、自転車で運べる程度の食料を買うしかなく、飲料水は車を持つ知人に分けて頂いた。
 震災から一晩明けたつくば市内では、恐らく停電でテレビもゲームもできない子供達が、芝生畑でサッカーやキャッチボール、凧揚げをして遊んでいた。普段はなかなか見られない、外で遊んでいる光景だった。震災報道を離れ畑でジャガイモを植えてみると、時折の余震を足裏で感じる以外は、おそらく何千年も変わらない農地と百姓のただの日常が広がっていた。


 今の文明があって、今の経済水準があって、はじめて存在意義を見出されている自然農。ただ昔に戻ることではない、「自然」と「人間」のバランスを問い直される時代にあってこその、思想であるはず。現代医学は、生物科学は、無機物から生命を作り出すことを今だ到達できないし、今後も、複製はあっても、改良はあっても、創出はできないだろう。原子物理学、機械工学は、宇宙の研究と膨大なる実験の末、人類に比すれば無限ともいえるエネルギーである原子力を手に入れた。しかし、自然の気まぐれは、その原子力の操縦を、人類から容易く取り上げることとなった。自然は、コントロールできないのだ。人類の知性は、そのコントロールの完成へ99%まで近づくことはできるのだろう。自然を理解し、操縦し、人間の思うように利用することは、文明の積み重ねによってほとんど完了しつつあるように思えていた。しかし、そのバベルの塔は、不幸なことに今この日本で崩落してしまった。我々はきっと、またバベルの塔を再建できるのであろう。以前よりもさらに高く、以前よりもさらに装飾しながら。そしてその塔は、おそらく今回の震災よりもはるかに大規模な被害をもって、我々の上に倒壊してくるに違いないのだ。
 
 自然は、コントロールできない。資源エネルギーは、無限ではない。地球は、人間の存在よりもはるかに大きい次元で存在している。その限度のある器の中で、人類がどうにかして生活していくには、その有限性をどうにか理解し、ある程度の利便性でリミッターをかけ、その中で満足を再生産していくしかない。 インターネットは、Twitterは、YOUTUBEは、人類の空間的自由を広大に広げてくれている。様々な科学技術が、今我々が享受するあらゆる便利さを支えている。それらを過度に失うことなく、それらを無限に追い求めることなく、どこまでが自然とバランスが取れるリミットなのか思考していくこと、それが今からできる最大の災害対策なのではないだろうか。 自然災害は、どんな堅牢な堤防もいずれ必ず突き崩す。 我々にできることは、コントロールできないものに手を出さない、たったそれだけのことなのだ。遺伝子組み換え作物の、人類に対する生物的作用の害の有無は判断はできない。しかし、組み換え作物の自然界への拡散によって起こるかもしれない生物多様性への悪影響(良影響かもしれないが)は、コントロールする術がない。原子力発電が担う電力は、確かに今の日本の産業と社会を支えている。しかし、今回の地震でかろうじて最悪の事故に至らなかったとしても、それを上回る震災が起きる可能性がある以上、原発事故による放射能汚染を防ぐというコントロールは、人類には不可能である。
 原子力で生み出された電気による、LED光とポンプ水循環で栽培された野菜を食べて、エコ野菜っていったいなんなのか。それが太陽光発電ならいいのか。風力ならいいのか。是非は、それぞれ個人が選択するだけである。その自由と責任が我々にはある。どんな社会を求め、どんな未来を求めるかを考えるのならば、そこには必ず、どんな自然環境のもとで人類は存在を許されるのかということを想像しなければならない。

 田舎暮らしなんかしなくていい。自然農なんかしなくていい。電気使う生活から、途中下車なんてできるはずはない。ただ、後始末できないものにまで手を出すべきではないことを、今まさに、それぞれが考える時が来たのではないかと思う。 原子力を即否定することで満足してもしかたがない。今、原発に少なからず支えられている現状を認識した上で、いかに自分達が納得できる文化、社会、経済を志向していけるか。化学肥料と農薬、除草剤、長距離輸送に支えられた食料生産に頼る、大量消費と大量廃棄を続けるのが豊かな社会なのか。金融商品で外貨を稼ぐのもいいし、インターネットで情報配信してもいいし、どんな商売でも優劣はないのだが、自然環境を疎かにし大地から足を離して、動物植物を食べずに生きることはできないのだ。ぼんやりのイメージでも、あいまいな選択でも、今はまだいいのかもしれないが、だがしかし、この震災をきっかけに日本人がどんな未来を描いていくか、それは我々一人一人に明確に課せられようとしているのは間違いない。

 核爆発が起こって死の灰が関東地方に降り掛かるようなことは、落ち着いて情報を精査していけば起こらないはずだと、今の私は導くことにした。最悪の事態による爆発で、たとえ放射性物質が関東地方の上空を漂っていたとしても、それが、死への階段、日本の崩壊とは考えられない。しいて言えるとすれば、それは我々が制御不能の技術を過信し、または判断を放棄したまま電力行政を受け入れ、利便性を追い求めた末の受け入れるざるを得ないリスクのはずだ。被曝の不安は確かに不安でしかなく、健康被害や後遺症などへの心配は減らせるものではないが、66年前、はるかに強力な放射線が注がれた原爆被害を、我々は既に乗り越えている。核の汚染の恐怖は、恐怖には違いないが、その恐怖は永遠ではなく、かならず過去のものとして進むことができる。

 地震と津波は天災だが、原発事故は、天災と人災のミックスである。そのような天災と人災のミックスを引き起こす種は、今の世の中の裏に表に本当に様々な分野に存在しており、原発事故のように個別にわかりやすい例はむしろまれである。だとしたらそれを見抜いて選択していくには、その技術は、その商品は、その便利さは、いったいどのようにして作られ、どのような対価と代償をもって届けられているかを知らなければならない。そして我々はそれを知った上で選択し、生産し、また消費していくしかない。その小さな繰り返しこそが、破滅的な人災のリスクを避ける、唯一の手段なのではないだろうかと思う。

 
 愛しい人、家族、友人と共に、笑顔で暮らし、知的にも身体的にも欲求を追及でき、暴力事件が最低限に抑えられるような社会が営めれば、それでいいと思っている。その欲求のパンドラの箱の管理を、他人に任せるのはやめにしませんか。そりゃ楽して、気持ちよくて、好き勝手して楽しんでられたらいいんだけど、それを続けていたら、被曝の恐怖などに右往左往する今のこの状態がいつかまたやってくる。果たしてガソリンに頼り過ぎない社会、電気に頼り過ぎない社会へと、少しずつ離陸することは可能なのだろうか。政治も、経済も、科学も、娯楽も、ここいらで一度、皆立ち止まって考えてみてはいかがだろうか。

 生活物資、燃料、給水、衣食住にわたり、被災地域の生存者はこんな将来の話では済まされない、明日をも知れない状態にある。まずは国内の総力を挙げて生命の、生活の維持を確保していただきたい。刻々と事態が暗転する原発も、信じられないほどの使命感を背にした現場作業員の努力で、どうにか最悪の中の最善の事態へ導いていただきたい。プロフェッショナルの方たちに身をゆだねるだけの自分をどうか許していただきたい。この苦境を乗り越えた先に、実際の日常をどのように選択していくかが、我々被害を免れた一般市民の、できうる限りの行動なのだと信じて。

 原発の日本での現状を、自分ごととして。
 エネルギーの選択を、自分ごととして。
 将来の選択を、自分ごととして。
 運動とかデモとかそういうものよりも、生活の中で自分ごととして考えていくことが本当の変化に繋がると信じる。


 つくば市の放射線量が安定している今日のうちに、ひとまずチャリンコ飛ばして献血行ってきます。

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=== 以上 (電力事情など、現在の認識とは異なる箇所も多少ありますが、当時のまま掲載しました)===

第六十八候: 小寒次候
【 水泉動(しみずあたたかをふくむ)】
=地中で凍った泉が動き始める=
 (新暦1月10日頃〜1月14日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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