師走廿九日
久方ぶりに、酔いに任せて。
副業の仕事で浜松に足を伸ばし、7〜8年越しの友人と夕食を共に過ごす。前職時代に公私に渡って時間を共にしていただいていた彼、彼女に、子らをも交えて夕餉に招いていただいた。職場での関係以上に、気兼ねなく遊び交わした彼らとの再会は、思っていた以上、期待していた以上に時の隔たりを忘れさせてくれる時間であった。
・・・・・・・・・・・・・・・
寒さと風が印象深い今期の冬。映像の向こうで眺める豪雪とは縁遠いつくばでは、カサカサに乾いた日々が続く。旧暦では師走も師走。明日は大晦日にて、いよいよ新春を迎えようとしている。自然農9年目、つくばにて6年目、玉取に田畑を移して4年目を迎える今年、あいも変わらず、いよいよもって、師走っているこの季節である。世の中になのか、自分になのか、異論反論が渦巻いては消え、消えては渦巻く時勢に揺さぶられ、それでも年齢だけは重ねるしかない、この自然界、生物界、人間界の法則。政治にとか、イデオロギーにとか、正論にとか、正しいことがあるかのように見せかけて実は、バイアス(先入感、偏見)のみが先行しているこの時代と季節に、自身も無駄に焦燥し、そしてまた諦観する、この師走。新暦では今日は2月に入っている中で、旧暦の師走と言って悦に浸ろうとする自我であり、その程度の自己満足でもある。
先日のつくし農園の臨時集合日では参加者と共に「振り返り会」を開き、改めてプレーヤーの話をとつとつと聞きながら、はっと自分を振り返らせられることに何度も出会う。そうしてまた思考はめぐり、・・・・・(この先が続いてくれない・・・) あー。酔っ払い。ホテルの部屋から、インターネットを繋げて、倒れる前に書きなぐっている。
明後日2月3日は、旧暦の睦月の一日、そして翌日は立春。ここ数年では珍しい、睦月と立春が近くに重なり合う新春の慶び。厳冬、花粉5倍、火山灰などの様々な不安事象を、根拠のないポジティブマインドに背負わせて、昨日今日明日をまた一日進む。残り少ない師走Days。
とにかく、師走ってんだばーろちくしょー。明日に晦日を過ぎたら、もう新春だバーロー。うなぎパイのお土産買い捲ってんぞバーロー。つくばに戻って立春を過ぎたら、初詣に行くぞてめーこのやろー。誰でもかまわんが、自然農を、原発反対とか平和運動とかコミュニティとか、視野狭窄の安易なスローガンに結び付けんなこんちくしょう。人類にとって、自然は別に美しいだけじゃなく、人工は別に反自然なだけじゃなく、それらあらゆるものを飲み込んでなお持続可能な方向性が絶対的な存在基盤として必要だという課題が存在するからこそ、それを考え続ける自由と義務が人類に課せられてるんだ。逡巡こそ、真実なんだ。模索と諦観と希望こそ、○×△なんだ。だからこそ、俺は、生きてんだ。うーん、支離滅裂、ろれつめろめろ。
Y野さん、Bたやん、ひーちゃん、あーちゃん、今日はありがとう。酔っ払いは、師走と共に去りぬ。おやすみ、明日はつくばに帰ります。
注)記事の日付は太陰暦を用いております
2011年02月02日
2011年01月01日
明ける
霜月廿七日 晴れ

連日飲み明かして、気がつけば新暦が明けておりました。一年で一番、日本人が皆、心をソワソワさせる、除夜の鐘のカウントダウン。その集団の持つ雰囲気の高まりというのは、空気にも伝わり、そしてもれなく小生にも浸透してくるのだと実感していました。
本年もどうぞよろしく。
元旦の畑に腰を据えて草取りを少々行った後、しばし帰省してきます。

連日飲み明かして、気がつけば新暦が明けておりました。一年で一番、日本人が皆、心をソワソワさせる、除夜の鐘のカウントダウン。その集団の持つ雰囲気の高まりというのは、空気にも伝わり、そしてもれなく小生にも浸透してくるのだと実感していました。
本年もどうぞよろしく。
元旦の畑に腰を据えて草取りを少々行った後、しばし帰省してきます。
2010年12月25日
2010年12月18日
定期便
霜月十三日 晴れ
未(ひつじ)の畑の奥、前年までセイタカアワダチソウが繁茂し、頭上を覆う桑の大樹からの落ち葉が降り積もっていた箇所で、この秋に播種した冬野菜が元気に生育している。何年かぶりのまずまずな生育の様子を眺め、そして手に取り、口に運ぶことは、やはり嬉しい。隣り合っては生育を競う野菜たちを、間引きしては味見し、程よいものを時々に、他の方への口にお届けできるのも、やはりなお嬉しい。
少ない量ではありながらも、幸いにも自然農の野菜を食べたいと言ってもらえる友人へ、気ままな定期便での(それは不定期便と言うべきなのだろうが)野菜セットのお届けを始めることになった。ザル籠に手渡せる分を入れて、数日おきの収穫。いらない時はいらないでもいいし、出せない時は出せないし、それでもいいよと言ってくれる間柄での、気ままな定期便。今のところこれ以上増やせるイメージは出来やしないが、ありがたく、励みにさせていただいてます。

朝霜に冷えるカブが、たまらない甘さを蓄え始めた。
未(ひつじ)の畑の奥、前年までセイタカアワダチソウが繁茂し、頭上を覆う桑の大樹からの落ち葉が降り積もっていた箇所で、この秋に播種した冬野菜が元気に生育している。何年かぶりのまずまずな生育の様子を眺め、そして手に取り、口に運ぶことは、やはり嬉しい。隣り合っては生育を競う野菜たちを、間引きしては味見し、程よいものを時々に、他の方への口にお届けできるのも、やはりなお嬉しい。
少ない量ではありながらも、幸いにも自然農の野菜を食べたいと言ってもらえる友人へ、気ままな定期便での(それは不定期便と言うべきなのだろうが)野菜セットのお届けを始めることになった。ザル籠に手渡せる分を入れて、数日おきの収穫。いらない時はいらないでもいいし、出せない時は出せないし、それでもいいよと言ってくれる間柄での、気ままな定期便。今のところこれ以上増やせるイメージは出来やしないが、ありがたく、励みにさせていただいてます。

朝霜に冷えるカブが、たまらない甘さを蓄え始めた。
2010年12月17日
アクセル
霜月十ニ日 晴れ
暖かい初冬だ、などと言っていた舌の根も乾かぬうちに、冷たい雨を越したここ数日のつくばは本格的な寒さに包まれようとしている。朝には薄い霜が降り、水バケツの表面には淡い氷が張るようになった。林に積もる落ち葉もぐっと重みを増し、その分、空が少しずつ開けてくるように感じる。冬の空の、どこかしらくっきりとした開放感は、こうした知らぬ間の落葉樹たちの営みによって作られていく。
ひとしきり種播きの季節は休みに入り、もっぱら畑での作業は、草刈りと土の養生ばかりとなった。自然農の畑で野菜が十全に育つことが目的の一つであるならば、冬の間の土との会話は、自身が思っている以上に大切な時間だ。春から秋、作業に追われる季節では、成り行き上どうしても育てる作物の動向に注視してしまい、土にフォーカスできる分量が落ちるのは経験上しかたがない。それならば、作業の少ない冬の内に、というよりそれこそが冬の作業だとアクセルを踏んで、土の、畑の、草の、根の、状態を見て、触れて、想像して、次の春への準備を進めたい。
今、主に野菜に育ってもらっている畑は三箇所ある。子(ね)の畑、午(うま)の畑、未(ひつじ)の畑、それぞれ、状態、今までの手のかけてきた内容が異なる。それぞれに、生えている草、生えてきた草、野菜の育ち方も違っていて、それはメモ帳であったり、頭の中であったり、記録されてきた。その各々の様子をイメージし、どんな手の加え方をこの冬にして行くかを行きつ戻りつしている。チガヤを冬の間に根から抜き切る箇所、家の裏の林や隣の桑畑からの落ち葉を持ち入れてみる箇所、畝間の溝に、刈り倒した枯れ草や周囲のセイタカアワダチソウを敷き詰めてみる箇所、一日一日、少しずつしか進まないのであるが、初春の声を聞くまでの数十日をかけて、手足と気持ちを入れて、その先に畑が整っていくはずなのだ。あくまでも、そのはず、でいいのだとしても。
それすらも楽しめるのだから、まあ幸せ者なんでしょう、私は。いろいろいろいろ、どんなことも人生では起こりますが、時々に飲みつぶれ、友人や学友に大言壮語し、歌い、笑い、本を読み、そうして生きて、死ぬまでの繰り返しに自然農を織り交ぜて。
また明日、畑に這って、草を抜く。それが今のところの冬の楽しみなのだから。

それにしても、夜の屋敷がすこぶる冷えてまいりました。
暖かい初冬だ、などと言っていた舌の根も乾かぬうちに、冷たい雨を越したここ数日のつくばは本格的な寒さに包まれようとしている。朝には薄い霜が降り、水バケツの表面には淡い氷が張るようになった。林に積もる落ち葉もぐっと重みを増し、その分、空が少しずつ開けてくるように感じる。冬の空の、どこかしらくっきりとした開放感は、こうした知らぬ間の落葉樹たちの営みによって作られていく。
ひとしきり種播きの季節は休みに入り、もっぱら畑での作業は、草刈りと土の養生ばかりとなった。自然農の畑で野菜が十全に育つことが目的の一つであるならば、冬の間の土との会話は、自身が思っている以上に大切な時間だ。春から秋、作業に追われる季節では、成り行き上どうしても育てる作物の動向に注視してしまい、土にフォーカスできる分量が落ちるのは経験上しかたがない。それならば、作業の少ない冬の内に、というよりそれこそが冬の作業だとアクセルを踏んで、土の、畑の、草の、根の、状態を見て、触れて、想像して、次の春への準備を進めたい。
今、主に野菜に育ってもらっている畑は三箇所ある。子(ね)の畑、午(うま)の畑、未(ひつじ)の畑、それぞれ、状態、今までの手のかけてきた内容が異なる。それぞれに、生えている草、生えてきた草、野菜の育ち方も違っていて、それはメモ帳であったり、頭の中であったり、記録されてきた。その各々の様子をイメージし、どんな手の加え方をこの冬にして行くかを行きつ戻りつしている。チガヤを冬の間に根から抜き切る箇所、家の裏の林や隣の桑畑からの落ち葉を持ち入れてみる箇所、畝間の溝に、刈り倒した枯れ草や周囲のセイタカアワダチソウを敷き詰めてみる箇所、一日一日、少しずつしか進まないのであるが、初春の声を聞くまでの数十日をかけて、手足と気持ちを入れて、その先に畑が整っていくはずなのだ。あくまでも、そのはず、でいいのだとしても。
それすらも楽しめるのだから、まあ幸せ者なんでしょう、私は。いろいろいろいろ、どんなことも人生では起こりますが、時々に飲みつぶれ、友人や学友に大言壮語し、歌い、笑い、本を読み、そうして生きて、死ぬまでの繰り返しに自然農を織り交ぜて。
また明日、畑に這って、草を抜く。それが今のところの冬の楽しみなのだから。

それにしても、夜の屋敷がすこぶる冷えてまいりました。
2010年12月08日
ああだこうだ
霜月三日 晴れ
少々温い、今年の冬初め。霜も霜柱も降りてるようで降りず、思い出すようにちらほらと凍る。もちろん日中も、長袖二枚でおつりが来る程度の暖かさ。畑作業中に通りがかった地主さんも、今年は寒くねえなあ・・・これはそのうちがつんと来っかもしんねえ、といぶかしがる。
まあ、寒さとかはいいんだけどもね。とりあえずは。この冬は、身の回りで、色々なことが過ぎて行っております。いろいろ。
本当は「近江屋商店」さんの宣伝もしたいし、自然農ワークショップの残像も綴りたいし、ああだこうだとあるんだけれども、毎日毎日、畑とヤギと野菜と自炊とビールとスナック菓子とアルバイトと友人と家の掃除と庭の掃除とてんやわんやと過ぎています。旧暦では師走はまだひと月先。農作業の大忙しは、まだまだもう少し先まで続く予感。脱穀して、籾摺りして、冬支度して、草刈りして、土作りして、来期の宣伝して、その先にあるほんの一息のお正月まで猛ラッシュだわね。とはいっても、新暦の年末年始の賑わいには、心浮かれるのではありますが。

脱穀を終えて、いよいよ籾摺りを待つ新米たち。もうすぐ、お口の中へ。

こちらは先月、神無月の満月頃の夕暮れ。日暮れに空気が締まる季節になってきた。
少々温い、今年の冬初め。霜も霜柱も降りてるようで降りず、思い出すようにちらほらと凍る。もちろん日中も、長袖二枚でおつりが来る程度の暖かさ。畑作業中に通りがかった地主さんも、今年は寒くねえなあ・・・これはそのうちがつんと来っかもしんねえ、といぶかしがる。
まあ、寒さとかはいいんだけどもね。とりあえずは。この冬は、身の回りで、色々なことが過ぎて行っております。いろいろ。
本当は「近江屋商店」さんの宣伝もしたいし、自然農ワークショップの残像も綴りたいし、ああだこうだとあるんだけれども、毎日毎日、畑とヤギと野菜と自炊とビールとスナック菓子とアルバイトと友人と家の掃除と庭の掃除とてんやわんやと過ぎています。旧暦では師走はまだひと月先。農作業の大忙しは、まだまだもう少し先まで続く予感。脱穀して、籾摺りして、冬支度して、草刈りして、土作りして、来期の宣伝して、その先にあるほんの一息のお正月まで猛ラッシュだわね。とはいっても、新暦の年末年始の賑わいには、心浮かれるのではありますが。

脱穀を終えて、いよいよ籾摺りを待つ新米たち。もうすぐ、お口の中へ。

こちらは先月、神無月の満月頃の夕暮れ。日暮れに空気が締まる季節になってきた。
2010年11月18日
見事に
神無月十三日 晴れ時々曇り
やおら、ぐっと冷えてきた。台風こそ数えるほどしか来なかったもののぼんやりと雨の多い印象を残した中秋を越え、立冬を過ぎた頃から、程なく冬の訪れを感じさせられる。朝に夕に空気が引き締まり、命あるものに否応なしに寒さへの準備を迫るような、そんな勢いのある寒さ。
田畑は、その空気を柳腰に受けて、ぐんと色を褪せさせていく。一週間前までは、枯れ色の中にもどこか生命力の残りを宿すような薄黄色で一面に広がっていた茅(チガヤ)の群生地が、この数日で目にもさやかに黄金色に霜枯れてきた。それはそれは見事に。

その見事な季節の移ろいに急かされ、百姓は遅れている種播きに鞭を入れることになる。あまりの生育の悪さに、この夏に意気を落として雑草を群生させてしまっていた畑に、空豆とエンドウを播き終わらせなければならない。まずは、指の太さ、背の高さほどに生え茂ったセイタカアワダチソウやオオマツヨイクサの茎を、一部は北西の筑波山からの風除けふうに畝上に残しながらも、ずんずんと刈り倒していく。ふと、枯れ茎のジャングルの中、ほんのりとした色味が目に入る。誰が、いつ種を残してきたのかはわからないが、それは野菊であった(はたして本当に野菊なのかはわからない)。空豆にも、エンドウにも、種播きに邪魔にならないような場所に、すまなそうにしながらも、媚びることなく見事に花を咲かせていた。

まだまだ、今月いっぱいは遅れた鞭で尻を叩く羽目になりそうであるが、この季節の昼にかく汗は、一年で一番気持ちが良い気がする。まだ慣れない寒さに及び腰になる人間を尻目に、着々と根を伸ばす冬野菜や野生の花々を見て、自然の力強さを感じるのも心地良い。この季節の、こうした焦燥感と期待感の心地良い混在は、なんとなしに、冬に備えて餌を貯め込む野生動物の遺伝子から通じているように思えるのは、ちょっとメルヘンですかな。
やおら、ぐっと冷えてきた。台風こそ数えるほどしか来なかったもののぼんやりと雨の多い印象を残した中秋を越え、立冬を過ぎた頃から、程なく冬の訪れを感じさせられる。朝に夕に空気が引き締まり、命あるものに否応なしに寒さへの準備を迫るような、そんな勢いのある寒さ。
田畑は、その空気を柳腰に受けて、ぐんと色を褪せさせていく。一週間前までは、枯れ色の中にもどこか生命力の残りを宿すような薄黄色で一面に広がっていた茅(チガヤ)の群生地が、この数日で目にもさやかに黄金色に霜枯れてきた。それはそれは見事に。

その見事な季節の移ろいに急かされ、百姓は遅れている種播きに鞭を入れることになる。あまりの生育の悪さに、この夏に意気を落として雑草を群生させてしまっていた畑に、空豆とエンドウを播き終わらせなければならない。まずは、指の太さ、背の高さほどに生え茂ったセイタカアワダチソウやオオマツヨイクサの茎を、一部は北西の筑波山からの風除けふうに畝上に残しながらも、ずんずんと刈り倒していく。ふと、枯れ茎のジャングルの中、ほんのりとした色味が目に入る。誰が、いつ種を残してきたのかはわからないが、それは野菊であった(はたして本当に野菊なのかはわからない)。空豆にも、エンドウにも、種播きに邪魔にならないような場所に、すまなそうにしながらも、媚びることなく見事に花を咲かせていた。

まだまだ、今月いっぱいは遅れた鞭で尻を叩く羽目になりそうであるが、この季節の昼にかく汗は、一年で一番気持ちが良い気がする。まだ慣れない寒さに及び腰になる人間を尻目に、着々と根を伸ばす冬野菜や野生の花々を見て、自然の力強さを感じるのも心地良い。この季節の、こうした焦燥感と期待感の心地良い混在は、なんとなしに、冬に備えて餌を貯め込む野生動物の遺伝子から通じているように思えるのは、ちょっとメルヘンですかな。
2010年11月10日
2010年11月09日
小春日和にて
神無月三日 晴れ
昨日の立冬をつくいちで迎えた。冷たく湿った朝露に煙る早朝の畑で冬菜を間引きし、朝めしに雑草を食べさせたヤギを車に載せて家へ戻る。少し恐がっていた腰(まだギックリはしていない)はどうやら回復傾向に向かっているようで、友人にお借りしたサポーターのお蔭もあって、軽作業であれば問題はない。
前日の集合日での暖かな陽気を期待して少し薄着で家を出たが、陽射しが遅れて、秋の寒さを感じる開場となった。来場者の出足は上々。サツマイモ、里芋、菊芋、生姜といった土モノに加えて、間引き菜(今回のつくいちでは「早摘み冬菜」と命名♪)の緑色も加わり、久しぶりに彩りと品揃えに賑わう雑草屋本舗のスタッフにもついつい笑顔がこぼれる。

朝の寒さもいつのまにか太陽に押しやられ、中央公園の芝生は、月に一度の青空市場を楽しむ方たちであふれていた。小春日和とファーマーズマーケット。子細は抜きにしても、この相性の良さについては異論はあるまい。売り手も買い手も雑談しながらいつのまにか時間が経過し、早締めが続いたここ最近では珍しく、気が付けば終了予定の14時を回っていた。
田畑はまだまだ途上の自然農。その途中の折々に触れるこうした作り手の小さな喜び。先ははるかな道にも見えるが、こうした補給があって、さらにもう一歩前に歩ける。いつもお手伝い&協力していただいているguさん、sちゃん、感謝感謝です。自然農の野菜を、わざわざ雑草屋本舗でお買い求めくださる皆様、本当にありがとうございます。
さて、またがんぱっぺー。 今週は、(もうほぼ回復した)腰の養生に専念しますぜ。
昨日の立冬をつくいちで迎えた。冷たく湿った朝露に煙る早朝の畑で冬菜を間引きし、朝めしに雑草を食べさせたヤギを車に載せて家へ戻る。少し恐がっていた腰(まだギックリはしていない)はどうやら回復傾向に向かっているようで、友人にお借りしたサポーターのお蔭もあって、軽作業であれば問題はない。
前日の集合日での暖かな陽気を期待して少し薄着で家を出たが、陽射しが遅れて、秋の寒さを感じる開場となった。来場者の出足は上々。サツマイモ、里芋、菊芋、生姜といった土モノに加えて、間引き菜(今回のつくいちでは「早摘み冬菜」と命名♪)の緑色も加わり、久しぶりに彩りと品揃えに賑わう雑草屋本舗のスタッフにもついつい笑顔がこぼれる。

朝の寒さもいつのまにか太陽に押しやられ、中央公園の芝生は、月に一度の青空市場を楽しむ方たちであふれていた。小春日和とファーマーズマーケット。子細は抜きにしても、この相性の良さについては異論はあるまい。売り手も買い手も雑談しながらいつのまにか時間が経過し、早締めが続いたここ最近では珍しく、気が付けば終了予定の14時を回っていた。
田畑はまだまだ途上の自然農。その途中の折々に触れるこうした作り手の小さな喜び。先ははるかな道にも見えるが、こうした補給があって、さらにもう一歩前に歩ける。いつもお手伝い&協力していただいているguさん、sちゃん、感謝感謝です。自然農の野菜を、わざわざ雑草屋本舗でお買い求めくださる皆様、本当にありがとうございます。
さて、またがんぱっぺー。 今週は、(もうほぼ回復した)腰の養生に専念しますぜ。
2010年11月06日
腰
長月廿九日 晴れ
備忘録として。
呆然とする今年の夏の暑さを思い出す暇も無く、庭に畑に落ち葉が落ち始めたと思うと、木枯しが吹き、稲は枯れ色に染まり、気付けば暦どおりに霜が降りはじめた。葉物野菜の秋播きの頃はとうに過ぎ、稲刈りも、豆の播種も、芋掘りも、目の前に覆い被さらんとする10月の下旬であったが、ここぞとばかりに長年の懸念事項であった腰を痛めることとなった。
腰についてともかく言うのも野暮であるので割愛するが、とにかく、大きく体を動かせぬ日々が続いた。その間にも、枝豆は熟し、稲は台風で傾き、種播きスケジュールは後ずさりし、いよいよ、霜まで降り始めた。秋が深まれば、生姜も、里芋も、サツマイモも、地上部が霜に融け、収穫が面倒になる。目の前には、収穫と種播きと草刈りと冬支度と、しばらくは腰も落ち着けない日が続くというのに。これいかに。
週末のつくし農園の集合日と日曜日のつくいちまで、できる範囲で仕事をして、後はしばらく体を休めるのに専念しよう。焦りは禁物。体も、田畑も、時間が必要な時があるのだ。こちらの(目の前の)都合だけで考えるのではなく、全体を俯瞰して。どこに自分が、どこに田畑が「いる」のかをできるだけ見ようと努めて。
老いるには、まだ、もうちょい、しばらくは、先なのだからね。

〜晩秋の 霜にせかされ 掘る生姜 〜

〜ゴザ寝して 動けぬ身から 仰ぐ秋 〜

〜曲げられぬ 腰を笑うは 混み菜かな 〜
備忘録として。
呆然とする今年の夏の暑さを思い出す暇も無く、庭に畑に落ち葉が落ち始めたと思うと、木枯しが吹き、稲は枯れ色に染まり、気付けば暦どおりに霜が降りはじめた。葉物野菜の秋播きの頃はとうに過ぎ、稲刈りも、豆の播種も、芋掘りも、目の前に覆い被さらんとする10月の下旬であったが、ここぞとばかりに長年の懸念事項であった腰を痛めることとなった。
腰についてともかく言うのも野暮であるので割愛するが、とにかく、大きく体を動かせぬ日々が続いた。その間にも、枝豆は熟し、稲は台風で傾き、種播きスケジュールは後ずさりし、いよいよ、霜まで降り始めた。秋が深まれば、生姜も、里芋も、サツマイモも、地上部が霜に融け、収穫が面倒になる。目の前には、収穫と種播きと草刈りと冬支度と、しばらくは腰も落ち着けない日が続くというのに。これいかに。
週末のつくし農園の集合日と日曜日のつくいちまで、できる範囲で仕事をして、後はしばらく体を休めるのに専念しよう。焦りは禁物。体も、田畑も、時間が必要な時があるのだ。こちらの(目の前の)都合だけで考えるのではなく、全体を俯瞰して。どこに自分が、どこに田畑が「いる」のかをできるだけ見ようと努めて。
老いるには、まだ、もうちょい、しばらくは、先なのだからね。

〜晩秋の 霜にせかされ 掘る生姜 〜

〜ゴザ寝して 動けぬ身から 仰ぐ秋 〜

〜曲げられぬ 腰を笑うは 混み菜かな 〜

