注)記事の日付は太陰暦を用いております

2015年01月18日

カラフル

霜月二十八日 晴れ(木枯らし吹きすさぶ)

 自然農に足を踏み入れて、もう12年が過ぎようとしている。

 米作りも、場所は4転しながらも、1年も絶えることなく12回。毎年、毎年、同じ年は2度となかったが、また米を手にすることができた。育てる場所、育て方、育つ気候、思うように進むわけではないが、慣れてないようでもあり慣れたようでもあり。

 
 1月のとある休日。飲み仲間でもあるプレーヤーご夫妻が前日からの我が家でのアルコール合宿を経て翌日、2014年米の脱穀作業を一緒に行った。米の品種が土に合わなかったのか、分蘖以降の実りが思うように結実せず、残念ながら期待していたほどには収量が伸びなかった。それは一つの来期の課題として残ったものの、そうは言っても、嬉しい嬉しい実りでもある。

 足踏み脱穀機で稲穂から籾を外し、唐箕で風選別して稲藁屑をより分け、精米機で籾を外していく。文章にすれば1行で済むこれらの作業だが、想いはひとしお。と言っておきながら、ついつい12年回目のこの作業に、小生自身としては、(信じられないことに)おざなりになってしまう気持ちが生まれることもある。そんなとき、この日のように友人と一緒に時間を過ごすことで、やはりまた、気持ちを新たにすることができるのだ。あぶねえあぶねえ。

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 友人も、6年目の米作り。昨年よりも手馴れた様子でとんとん拍子に作業は進み、あっという間の2時間弱で、今年の新米が完成した。標準的な刈り取り時期よりも少し早めに刈った友人の米は、実に綺麗なカラフルな彩りとなって現れていた。早採りの未熟米の緑、玄米のベージュ、薄く分搗きされた白、がミックスされた自然農の米が、原色を着こなす友人の食卓へ。


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 どんな作業も、どんな自然も、同じ様子、同じ模様、同じデザインはない。宇宙はカラーに満ち溢れている。さあ今年の米は、どんな彩りを見せてくれるのか。また気持ちを新たに、13回目の米作りへ。



第六十九候: 小寒末候
【 雉始雊(きじはじめてなく)】
=雄の雉が鳴き始める=
 (新暦1月15日頃〜1月19日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

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2015年01月13日

1405日目

霜月廿三日 晴れ

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 2011年3月11日から、もう、1405日が過ぎようとしている。
 
 今年の最初のBlog。何の区切りでもないし、特に深い意味はないけれど、改めて、あの時起きたこと、あの時生まれた思いを忘れたくないと、全文、当時のまま再掲載することにした。

 2011年3月16日。震災から5日過ぎた日の、そのままの言葉で。


=== 以下、過去記事「震災の先から全文転載 ===

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 2011年3月11日の大地震、大津波による大惨事は、日本人、とりわけ東日本に住む我々に心身ともに大きな爪あとを残している。今なお被災の只中にいる多くの方たちと、つくばでパソコンの前に座っている私にはとてつもない大きな隔たりがあることは間違いない。それでも、いやだからこそ、私にできることは何だろうかと考え、こうしてBlogを綴ることにした。


 「車に荷物は準備したけど、肝心のガソリンがもう半分も残ってない。どうにもわからないけど、もう少しこっちで頑張ってみる」
 福島県いわき市に住む私の両親と姉は、15日18時現在、断水とガソリン不足の中で、TVやラジオから流される災害報道、原発報道のみを頼りに、明日をも知れない不安を抱えている。全くの素人の小生が頭を真っ白にしてネットでの情報収集を重ね、13日には家族に「何が起きてもおかしくない、可能なら入院中の祖母ちゃん(筆者注:2013年に他界)もつれて俺んちに来い」と提案した。上の言葉は、それを受けて、15日に2号機での格納容器破損のニュースが報道された後の家族からの電話だった。今現在、家族は自主的な屋内退避をしながら、事態の収束を待ち続けている。

 大地震、大津波は、天災である。政府批判をしたい人は、それでもなお、災害対策への不備、初動や対応の問題など、人災でもあったと批判するだろう。しかし完璧な人知はありえない限り、完全なる対応などもありえず、つまりどこまで行っても天災の前には人間は無力だということが、少なくとも小生には確信させられた。そして、言うまでもなく「天災」とは、「自然」と全く同じ意味でもある。つまり、人間にとって自然は、結局いまだにコントロールすることができない存在なのだ。地震、津波による都市村落の破壊は、あまりにも強大で、目にした私はただただ恐怖をおぼえることしかできなかった。「あきらめる」という人間に与えられた能力のひとつを、これほど感じさせられたことはなかった。天災、自然の前では、人は全く無力であったのは間違いないのだが、その一方で、そこから立ち直るという意志だけは、天災も自然も人間から奪うことはできない。被災からの復興へ、まだまだその一歩までも遠いような惨状かもしれないが、どんなことをしても、我々人間は立ち直ってみせる。どうか、まずは心身ともに安息が訪れますことを、そして少しでも良好に生活環境が整うことを願い、共に復興させていきたい。自衛隊の方々、警察や消防の方々、救援に携わる全ての人たちの懸命の活動に、ただただ願いを託すしかない。


 原子力発電所について、論じることは私にはできない。今回の地震に発生した、たかだか一昼夜の停電で自身の電力社会への依存を痛感させられた。日本の発電量のおよそ3分の1を供給している原子力発電は、言うまでもなく日本人の生活を支えている。今現在の現状として。それでも環境分野に足を置いてきた小さなプライドとして、心情と認識では原発には反対していたが、しかし現実には、無言で承認していた。自惚れた自我が、「俺が反対したって、他の多くの日本人は電力消費社会の維持を希望している」と偉そうに考え、だったら原発を受け入れるのが現実路線でしかない、と。聞きかじり程度に原発や電力供給の事情を調べてみても、原発に代わるほどの代替発電はまだ現実的ではない、と考えさせられ、さらに巨大な政治も伴う原子力開発の波に、逆らう気力はいつも消し流されていた。

 しかし事態は、一変した。 原子力発電を推進する、崇高な使命感と優秀な科学技術力は、私は心から尊敬している。より良い社会へ、より便利な社会へ、という人間の真摯な探究心が、宇宙開発、インターネット社会、ボーダーレス社会の素地となっていることは言うまでもない。しかし、この大震災で私たちが気付かねばならないことがある。超えられないもの、コントロールできないものが、厳然と、確実に、そしてあまりにも強大に存在することを。

 福島第一原子力発電所では、今までの最大規模の災害を想定して5m(資料によっては7m)の堤防を建設していたという。しかして、この地震で発生した津波は10m以上に達してしまった。地震と津波による連鎖的な事故によって、戦後最大とも言える原発パニックが福島の現地のみならず東京を中心に日本全国を襲っている。では避けることはできたのだろうか。堤防は20mだったら良かったのか、自家発電所を分散していたら良かったのか、海水投入を早めていたら良かったのか、対策は無数に考えうる。しかし全ては想定よりも大きな災害が訪れれば全てのシナリオは無に帰する、それだけは確かなのである。これまでの対策、これからの対策を百万遍考えるよりも、今この危険な現場に文字通り決死の覚悟で作業にあたっている方たちの無事と成功を、どんなに祈っても祈りすぎることはない。研究者、技術者、実行者、全ての知力体力を総動員して、どうか、我々日本人を、日本国土をお守りください。どんな言葉も屑に聞こえるほどの、命を懸けた闘いが行われていることを、感謝し応援するしかない。それ以外の地域にいる我々は、その現実をふまえて、日常を鑑みるしかない。


 我が家の上水は井戸水、電気ポンプで汲み上げている。通電すれば、断水地域よりも優先して水が使えるはずであったが、地震で配管が折れ、16日現在生活配水が使えずに友人知人に頼っている。便意に関しては幸い、庭先、裏庭に余裕があるため、大小に関わらず大地に排泄している。言葉を選べば、自然へ循環させている。南米旅行以来のサバイバルだが、節度を持って穴を掘り、枯葉やチップ屑を被せて、尻を拭いた紙のみゴミ箱に持ち帰っている。まさかの事態ではあったが、蚊のいない季節でよかったと思う程度でそれほど抵抗感はなかった。意地を張って言ってみれば、正体不明の開放感と充足感がみなぎってきた。便利ではないし、解決策ではないのだが、何かが損なわれるわけではなく、考えてみれば、現に飼いヤギの粟子は常に大便小便を大地に垂れ流しているのだ。
 震災当日の停電中の夜、公衆電話を求めてつくば市内を自転車で疾走した。全ての人工光が視界から消え、七日月の淡い月光と、星座の明かりが頭上を照らしていた。わずか150年程前の日本各地には、そんな夜が実際に存在していた。夜は、月明かりと星の光と、わずかな行灯程度で照らされ、無音と虫の声だけが支配していたはずだった。
 都内で地震にあった友人は、麻痺した交通機関に足止めされ、一晩を過ごした後30kmを歩いて帰宅していた。運悪く数日前にマイカーを廃車して、車を失っていた小生は、地震以降どこに行くのにも自転車である。ガソリンスタンドへの行列、車に商品を詰めるだけ買っている人たちを横目で見ながら、自転車で運べる程度の食料を買うしかなく、飲料水は車を持つ知人に分けて頂いた。
 震災から一晩明けたつくば市内では、恐らく停電でテレビもゲームもできない子供達が、芝生畑でサッカーやキャッチボール、凧揚げをして遊んでいた。普段はなかなか見られない、外で遊んでいる光景だった。震災報道を離れ畑でジャガイモを植えてみると、時折の余震を足裏で感じる以外は、おそらく何千年も変わらない農地と百姓のただの日常が広がっていた。


 今の文明があって、今の経済水準があって、はじめて存在意義を見出されている自然農。ただ昔に戻ることではない、「自然」と「人間」のバランスを問い直される時代にあってこその、思想であるはず。現代医学は、生物科学は、無機物から生命を作り出すことを今だ到達できないし、今後も、複製はあっても、改良はあっても、創出はできないだろう。原子物理学、機械工学は、宇宙の研究と膨大なる実験の末、人類に比すれば無限ともいえるエネルギーである原子力を手に入れた。しかし、自然の気まぐれは、その原子力の操縦を、人類から容易く取り上げることとなった。自然は、コントロールできないのだ。人類の知性は、そのコントロールの完成へ99%まで近づくことはできるのだろう。自然を理解し、操縦し、人間の思うように利用することは、文明の積み重ねによってほとんど完了しつつあるように思えていた。しかし、そのバベルの塔は、不幸なことに今この日本で崩落してしまった。我々はきっと、またバベルの塔を再建できるのであろう。以前よりもさらに高く、以前よりもさらに装飾しながら。そしてその塔は、おそらく今回の震災よりもはるかに大規模な被害をもって、我々の上に倒壊してくるに違いないのだ。
 
 自然は、コントロールできない。資源エネルギーは、無限ではない。地球は、人間の存在よりもはるかに大きい次元で存在している。その限度のある器の中で、人類がどうにかして生活していくには、その有限性をどうにか理解し、ある程度の利便性でリミッターをかけ、その中で満足を再生産していくしかない。 インターネットは、Twitterは、YOUTUBEは、人類の空間的自由を広大に広げてくれている。様々な科学技術が、今我々が享受するあらゆる便利さを支えている。それらを過度に失うことなく、それらを無限に追い求めることなく、どこまでが自然とバランスが取れるリミットなのか思考していくこと、それが今からできる最大の災害対策なのではないだろうか。 自然災害は、どんな堅牢な堤防もいずれ必ず突き崩す。 我々にできることは、コントロールできないものに手を出さない、たったそれだけのことなのだ。遺伝子組み換え作物の、人類に対する生物的作用の害の有無は判断はできない。しかし、組み換え作物の自然界への拡散によって起こるかもしれない生物多様性への悪影響(良影響かもしれないが)は、コントロールする術がない。原子力発電が担う電力は、確かに今の日本の産業と社会を支えている。しかし、今回の地震でかろうじて最悪の事故に至らなかったとしても、それを上回る震災が起きる可能性がある以上、原発事故による放射能汚染を防ぐというコントロールは、人類には不可能である。
 原子力で生み出された電気による、LED光とポンプ水循環で栽培された野菜を食べて、エコ野菜っていったいなんなのか。それが太陽光発電ならいいのか。風力ならいいのか。是非は、それぞれ個人が選択するだけである。その自由と責任が我々にはある。どんな社会を求め、どんな未来を求めるかを考えるのならば、そこには必ず、どんな自然環境のもとで人類は存在を許されるのかということを想像しなければならない。

 田舎暮らしなんかしなくていい。自然農なんかしなくていい。電気使う生活から、途中下車なんてできるはずはない。ただ、後始末できないものにまで手を出すべきではないことを、今まさに、それぞれが考える時が来たのではないかと思う。 原子力を即否定することで満足してもしかたがない。今、原発に少なからず支えられている現状を認識した上で、いかに自分達が納得できる文化、社会、経済を志向していけるか。化学肥料と農薬、除草剤、長距離輸送に支えられた食料生産に頼る、大量消費と大量廃棄を続けるのが豊かな社会なのか。金融商品で外貨を稼ぐのもいいし、インターネットで情報配信してもいいし、どんな商売でも優劣はないのだが、自然環境を疎かにし大地から足を離して、動物植物を食べずに生きることはできないのだ。ぼんやりのイメージでも、あいまいな選択でも、今はまだいいのかもしれないが、だがしかし、この震災をきっかけに日本人がどんな未来を描いていくか、それは我々一人一人に明確に課せられようとしているのは間違いない。

 核爆発が起こって死の灰が関東地方に降り掛かるようなことは、落ち着いて情報を精査していけば起こらないはずだと、今の私は導くことにした。最悪の事態による爆発で、たとえ放射性物質が関東地方の上空を漂っていたとしても、それが、死への階段、日本の崩壊とは考えられない。しいて言えるとすれば、それは我々が制御不能の技術を過信し、または判断を放棄したまま電力行政を受け入れ、利便性を追い求めた末の受け入れるざるを得ないリスクのはずだ。被曝の不安は確かに不安でしかなく、健康被害や後遺症などへの心配は減らせるものではないが、66年前、はるかに強力な放射線が注がれた原爆被害を、我々は既に乗り越えている。核の汚染の恐怖は、恐怖には違いないが、その恐怖は永遠ではなく、かならず過去のものとして進むことができる。

 地震と津波は天災だが、原発事故は、天災と人災のミックスである。そのような天災と人災のミックスを引き起こす種は、今の世の中の裏に表に本当に様々な分野に存在しており、原発事故のように個別にわかりやすい例はむしろまれである。だとしたらそれを見抜いて選択していくには、その技術は、その商品は、その便利さは、いったいどのようにして作られ、どのような対価と代償をもって届けられているかを知らなければならない。そして我々はそれを知った上で選択し、生産し、また消費していくしかない。その小さな繰り返しこそが、破滅的な人災のリスクを避ける、唯一の手段なのではないだろうかと思う。

 
 愛しい人、家族、友人と共に、笑顔で暮らし、知的にも身体的にも欲求を追及でき、暴力事件が最低限に抑えられるような社会が営めれば、それでいいと思っている。その欲求のパンドラの箱の管理を、他人に任せるのはやめにしませんか。そりゃ楽して、気持ちよくて、好き勝手して楽しんでられたらいいんだけど、それを続けていたら、被曝の恐怖などに右往左往する今のこの状態がいつかまたやってくる。果たしてガソリンに頼り過ぎない社会、電気に頼り過ぎない社会へと、少しずつ離陸することは可能なのだろうか。政治も、経済も、科学も、娯楽も、ここいらで一度、皆立ち止まって考えてみてはいかがだろうか。

 生活物資、燃料、給水、衣食住にわたり、被災地域の生存者はこんな将来の話では済まされない、明日をも知れない状態にある。まずは国内の総力を挙げて生命の、生活の維持を確保していただきたい。刻々と事態が暗転する原発も、信じられないほどの使命感を背にした現場作業員の努力で、どうにか最悪の中の最善の事態へ導いていただきたい。プロフェッショナルの方たちに身をゆだねるだけの自分をどうか許していただきたい。この苦境を乗り越えた先に、実際の日常をどのように選択していくかが、我々被害を免れた一般市民の、できうる限りの行動なのだと信じて。

 原発の日本での現状を、自分ごととして。
 エネルギーの選択を、自分ごととして。
 将来の選択を、自分ごととして。
 運動とかデモとかそういうものよりも、生活の中で自分ごととして考えていくことが本当の変化に繋がると信じる。


 つくば市の放射線量が安定している今日のうちに、ひとまずチャリンコ飛ばして献血行ってきます。

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=== 以上 (電力事情など、現在の認識とは異なる箇所も多少ありますが、当時のまま掲載しました)===

第六十八候: 小寒次候
【 水泉動(しみずあたたかをふくむ)】
=地中で凍った泉が動き始める=
 (新暦1月10日頃〜1月14日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


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2014年12月31日

どうにかこうにか

霜月十日 晴れ

 どうにかこうにか大晦日。大掃除は30日までに済ませておきたかったが、致し方なし、てんやわんやと家族総出で片付けた。

 朝から窓全開で、不精が災いして数年間溜まりにたまった雨戸の汚れを洗い流す。家で一番大きなガラス戸も、玄関の引き戸も片っ端から外しては、ブラシと雑巾、洗剤なしでひたすら磨いていく。

 窓が片付いたら、庭木の剪定。フェンスから道路に伸び放題の生垣の枝葉を、ぐわしぐわしと切り落としていく。時折道路に落ちる大きな枝は娘を呼んで片付けさせ、脚立にのぼり、木にも登り、3メートル近い垣根を、素人なりに、刈り揃える。いや揃ってないが、どうにかこうにか樹勢を落ち着かせる。落とした枝をかき集めて、粟子(ヤギ)の前に置けば、これ幸いと、むしゃりむしゃり平らげていく。家の周囲をざっくり剪定しただけだったが、山積みの剪定葉が積みあがった。これで正月帰省時の粟子の餌には困らなさそうだ。

 剪定を終えると既に夕暮れ前。昼から湿らせて仕込んでおいた稲藁を手に、しめ縄作りに取り掛かる。昨年覚えた手仕事は、数回の練習でだいぶ勘を取り戻し、汗の染みた服が冷えて手先が凍えてくるまでラストスパート。手元も暗く時間もなく、昨年に比べるとだいぶシンプルになった玄関前の注連飾りと、簡易な輪飾りを数本、なんとかかんとか日暮れ前に綯い終えた。

 
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 今年最後の日没を前に、乾燥中の大豆に防水シートを掛けに畑に車を飛ばした。晴れ続きの予報から一転して、今年最後の寒気団が通過して、除夜の鐘を前にひと雨降るとの予想。カラカラに乾かしている大豆の干し場に駆け寄り、沈みかけた西日の明かりを頼りに、大急ぎで雨避けを広げて、2014年の仕事納めとなった。


 妻は妻で、朝から夕まで、一夜漬けならぬ一日おせちに爆走中。合間に洗濯、授乳、片付け、長女の話し相手、全てこなして、年越しそばまで用意してくれた。2015年まであと4時間。合計12品のおせち完成まであと20%といったところ。これから夫婦二人で駆け抜けます。

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 写真は今年の畑で採れた里芋の「白煮」。味見ぱくり、絶品!!



 それではみなさま、どうぞ良いお年を。ぜーはー。

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2014年12月30日

丸められんのか?

霜月九日 晴れ

 白菜ひと玉結球させるのに、7年かかった。小さく、小さく、霜に外葉を枯らしながらその白菜は少しずつ膨らんでいる。

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 今の畑に移って自然農を始めて7年。今年ようやく、友人との共同企画として実験的な試みを試した区画での成果。もしこれまで同様の畑だったら、果たして結球させられていたかどうかはわからない。いやおそらく、できてはいないだろう。

 農のあり方として、技術として、知識として、白菜を結球させることは、今の時代難しいことではない。ではいったい、結球させるために7年掛けることに、果たして意味はあるのだろうか。

 有史以来、人は、自分の望みに適う「自然からの恵み」を、いったいどれくらいの速さでどれくらいの規模で生産してきたのだろう。今私たちが数百円(時期によっては百数十円)で手に入れることができる白菜を、いったいどれほどの年月をかけて育種し、積み重ね、改良し、その知恵を積み重ねてきたのだろうか。

 とはいえ、自然農は、別にそんなことを体感するために行う農法ではない。10年ほど前に小生が自然農に取り組み始めた頃と比べても、わかりやすいテキストになるべき書籍が何冊も発行され、自然農で作物を育てる「方法」が情報化され、技術化され、もしかしたらお手軽になっているのかもしれない。きっと上手な白菜の育て方も書籍の中を探せばのっているはずだし、きっと育つのかもしれない。

 実際にこれまで何度か白菜の種を蒔き、苗を植え、収穫することを夢見てきた。しかし、育たなかった。

 大きく、甘く、形良く、育てるのが目的なら、きっと他にもすべがある。だから、肥料を使ったり、機械を使ったり、農薬を使えば、丸い白菜という結果を手にすることはそれほど難しいことではない。だが、白菜を丸く結球させるのに7年かけてそれを楽しむすべは、自分が取り組んでいる自然農において他にない。

 
 自分の人生を何に費やすか。

 とりあえず今の自分は、これからさらに数年かけて、無肥料、無農薬、不耕起の自然農で白菜を上手に育てることを一つのテーマに生きてみる。それは決して生産的ではなく、活動的でもなく、ポジティブでもスピリチュアルでもなく、ただの、流れみたいなものなのだと思う。それで金を稼ぐとか、名を成すとか、国家を背負うとか、日本をよくするとか、そんなもん関係なしに。
 
 インターネットや雑誌やFBの中で声高に世界や日本や社会や人生を息巻いて話す人々の声を聞きながら、お前らは、肥料なし、トラクターなし、農薬なしで、白菜丸められんのか? と思っていた。「いや別に育てなくていーし」と言う声も聞こえてきた。 そして来年の俺、白菜丸められてる?

 2014年、最後の雨上がりの畑に出て、まだまだ決して丸まっていない、中途半端な白菜をながめながら。


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  明後日の新暦1月1日は、七十二候の「雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)」。 とりあえず、麦は生えたぞこんちくしょう。


第六十七候: 冬至末候
【 雪下出麦(ゆきわりてむぎのびる)】
=雪の下で麦が芽を出す=
 (新暦1月1日頃〜1月4日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※



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2014年12月08日

うまいんだもん

神無月十七日 晴れ

 野菜がうまいなあ。


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 今年初めて育てた金カブを、さっと炒める。えもいわれぬ甘さと香り。自然農だから旨いのか、この種のもつ旨みなのか。

 傷物のアピオスとその蔓(根の茎?)を、香ばしく炒める。口に広がる、アーモンドのような、栗のような、風味満点のアクセント。 そしてそのカブとアピオスを絡めて絶品チャーハンに♪ あーうめー。

 ようやく育ち始めてくれた人参。粗野で、猛々しい、これぞ人参といった、甘みとエグみが混ざった存在感。

 大豊作の里芋。小芋はから揚げして、熱々をビールで。親芋はねっとりと甘辛く炒めてこれもビールで。

 プリプリに太ってくれた生姜は、小生は玄米酢とキビ砂糖で甘酢漬けを仕込み、妻はスパイス4種をブレンドしてジンジャーシロップを仕込む。辛さが鮮烈に漂う、これぞ自然農の生姜
 
 生でも焼いても炒めても煮ても揚げても旨い、さらには血糖値を下げて便通まで良くする、魔法の健康野菜、菊芋。

 
 一つの野菜だけ(金カブ)をクローズアップして褒めちぎろうと思ってたら、後から後から書かずにはいられない野菜たちの脳内主張。


 12月を過ぎて連日霜が降りはじめた畑には、霜にグッと引きしめられた冬野菜たちが今や遅しとこの口に入ろうと待ち構えている。ああ、乾燥中の大豆もそろそろ、丸々と乾きはじめてるだろうなあ。いったいお前ら、これからどんな主張おっぱじめる気なのよ、まったく。

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 まずは自分たちで。そしてお裾分けを縁のある方たちへ。たぶん、自然農のある暮らしって、そういうスタンスでいいんだと思う。 だって、うまいんだもん。
 
posted by 学 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 食の喜び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月28日

どんな出会いが

神無月九日 晴れのち曇り 

 雑草屋として、本人たちも忘れかけたような頃に、ぽつり、ぽつりと、自然農を体験したいという方たちが我が家を訪れる。農作業の手伝いを日長たっぷりしてもらい、夕食を囲み、団欒し、また朝から自然農の田畑へ。 思い思いに、草に囲まれた農園での一日を過ごし、自然農を縁とした一期一会を楽しんで、また日常へ戻られていく。

 LONOF(Local Oppotunity on Natural Organic Farm、ロノフと呼んでください)は、WWOOFに敬意を表して一部スタイルをお借りした、雑草屋が展開する自然農体験宿泊の取り組みだ。数年前から、誰にも知られず、ひっそりと始めていた試みではあるものの、これまでに計八名、複数回こられた方も合わせると、延べ十名のLONOFer(ロノフ体験者、通称ロノファー)がおみえになり、自然農の農作業と、我が家での滞在を過ごされた。

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 今年の夏の終わりのころ、珍しく立て続けに二名のLONOFerが来訪した。それぞれの滞在に、我々夫婦もともに刺激をいただき、長女も次女も可愛がってもらい、ささやかに賑やかな日常が我が家に訪れた。滞在中の楽しいあれやこれやも綴るのも良いのだが、それよりも、お帰りの際に記していただくノートのメッセージを引用するほうが、様子をお伝えするのに最適かもしれない。

 自然農だけに限らず、【話す聴くWS】【食事】【夫婦がお互いを大切に思い合うということ】など、たくさんの生きるヒントをいただきました。まずは自分が自然体に。そしてその波動がゆっくりと広がっていくように。自然農に出あえ、たずさわれていることと味わいながら、ゆっくりと生きていきたいと思えました。(ノートより一部抜粋)

 それにしても、ああやって一緒に畑仕事して、ごはん食べてお話して、日々の暮らしの中に人を迎えられるっていいですね。いつか私もやりたいな〜。おいしいご飯とお酒とおしゃべりと畑仕事とでおもてなし、本当にありがとうございました。(ノートより一部抜粋)


 こちらこそ、ありがとうございました。さて次はどんな出会いが待っているのやら。わくわく。



※LONOFについてはこちらから ⇒ LONOF(ロノフ)大募集!のページ


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 そんな今日、珍しく日帰りのLONOFerさんが来園された。ワークショップへの問い合わせが縁で、LONOFに興味をもって来てくださった方。作業しながらの話は尽きず、あっという間に夕方を迎えての帰宅の折。イタリアンのお仕事をされていたとのことで、帰り際に、さりげなく、かつ衝撃的に、ゴルゴンゾーラとリンゴの手作り(!)ケーキをいただいてしまいました。 

 偶然、先日姉からもらっていたボジョレー・ヌーボーに合わせたら、とてつもないマリアージュ♪ Mさん本当にありがとう!!

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 さて次は、どんな出会い(笑)が待っているのやら。わくわくわく。

  
LONOFについてはこちらから ⇒ lonof_ban.jpg




posted by 学 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 新しき出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

家族

神無月六日 晴れ
 
 夫婦と家族は違う。明確にそう思う。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 先日、小生の両親が、孫の顔を見に我が家を訪れた。孫を喜び、あやし、外食し、そしてまた実家に帰っていった。TVもない我が家での時間は両親にとってはどこかしら手持ち無沙汰であり、退屈であったようだが、孫と過ごしたからそれだけで満足はしたようで、また年始に会う雰囲気を共有して、するりと帰っていった。
 
 息子の自然農の畑にはさほど興味もわかず、娯楽はほとんどないが絵本だけはアホみたいに並んでいるリビングの子供本棚にも目も向けず、なんとなく過ごし、それでいいのだ。

 おそらく両親たちは私たち夫婦の選ぶ暮らしに対して、幾ばくかの(きっと大いに)違和感を感じているだろう。我々も、愛情の表現として常に「何か買ってあげる」と消費に向かう両親の好意などに、幾ばくかの違和感を感じ、しかしありがたく受け取っている。そこには、違和感もあり、それと同時に、理屈を超えた共有感が確実に存在している。

 きっとまた年始に、子供を連れて実家に帰省し、同じような違和感と共有感を楽しんで過ごし、そうして家族の思い出が積み重なっていくのだろう。そして同じことが、我が子たちと私たちの間にも、きっと繰り返されていくのだろうと思う。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 かつて、共同体としての継続、繁栄を目的に、家と家のつながりを最優先に交わされてきた夫婦であり家族という時代があった。その頃、社会では、おそらくその二つは重なり、同類の概念で育まれてきたはずだ。

 現代、そしてこの国で、恋愛を含む、個人間の契約という性格がほぼ大半をしめる結婚という結びつきにおいて、夫婦と家族が同じ括りにあるとは思わない。
 夫婦とは、出会いがあり選択があり葛藤があった末の、「一緒に暮らす」という合意を経た共同生活者である。一方、夫婦以外の家族、つまり父であり母であり兄弟であり子であるいわゆる血縁者とは、合意なしに強制的に(ある一定の期間を)「一緒に暮らす」ことを余儀なくされた共同生活者なのである。

 その意味では夫婦とは、曲がりなりにも、趣味や性格や価値観などで、あるレベルの共有が前提であるため、かつ自身の選択も背景にあるので、「一緒に暮らす」ことは意思と責任が伴い、多少のすれ違いや違和感があったとしても乗り越えていける理論的な根拠が存在する。

 しかし夫婦以外の家族はそうではない。そもそもが個性としてそれぞれ別個である個人個人が、たまたま血が繋がっているというだけで「一緒に暮らす」ことを社会的に強制されているに過ぎない。その共同生活には、価値観の共有や性格の一致などの、一般的に心地よいとされる人間関係においての前提条件が、実は存在していない。そして、このことを指摘することは、なにかしらのタブーのような雰囲気があり、そこまで取り上げられることは寡聞にして多くない。
 
 それでも、家族は家族である。そして、だからこそ、家族なのである。

 
 それは、「愛」だから、ではない。愛ももちろんあるだろうが、今ここで、そのことについては触れるつもりはない。
 当たり前ではあるが、家族だからといって、価値観も、性格も、趣味嗜好も、決して同じなわけではない。それどころか、「どうしてこの親から自分が?」「父親のあんなところはどうしても我慢できない」「兄弟でどうしてこんなにも性格が違うのか」など、家族間での違和感を感じることのほうが、共有感よりも多いのではないだろうか。

 それでも、この両親に生を受け、育てられ、ともに暮らし、そして子を授かり、育て、暮らしていく。そこに、理由はない。その理由は、家族だから。


 その「家族だから」という言葉に、理屈や説明や理解を吹き飛ばすような力強さがある。

 一人一人にとって、家族は全く違う意味をもって存在している。大好きで、仲良しで、性格も似ていて、一緒にいて何の苦痛もない家族もあるだろう。離れていても、思えば懐かしく愛おしく感じ、時々声も聞きたくなるような関係もあるだろう。一緒に暮らしてはいるが、顔を合わせれば文句を言ってしまったり、無言ですれ違い、歯車が合わないような家族もあるだろう。性格が合わないし、会えば不平不満を言ってしまうが、なんとなく助け合っている関係。1年に何度も電話もしないのに、正月は必ず実家で過ごす繋がり方。

 そのそれぞれの家族のあり方に、実は、価値の優劣はない。なぜなら、先に述べたように、夫婦間とは異なり、血縁関係の家族とは、社会として有無を言わさずに自分の選択なしで「強制」された共同生活者であるという性格があるからだ。

 家族と仲良しなことに明確な理由もなければ、仲が悪いことにも明確な理由はおそらく存在しない。それは、たまたまであり、運であり、あるいは努力もあり、愛でもある。家族関係を良好に継続にすることは、個人で選択できるが、そもそもの個性の差異については、選択できるものではないからだ。

 だからこそ、私たちは家族関係に悩み、憂い、喜び、安堵する。それはその人にとって本当に大切なテーマなのだけど、実は、思い切って宣言してしまえば、家族なんて、ただの血が繋がってるだけの他人だと言ってもいいのだ。

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 つい今年の夏まで、自分はなぜ、あの家族の中で育ったにもかかわらずここまで趣味嗜好行動選択の異なる個性が生まれ育ったのだろうかと、どう考えてもわからなかった。それがこの夏、何がきっかけだったか詳細は忘れたが、自分という個性がこの家族だったからこそ確立したのだという確信にたどりつくという大転換が起きた。

 親友とのたわいもない(いや、結構ディープなトークかな)対話の中で、母親の「ありのままスキル」が異常に高いことに気がついたことがあった。教育や子育てに対して何かしらの哲学や理念がきっと深くはあるわけではない母であったが、彼女はおそらくありのままで私に接していた。自分がしたいことはするし、合わないことはしない、世間に流されもするし、不平不満も言う。美食も楽しみ、教育ママにもなり、夫に従いもし、口げんかもする。当たり前のような気もするのだが、そこで自分を抑えて理想の母親らしく振舞おうとしたり、夫の顔色を伺いすぎたり、子供の機嫌をとったり、という母の姿を目にした記憶がない。自分がきっと母から受け取ったバトンは、その「ありのままスキル」なのだった。一般企業を退職し、自然農を隣に置いた暮らしをし、世間一般の価値観にそれほど気を置かずに、そのお陰で今の多少でも幸せな自分が彩られているのだとしたら、それは、母がいたからこその、母がありのままで自分を育ててくれたからこその、私なのである。価値観や趣味嗜好に、断崖のような壁があったとしても。つい最近まで、公務員就職の夢を息子に抱いていた母だったとしても。

 それまで母と自分を個性の異なる理解しがたい血縁者としていたが、以来、この母にして我あり、という奇妙な連帯感も(勝手に)生まれている。そして同時に、以前とほとんど変わることなく、価値観の違いにモヤモヤしながらの、親子関係(家族関係)が続いていくのである。

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 あらためて話すほどのこともない気もするし、しかしよくよく考えてみれば無限に話すこともあるような気もしてくる、「家族」についての思い。

 そんな「家族」をテーマにして、12月の「話す・聴く・気づきのワークショップ」を過ごしてみます。誰にでも当てはまるテーマだからこそ、あらためて話して、聴いてみたい。そんな方、お待ちしています。

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photo image taken by ikki


第21回 話す・聴く・気づきのワークショップ
=2014年12月20日(土) 開催=

 今回のテーマは【家族 (親子・夫婦・一番近い他人)】です。
 参加者募集しております。



posted by 学 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 故郷の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月26日

晩秋アンダー雨

神無月四日 雨

 旧暦の神無月。前の月周りが閏月(閏月については過去のBlog記事「うるうづき」参照)であったせいか、例年よりも神無月が遅くやってきて、どこかしらのんびりとした秋の歩みを感じていた。さて月が明けて四日。数日前のポカリとした陽気に油断していたら、いよいよ季節を一歩も二歩も進めるかのような、冷たい雨が訪れた。

 晩秋の雨はやっかいだ。米に、豆に、刈り進めて天日で干して脱穀にどんどん移りたい作業を、そうはさせじと足止めさせる。かろうじて、雀の攻撃を恐れて例年よりも早く刈り終えたかった稲は、今日の雨の予報に肝を冷やして、前日に車のライトを利用しながら夕方遅くまでかかって、すべて刈り終えることができた。その分後まわしになって畑に佇んでいる大豆たちは、おそらくこの雨の過ぎたあとの空っ風に煽られて、鞘を勢いよく弾けさせて畑に豆を飛ばし落とすことになるだろう。先に刈って干し始めている枝つきの大豆たちも、一旦はブルーシートを被せて、雨を避けて一休みといったところである。
 
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 その一方で見方を変えれば、雨ならば、と重い腰を上げて別の作業に取り掛かるチャンスにもなる。雨の強まらないうちに畑で掘りあげた里芋や生姜を、雨脚の強まった庭のテラスの軒下に腰をかけて井戸水で洗っていく。晴れるとついつい畑での作業を探してしまう自分にとっては(そして出荷をお待ちいただいているお客様にとっても)、恵みの雨と言えなくもないのだ。 

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 このところの季節の追い込みですっかり冬に近づいた畑だったが、冷たい雨は、さらに畑の色を変えていくだろう。朝の冷気と重なって雨に濡れる草々たちの、その色は実に淡いものであるが、しかし意味合いの濃い、今年のひと巡りを閉じようとするメッセージが込められているような、そんな色であるような気がして、ついついカメラを向けてしまう。

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 晩秋の冷気にあたった未成熟のトマトが、いったいどうやってその命を閉じていくのか。そんな、現代社会ではまるで取り沙汰されることもないだろう出来事を、トマト好きの人間のうちいったいどれほどの人が見たことがあるんだろう。自然農の畑の中で雨に打たれながら枯れゆこうとしているライトグリーンのトマトの実をながめ、ふとそんなことを考えて、その考えもすぐにどこかへ去り、また庭の芋洗いの作業に戻った、雨の下の晩秋の一日。

 
 
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2014年11月23日

アート爆発

神無月二日 晴れ

 秋はスポーツとはいえ、つくばマラソンランナーを、娘とヤギと共に筑波大学で見物してそのまま畑へ。娘はマラソンに数ミリほど感化されて、この日はよく体を動かし、田んぼの畦道を3周したり、畑の空き地を10往復走ったり、その程度の、スポーツの秋。


 秋は芸術も。芸術といってみても、毎日が畑と田んぼ。幸いにも自然農、見歩けば、自然の造形はあちらこちらに。

 田んぼには、稲刈り最晩期の水田の足元に、あちらこちらに鳥の足跡。籾を啄ばみ、はたまた虫を啄ばみ、湿り気の残る泥の上に、くっきりと文様を描いて残す。あまりにも原始的で、かつ即興的な、プリミティブアート。

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 刈った稲を干せば、そこには神々しさにも近い、稲穂と稲藁の組み成す造形美。逞しさ、猛々しさ、芳醇さ。ここに極まれり。

 
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 畑では、大豆を収穫しては、いそいそと干し場に並べていく。山のように、ピラミッドのように、積み重なりのフォルムが可愛らしく。

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 自然のアートに負けず、娘もひと作品を畑に添える。ペットボトルを親子で工作した風車に、青空の下でマジックペインティングを施す。夕刻、大豆の干し場に隣接したひと隅に、大豆を狙うカラスを追い払うに迫力十分の、極彩色の風車が飾られたのであった。感性を、なかなかに爆発させて。

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 あまりにも出来がよく、裏からも一枚。

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 こうして自然農の秋も満喫するのである。材料費ほぼゼロ、交通費ゼロ、観光費ゼロ。娘よ、すまん!



 
posted by 学 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

真ん中

閏長月廿日 曇り

 自然農ライフ。

 いったいなんのことやら。種を蒔き、草を刈り、収穫して、お裾分けする。
 時に人を招き、体を動かし、話し、思う。起きて、食って、歩いて、仕事して、愛して、呑んで、寝る。
 それだけのことだ。いや、それだけのことか?

 この日々の真ん中には何があるのか。

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 今月、10月いっぱい販売に明け暮れた枝豆の集中月間が過ぎ、気がつけば稲刈りも、来春の作付けも、思うようにままならない。じゃがいもや枝豆を喜んでいただけた方々に、得難い感謝を覚え、もっともっと自然農の「美味しさ」を届けてみたいと望む自分。畑を見れば、里芋、生姜、菊芋、アピオス、小豆、旬の味覚が今や遅しと収穫、販売を待ち望んでいるように映る。

 自然農の晩秋は短い。11月は文字通りあっという間に進み、気が付けば、ソラマメもエンドウマメも麦も、種蒔きできる時期が終わりへと差し掛かろうとしている。枝豆の販売を機に、月に数度の定期的な直売ができるようなご縁に恵まれた。作物は畑にあるので、随時収穫していけば定期的な直売も継続できる。しかし。


 しかし、直売を11月も継続することでお客さんへの信頼度を深めようと提案してくれる妻に対して、小生は、畑を優先することを選んだ。今の作業濃度を考えれば、収穫と種蒔きを同時に進めることはできない。定期的な直売を継続するための収穫作業を進めれば、播種作業に手が回らない。この時期の播種を逃せば、来春の販売作物の収量が大きく損なわれる。それは、百姓にとっては、本末転倒に他ならない。さらに、そこに稲刈りのタイムリミットも重なってきている。かろうじて、里芋や生姜など、畑で出荷に備えている作物たちは、まだ霜の降りていない土の中で待ってくれている。播種期のハイシーズンが終わりを迎える11月下旬から収穫したとしても、それから直売できるのだ。

 だから、11月は直売を休んで、種まきに明け暮れたい。



 ともすれば、いったい野菜なんか売って何の意味があるのだろうか、なんて考えないこともない。買ってくれる人からすれば、自然農だって有機農だって慣行農(普通栽培)だって大した違いはないかもしれない。そうだとすれば、もっと効率よくたくさん育ててたくさん売って、それで収益を上げることだって意味があるのかもしれない。

 でもやっぱり、嫌なんだよね。

 自分にとっては、無肥料で、無農薬で、不耕起で、手作業で、収穫のためだけの農業ではない、自然農でないと、意味がない。そして、そのエゴを、商品として押し付けていることにもなる。

 それでいいのか?と自問しながら。
 それでいいだろ?と自答しながら。

 田んぼには、稲刈りを待つ稲が。
 畑には、収穫を待つ里芋が、カブが、大豆が。

 そして己の真ん中には、自然農の日々を楽しむ自分が。
 
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 そんな毎日の自然農ライフです。




 さりとて、いつでもお届けする準備はできている!
 それはそれなのである(笑)。
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秋冬だより【雑草屋本舗】

posted by 学 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする